錦は踏み台を使って冷蔵庫の中身を確認した。自分だけならまだしも、潮もいる状態で昼食をおろそかには出来ない。が、景光もろくに帰ってこないので、食材を買い置きしていない。
錦は、自分用の冷凍肉をレンジで解凍した。
「潮、お料理は得意かしら」
「最低限は出来ると思うけれど」
「……不安ね。怪我をしても困るから、肉はわたくしが焼くわ。潮は、お湯を沸かしてインスタントの味噌汁をいれてくれるかしら」
「はい、ママ」
錦は台を移動させ、IHコンロの前に立つ。鶏もも肉に片栗粉をまぶして多めの油で焼き、タレを絡めて照り焼きにする。米は冷凍しているものをレンジに入れた。
「野菜が無いけれど、別にいいわよね。料亭じゃないもの。パパは、案外こういうの気にするのだけれど」
「問題ないわ、十分よ。錦ちゃん、いつも自分でご飯を作っているの? すごいわね」
「お友達に、お料理が得意な女の子がいるの。たまに教えてもらっているわ」
「そういえば錦ちゃんっていくつなの?」
「七歳ということになっているわ」
「ふふ、その年でサバでも読むつもり?」
皿を運んでテーブルにつく。錦が手を合わせると、潮は一拍遅れて手を合わせた。
錦は、携帯を気にしながら箸を進める。時間を空けてまた景光に電話をしてみようとは思っているが、早く折り返しがあるならばそれに越したことはない。
テレビはニュースを点けっぱなしにしていたが、昨晩の事故についての報道は不自然なほどなかった。東都水族館のCMが流れたときに「ここのすぐ近くだったのよ」というと「錦ちゃんは昨晩どうして、ひとりであそこにいたの?」と問われたので口を閉じた。
片づけは潮が引き受けてくれたので任せる。あとで風呂掃除もしてもらわなければ。
「食後のお茶でも淹れようかしら。潮、コーヒーと紅茶、どちらがいい?」
「コーヒーにしようかしら」
「ホット?」
「ええ、ブラックでいいわ」
カップを準備したところで、ダイニングの携帯が鳴った。
錦は首をひねった。
「わたくしの携帯の音ではないわ」
ふたりで顔を見合わせて、慌ててダイニングに戻る。
潮の携帯が鳴っていた。
「誰?! 出てもいいかしら?」
「待って。名前は出ていない……アドレス帳が空だったから当然ね」
おそるおそる携帯を手に取った潮が硬直する。そしてぎこちない動きで画面を錦へ向けた。
通話状態だった。
錦は即座に電話を切る。
「何故電話をとったの?」
「指が当たったのよ、それにしてもどうして切ったの?」
電話の向こうは、件の組織関係者である可能性が高い。潮が記憶喪失であると知られたら、メールの信ぴょう性がなくなりバーボンのノック疑惑が晴れない。錦が素知らぬフリで応答しても同じだ。<メールの送り主は潮である>という事実を揺らがせるようなことは出来ない。
「電話をかけてきたということは、わたしを知っている人には間違いないわ。折り返しましょう」
「だめ」
「だから、どうして?」
「こちらの都合で悪いけれど、あなたが記憶喪失であると知られないほうがいいの」
「……そんなに特殊な都合があるの?」
「あるのよ、これが」
「あのメールと関係があるのかしら……。錦ちゃん、ノックの意味を調べていたわよね。いくつか意味があったけれど、あなたの視線が止まったのは<スパイ>という言葉だったはず。あとは酒の名前だったわ。あれがなんらかの比喩だとしたら……わたしは誰かに、誰がスパイなのかを知らせようとしていた、と考えられるわ」
頭の回転が速い。これは組織の中でもさぞ重要なポジションにいたのだろう。
「でも、その内容を訂正するようなメールを送るようにと錦ちゃんは言ったわ。あの酒の名前の者が、スパイだと知られるとまずかった……? そうすると、わたしと錦ちゃんは敵対しているという可能性が出てくるわね」
「実はその通りなの」
「冗談のつもりだったのだけれど!」
「わたくしも冗談よ」
「や、やめて紛らわしいから……」