ひとの輪の外から

 その男は、鼻の下に整えた髭を生やし、ピンと伸びた背筋が印象的だった。仕事でも非常に優秀だという。錦は景光と男とを交互に見て、確かに景光よりは親しみやすさに欠けるかもしれないと思う。少しばかり、人に威圧感を与える人物だった。
 それが錦にも通用するかと言えば全く別の話であり、錦はいつも通り、丁寧な口調で名乗った。

「わたくしは、橙茉錦よ。パパのお兄さん?」
「諸伏高明という。よろしく、小さなお嬢さん」

 現在地は、滞在期間が残り少なくなった橙茉家である。普段は長野にいるという景光の兄・高明が、わざわざ足を運んでくれたのだ。
 高明がお土産として持って来てくれた丸ごとリンゴパイを切り分けて、飲み物も用意し、ティータイムの準備は万端だ。
 景光が言っていた通り、高明は色々と察した上で黙っているらしく、音信不通だった景光に対して探るようなことはしなかったし、錦に景光との関係や出会いを尋ねることもしなかった。

「まさか弟から、彼女や妻より先に、娘を紹介される日が来ようとは」
「それはすまん……」
「後見人とはいえ、子ども一人の面倒を見ることは生半可な覚悟では出来ない……が、今更口をはさむべきことでもないのだろう。不甲斐ない真似はするなよ」
「最善を尽くすよ」
「ともかく、元気そうで何よりだ。錦嬢から見て、我が弟はきちんと父親をやれているか?」
「とっても良いパパよ。不満なんて微塵もないわ」
「それは良かった」

 高明が笑い、景光も笑う。雰囲気は異なれど、笑顔は兄弟でよく似ていた。涼し気な目元は細められると一気に愛嬌が増す。
 繋がりがあるというのは、喜ばしいことだと錦は思う。煩わしいときもあるかもしれないが、繋がりは力であり財産だ。

「父親の兄のことは、伯父と呼ぶのが一般的だけれど、"高明伯父さん"でいいのかしら」
 
 ごく純粋に疑問をぶつけると、高明はコーヒーカップを置いて顎に手を当て思案気にした。なにか気に障ることを聞いたかと景光を見るも、景光も不思議そうな顔だった。

「……なんというか、おじさん、という響きが複雑だ」
「俺より年上なんだから、立派なおじさんだけどな」
「じゃあ、高明さん?」
「それはそれで他人行儀だな。仮にも家族だというのに」
「家族……」

 その言葉に、錦はただでさえ笑んでいる口元を更に緩める。

「なら高明ね。パパのことも、景光と呼んでいるし」
「はは、景光、名前で呼ばれているのか。構わないさ、錦嬢。愚弟が何かやらかしたときは、遠慮なくチクってくれ」
「まるで錦が俺の保護者みたいな扱いだな」
「これはただの直感だが、錦嬢が景光の面倒をみているのでは?」
「ンーあながち間違いじゃないな」
「錦嬢は、傑物とはまた別ベクトルで、人とは違うような気がする」

 錦は心の中で拍手をしながら景光を見た。神妙な顔で首を横に振られる。錦の不思議エピソードを明かしたわけではないらしい。

「高明は、常識に囚われず、洞察力に優れているのね」
「お褒めに預かり光栄だな」

 高明は子どもに褒められて、誇らしげに髭を撫でた。

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