神妙な声の景光は、病院から錦に電話をかけてきたようだった。
 記憶を戻す手がかりを探しに東都水族館付近へ赴いたところ、水族館前で潮が突然気を失ったという。潮は既に目を覚ましており、異変はないものの、再度水族館へ行くことを希望しているらしい。
 記憶が戻るのは喜ばしいことだ。硬い声音の景光とは対照的に、錦は頬を緩めた。

「それは良かったわ。なら、記憶を失った決定的な原因は、事故の物理的衝撃ではない可能性があるわね」
『ああ。それにしても、水族館を見て記憶を失うってのも分からない。錦は何か覚えてないか?』
「そうね……」

 記憶力は良い自信がある。潮との出会いを鮮明に思い起こすことは可能だ。しかし、違和感を覚えるかと言われると話は別である。特に水族館方面となると難しい。錦は意識的に水族館から目を逸らし、軽快なBGMも極力聞かないようにしていた。

「幼少期に、ああいった施設に行ったことがあるとか?」
『あー……なるほど。東都水族館の二輪式観覧車は無いにしても、どこかしらのテーマパーク。過去に重大な事件がそこであったとか』
「夜の東都水族館を見て、何かが……そうだわ」
『錦?』
「そうよ、きっとそう。だってあの色は、きっと潮にとって特別なのよ」
『パパを置いて行かないで』

 錦は、水族館を一瞥しただけでも印象に残るビームライトを頭の中に描いた。緑、橙、白、青、赤の五色が空に向かって伸びていた。この五色は、潮の持ち物であろうカラーフィルムと同じ色だ。

「観覧車の近くに設置されたビームライトと同じ色のフィルムを、潮は持っていたわ。あの五色は、潮のなにか、合図なのではないかしら」
『ビームライトは分かるけど、フィルム?』
「上着に入っていたものよ」
『上着とスマホしか見てないぞ』
「潮が持っていなかった? スマホとは違って誤作動もないから、ずっと手元にあったけれど」

 錦は話しながら、部屋の中を確認する。そう物の多くない家なので探し物はやりやすいはずだが、ぱっと目につかない。電話をかけたままうなって、ソファの潮が座っていた位置に腰かけた。体を沈ませながら周囲を見回し、ふとソファの背もたれと座席の隙間に腕を突っ込んだ。

「あったわ。ソファに挟まってしまったみたい」
『そんなもんがあったのか……。そのフィルムとビームライトが同じ色だと』
「ええ。といっても、このフィルムを見ても何かを思い出す様な様子は無かったわ」
『普段から何かの目的でカラーフィルムを利用しているとはいえ、記憶喪失の決定打が遊園地のライトだとしたら、全く同じもののほうが記憶を取り戻す可能性が高いのかもしれない。事実、倒れているからな』
「フィルム、いる?」

 もちろん、と景光は肯定したものの、歯切れ悪く続ける。

『でも帰れるかな俺……。今ちょっと病院を離れててさ。夜にもう一回水族館に行くことになりそうだけど、病院に行く正確な時間は分からん』
「なら持って行くわ。職場への出入りは難しいと思うけれど、水族館ならわたくしも行けるもの」
『夜に小学一年生がひとりで水族館?』
「そうよ」
『俺おまわりさんなんだけど……急ぎで欲しいのは確かだけど。誰か家に行かせるのは?』
「わたくしと直接親交のあるこどもたちでもないのに、景光の同行無しで、たどり着けると思えないわ」
『そんなハイテクセキュリティだったのか。道たまに通販したときに<営業所まで来てくれ>って電話が来るのはそういう訳だったのか……』
「わたくしがお届けするわ」
『お手数おかけします』

 錦は笑顔で頷く。普段は子ども扱いだが、本当に必要なとき、こうしてあてにされるのは好ましかった。
 今日は元々でかけるつもりでいた。足を水族館方面に向けて、景光から連絡が来たら合流すれば良いだろう。水族館で時間をつぶす手もあるが、迷子放送がかかることは必須であり、やはり入場するなら景光と一緒のときが良い。

『時間が分かれば連絡する。キュ、潮も、錦の顔を見たらリラックスするだろうから、これはこれでアリということにしよう』

 景光が、自分を納得させるように口にする。その後ろで『諸伏』と誰かが呼ぶ声がした。そうだ、景光はしっかり仕事中なのである。

「授業参観みたいなものね」
『そう言われると緊張するな』

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