よくできました

 風見を背負って這う這うの体で観覧車から脱出した景光は、息を整えながら観覧車を見上げた。銃撃の囮となったキュラソーの安否は不明だ。錦も、降谷も、赤井も、コナンも。今すぐにでも観覧車内部に戻って探したいが、景光が駆けだすよりも観覧車の主軸が爆発するほうが早かった。
 遊園地にまさかオスプレイが出動してくるなど思わないし、機関銃を乱射するとも思わないし、爆発が起こるとも思わない。おまけに観覧車が自走するなど、予想出来るはずもなかった。
 観覧車の崩壊を確認してから飛び去るオスプレイに悪態をつき、心の中で中指を立てる。
 自分が観覧車を止められるとは微塵も思わなかったが、何もしないわけにもいかなかった。よりによって、観覧車の進行方向には水族館がある。来場者が停電によって避難した場所だ。
 景光は水族館へ向かって走った。観覧車は水族館に突き刺さって止まるか、水族館との接触によって倒れるか、どちらにせよ膨大な数の犠牲者が出る。公安警察が貸し切ったほうの観覧車が転がっているという点だけは、不幸中の幸いと言えるのかもしれないが。
 観覧車の勢いは徐々に落ちていた。それでも停止には至らない。水族館は目前だ。広場にいる来場者の悲鳴や、スタッフと警察関係者による避難指示の声が一層大きくなる。
 景光は無力を噛み締めながら、ただそれを追いかけることしか出来なかった。

「止まれ、止まれ、止まれよ!」

 イルカショーの屋外プールの屋根が軋む音がした、直後。
 ドン! と立っていられなくなるほどの衝撃が辺りに響いて転倒した。全身の骨が震え、一瞬鼓動が止まったような気がした。
 水族館がへしゃげたにしてはおかしな衝撃に、事態を把握しようと立ち上がる。そして目に入った異様な光景に、景光は言葉を失った。おそらく、広場でそれを見た誰もがそうだった。
 観覧車の四分の一ほどが地面に埋まっている。地面が陥没しているのだ。

「……止まってる……」

 数秒置いて、広場が歓声に包まれた。
 景光は無言でガッツポーズをとると、喜びもそこそこに目的を切り替えた。仲間の安否だ。
 観覧車に残ったみんなはどこにいる。無事なのだろうか。銃撃で負傷してはいないだろうか。まさかこの自走した観覧車の内部に取り残されていたりしないだろうか。
 焦りを取り戻して猛スピードで回転する思考に、気だるい声がかけられた。

「ひろみつ」

 もす、と右足が柔らかいものに包まれる。

「つかれたわ」

 錦が景光の足に抱き着いて、ぐずるように頭を押し付けていた。観覧車の中で別れるときより明らかにくたびれていて、洋服は汚れていて、お気に入りの日傘は持っていなかった。
 景光は低い位置にある頭を撫でて、小さい体を抱き上げた。いつも体温は低めだが、一層冷えていてぞっとする。

「錦どこか怪我を、」
「していないわ、平気よ。ねむいだけ」
「……そうか」
「ええ。景光は?」
「何ともないよ。筋肉痛になりそうなくらい」
「良かったわ」

 錦の声は寝言のようだった。景光の腕の中で完全に脱力しており、目も閉じたまま喋っている。
 何か、は分からない。しかしおそらく、錦は<何か>をしてくれたのだ。そうでなければ、早朝でもあるまいに、ここまで消耗することはないだろう。
 景光は喧騒から距離をとりながら、錦の力を頼ったことを後悔した。ここまで大事になることが到底予想出来なかったとはいえ、大事な家族の命を危険にさらしたのだ。松田を爆死から救っていたから降谷のことも、と頼んでしまったが、錦が以前より消耗しているということには前々から気付いていたというのに。
 日本を守る者として利用できるものを活用しただけだ――自分が錦に対して、そんな風になってしまっているのではないか。
 錦がもごもごと言う。

「江戸川くんと赤井さんは無事よ。安室さんは、途中で別れてしまって分からないわ。潮は?」
「分からん。銃撃の囮になると、走り出してしまって」
「そう……囮は潮だったのね。血の匂いはしていないから、被弾してはいないと思うけれど」
「捜索はこっちでやるから、錦は休むといい」
「……景光は?」
「まだやることがあるからな」
「なら、わたくしも手伝うわ」
「だめだ、ゆっくり休んでてくれ」

 思わず口調が強くなる。錦を強く抱きしめると、景光の心境を知ってか知らずか、錦が眠たそうな声で笑った。

「わたくし、景光に頼られて嬉しかったわ」
「……」
「観覧車で二周出来なくなってしまったから、次のデートコース、考えておいてね。余計なことを考えるくらいなら、わたくしをどうやって楽しませるか、考えていて」

 錦が瞼を押し上げて景光を見る。
 景光が頷くと、錦も満足そうに頷き返してくる。
 
「……敵わないなあ」
「当然よ」

 景光は深く息を吐き、大きく吸って、錦を抱き上げたまま人探しを始めた。錦が無事を確認している赤井を発見して錦を預けるのがいいだろう。赤井はここで表立って捜査に参加することが出来ないはずだ。本当なら自分が錦のそばにいたいが、それが許されない立場なのだ、せめて信頼できる人に預けたい。それから職務に戻りたい。
 黒ずくめの長身を探し始めてすぐ、景光は肩を叩かれた。

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