気を失っていた時間は短かったと思う。錦が目を開けたとき、まだ現在地は東都水族館で、空は暗かった。周囲は警察官とスタッフが行き交い、無傷の来園者がスマートフォンを構えている。気を失う前と違うのは、救急隊員が大勢駆けつけていることと、錦を抱えているのが景光ではないことだ。
錦が起きたことに気付いて、ほっとしたように笑っている。疲れを隠せていないものの元気そうな姿に、錦も胸を撫でおろした。
「潮」
「錦ちゃん、無事で良かったわ」
「こちらのセリフよ。囮になったの、あなただったと聞いたわ」
「体中痛いけれど、撃たれていないし骨折もしていない。オスプレイが攻撃を受けたことでわたしへの銃撃を諦めてくれて、本当に良かったわ。赤井秀一かしら……礼を言うのは癪ね」
潮ははっきりとした口調で毒づきながらも、優しい手つきで錦の頬を撫でている。錦はまだうとうとしながら、手を伸ばして潮がかけている眼鏡に触れた。
「それ、どうしたの?」
「錦ちゃんと話す時間が欲しいと言ったら、彼、万能変装道具と言って貸してくれたの。素顔のままだと、すぐ捕まってしまうから……もしかしたら、二度と錦ちゃんと会えなくなってしまうから」
「二度となんて、そんなことないわ。会いに行くもの」
「ありがとう」
潮が心底嬉しそうに笑う。しかし、軽いため息をついて錦から視線を外した。行き交う人を眺めている。何か迷っているように見えたが、物憂げな視線はすぐ錦に戻ってきた。
潮が、今度は自嘲ぎみに笑う。
「わたしを嫌いに見えないのは、どうして?」
錦は潮の腕の中で痛めそうなくらい首を傾けた。
「嫌いじゃないからよ」
「わたしのスマホにあった着信への対応、メールへの対応……組織のことを知っているのは明らかだった。彼から……スコッチから聞いたわ。組織があなたのご両親を奪い、スコッチがあなたを助け出したことを。わたしは、そんな組織の幹部なのよ」
「『幹部だった』、ね」
無論、錦は両親を組織に殺されてなどいないので恨みも何もない。もしも本当に、錦の大切な存在が組織に殺されていたら相応以上の報復を考えはしただろうが、もしもの話だ。錦はこの世界でなにも喪っていない。
憤っているふりをして、それを潮にぶつけない理由をでっちあげてもいい。だが、感情に嘘をつくのは好んでいなかった。
「両親は亡くなっているわ」
「組織の仕業なんでしょう?」
「誰かに殺されるまでもなく、ずっと昔に。だから、あなたが気に病むようなことではないのよ」
「でもスコッチは……」
「パパは、一番シンプルは説明をしてくれているの」
「……そうだとしても」
錦は怠い腕を伸ばして、潮の両頬をはさんだ。
「あのね、わたくし、迷子のこどもに手を上げるほど冷酷じゃないわ」
「まいご」
「気になることがあって、なにか償いたいのなら、わたくしではなくパパたちに。自分自身を守ろうとしない彼らに、少しでも息つく時間をあげて」
ぎゅう、と頬を挟んでから手を離す。目を瞬く潮に満足して、錦は寝心地の良い場所を探して動き始めた。
「まだもう少し眠るわ。潮も、パパが来るまで休んでいるといいわよ」
「この流れで寝るの……?」
「わたくし、悪役向きだから、ヒーロー役って疲れるの」
落ち着く場所を見つけて脱力する。日常生活に支障がない程度には元気だとはいえ、休息をとるに越したことはない。帰宅したら生肉パーティーを開かなければ。
錦は深く息をする。まどろむ意識で、錦が本気で眠る気だとようやく理解したらしい潮のおかしそうな声が聞こえた。
「お休みなさい、わたしのヒーロー」