暴走防止

 錦はポアロのカウンター席で、優雅にコーヒーカップを傾けていた。本日はブラックの気分である。
 平日の午後三時すぎ。小学一年生だからこその昼間からの自由時間だ。錦は帰宅せず、小学校からそのままポアロを訪れていた。平日はランチタイムを過ぎると客の入りがまばらになることは知っていたので、入店したときに店が貸し切り状態でも驚かなかった。
 一息つくと、隣から「ねえ」と低い声で呼びかけられる。#隣のカウンターチェアに座ったコナンが、肘をついてじとりと錦を見ていた。
 コナンの前にも、錦と同じブラックコーヒーが置かれている。

「橙茉さん、教えてくれるんじゃなかったのかよ」
「パパのことでしょ。忘れていないわ。待っているだけよ」
「なにを?」
「安室さん」

 人が少ない時間帯に、梓や安室は交代で昼休憩に入る。錦が入店したときには安室が休憩中で、錦たちにコーヒーを淹れた梓がそのあと休憩に入る。その入れ替わりを待っているのだった。
 梓がコーヒーを出しながら「安室さん、もう出てくると思う」と笑っていたのがついさっきだ。安室が錦の来店を楽しみにしてることを梓も知っている。
 安室が休憩を終えるまで、コーヒーを片手に<さんすうドリル>でも済ませておこうかとランドセルを開ける。「江戸川くんも、宿題する?」「後でやる……」コナンは変わらず、座った目を向けてくる。
 錦が宿題のページを開いたところで、エプロンの紐を締めながら安室が現れた。代わりに梓の姿が見えなくなる。
 錦は開いたドリルを片付けた。

「いらっしゃい、錦ちゃん、コナンくん」
「こんにちは、安室さん」
「こんにちは。待ってたよ、安室さん。……で?」

 コナンが安室と錦とで視線を動かす。

「橙茉さんのお父さんの話に、安室さんの存在が必須なのはどうして?」
「僕からお願いしたんだけどね。なぜだと思う?」

 コナンの質問に、安室が質問で返す。コナンが嘆息して、最も分かりやすく単純な考えを述べた。

「安室さんが、橙茉さんのお父さんを知っているから」
「そういうこと」
「でも前に、橙茉さんのご両親とは会ったことない、みたいなこと言ってたよね?」
「あのときはね。後になって、知っているひとだって分かったんだ」
「……そんなことある?」
「あるんだなあ。ねえ、錦ちゃん」

 錦はコーヒーカップを置いて深く頷いた。

「ちなみに、江戸川くん。わたくし、多分、あなたが思っているより<知っている>わ」
「え……それってもしかして、」
「続きは安室さんからどうぞ」
「ご指名ありがとう」

 コナンが顔をしかめたが、すぐに何かに気付いた顔をする。小さな探偵は、やはり察しが良い。

「安室さんが知っていて、こうして情報開示を見張ってるってことは……」
「見張っているというのは人聞きが悪いけど、きみが思っている通りだよ」
「じゃあ、亡くなったっていうのは……。待てよ、安室さんが橙茉さんのご両親を知らなかったってことは、そのときは潜伏状態だったってことか。つまり、亡くなったのはカバーの男で、中身は生きていて……」
「ふたを開けてみれば、知った顔だった。僕も死んだと思っていた男でね」
「……同じ職場で同じように潜り込んでいたのに、潜伏について知らなかったの? それに、そこにどうやって橙茉さんが……」
「僕の目すら欺いて逃げおおせた男は、保護した女の子と女性と一緒に、仲良くのんびり平和な生活を満喫していたのさ」
「女性……お母さん?」
「女性のことはこちらで保護している。女の子のほうは、パパのことが大好きだと言うんで、パパと一緒に生活を続けている」
「じゃあ橙茉さんって組織の……?」

 うかがうようにコナンから視線を向けられる。錦は笑顔を返した。

「安心して。わたくし、ドリンクバーから狙われるようなことはないわ。彼らはわたくしの顔を知らないから。ただわたくしが、一方的にその存在を認識していると、それだけよ」
「そうか……なら良かった」
「江戸川くんこそ、どうしてドリンクバーと関わりがあるの?」
「エッ」
「色々と、知っていそうな口ぶりだもの」
「僕はその……いろんな事件と関わるうちに、そういう、犯罪組織の気配を知ったというか、そんな感じ」
「ふうん?」

 今度は錦がコナンをじっと見つめる。コナンは目を泳がせてあらぬ方向を見ながら乾いた笑いをこぼした。彼は誤魔化すのが下手すぎる。
 コナンへ笑顔の圧を続けていると、安室からストップが入った。「そのぐらいにしたら?」どことなく安室の笑みが引きつっているのは気のせいだろうか。錦はコナンから視線を外して、コーヒーカップを手に取った。あからさまにコナンが安堵したのが分かり、カップに口を付けたまま少し笑う。
 
「で、これは僕からの、いけ好かないニット帽野郎への伝言なんだけど」
 
 安室の笑みは深いが、目は笑っていなかった。

「伝えておいてほしい。『謝罪するなら礼をしろ』ってね」



ALICE+