あのねあのね、をして

 小学校から我が家に帰宅すると、玄関で景光が仁王立ちをしていた。錦は即座にここ数日の行動を振り返る。深夜徘徊がバレた様子はないし、夜更かしして読書をしていたことだってバレていないはずだ。景光が怒るようなことはしていない。
 念のため、一度玄関を開けて現在時刻が確かに夕方でありうっかり深夜ではないことを確認してから、景光に話しかけた。

「ただいま、景光。早かったのね」
「おかえり、錦。ちょっとお話があります」
「そのようね」
「先に手洗いうがいな。その後リビングに来るよーに」
「はぁい」

 特別呼び立てられなくても行くのだけれど、呼ばれたら尚行かない理由はない。
 錦は私室でランドセルを下ろし、洗面所で手洗いうがいを済ませる。鼻歌交じりに外からの汚れを落とすと、ダイニングテーブルで待ち構えている景光の正面に座った。
 景光は両肘をテーブルにつき、組んだ手を前にして神妙な顔だった。

「心臓に悪いことがあった」
「狭心症?」
「至って健康。ゼ、じゃない、ふ、でもなくて、安室サンと結構親しいんだって?」
「ええ。色々奢ってくれるの、彼」
「なんで黙ってたんだ。俺の同僚だってことは分かってたんだろう」

 錦はぱちぱち瞬きをした。黙っていた、伏していた、秘していた。そんなつもりは微塵もなかった。隠していた、とも違う。色々と考えることが多そうな景光の精神衛生を保つためにあえて報告もしなかったという面は確かにあるのかもしれなかったが、"なんとなく"に尽きる。なんとなく、言わないほうが良いだろうと思ったのだ。赤井との接触と同様に。
 何ら罪悪感を抱く事柄でもないので、錦は「そう言われても」と頬に手を当てた。

「会ったのは偶然だったし、何か特別な話をするでもなかったからよ。ただの、一人のお友達。そういえば、景光の"本当の"同僚なのよね。安室透という名前も、偽名なのかしら」

 景光も、錦からの謝罪が欲しかったわけではないのだろう。軽く流した錦に対して嘆息するだけだった。

「その辺は、本人が話せる立場になったら聞いてやってくれ。錦のこといたく気に入ってるみたいだったから」
「そういえば、どちらが『案外短気』でどちらが『無頓着』だったの?」
「安室が短気、赤井が無頓着」
「安室さん、穏やかだけれど」
「俺の前では手が早いよ。殴られてきたからな」
「気を許しているのね」
「嫌な許し方……。あと松田のことな。こっちも黙ってたろ」
「陣平もお友達よ」
「あいつやっべーな」

 松田のことを話していないのもまた、なんとなくだった。景光に紅子を紹介していないのと同じなのだ。機会があれば話すけれど、日々の行動を逐一報告もしない。錦は情報共有を特に重要視していないので、積極的ではないのである。
 
「で、他に、俺に関係してて黙ってることはあるか?」
「ないわよ。あと景光に直接紹介していないお友達といえば、少年探偵団の子や高校生くらいだもの。景光とは無関係よ」

 これは本当だ。佐藤や高木という警察官との面識はあるが、そちらは松田繋がりで景光とは関わりがない。
 景光は怪訝な顔を隠さなかった。口に出さず、空気で問いかけてくる。本当に黙っていることはないのか、俺が関係していることはないのか、と。
 錦は微笑んで首を横に振っていたが、やがて気疎くなって景光の鼻をつまんだ。

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