リロケーション

 引っ越し先は、ファミリー用のマンションの一室だという。景光が元々住んでいた部屋ではなく、新しく見繕ったものだ。景光の元々の単身者用マンションは景光死亡時に全て片付けられているので、当然のことだった。景光は自分の死亡処理の干渉に浸ることもなく「元の部屋からと、ここ(一軒家)からと、ダブルで引っ越ししなくて楽」と笑顔だった。
 錦はランドセルを背負って、ライオンのぬいぐるみを抱えた。教材や服等々の荷物は段ボール二つにおさまった。

「必要なものは全部入れたか?」
「完璧よ」
「置いて行った物は、後で来る処理班が綺麗さっぱり処分しちまうからな。パンツから指紋まで全部消えるぞ」

 錦が二箱、景光も洋服類で二箱。あとは、買い足すのが面倒だとキッチン用品を梱包した箱がある。景光は梱包の手間と百均で買いそろえる手間を天秤にかけ、梱包の手間をとっていた。生活環境を整えるために百均に寄るつもりとはいえ、キッチン用品を買うか買わないかは荷物量に大きな差が出る。あとシール剥がしが面倒くさいらしい。他の生活用品は――掃除機や布団など――ほとんど置いて行く。
 家の前に停めたワンボックスカーの後部座席を倒し、段ボールを積み込む。自分の分は自分で積み込もうとしたのだが、教科書類を入れた重い段ボールを片手で床を滑らせ、小さく悲鳴を上げられたので、力仕事は景光に任せて錦は三年住んだ家を隅々まで見て回っていた。
 二階から一階に降り、一番時間を過ごしたリビングを見回す。次の家も家具家電が最低限準備されているということで、こちらの家具家電は置いていくことになっている。物が少ないので橙茉家のリビングはいつでもショールーム状態だったが、ひとがいなくなるからか、一段と生活感が薄れているように見えた。

「おーい」

 玄関から呼ばれて、ととと、とリビングを出る。景光が玄関のドアを開けて待っていた。
 靴を履いて一度だけ中を振り返り、外に出る。景光が鍵を閉めたら、それでここでの生活は終わりだ。

「さっき荷物積んでて『あれ?』ってなったんだけど、この家の表札ってどうしたんだ? 錦がつけたのか?」
「多分谷本さん」
「誰」
「家といえば必要なもの、と認識してつけてくれたのだと思うわ」
「誰なんだ谷本さん」

 ランドセルを持ち上げられたので腕を抜き、ライオンだけを抱えて助手席に乗り込む。景光は後部座席にランドセルを載せてから運転席に座った。
 エンジンをかけながら、何故か景光は錦に謝罪をした。

「何を謝るの?」
「写真の一枚も残せなくてさ。明美が出ていくときも思ったんだけど」
「気にしないわ」
「ちょっと寂しいくせに」
「景光がいるもの」
「ウッ……」

 胸を押さえた景光だが、急にはっと顔を上げた。

「チャイルドシートが無い……」
「けれど、後ろはもう荷物が載せてあるわよ。フットスペースに隠れましょうか」
「なんで隠れるって発想になるんだ」
「見つかっちゃいけないのかと思って」
「俺は事故の危険性を言ってるだけで」
「博士の車に乗るときは、いつもそのままだから……」
「子ども多いもんな。今回も仕方がないから、いいことにするか。小さいだけで六歳未満ではないし……いやでも小さいから駄目か?」
「車が横転してへしゃげても死なないから、安心して」
「それは俺が死んでしまう」

 ワンボックスカーが動き出す。残念ながら座高の低い錦では十分外の景色を楽しめないので、窓を少し開けて風を入れた。

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