緑が美しい季節に

 屋根の上にいたわたしは気が付かなかったが、あの騒動はマイナスに捉えられているばかりではないらしい。妖精会館にいたとしても人間を良く思っていない者はいる、そういった妖精から労われるのだ。風息は妖精の中では若いほうなので、「若いモンがやりおった」という感嘆じみたものさえあった。
 胸を張れるようなことはしていない。そこは自覚している。だが、わたしたちの行動の理由に理解を示してくれる存在がいるというのは心強かった。二度とあのような強行をする気はないものの、割り切るばかりが最善ではなく考え続けて良いのだと思える。
 それでも、わたしたちの行動を良く思っていない妖精が多数で、わたしを恐れるような仕草をする妖精もいる。館の中をうろつく時間も増えたとはいえ、定位置が屋根の上であることには変わりなかった。
 持て余す時間を瞑想にあてていたが、屋根の上へ来客があって目を開けた。
 少年の姿をした神が浮いている。

「お元気そうですね、哪吒(ナタ)様」
「お前らの後始末が片付き始めたからな」
「お疲れ様です」
「本当にな」
「説教に?」
「馬鹿言え」

 哪吒様は鼻で笑って、わたしの隣に腰を下ろした。
 
「普段何してるんだ」
「ぼーっとしたり、瞑想したり。最近は館にいる妖精と話をすることもありますよ」
「呑気なもんだ」
「わたしに何か用事でもあります?」
「泣き虫の顔を拝みに来ただけ」
「誰情報ですか……否定はしませんが」
「可欣、執行人に戻りたいって?」
「本題あるんじゃないですか」
「ついでだよ。で?」
「そうですよ、復帰したいです」

 わたしは迷わず肯定した。
 執行人に戻りたいというのは隠しているつもりもない。執行人であり、あの夜出動した哪吒様なら知っていて当然だろう。
 哪吒様は相槌を打ったものの、それだけだった。虫が良すぎるだとか、出来るわけないだろだとか、そういった返答を予想していただけに拍子抜けした。
 呆気にとられるわたしを見て、哪吒様が笑う。

「間抜け面だな。反対しないことが意外か?」
「まあ、はい」
「妖精会館の規則は<人間に妖精だとバレないこと>だ。あの夜、俺も他の執行人も、人目をはばからずに行動していた。妖精会館唯一の規則を執行人たちが破っていたんだ、それに関してお前たちは罰せられない」
「そうなったのはわたしたちのせいなのに?」
「領界の発動だけだったら、ただの怪奇現象だろ」
「……屁理屈では?」
「お前、俺の努力を屁理屈って?」

 何を努力したのかと思ったことが顔に出たらしく、哪吒様から強烈なデコピンを食らう。

「おまけに、リーダーである風息はあれだ。お前らの中で危険認定されてたのは風息だけだからな」
「でも、わたしは元執行人ですよ。裏切ったと言っても過言ではありません」
「もう辞めてたんだ、ただの妖精に過ぎない」
「……屁理屈では?」
「うるせえなあ」

 哪吒様がわたしたちのために働きかけてくれてたということは分かった。もしかしたら、虚淮たちが牢から出てくるのも思いの外早いかもしれない。
 何故、哪吒様はわたしたちの肩を持ってくれるのだろうか。非常にありがたいことではあるが、そこまでする義理はないはずだ。仲間たちの中で一番哪吒様と関わりがあったのはわたしだが、それでも同僚としての付き合いにすぎない。
 哪吒様がリングを弄びながら言う。

「領界が発動するとき。例えば、雷を街に落として火事を起こしたり、人間を氷漬けにしたり……そっちのほうが執行人の足止めにはなっただろ。でもお前たちは人気のない場所で執行人を待っていた。その上で執行人をかわして領界を目指していた。人間を害す気はゼロだ、明らかに。妖精会館は、妖精同士の争いにはそこまで目くじらを立てない。人間に敵対しなければそれでいい」
「……」
「領界の中は危険だが、外で人間を襲わなかったお前たちが中の人間を襲う気だったとも考えづらい。中に人間が残されていたのかは別としてな。……ここまでが、執行人がお前らを厳しく糾弾しない理由。妖精を罰する法律がない以上、執行人の意見が重宝されることは知ってるだろ」
「哪吒様が、わたしたちを擁護してくださる理由は?」
「擁護してるつもりはねーよ。お前らは風息のことしか考えてないだろ。敵対の意思がない妖精を処罰する意味もあんま感じられないってだけ。……ま、それでも、風息の復讐なんて考えてたら別だが、そんな様子もないしな」

 哪吒様が腰を上げて宙に立つ。

「可欣。お前を総本部所属の執行人に任命することが決まった」

 目を瞬いて哪吒様を見る。

「まさかそれを伝えに?」
「まだ泣いていたら、任命の撤回を進言するつもりだった。『泣き虫の顔を拝みに来ただけ』っつったろ」

 執行人への復帰希望は、そうすんなり通るものではないと思っていた。急いでいるとはいえ、時間がかかることも覚悟していた。それがこうも迅速に進んだのは、哪吒様の努力のお陰でもあるのだろう。

「ありがとうございます」
「復帰したい理由は別にどうでもいい。妖精会館を好く必要もない。ただ、持てる者として、今度はちゃんと守れ」

 風息のような妖精を出すな。哪吒様はそう付け足して、わたしの返答を待たずに降下した。
 残されたわたしは、屋根の上で大の字になった。驚きと困惑と喜びがないまぜでうまく言葉に出来ない。
 とにかく、やらねばならないことが出来た。



 総本部への所属が決まっても、わたしはすぐに移動しなかった。妖精会館の仕組みは以前と変わらないし仕事はその時々で、特に長々と説明を受けるようなこともないからだ。面接もなく復帰が決まったくらいだ、問題無いだろう。風息の街の近くにいたいこともあって、復帰初日に移動することにしていた。
 とはいっても、復帰するまでは自由に館から出られない。復帰日を迎えるまで、わたしは龍游の妖精会館で事務作業の手伝いをしていた。冠萱(カンセン)に「もう執行人みたいなものなんですから働いてください」と言われ、断る理由もなかったからだ。
 冠萱や逸風(イフー)とともに執行人からの報告書なり次の任務の調整なりをしていると、無限の気配がして手を止めた。

「ちょっと外してもいいかしら。挨拶してくる」
「構いませんよ。ゆっくりお茶でもしてきてください」
「ありがとう。でも、あなたほど上手く淹れられないわ」
「仕方ありませんね、ご用意します。逸風も休憩にしましょう」

 お茶の準備は冠萱に任せて、会館の一階まで下りる。小黒(シャオヘイ)が顔なじみの妖精に挨拶をしているところだった。無限の姿がないのはいつも通りだ。桟橋に留まっているのだろう。
 
「小黒」

 呼びかけると、輪の中にいた小黒が振り向く。わたしを見て笑顔になったもののすぐに視線が泳ぎ、わたしへ駆けだそうと一歩踏み出したものの立ち止まる。
 疑問に思ったのは一瞬だった。風息がいなくなって以降、わたしは小黒の前で笑ったことがなかった。木苺を持って来てくれたときには歓迎どころか退いて、その後号泣した。わたしがひどく落ち込んでいたことを知っているので、どう接すればいいか悩んでいるのだろう。
 わたしはしゃがみこんで両腕を広げた。もう一度呼びかける。

「小黒!」

 小黒が顔を輝かせた。「可欣!」助走をつけて勢いよく飛び込んできたので中々衝撃があったが、こども妖精のタックルに耐えられないほどヤワではない。

「久しぶり、小黒。元気そうね」
「元気だよ。可欣も元気そうで、ぼく嬉しい」
「ありがとう」

 抱きしめてふわふわの白髪に頬ずりすると、大きな耳が動いてくすぐったい。

「龍游へは無限の仕事で?」
「ううん、可欣に会いに来たんだ。可欣、師父の代わりに執行人に復帰するって聞いたから」
「代わりにっていうか……間違ってはいないかしら。時間はあるのよね?」
「うん」
「冠萱がお茶を準備してくれているの。一緒にどうかしら。お菓子もあるはずよ。のんびりお話ししましょう」

 小黒が<お菓子>に反応したものの、首を横に振る。

「師父が外にいるから」
「もちろん、無限も呼ぶわ」
「師父呼んでくる!」

 駆け出した小黒に続いて桟橋に出ると、小黒に手を引かれながらも館内へ入ろうとしない無限がいた。会議があるわけでもない、入りにくいのだろう。ただ、入りにくい理由というのが、人間である自分は居心地が悪いということではなく、人間を嫌う妖精や自分を良く思わない妖精に不快な思いをさせたくないことであるあたり、無限は周りを気遣いすぎだ。
 わたしに気付いた無限が、どうにかしてくれと言いたげに視線を送ってくる。

「冠萱のお茶は美味しいわよ」
「可欣まで……」
「師父ー! 行こうよ!」
「わたしはいいよ、行っておいで」
「無限、わたしと話に来たんでしょう。お茶を飲みながらじゃ駄目?」
「…………分かった」

 無限が渋々頷き、小黒に手を引かれるまま歩き出す。「ちゃんと行くから、先に行っておいで」そう小黒を促して、わたしの隣に並ぶ。小黒は一度振り向いてから階段を駆け上がっていった。部屋を伝え忘れたが、気配とにおいで分かるだろう。
 心持ちゆっくりと小黒の後を追う。

「無限。ありがとう、色々と」
「こちらのセリフだが」
「どうして?」
「可欣の復帰で、長い休みがとれた。小黒と一緒にいてやれる。……大丈夫なのか」
「鈍ってはいないつもりよ」
「そうではなくて」

 無限が言い淀む。風息の名前を出すことを躊躇っているらしい。わたしの精神状態を気にしているらしい。
 心配のし過ぎだと言いたいところだが、そうされるほどの態度を取った覚えがあるので頭をかいた。

「風息のことは、まだまだ引きずると思うけれど。だからって何もしないわけにはいかないわ。……風息が出来なかった分まで小黒を大事にしてあげたくて。行き場を失くした妖精の存在を忘れることもできなくて」
「そうか」
「それに、みんなが早く牢から出るためにもね。わたしに反抗の意思がないってちゃんと示すことが、少しは影響するんじゃないかって」
「風息に会いに行かないとな」
「ええ。わたしだけじゃ、ずるいでしょ」

 笑って見せると、無限も口角を上げる。

「可欣が笑えるようになって良かった」
「迷惑をかけたわね。それにしても、無限、どうしてあそこまでしてくれたの」
 
 執行人の監視がないと動けないわたしが、風息に会いに行けるよう時間を作ってくれた。わたしは自分の実力を自覚している、他の執行人では外出許可を得るのは難しかっただろう。虚淮との面会もそうだ。無限だから許可が下りた、とわたしは思っている。
 無限が忙しいことくらい知っている。時間を作ったり、上と掛け合ったり、休む時間を削ってくれたに違いない。
 わたしは無限のことを友だと思っている。無限もそうだろう。付き合いも長い。だが、わたしが風息のところに行ってからは疎遠だったし、それ以前もそう頻繁に連絡をとっていたわけではない。ここまで親身になってくれるのが不思議だった。
 無限は穏やかに笑ったまま答えた。

「わたしが全てを失ったとき、一緒にいてくれたから。今度は、わたしが寄り添おうと思った。それだけだよ」

 わたしは目を細めた。随分と昔に、無限もわたしも大切なものを失ったことがあった。

「安心して。わたしは、また前を向けるわ」

 あのときの悲しみが今思い出になっているように。風息を失った悲しみも、時間とともに癒えていくのだろう。
 ずっと痛いままでもいい。失った悲しみを忘れないままでいたいとすら思う。けれど、傷は癒えるものだ。残った痕(あと)を撫でるしか出来なくなったとき、一歩も進んでいないようでは生きている意味がない。
 成長するのはこどもだけではないのだから。



 わたしは総本部で辞令を受けた後、一旦龍游に戻った。用があるのは妖精会館ではなく、都市のど真ん中に生い茂る森である。
 陸上での飛行は原則禁止のため、歩いて向かう。人間のフリをして街を歩き、森を見物に来た人間に混ざり、人間の警備員の目を盗んで中に入る。龍游の妖精会館から出されている警備員は、手を振ると通してくれた。
 木々をくぐって奥へ向かう。進める限り進んで、あまりの生い茂り具合に少し笑って、太い枝に腰かけた。無限と来たときとほとんど同じ場所だろう。そのときは、笑う余裕もなかったが。

「風息、ここの居心地はどう?」

 風息の代わりに、小鳥から返答があった。

「相変わらず動物に好かれているのね……ひとりじゃないのね」

 ここは都会の中にありながら、自然の力に満ちている。動物が住み、精霊が生まれ、そのうち妖精も生まれるかもしれない。妖精の逃げ場を守るために立ち上がった風息が、妖精の故郷となるかもしれない。
 風息は面倒見がいい。きっと優しい妖精が生まれるだろう。わたしを含め、みんなが溺愛する未来が見える。
 そんな日が来たらいい。その頃までには、妖精と人間の問題に答えが出ていればいい。
 目を閉じて幸せないつかを描いていると、水滴が葉を叩く音がした。木陰なので気が付かなかったが、いつの間にか分厚い雲が空を覆っていた。さきほど答えてくれた鳥たちは、雨に濡れていないだろうか。

「あなた、雨が好きだったわね」

 雨は自然を潤すからと、曇り空に似合わず笑顔を浮かべていた。洛竹(ロジュ)と楽しそうに雨に打たれた後、虚淮(シューファイ)が衣服の水分を取り除いてやっていることもあった。わたしと天虎は大抵、雨に当たらないところで笑っていた。
 島での日々を思い起こすと、喪失感も強くなる。こうして風息のところにいても、どこにもいない。葉のこすれる音に彼の声を重ねて、紙でしか笑顔を見られない。

「……傘を持っていないから、止むまでここにいさせてね」

 わたしたちの誰もが、風息と生きていたかった。


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