妖精館は各地に支部があり、それぞれを霊道でつないでいる。執行人は、東西南北、要請があればどこでも出向ける。任務ついでに各地の様子を知れるので、人間の情勢も妖精の暮らしぶりも広い範囲で把握できる。
友人に誘われて執行人という職に就いて早数十年。住処を追われ、人間の街で路頭に迷う妖精を保護することが増えてきた。人間はあまりにも無遠慮に妖精の住処を切り拓く。
妖精は、自然から生まれ、自然に生かされ、自然を守るものである。人間を殺すのではなく、良き友として生きていくことを望んでいる妖精は多い。
わたしもそう思っている。人間にひどい目にあわされたことも、人間に助けられたこともある。人間という種を否定するつもりはない。だが、妖精が歯向かわないのをいいことに自然を侵略している人間を見ていると、本当にこのままでいいのかとも思う。
夕暮れの街をゆるりと歩きながら、宿を探す。霊域で一晩過ごしても良いが、たまには。喧騒の聞こえる中でのんびり過ごすのも悪くない。金も、妖精館から支給されることだし。
通りを見回していると、ふと、向かいから歩いてくる妖精に視線が止まる。街中の妖精自体はそう珍しくないが、妖気の強さに興味をそそられた。
長髪ゆえに女かと思ったが――雌雄を好きに出来る妖精にとってさほど重要な問題ではない――体格的に男の妖精だ。やや釣り目、鼻筋が通った美しい容貌をしていた。それなりに修行をすれば外見年齢は自由に変えられるが、造形そのものは変えられない。彼は本当に美しい妖精だった。堂々とした、それでいて浮世離れしたたたずまいのせいかもしれない。
長い前髪で左目は見えない。右目は、じっとわたしを見ていた。
あまり人間の街に馴染んでいない妖精だと感じた。たまたま用事で街に出てきたか、わたしの妖気につられて様子を見に来たのか。
「こんばんは」
物言いたげなので、こちらから声をかけてみる。
彼はかすかに笑った。
「こんばんは。このあたりの妖精じゃないな」
「あなたも、街に慣れていなさそう。何か困り事でも?」
「いいや。やたら強い妖気があったから」
「ありがとう、風息(フーシー)様」
彼が目を細める。警戒されたらしい。敵対する気は微塵もないので、わたしは笑って手をひらひら振った。
「昼間に出会った妖精が言っていたの。森の神様、風息様の話。あなたがそうかと思って」
美しくて強くて綺麗な森の神様なんだと聞いたわ。
そう付け足すと、彼は気を緩めてくれた。おかしそうな顔をしている。
「様はいらない。風息でいい」
「わたしは可欣。様をつけてもいいわよ」
「ははは。仲良くなれそうだ」
風息は、わたしを居酒屋に誘った。「ご存じの通り、俺はあまり街に詳しくないんだが」そう言って案内してくれたのは、長く同じ場所にあるという古びた店だった。
注文は風息に任せる。わたしは、店主と和やかに話す風息を眺めていた。人間の街に馴染みが無い、と、人間を嫌う、はイコールであることが多いので、彼もそうかと思ったが。店主への視線に負の感情は含まれていないように見える。店も古いので、付き合いのある血筋の店なのかもしれない。
一杯目は互いに注いで、軽く乾杯をする。
「それで、何か用があったの?」
「様子見だ、本当に。可欣は旅でも?」
「いいえ、仕事よ。妖精館の執行人をしているの」
隠すことでもないので言うと、風息は目を瞬いた。そうか、という相槌はどこか落胆しているように聞こえる。
予想していなかった風息の反応に、今度はわたしが目をしばたたいた。驚くだけならまだしも、落胆されるとは。
人間を嫌う妖精はともかく、妖精館を嫌う妖精はまずいない。妖精の保護も行うからだ。
「……可欣は、館のやり方をどう思う」
「やり方?」
「妖精であることを伏せろ、という」
「ああ……」
それがどうした、とは言えなかった。
人間が文明を発展させ、自然を忘れるにつれて、妖精の居場所はなくなっている。街に住む妖精もいるが、彼らは人間のふりをして暮らしている。妖精であることを悟られてはならないのだ。それは自分だけではなく他の妖精を守るためでもあり、必要な取り決めだと思う。
けれど、なぜ妖精が身を隠さねばならないのか、というのが本音だ。
館に所属する妖精として、館の方針を強く否定も出来ない。だが。
「……昔、左の角を人間に切り落とされたことがある」
「それは、」
「ああ、今は人間のふりしてるから分からないか。右にだけ角があるのよ。治せるけど、なかったことにするのが癪だから治してない。……だからって、人間そのものを嫌いにはならなかったわ。助けてくれたのも、人間だったから」
「……」
「人間は、嫌いじゃないわ」
「今のままでも文句はない?」
「どちらかというと、妖精が黙ったままでいることが良くないのかしらって。ここにいる、ここに住んでるって声を上げてもいいと思うのよ。妖精がずっと逃げて耐えて隠れてなんて、おかしいじゃない」
「……俺もそう思う。俺は、このままじゃいけないと思う」
風息はテーブルに視線を落としていた。
「俺だって、人間が嫌いなわけじゃないんだ。ただ……いずれ、そう遠くないうちに。妖精の住む場所はなくなるだろう。人間は容易く妖精を凌駕していくぞ。故郷は切り拓かれ、帰る場所も……逃げ場も無くなっていく。そんなのは、おかしいと思わないか。人間と対等になるべきだと思わないか」
ただ妖精として暮らしたいというだけではなく、風息は大局を見ているらしい。妖精という種の未来について考えている。それが決して明るいものではないと。
責任感や使命感が強いのだろう。神様と慕われるだけあるというか、神様と慕われているからこそか。
考えすぎだ、と笑い飛ばせるほどわたしも呑気ではない。風息の語る妖精の未来は、思いのほか近いところにある気がしていた。
「妖精のための、妖精だけの楽園があってもいいだろう。荒らされることなく、仲間(きょうだい)とともに平穏に暮らせる場所だ。妖精として、生きていける国を」
「……どうやって?」
風息は、下げたままだった視線をわたしに向けた。
「可欣がこちら側に来てくれるなら、話そう」
かなり不穏なことを企んでいるということだけは伝わった。
今度はわたしが言葉に迷う番だった。
執行人としては、風息の仲間になる振りをしてでも計画を聞き出すべきだろう。今の均衡を保つために働くのが執行人だ。それを崩そうとしている妖精を放置は出来ない。
一方で、一妖精的に興味があった。わたしも、現状に疑問を持っている側の妖精だ。妖精の立場を確立するための方法があるならば、知りたいし協力したいと思う。友を裏切るような羽目になることが、引っかかりはするけれど。
「……即答出来ないわ。だから、世間話程度のやりとりにしましょう」
風息とはそれで決別かと思いきや、どこか上機嫌そうだった。
「誠実な返答をありがとう。嘘をつかれるより、気分が良い」
「わたしにも立場があるからね。仲間になるとすぐ決められないけれど……風息と話すのは楽しいわ」
「……そうか?」
「現状に疑問を持つって大事なことだと思うのよ。館の妖精は、そういう話をしないから」
「はりぼての平穏に浸っているんだ。だから館は好かん」
「……館に」
「うん?」
館には助けを求めなかったの、と聞こうとしたものの声にならなかった。
館は、妖精を守り、共存を叶え、均衡を保つ秩序の組織だ。その在り方は妖精に寄り添っているようでいて、人間側の都合による面が多い。極めて悪い言い方をすると、人間の機嫌をうかがっている。妖精として生き人間と対等になるべきという風息の主張とは近いようでいて交わらない。風息が館に訴えたところで、姿を隠して生きるか人間のいない場所に住め、と言われるのがオチだろう。もしかしたら、既に訴えて諦めてしまっているのかもしれない。
館の主張を一概に悪いとは言えない。一方で、風息が言っていた――人間は妖精を凌駕し妖精は逃げ場も失う、と。これは事実だと思う。
「なんでもないわ。気にしないで」
「そう言うなら」
風息の意見に理解をしながらも、彼の側につくことはないだろうなと感じていた。わたしはそういった葛藤を既に飲み込み、ほとんど受け入れてしまっているからだ。そうでないと、執行人になどなっていない。
わたしは、現状に疑問を持ちながらも人間の中で隠れて暮らすということに慣れてしまっている。人間社会が悪くないと知っている。妖精が人間の雑踏に紛れていくしかないのだと、諦め始めている。
他愛ない話をして風息と別れてから、わたしは改めて現状について考えるようになった。けれど、堂々巡りで答えは出ない。結局、妖精が人間社会に慣れていくしかないのだ。人間が関わらない場所/妖精の逃げ場は、これから先どんどんなくなっていく。嘆かわしいことだが、こうした中で生き残っていくには人間と関わることを選ばざるを得なくなる。
しかし、風息に「妖精だけの国など諦めろ」と言えるほど、わたしはまだ割り切れていない。妖精として生きられるのなら、そうしたい。
しかししかし、わたしはもう。
そう考えていたにも関わらず、数年後、わたしは執行人を辞めて風息を訪ねていた。
彼の語る妖精の理想の未来に、彼自身は含まれていないのだと気づいたからだった。