正義でもない、悪でもない

 わたしは普段、風息(フーシー)はじめ仲間たちと離島で生活しているが、街に出ることも多い。それは現状の把握であったり、同調してくれる仲間探しであったり、行き場を失った妖精の保護であったり、街にいる仲間との情報交換であったり、色々と目的がある。
 島から街へ出てくるのは、わたしと洛竹(ろじゅ)と風息のさんにんだ。別行動か固まって動くかはその時々である。風息は人間の街が苦手で顔色を悪くすることが多いので、島にいたほうが良いのだろうが、風息は他人の能力を感知できるので出てこざるを得ない。わたしたちは、<領界>という稀な能力を持った妖精を探している。
 顔色の悪くなってきた風息とふたりで街中を歩いているとき、風息が不意に足を止めた。

「変化していない妖精がいる……能力感知持ちだ」

 視線をたどると、離れたビルの屋上に影があった。妖精だからこそ見える距離だ。姿を誤魔化していないその妖精に覚えがあり、わたしは風息の腕を引く。
 鳩老(きゅうじい)だ。館の執行人のひとりである。風息が感知した通り、相手の属性を見抜ける能力を持っている。それが属性だけではなく術まで見抜ける感知能力なのかは分からないが、瞬時に、正確に捉えられることは知っている。

「執行人よ。あなたが見つかったらまずいわ」

 ここ数年土地開発の邪魔をしている風息を追っているのか、単に観光かは分からないが、館の執行人である鳩老に能力が知られるのはまずい。
 わたしは風息から<特別な能力>の話を聞いたことはないが、領界持ち妖精だけではなく、風息が自分自身を切り札にしていることを知っている。何か秘密があるのだろうと察している。
 風息はわたしの反応に少し驚いたようだったが、そうか、と眉を寄せた。

「今日はもう帰ったほうが無難か。俺を追っている可能性もあるな」
「探ってみましょう。わたしが残って接触してみるわ。顔見知りだし、鳩老はひとりのようだから……荒事になるなら、それ向きの妖精が一緒なはずだもの」
「……では、頼む」
「ええ。先に戻って、休んでいてね」
「……帰って来いよ」

 風息の表情は苦い。わたしは「鳩老に捕まるほどやわじゃないわ」と笑った。鳩老は、普段は複数人で任務にあたる妖精だ。ひとりで各地を巡って荒事に首を突っ込みまくった生粋の戦闘員のわたしが、彼に腕っぷしで負けることはない。
 風息は嘆息して、霊道の出入り口に向かっていった。わたしは人目につかない場所で念力を使い自分を浮かせ、鳩老のもとへと移動する。
 屋上から街を見下ろしていた鳩老は、わたしに気付くと気さくに片手を上げてくる。ひょろながい容姿の鳩老は、屋上に立つと風で飛ばされそうだ。
 変化をしないままで立つ鳩老は、人間の街から浮いていた。

「おお、可欣! 久しぶりだな」
「久しぶり、鳩老。元気そうね」
「お前さんもな。……ひとりか?」

 鳩老がわたしの後ろを確認するような仕草をする。

「わたしじゃ不満かしら?」
「いやいや。友達がおらんのかと思ってな」
「具合が悪くて先に戻ったのよ」
「それは心配だ」

 鳩老は頷きながら、人の街を見下ろして嘆息する。
 わたしは変化術を部分的に解く。右の額の角を軽く撫でて、鳩老に並んだ。

「お目当ては風息?」
「ああ、うん、まあな」
「伝言なら聞くわよ」
「いや……いや、伝言はいい。代わりに、可欣と話がしたいんだが」
「構わないわよ」

 カフェでも入るかと、大手コーヒーチェーンの看板を指さすと首を横に振られた。鳩老は妖精会館側だが、人間を好いているわけでもない。雑踏に混ざるのは避けたいらしい。
 ならばこのまま、と。わたしと鳩老は屋上のふちに並んで立った。
 鳩老は嘆息とうなりを混ぜながら、言葉を選んでいた。

「なあ可欣。なんで風息の肩を持つんだ。お前さんは、館側だろう。風息の気持ちは分かるが……その手段は違うとどうして止めてやらない。執行人をしていた可欣なら、人間社会でどうやって妖精が生活しているのかも分かるだろう。どうして、風息を導いてやらないんだ」

 鳩老からの言葉は重い。それは生きた年数を考えているからではなく、鳩老自身も故郷を追われているからだ。鳩老は、数百年住んだ森が観光地になって住めなくなったことを酒の席でときどき話す。人間のことを苦手だと公言しているのに、故郷を追われたことを笑い話にしているのだ。
 故郷を追われ、人間社会から距離を置きながらも、館の執行人として妖精と人間との関係をとりもっている。人間への復讐を考えたことはないという。
 わたしが黙っていると、鳩老は続けた。

「人間を嫌う妖精は多い。それ自体は否定しない。だが、人間を傷つけていいことにはならない。共存していかねば、生きていけなくなる。今の世では、妖精は崇められる存在ではないんだ。どんどん妖精の居場所が無くなっていくのは事実だろう。わしらは順応しなければならないんだ」
「人間は、妖精を傷つけてもいいの? 姿を隠して誤魔化して生きることを、共存と言うの?」
「割り切るしかないんだよ」
「……みんなが鳩老ほどきれいに割り切れたら、どれだけ楽でしょうね」
「可欣、お前は理解していたろう。風息と出会って、何があったんだ」

 風息と出会って、何が。
 森の居心地の良さを思い出した。妖精としての自分を強く意識した。人間の街に溶け込めない妖精のことよりを考えるようになった。

「妖精の未来を憂いている風息の力になりたいと思ったわ。力を持ってしまったために、妖精を導く立場である彼の。……執行人をしていたけれど、わたしだって、現状に納得していたわけじゃないわ。妖精の在り方には常々疑問を持ってた。それを見ないふりをしていたの。平和だったから。居場所を……空間ではなく物理的な居場所を求めることは、この国ではタブーになってしまったわ。だから、風息の望みは忌避されるんだと思う。人間を傷つけることも、嫌われるんだと思う。けれど、風息の言っていることは何もおかしなことではないわ。風息は、みんなが目を背け続けている問題を真剣に考えているのよ」
「人を傷つけていいことにはならない」
「人間は妖精を殺すのに?」
「やり返していいとでも?」
「殺していないわ。今自分はここにいるのだと声を上げることがそんなにも駄目?」

 鳩老が首を横に振る。
 鳩老は物分かりが良すぎるのだと思う。人間が力を持っている今、妖精が生きていくには適応していくしかないのだと。人間は異物を嫌うから、人間のフリをする必要もあると。波風を立てずに生きていくには、そうするしかないと。
 そうすることが一番穏便だとは、わたしだって分かっている。しかし、今そうだとしてその後は。霊力が失われていく中で、妖精はどう生きていけばいい。逃げ場すら失われていくのに。
 わたしも風息も、人間が嫌いなわけではない。妖精を踏みにじるような行為が許せないのだ。

「わたしたちの存在を認めてほしいだけよ」
「……可欣、考えたことはあるか。風息が強い手段を使うことによって、弱い妖精が虐げられかねないことを」
「弱い妖精の逃げ場を確保しようとしているのよ」
「いいや、それでもすべての妖精を守ることは不可能だろう。風息が力づくで人間から居場所を奪えば、人間は、今度は明確に妖精を攻撃するだろう。傷つくのは、風息や可欣のような力を持たない弱い妖精だ」
「違うわよ、風息は居場所を守ろうとしているだけ。それを奪っているのは人間じゃない。風息が奪うとすれば、それは守る場所すらなくなったときよ」
「頑固だなあ。対話してくれるだけマシとは言え」

 鳩老が深いため息をついて両手を上げる。<お手上げ>だ。

「今が平和だということも分かるもの。これが続くとは思えないだけ」
「平穏を壊してもいいと?」
「現状維持が本当に正しいの?」
「質問を逸らさんでくれ」
「先に問いかけたのは風息よ。このままでいいのかと。館はそれを切り捨てたのでしょう。風息だって、考慮されれば強硬手段はとらないわ。彼、真面目で優しいもの……真面目すぎるのかもしれないけれど」

 肩をすくめると、鳩老は目を瞬いてから少し笑った。

「お前さんは無限に惚れ込んでいるものと思っていたが」
「もちろん、無限のことも大切よ。風息の側にいるからといって、嫌いなわけじゃないわ」
「いずれ対立すると思うがなあ」
「そうでしょうね。無限は正しいわ」
「……自分たちが間違っているという自覚が?」
「平穏を壊しかねないという意味では。……みんな、分かっているの。世間的には自分たちが悪者だって。それでも、未来を楽観視できないのよ」
「いっそ、人間に憎しみだけを向けてくれたらわしらも強硬手段をとれるんだが。正気なのも考えものか」

 今度はわたしが笑う番だった。

「風息が正気じゃなかったら、わたしは彼の側にはつかないわよ」
 
 風息は真面目で、世話焼きで、責任感が強い。力を持つものとしての義務について考えている。
 正直なところ、風息は、自身だけであれば森を守って生きていられるだろう。自分のことだけを考えられる勝手さがあれば、弱いものの声を聞かずにひとりで静かに暮らせるだろう。自分だけではなく妖精の未来について考えてしまう優しさがあるから、行動せずにはいられない。使命のために、自分を犠牲にしかねないほど。
 わたしは、そんな風息の力になりたいのだ。

「ねえ、鳩老。妖精として生きていきたいと思うことは、そんなに悪いことなのかしらね。逃げ場が無くなったら人間社会に混じるしかない……それは分かるけれど、どうして、逃げ場を守らせてくれないの」

 堂々巡りの議論であることは分かっているが、問いかけずにはいられない。
 妖精会館も風息も妖精について考えているというのに、決して交わらないのだ。

「悪くなどない。必要なのは、割り切って自分の生き方を見つけることだ。妖精であることを隠して生きるということを、受け入れてしまうことだ」

 住処が観光地になってしまい人間が苦手な妖精は、街を見下ろして顎髭を撫でた。


ALICE+