洛竹(ロジュ)が霊道を使って島に戻ると、出入り口の前で風息(フーシー)が待ち構えていた。やや思案気な風息は、霊道から出てきたのが洛竹だと分かると相好を崩す。
「おかえり」
「た、ただいま?」
「なんだその顔」
「こっちのセリフなんだけど……」
風息は可欣とともに街に出ていたので、風息がいるということは可欣もいるのだろう。
洛竹は首をひねる。
天虎(テンフー)は変化術が苦手なので人間の街には出ない。今日は虚淮(シューファイ)も島にいる。風息は誰を待っているのだろうか。普段街にいる阿赫(アクウ)や叶子(イエツ)が、訪ねてくることにでもなっているのだろうか。
「誰か来るの?」
「……可欣が」
「あ、別行動したんだ?」
風息の表情は硬い。まさか、何者かに襲われでもしたのだろうか。風息と可欣がしてやられるなど考えづらいが、最強の執行人などという存在もあることだ、可能性としてはゼロではない。
洛竹が固唾を飲むと、風息は手をひらりと振った。
「深刻な事態じゃない。館の妖精がいたから、相手を引き受けてくれたんだ。話をしてくると」
「ああ、なるほど。じゃあなんで風息はそんなに険しい顔で待ち構えてるの? 話をしに行っただけなんでしょ」
「待ってる」
「お土産でも頼んだの?」
「……戻ってくるか分からないだろ」
だから待ってる。風息はきまり悪そうに言う。
可欣は元々妖精会館側の立場だ。ただ保護されていた妖精ではなく、執行人として妖精会館で働いていた。妖精会館を毛嫌いする風息とは対極の立場だ。風息は、可欣が妖精会館側に戻ってしまわないか不安、ということらしい。
確かに、可欣はこちら側にいながらも妖精会館を完全に否定はしないし、例の最強の執行人とは旧友らしいので、戻ってしまうのではないかという懸念は最もだった。古巣や友と進んで敵対したい者はそうそういないだろう。
洛竹は頭をかいた。風息が不安だとこちらも不安になってくる。
「大丈夫じゃない? ちょっと話して戻っちゃうくらいなら、可欣、執行人を辞めたりしないと思うよ。かなり決心して風息についてきたようだから」
「そうだが……可欣はよく話を聞いてしまうから、絆されるかもしれない」
「風息が言うと説得力あるね」
「否定はしない。いや、流されやすいと言っているわけじゃないんだけど」
「言いたいことは分かるよ」
戻ってくることを望んでいる風息の顔は、とても"戦力"を心配しているようには見えなかった。ただ、仲間を失うかもしれないと気を揉んでいるのだ。
洛竹は、一緒に不安になりつつも嬉しくなって少し笑った。
当初、風息は可欣を戦力として引き込んだ。もちろん、好ましく思わないと勧誘する気にもならないだろうから、単純に力だけを見ていたとは言えない。しかし、"仲間"より"戦力"として重きを置いていたはずだ。
それが、今では。こちらの情報を流していないか、という心配がないあたりに可欣への信頼が見える。
風息は何かと背負いがちだ。幼い頃から世話をされている洛竹や天虎は、なかなか重荷を分けてもらえない。風息の幼い頃を知っている虚淮に対しては、逆に、距離が近い故に言えないこともあるようだった。
その点、可欣は風息と対等だ。後から知り合ったからこそ、話せることもあるらしい。
洛竹はそういった面でも、可欣を頼りにしている。戻ってこないのはとても悲しい。
「その執行人って、可欣の知り合い?」
「そうみたいだ。鳩老と言っていた。可欣いわく、戦闘員ではないから荒事にはならないと。……俺も残るべきだったな」
「戦闘にはならないから、風息は可欣に任せて戻ってきたんじゃ?」
「能力感知持ちだったんだ。可欣はともかく、まだ面識のない俺は会わないほうがいいだろうって」
「ああ、そういうことか。特別親しいって感じもない?」
「ああ」
「なら戻ってくるよ」
風息の不安に引っ張られつつも、洛竹は楽天的な言葉を口にした。ふたりで悪い予想ばかり考えていても気が滅入るだけで、口にすればするほどそれが本当になってしまう気がする。
洛竹はしゃがみこむと、風息の足元でしおれてしまっている花に手をかざした。
「ちょっと世間話してくるだけだって」
「だといいが……」
「だって可欣、この島のとこ好きじゃん、俺たちのことも大好きじゃん」
「はは、そうだな」
しなっていた花が空を向いた。
「俺も可欣のこと大好きだよ」
しゃがみこんだまま風息を見上げる。「風息は?」笑って問いかけると、風息が脱力したのが分かった。
「そりゃ、俺だって大好きだよ」
少し照れが混じっているのは、昔から一緒にいる洛竹たちではなく自分自身で勧誘してきた可欣が相手だからだろうか。それとも、何か洛竹たちに向けるものとは別の感情があるのだろうか。それはそれで何よりだと思わず一人で笑った。もし彼らが番になったら――そこまで思考が先走ったところで、風息に頭を小突かれる。
「なんだ、にやにやして」
「みんなが仲良しなのはいいなあと思っただけだよ。あ、」
霊道が。
呟くと、風息の視線が霊道に向く。洛竹も立ち上がって出入り口を見つめた。
誰かが正規の手段で霊道を使ったのは確実だが、それが誰かまでは分からない。可欣ではなく阿赫や叶子かもしれない。可欣だとしても、その立場が変化していないかどうか分からない。
洛竹と風息が凝視する先で、ひょこりと可欣が顔を出した。
「ただい、ま……どうしたのふたり揃って……」
何気なく帰還の言葉を口にした後、洛竹と風息を見て怪訝にする。よほど神妙な顔をしていたのか、可欣は半身だけを出した状態で固まった。
洛竹は思わず吹き出した。
「ほらね」
「そうだな」
風息が大きく息を吐くので、洛竹はその背中を強めに叩いた。杞憂だっただろ、可欣はちゃんと俺たちの仲間だよ、と。何も言わずとも伝わったようで、口角を上げた風息に今度は洛竹が背中を叩かれた。
様子をうかがっていた可欣が、おかしそうに洛竹と風息の間に立ってそれぞれの背中を軽く叩く。
「なあに、楽しそうね?」
「ああ、うん。俺たちがいらない心配をしてただけ」
「そう?」
「うん。なあ可欣、ここ、好き?」
駄目押しに聞いてみると、可欣は不意の質問にきょとんとした後、満面の笑みを浮かべた。洛竹と風息の背中を叩いてそのままだった手に力が入り、可欣に抱き寄せられるような格好になる。
「好きよ、大好き。この島も、あなたたちのことも」
洛竹と風息を引き寄せてご満悦の可欣は、洛竹たちが赤面して顔を見合わせていることに気付いていない。否定されるとは微塵も思っていなかったが、真正面から、心の底から伝えられる好意は思った以上の力があった。
洛竹は風息と照れ笑いを浮かべて、間に挟まれた可欣に寄り掛かる。
「おかえり、可欣」
「おかえり。任せて悪かったな」
「ただいま、洛竹、風息。風息こそ体調は大丈夫?」
「平気だよ」
「二人ともわたしを待っててくれたの?」
「たまたまだよ」
「そう、たまたま」
「それにしては、わたしが帰ってきて嬉しそうに見えるけど」
可欣が笑って、洛竹と風息を引っ付けたまま一八〇度回転する。
探すまでもなく目に入った藤の花に、洛竹は腹を抱えて笑った。