わたしはコンビニの駐車場の車止めに座り、ビルの隙間から辛うじて届く貴重な陽光を浴びていた。通りすがりの野良猫がこちらを見てどこか迷惑そうな顔をしたので、この日向はここらの猫の昼寝スポットなのかもしれない。
コンクリートジャングルでの貴重な自然を感じていると、明らかにわたしを目指す足音がした。
「違和感ないなあ」
阿赫(アクウ)がパーカーのポケットに手を突っ込んで笑っていた。
わたしはオーバーサイズのスウェットシャツを引っ張った。前面に
なんとなく解せないで顔をしかめる。
「シャツ変えようかな」
「服じゃなくて、総合してさ。変化術上手すぎるよね」
「ああ、そっち。今更?」
「改めて思っただけ」
わたしは成人女性の風貌でいることが多いが、必要があれば外見年齢も性別も変える。長く生き性別が可変な妖精にとって外見年齢や性別はアイデンティティとしては弱いのだ。変化術の得手不得手にもよるだろうが、少なくともわたしにとってはそうだった。
わたしが普段女性なのは、昔にそういう扱いをされたから馴染んでいるだけだ。全体的に見れば、男性を選ぶ妖精が大半だろう。昔も今も、男のほうが動きやすいという場面は多い。
今は、阿赫と並んでも自然に見えるように青年の姿になっている。振る舞いも相応のものにしている。もちろん耳も丸いし角もない。
わたしと阿赫は、大事な作戦のためにこうして待ち合わせをしていた。
領界持ちの妖精が見つかったのだ。
「風息(フーシー)さんは?」
「引き続き、例の妖精の様子を見てるよ。小さくてかわいい黒猫だった。場合によっては荒事になりかねないってわたしも出てきたけど……見た感じ、黒猫妖精はまだ生まれたばかりみたいで。領界の使い方も分からないんじゃないかなっていう印象」
「じゃあ俺の出番なわけだ」
「そう。わたしは、風息が万一館に見つかったときの控え」
「……すっかり追われる身だよな、風息さん」
風息は領界能力持ちを探しながらもきっちり人間の土地開発妨害をしているので、年々館からの目は厳しくなっている。以前は鳩老(キュウジイ)のような対話型の執行人が派遣されていたが、実力行使が主な執行人に変化し、風息を捕らえようという動きが強い。
「やってることを思えば、仕方ないね」
「やろうとしてることも、突飛だ」
「阿赫は風息のやり方に反対?」
「そうだったら協力しないって」
阿赫が嘆息して踵を返す。「まだ時間あるし、どっか入ろう」車止めから腰を上げて、大通りに出る阿赫に続く。
午後のティータイムの時間とあってどの店も混んでいる。スウェットでは入れない喫茶店は空席があったが、そのためだけに着替えるのも馬鹿らしい。結局、回転の速いファストフード店に並んで雑然とした店内に入った。
ジャンクフードと炭酸ジュースを前に肘をつく。
風息からの連絡を気にしつつ隣席の女子高生の恋話を聞いていると、阿赫が独り言のようにこぼした。
「風息さんは、反対なんだろうな」
「……領界を持っている妖精を強引に引き込むこと? 領界を展開するかもしれないこと? 」
「どっちも。風息さんは、別に積極的に人間と敵対したいとは思ってないだろ。それに、これからする芝居も。……させているのは、俺たちなんだろうな。弱くて選択肢のない妖精がさ」
「そうかもしれない。でも、きっかけに関してだけ言うなら、そこまで気にしなくてもいいんじゃないかなって」
阿赫が言う芝居は、今夜行われる予定の作戦を指している。例の妖精が風息を信用するように文字通り一芝居うつのだ。
「その生まれたばかりの妖精を騙すことになるのに?」
「騙す、という意味では確かに罪悪感がある。わたしが言ってるのは、『領界を持っているから勧誘した』っていうきっかけのこと。どんな思惑があったとしても、選ぶのはその妖精だろ。わたしは戦力になることを期待されてそれに乗ったけど、今はちゃんと仲間だと思ってる。『風息はただの先導者』とか『わたしのことをただの避雷針だと思ってる』なんて考えたこともないよ」
「……」
「幼い妖精に対して刷り込みみたいになりそうなのは予想外だけど、人間の街に馴染んでいない様子だったから、むしろ風息とあの島で暮らすことはプラスになるんじゃないかな」
「楽観的すぎない?」
「阿赫は一目惚れを責められる? きっかけはきっかけで、そのあと考えるのは自分でしょ。わたしたちが謝るべきなのは、『領界を持ってたから仲間にしたんだ』じゃなくて『どうしても一緒に来て欲しかったから芝居をしたんだ』ってこと」
「……強引だよな」
「そうだな」
わたしたちがみんな森生まれ森育ちの人間嫌いなら、こういった強引な手段はどうかと思う。それこそ完全に洗脳だ。
しかし、最初に風息の話を聞いてくれさえすれば後は自分で考えたらいいのだ。阿赫や叶子のように人間の街で過ごす時間の長い仲間もいる。わたしのように元執行人の仲間もいる。そもそも風息だって人間が嫌いではない。人間と妖精の在り方について、考えられる環境ではあると思っている。
わたしたちが望むのは、人間の街を居心地悪そうに歩く小さな黒猫を島に招待して、風息の話を聞いてもらうこと。相容れないと言うのなら、引き留めはしても、無理矢理縛り付けるつもりはない。
状況にも左右されるが、少なくとも今は。風息はいくら理想のためとはいえ仲間を傷つけられるほど無神経ではない――いっそ、そのほうが楽なのだろう。
わたしが風息の肩を持ちすぎだと言われれば、否定は出来ないが。
「領界の展開に関しては、難しいね」
領界は、自分の霊域を外へ展開する能力だ。その中では何もかもが霊域の持ち主の思いのままである。属性に関わらず木も火も水も金も土も扱えるし、飛行も瞬間移動も何でもできる。いくら執行人が束になっても敵わない。他人の霊域に突撃するという無謀をする者自体ほとんどいないだろう。
その中でなら、人間に手出しされない暮らしが送れる。だが、領界を展開するということは妖精の居場所がもうどこにもなくなったという証明にすらなる。
わたしたちは、人間への意思表示の切り札として領界を欲している。進んで展開する気はない。
「風息が展開を決意するのはきっと、人間を敵に回すことも、少なからず同族を傷つけることも、全て覚悟したときだから。もうそれしかないのだと、これ以上なく理解してしまったときだと思うから」
おそらく近くにあるであろうその日が、出来るだけ遠いことを願うばかりだ。
「もしもそのときが来たとして。それは風息さんの絶望なんだろうな」
阿赫が店内から外を見る。
人間の街はいつでも祭りのように賑やかだ。行き交う人の中でどれだけが<奪った>ことを認識しているのだろうか。楽しそうな人間の中にたったひとりでも、切り倒された木のことを考える者はいるのだろうか。
*
深夜決行された芝居は滞りなく終了し、風息と黒猫妖精は霊道を通って島に戻った。
風息への追手対策として控えていたわたしは、黒猫妖精に怪しまれないよう、適度に時間を空けてから霊道に入った。人間の街は夜でも、遠く離れたところにある島ではまだ日が昇っている。風息は幼い妖精に島を案内しているだろうか。島を気に入ってくれるだろうか。
霊道を抜けて、変化術で女性になってから島を歩く。よくたむろする開けた場所に向かうと、洛竹(ロジュ)の楽しそうな声が聞こえた。
広場では、島で暮らす面々が集まっていた。風息に洛竹に虚淮(シューファイ)に天虎(テンフー)だ。輪の中心には、見慣れない男の子がいる。猫耳と尻尾が残ったままだ。
「その子、どうしたの?」
声を掛けながら輪に入ると、洛竹が男の子をわたしの前に誘導する。
人見知りをしないらしい男の子は、しゃがみこんだわたしに元気よく自己紹介をしてくれた。ぱた、と動く大きな猫耳が微笑ましい。
「ぼくは小黒(シャオヘイ)。風息に助けてもらったの」
「ようこそ小黒。わたしは可欣よ。仲良くしてくれると嬉しいわ」
「うん、よろしく! あのね、風息のおさがりをもらったんだ」
小黒が嬉しそうに、身に着けた衣類を示す。「よく似合っているわ」月並みな言葉だが、小黒は笑顔で受け取ってくれた。
罪悪感が顔を出す。しかし謝るのは今ではない。わたしが、勝手に罪悪感に堪えかねて話すべきでもない。
ああ、これは<悪いこと>だな、と小黒と対面して実感する。
わたしはずるくなった。こうして小さな妖精を騙せるほどに。
小黒との顔合わせが済み、小黒歓迎会のための準備をすることになった。
洛竹が小黒に島を案内しに行き、わたしは天虎と一緒に食料の準備をする。小黒は肉派だろうか魚派だろうかと頭を悩ませていたところで、風息に声をかけられた。風息は、小黒の寝床になりそうな木のうろを探していたはずだ。良い広さが無ければ生やすだろう。
「寝床は?」
「あったよ。虚淮が藁を準備してくれている。可欣に頼みがあって、任せてきた」
「どうかした?」
「洛竹がここを案内してくれているが、もう日が暮れる。全部は回り切らないだろうから、夕食前に<上から>見せてやってくれないか」
「確かに。分かったわ、洛竹を探してくる。じゃあ、天虎と小黒の食の好み予想をお願いね」
「そりゃ難題だな」
「オニク」
天虎が肉を主張する。「肉だけってのもどうなんだ」「オニク」そんな会話を聞きながら、わたしは洛竹を探し始めた。
洛竹と小黒は、案外近くにいた。島の案内というよりは、わたしたちの紹介や過ごし方について話しているようだった。果たしてそれは楽しいのかと思ったが、小黒は思いのほか退屈そうではない。
ふたりに声をかけて事情を説明すると、小黒は首を傾け、反対に洛竹が色めき立った。
わたしは、不思議そうにする小黒と自分自身の体に力を使って地面から離れる。
「わわわ!」
そのまま一気に上昇し、森から飛び出て宙に立つ。周囲が海で、ここが島であることがはっきりと分かる。視界はどこまでも広く、空気は森の中よりも冷たくて背筋が伸びる。空の青と、海の青と、足元の緑。目に入るのはそれだけだ。
小黒が四足歩行の体勢で両手両足をしゃかしゃか動かし続けるのがおかしくて、笑いながら手を伸ばした。
「風息や洛竹に聞いたかもしれないけれど、ここは島なのよ」
「き、聞いてないよ。可欣は空を飛べるの?」
「念力で持ち上げているだけよ。飛行も出来るわ。やってみる?」
「今はいい……」
おっかなびっくりな小黒だが、好奇心が旺盛なのか、慣れてくるときょろきょろとして落ち着かない。
「大きな水たまりに浮いているの?」
「ええ、海よ。塩辛いの」
「味があるんだ」
「海に囲まれたこの狭い島にしか……今はここしか住処がないの」
「……可欣は、ここで生まれたんじゃないの?」
「違うわ、風息たちもね」
「人間のせい?」
小黒は口をとがらせていた。
肯定するのは簡単だ。人間のせいだというのは間違っていない。妖精の居場所が無くなっているのが現状だ。そう思っていても頷けなかったのは、小黒の問いに「人間が嫌い」という感情が含まれていることが分かるからだ。
住処を追われたらしいことに加え、わたしたちの芝居のせいで人間に良い感情がないのだろう。
単純に考えれば都合が良い。
「人間のことは、嫌いじゃないのよ」
そう答えるのが精一杯だった。