こんのすけ

 時の政府施設は広大だ。政府部署の他、審神者が利用する万屋街や演習場ロビーもあるので土地面積も階層も必要なのは当然だった。便宜(べんぎ)上、北館、南館、東館、西館、と呼ばれているがきっちり東西南北に施設があるわけではない。
 あるこんのすけは、南館にある特殊事案部封緘(ふうかん)課のデスクに座っていた。椅子、ではなくデスクに座って空中結像(ディスプレイ)を眺めていた。封緘課は、本丸や刀剣の封印措置を行う課であり、こんのすけは刀剣男士の封印に関する事務作業を担当している。特殊事案部のこんのすけということで、医療部門所属のこんのすけや歴史観側部のこんのすけよりも結界に秀で穢れに敏感だが、日常業務はデスクだった。
 本丸の封印は稀だが、残念なことに、刀剣男士の封印申請は少なくない。こんのすけは申請書を吟味しつつ、今日も今日とて刀剣男士への不信感を強めていた。
「今、少しいいかな」
 穏やかに声をかけられて顔を上げる。声の主を視界に入れ、政府職員が例外なく下げているIDカードの情報を自動で読み取った。
【歴史観測部一時観測課調査室 山姥切(やまんばぎり)長義(ちょうぎ) 一〇五八九三二二〇】
 覚えのある識別番号に瞬きを一つ。現在別部署にいる、元同僚である。
 刀剣男士の戦装束ではなくスーツ着用なのは、本丸未実装なためだ。審神者と遭遇した際に人間だと誤魔化しがきくよう、スーツで、かつ擬態術式を使用している。こんのすけが読み取った情報にも【本丸未実装刀剣】【政府職員以外との接触注意】が含まれているし、IDの印字も全く別の名前になっている。
 こんのすけは、数少ない信頼できる刀剣男士に表情筋を緩めた。
「お久しぶりです。ひとつき、くらいでしょうか」
「そうだね。特事にちょっと用があってね、寄ってみた。よければ休憩でも」
「ちょうど集中力が切れてきたところです」
「それは良かった」
 デスクから飛び降りて、山姥切長義の隣を歩く。
 南館の二階にあるカフェテラスに入り、長義が通常デザインの缶コーヒーとこんのすけ用の缶コーヒーを購入する。
「お代を」
「いいよ、このくらい。元教育係へのお礼ということで」
「それにしては安いですね」
「はは」
 カフェテラスは壁がガラス張りになっており、庭園や一階を見下ろすことができる。南館は政府部署が固まっているので審神者の出入りはほぼなく、視界に入るのはくたびれた政府職員ばかりだ。
 壁(ガラス)際の二人席に座る。こんのすけは分厚いクッションの上に座った。
「どうですか、一時観測課は」
 長義は苦い表情を隠せていなかった。
「発足したばかりだからなんとも……守秘義務ばかりということもあって。まだまだ試運転だよ」
「急な異動でしたから、何かしら急ぎの業務があるのかと」
「確かに、すべて急ぎで急かされている。が、上の考えることはよく分からない」
 長義が肩をすくめる。
「ほら、一時観測課に配属するつもりで俺を顕現しておきながら、受け入れる準備が整っていないという理由で封緘課に流したところもよく分からないだろ。段取りが悪いし、行動も遅い」
「封緘課、嫌いですか?」
「そんなことないさ。水色の三は優秀だったしね」
 水色の三、というのがこんのすけの記号だった。こんのすけはIDカードから相手の情報を読み取ることが出来るが、人間や刀剣男士はそうもいかない。こんのすけの見分けも難しい。所属を印字したカードも下げているが、目線の違いから確認しづらい。そこで、個を判別するために首輪が導入されている。このこんのすけの首輪は、特殊事案部所属を示す紺地に、封緘課を示す水色のラインが三本入っている。ゆえに、「水色の三」というのが政府職員からの呼び名だった。チームによってはリボンをつけたりネクタイをつけたこんのすけもいるが、少なくとも封緘課にそのような習慣はない。
「水色の三こそ、急に俺が来て迷惑だったか?」
 微塵もそんなことは思っていなさそうに長義が問う。
 こんのすけは珍しく笑った。
「むしろ感謝しています。山姥切長義様のおかげで、刀剣男士にもまともな個体がいるのだと分かりましたから」
「ああ……きみは刀剣男士の封印案件ばかり見ているからね」
「はい。人間に非がある場合もあるのでしょうが、そのあたりの詳しい事情までは流れてきませんから」
「俺が実装されていて、俺の同位体が山姥切長義の名に泥を塗るようなことをしていたら、俺たちの関係はもっと険悪だったろうね」
「否定できません」
「ん、でも封緘課にも刀剣男士はいただろう。別のチームだったけれど、数振は」
 こんのすけは同部署の刀剣男士を思い浮かべて首を横に振った。
「特事所属の刀剣男士は荒(すさ)んでいるかネジが足りないかのどちらかなので、彼らを基準にするのはちょっと」
「そうなのか。あまり話さなかったから実感はないな」
「調査課なんかは顕著ですよ。高笑いして封鎖本丸を駆け抜ける前田藤四郎様とか、真顔以外の表情を浮かべられない鶴丸国永殿とか。こんのすけ的にやばいオブやばい刀剣男士は、呪物(フィティッシュ)をノータイムで素手つかみする蛍丸様ですね」
「そのラインナップを聞くと、確かに俺はかなりまともかな」
「ええ、とてもまともです」
 深く頷くと、長義が黒いグローブをした手を口元に当てて笑う。「俺もあのまま封緘課にいたらそうなったのかな」と言うのでこんのすけは顔をしわしわにした。自分が現任訓練(オージェ―ティー)した刀剣男士が荒んでいくのは心苦しいが、そうなりません、と言い切れない。特殊事案部はその名の通り特殊な業務ばかりであり、特殊な経歴の職員が多く、感化されてしまう例も多いのだ。
「いえ、まあ、でも、今や歴史観測部の所属ですから、心配はないでしょう」
「これから出会う刀剣男士が楽しみだよーーん?」
 何気なく階下に視線をやった長義が顔をしかめる。こんのすけも長義の視線を追うと、なんとか見える南館の荷受け口に大型のトラックが止まっていた。荷台は白い直方体で、まるで豆腐が乗っているようだなとぼんやり思う。そのトラックのそばで政府職員が五人ほど固まっていて、二畳ほどありそうな台車を押している。台車には大きな水槽が乗っていた。
「水槽? ということはあのトラックは活魚車か? 今日の夕飯は船盛りでも出るのかな」
 こんのすけは、苦笑を含んだ長義の言葉を否定した。
「いえ……それにしては妙です。あの職員、すべて人事部ですよ」
「人事?」
「人事部で海鮮パーティーでもするんでしょうか」
「申請通るのか?」
「さあ……封緘課は食堂を貸し切ってのパーティーなどないもので」
 なにやらもたついている職員を、しばらくふたりで眺める。活魚車と水槽とを往復し、話し合うそぶりもあり、ああでもないこうでもないと頭をかいている。
 「何をしているんでしょうか」「さあねぇ」しばらく見守って、活魚車から引っ張り上げられた(、、、、、、、、、)ものに目をむいた。
 人魚だった。
 は? と言う声はふたりで重なっていた。
 職員が二人がかりで、人魚の腕をつかんで活魚車から引き揚げている。そのまま二人で抱えて水槽に移そうとしているようだが、どうやら人魚が暴れている。こんのすけと長義の視線の先で、人魚が地面に転げ落ちた。
「熱いし痛い!」
 頭に直接響くような声がして、こんのすけは耳をぱたぱた動かした。政府からの連絡か他のこんのすけからの接触かと思ったものの、発信者の情報が入ってこない。長義と周囲を見回して、周囲の人々も同じような仕草をしているのを確認する。
「彼女でしょうか」
「おそらくね」
 職員が右往左往しながら人魚を抱えて水槽に入れようとするが、人魚は変わらず「熱い」と暴れているようだった。尾びれを遠慮なく暴れさせているせいで、職員数名がなぎ倒されている。
 長義が腰を上げて駆け出し、こんのすけも続く。すぐに長義に抱き上げられた。
「人魚を勧誘してきたということでしょうか。ちゃんと同意を得てから連れてくるべきでは」
「それよりも。彼女は『熱い』と言っていた。魚とどこまで同じように考えていいのか分からないが、人の体温で火傷をしそうなんじゃないか」
 長義はエレベーターではなく階段を選んだ。踊り場だけに足をつくという人間には出来ない利用方法に、こんのすけはしっかりと口を閉じる。認証が必要な扉をいくつか開けて、荷受け口から外に出た。変わらず人魚は地面に倒れていて、職員は頭を悩ませていた。
 こんのすけは長義の腕から降りて割って入った。一種の機密扱いである長義よりも、こんのすけのほうが顔が利く。
「失礼、特事部封緘課のこんのすけです」
 職員の視線がこんのすけと長義に向けられる。
「魚類に人間の体温は高温です。いくらか体温の低い刀剣男士に任せるべきでしょう。こちら、業務上の都合により擬態術を使用しておりますが刀剣男士ですので」
職員がほっとしたのが分かった。「では頼みます」こんのすけと長義に道を開け、人魚を運ぶよう促す。人魚は顔をゆがめて、手の形に赤くなった腕をさすっていた。
一歩進み出た長義が、スーツを濡らした職員に問いかける。
「念のため聞きますけど、彼女の同意は得ているんですよね?」
「ええ、もちろん」
「心配してくれて嬉しいよ、了承している」
 また、頭に響く声がする。やはり人魚のものだったらしい。こんのすけは、明らかな人外の流暢(りゅうちょう)な日本語に少々面食らった。思わず人魚を凝視すると、気さくな気質らしい人魚はひれを動かして笑う。そういえば、肺呼吸も出来るらしい。魚と言いつつ両生類なのか――人魚を分類することが野暮だろうか。
 長義が人魚の前に膝をつき「グローブもしているから大丈夫だとは思うが」とことわりをいれつつ人魚に腕を伸ばす。刀剣男士の腕力をもってして軽々と人魚を担ぎ上げた長義は、熱いと騒がれないことにいくらか安堵したように見えた。
 小さな水槽に入った人魚は、体全体を水にひたす。
「狭いな……外よりマシか。助かった、ありがとうな」
 水の中に入っているのに、声は頭に届いていた。

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