こんのすけ2

 運ばれていく水槽と職員を見送る。人魚は水槽から上半身を出して、さも駕籠(かご)に乗っているかのような優雅さで手を振ってきた。長義は控えめに振り返し、こんのすけは会釈をした。
「新しい審神者か……」
 長義が職員から聞いた言葉を繰り返しながら、濡れたスーツの上着を脱ぎ、グローブを外す。こんのすけは落ちてきた水滴を振り飛ばした。
「霊力は確かに規定値以上のようでした」
「声からして霊力の塊だったからね。人間ではない存在を採用するほど、人材不足なのか?」
「離職率が高いのは事実ですね。採用人数も、理想数は下回っていますし」
「閉鎖的な職業だからかな」
「彼女、どうして審神者になることに同意したのでしょう」
「同意せざるを得ない状況だったんじゃないか。水族館オア研究施設オア審神者、のような」
「……気になりますね」
「まあね」
 そろそろ戻ろうか、と長義が言う。こんのすけは上の空で空返事をした。
 こんのすけは所属の関係上、通常運営の本丸と関わることはない。政府所属ではなく封印対象でもない刀剣男士というのも、職務外では見かける程度だ。普通の本丸というものに縁がないのである。情報としては持っているけれど、想像しにくい。
 彼女の刀剣男士は穏やかで優しいだろうか。彼女に手を上げたりはしないだろうか。人間ですらない彼女は、人間社会に対応できるだろうか。政府の担当者は、人魚の彼女を気遣えるだろうか。
 彼女のこんのすけは、刀剣男士から彼女を守れるだろうか。

      *

 IDカードを外し首輪もないこんのすけを見て、彼女は「あのときの」と笑った。

      *

 こんのすけの暮らす本丸は、<水上本丸>として政府内で密かな話題になっている。類を見ない規模の本丸改装――本丸領域を水で満たすことが成功するなど、大半の職員は思っていなかったのである。常識に囚われない審神者の発想と、政府職員を頷かせられる高戦績本丸(トップランカー)らしい圧力と、人魚にほれ込んだ専門家の努力とで実現した改装である。
 今日も今日とて仕事だ。
 水槽の中の彼女は、防水のタブレットを水槽内に持ち込んだり、水槽前の装置を声で操作して仕事をする。たまには水槽から出て作業をすることもある。仕事好きではないらしいが、やるべきことはやる。
 こんのすけは、戦績を睨むことに飽きて水槽でひたすら回転している彼女に声をかけた。
「……最初にお会いしたときから、疑問だったのですが」
「うん?」
 近侍の江雪左文字からたしなめられないのは、こんのすけが信用されているからである。
「審神者様は日本語が達者でしょう。人魚社会は日本語を用いているのですか?」
 今まで問いかけなかったのは、単に忙しかったためと、人魚である彼女との距離をはかりかねていたからである。刀剣もほどほどに集まり、本丸も彼女に合った形になった今ならば、忘れていた疑問を解決できるだろうかと。
「人魚社会は魚語。陸上の動物には聞き取れないと思うぞ。日本語は教えてもらった。他の言語も話せるのあるよ。何語かは分かんないけどね」
「『教えてもらった』?」
「人魚によって違うけど、少なくともわたしは人間と仲良し。場所は秘密だけど昔から仲良くしてる漁村があって、そこの人に暇つぶしで教えてもらった」
「ひととの交流があったのですか」
 江雪が口をはさむ。タブレットから顔を上げて、開ききらない目で瞬きを繰り返していた。
「人魚って人間と比較するとかなり長生きってことは前に話した……ような気がするけど。だから割と暇で、言語を覚える時間くらいはあるんだ。魚語と合わせると四か国語くらいは苦労なく話せるよ」
「話せるどころか、審神者様、日本語は読み書きも出来ますよね」
 こんのすけは資料に走り書きされた文字を見る。指先でタブレットに書いているのでいびつだが、書かれている内容が読み取れる程度には整った文字だ。加えて、彼女は山姥切国広の<切>という文字の意味も認識していた。
「漢字は苦手だけど、簡単な言葉なら。だいたい日本近海にいたからなあ……趣味がこんな風に役立つとは思わなかった」
「政府職員の網に引っかかったのでしたっけ」
「そう! ああいうのには注意してるんだけど、うかつだった」
「<審神者>という職業は知っていたのですか?」
「まさか。水揚げされて初めて知った。堅苦しそうだしよく分かんないし、断るつもりだったんだけど、断って人魚乱獲されでもしたら大変だろ。だから同族に干渉しないことを条件に、審神者業っていうのを受けたんだ。全部の人魚が陸上の言語を理解できるわけでもないしね」
 こんのすけは頭を抱えた。いつぞや山姥切長義が言っていた通りだ。彼女には選択肢があって無いようなものだったのだ。水揚げ職員を特定しようかと脳内の職員検索機能を起動しかけたが、彼女と仕事をしているのも楽しいのでそっと閉じた。
 検索機能は閉じたが、それと入れ違うようにメールを受信する。ピロン、という古典的な音が端末から聞こえ、彼女と江雪とこんのすけとでそれぞれ内容を確認した。この本丸では彼女が読み書きを苦手とするということを踏まえ、複数端末で彼女のメールボックスにアクセス出来るよう設定している。
「漢字が多い……」
 彼女が眉を寄せる。審神者業サポート用こんのすけではないにしても、政府所属として必要な機能を持つ元・水色の三は、堅苦しい政府からのメールをさらりと読んで内容を把握した。
「要約しますと、<監査官>という政府職員が訪問するので心構えして下さい、と」
「また視察? いつも抜き打ちだったけど」
「今回は別件でしょう。メールも保秘(ほひ)とのことです。他本丸の審神者や刀剣男士に漏らしてはいけないようですね。ですが、漢字が多い一斉送信メールであることから推測するに、いくつかの選ばれた本丸宛てに送信されているのでしょう」
「一名で本丸に入るとは、その監査官殿の危機意識が心配になりますが……こんのすけは、監査官という役割について何か知っていますか?」
 こんのすけが元政府所属ということは知られているので、当然の問いだった。
 こんのすけは首を傾ける。監査官というものを全く知らぬわけではないが<監査官が一人で本丸に入る><事前通達がある><メールは保秘>ということを総合して考えると、思い当たるものはなかった。
「分かりません。こんのすけが知っている監査ではないと思います。一人で、という点ですが……おそらく守護術を何重にも掛けているのでは」
「ウチは政府の視察やら調査やらには慣れてるから、大丈夫でしょ。念のため、その日は応対得意な刀には本丸にいてもらおうか」
「いつもの視察対応刀剣でいいですか?」
 江雪が空中結像(ディスプレイ)でカレンダーの訪問予定日を開く。<いつもの>刀剣は、平野藤四郎、歌仙兼定、へし切長谷部、石切丸あたりである。
「ひとりしか来ないんだったら、平野だけでいいか。江雪はいるわけだから。あんまり刀揃えて威圧すると、担当から後々言われるだろ」
「偶然居た第一部隊が揃って出迎えたことがありましたね」
 そんなこともあったな、とこんのすけは宙を見る。いつもの視察という姿勢で訪れた政府職員を、殺意高めの高戦績本丸(トップランカー)第一部隊が出迎えるのだ。本丸担当者に苦情が入っても仕方がない。彼らに悪気は一切なく、普段あまり本丸におらず視察に立ち会ったことが無かったための興味による行動だった。
 江雪がカレンダーに監査官来訪の旨を書き、平野の予定を<本丸待機>に設定する。
「ブラック本丸通報回数が上限突破した、とかだったら面倒だなあ」
 彼女がぼやく。心なしかヒレに元気がない。
 こんのすけは江雪から視線を向けられ、水槽に歩み寄って肉球を当てた。
「審神者様、この本丸は<幾度となくブラック疑惑通報をされたものの見逃された本丸>です。同じような状況の本丸が他にもあるとは考えにくいです。メールは一斉送信でしょうから、監査官とブラック本丸通報とは無関係だとみて間違いありません。ご安心ください」
 一切安心する要素のない言葉だが、彼女の慰めにはなったらしい。「だといいけどなあ」水中で体を動かして、こんのすけの肉球の位置に手を合わせる。こんのすけはほっこりした。
 彼女はすこし持ち直したらしいものの、すぐにまたしゅんと頭のヒレを下げた。
「だといいなあ。どうかなあ。こんのすけが手伝ってくれるとはいえ、報告書って気が重くなるだろ?」
 しおらしい彼女だが、その理由が<今までの行いをとがめられるかもしれない>という不安ではなく、<ブラック本丸通報だった場合の処理が面倒だから>というあたり、ただひたすらに彼女らしい。
 
      *
 
 頭からマントを被り目元をマスクで隠した監査官を見て、彼女は「あのときの」と笑った。

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