山姥切長義

 山姥切長義は、グローブをした手を前に突き出した。
「いや、それは少し待ってくれないか」
 審神者が水槽の中で顔をしかめた。

      *

 部屋の障子が勢い良く開く。勢いが良すぎて障子が跳ね返ったが、訪問者はそれを無理矢理抑え込んだ。音にすると<スパパン>。とても、夜分にひとの部屋を訪ねている態度とは思えない。
就寝準備をしていた長義は、座った目で無礼な訪問者を見やる。敷きかけていた布団を放置して、腕組みをして対峙する。
「無作法だね、偽物くん」
「写は偽物ではない」
 決まった応答だった。
 襖を押さえて戸口を塞いでいる山姥切国広が、布の下からこちらを見る。長義に見られていると分かってすぐに視線はそらされたが、一瞬目が合っただけでも刺さるような鋭利さだった。
 出陣帰りなのだろう、傷こそ見当たらないもののほこりっぽく汚れている。
「なぜだ」
「なにがかな」
「言葉遊びをする気はない」
「それは俺も同じだが」
 長義は深くため息をつく。
「では、どちら(、、、)かな。俺が再顕現を拒否したことか? 俺がまだ刀解されていないことか?」
「両方だ」
 長義は、先刻のやりとりを思い起こして髪をかき上げた。
 政府の刀剣/監査官として本丸に派遣された山姥切長義は、本丸入りが正式に決まると契約の上書きを行う必要がある。霊力の供給元を政府から審神者に切り替え、政府刀剣としての刀剣番号が意味をなさなくなり、本丸番号で管理される。
 長義は、この本丸に配属されるにあたり必要な手続きを拒否した。
「あんたが持ってきた聚楽第(じゅらくてい)の特命調査では、俺たちは十分な成績を出した。だからあんたの配属が決定したはずだ。なぜ再顕現を拒否する?」
「連続出陣が待っているんだ、少しくらいのんびりしたっていいだろう。彼女だって、新刃(しんじん)も顕現した瞬間から連続出陣する訳じゃないから、別に構わないと」
「……主がそれを許すと思えない」
「今お前が見ているものは亡霊か? 付喪神の亡霊ってなんだって感じだが。どうせ出陣終わりの報告ついでに彼女から聞いたんだろ、それを嘘だと疑うのか」
「……」
「言いたいことがそれだけなら出ていけ。意見は彼女にしたらどうだ」
 長義は犬猫にするようにしっしっと手を払う。山姥切国広はまだ何か言いたそうだったが、言葉にすることなく襖を閉じた。山姥切国広は決して、饒舌で言葉が上手い刀剣ではない。この本丸の山姥切は主に対してはまだ話すほうらしいが――五虎退談――根っこに変わりはないだろう。
 長義は布団を敷き直し、枕を軽く二度叩いた。
 確かに、この本丸は十分な戦果を挙げて<優>の評価を獲得した。長義は微塵も驚かなかった。自分の配属先が普段どれだけの戦果を挙げているのか前もって調べていたからだ。よほどのイレギュラーが無い限り<優>獲得は確実で、自分の配属も決まっているようなもの。
それでも、長義は再顕現を拒否した。書類上は既にこの本丸の刀になっているので長期間の再顕現拒否は出来ないが、数日、少なくとも一日の猶予を得た。
のんびりしたいという明石国行のような理由は建前だ。
 長義の顔見知りである元・水色の三(こんのすけ)からの報告で分かったことだが、審神者たる人魚に顕現されると、個体差こそあれ思考が彼女のものに染まってしまうと言う。刀剣男士が審神者の影響を受けることは珍しくないが、この本丸は特別染まる、と。長義を見た山姥切の第一声が、なんのしがらみも感じさせない「ああ、本歌か」という一言だった時点で察せられる。自分たちの間にあるものは、そうさらりと流せるものではないはずだ。少なくとも、特命調査中に長義が連絡を取り合っていた数振の同位体はそう言っていた。
 長義には、彼女の思考に染まるわけにはいかない理由があった。


 聚楽第(じゅらくてい)をはじめ放棄された世界についての調査は、歴史観測部一時観測課調査室が担当している仕事だ。通常の歴史観測は常時観測課、放棄世界の観測は一時観測課、と分業している。山姥切長義は全振が一時観測課所属の刀剣で、妙な詮索を生まないために担当の本丸は抽選で決定した。ただ、一振だけ例外があった。それがまさに、人魚がいる本丸に派遣された山姥切長義である。
 理由は二つ。こんのすけと面識があることと、審神者と面識があること。配属が決定した際に警戒されづらいという判断からだ。挨拶前に正体を見破られたのは――術の重ね掛けでこんのすけすら騙せる状態で、刀剣名だけではなく個体を――誤算だったが、狙い通り、彼女らは長義に対して警戒も緊張もほとんどしなかった。おかげで、長義は特命調査中も別の目的のために動くことが出来た。
 ただでさえ特命調査をしている長義が与えられた更なる任務は、彼女の目論見(もくろみ)を暴くことである。
 こんのすけから聞いた、彼女の<水揚げ話>に嘘はない。網にかかって引き揚げられてしまったのは事実だ。体調不良か疲労か寝不足かで、警戒を怠ることもあったかもしれない。強靭な漁網(ぎょもう)を破ることは、怪力ではない彼女には出来なかっただろう。大体、わざと引っかかった漁網の持ち主が時の政府関係者である可能性など砂の粒ほどしかない。狙って出来ることではない。従って、審神者業に就いたことは偶然だろうと政府は認識している。
 が、ここからいくつか問題がある。
 一つは、捕獲された際に抵抗をほとんどしなかったこと。人魚がどういった能力を持っているのかは分からないが、彼女の特殊な声の話を聞いていれば、ひとの鼓膜を破ることくらい容易だろうと想像出来る。船の人間に彼女を害すつもりがなかったとはいえ、拉致に抵抗しなかったらしいのは不自然だ。人間との交流が少なからずあったため躊躇ったのではとも思われたが、それでも。船員に負傷者が出ていないというのは、報告を見ただけの長義も違和感を覚えた。
 一つは、拉致された割に真面目に仕事をしていること。彼女は同族を人質に取られているようなものなので仕事に精を出すのはおかしな話ではないが、限度がある。有能さを証明してしまえば同族が狙われるリスクが高くなるのだから。何事もほどほどに済ませればいいものを、刀剣を戦に送り出し続け、自身の事務仕事はきちんとこなす。にも関わらず、人間の争いそのものには関心がないという。無関心と責任感がかみ合った結果なのかもしれないが、彼女の勤務態度はどうにもちぐはぐだ。
 一つは、政府からの贈与刀剣を顕現していないこと。先日、審神者志願者数がようやく政府の望むラインを超えたため、新人審神者への期待とベテラン審神者へのねぎらいの意味で三日月宗近と小狐丸が贈られた。彼女はレア刀への執着が皆無とはいえ、性能の良い太刀を顕現しないというのはおかしな話だ。顕現して、あっさり折れたというのならば分かる。だが、そもそも顕現していない。政府からの刀剣を警戒しているような、まるで生き残られると困るというような。
 彼女を注視する政府職員はこう考えたらしい。<彼女には人間と関わりたい理由があり、かつ、高戦績本丸(トップランカー)である必要がある>。
 そんなに気になるのならば直接尋ねてしまえばいいだろう、と長義は思ったし口にも出した。単に好奇心旺盛で網にかかり、収集癖から審神者を続け、レア刀の存在を忘れている可能性もあるのだ。人外ということで妙に勘繰りすぎなのではないか。そう言うと、長義に話を持ってきた政府職員は、人魚を警戒するに足る情報を口にした。
――あれより先に、ひとりの人魚が審神者業で死んでいます。


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