山姥切長義2

 長義は一度布団に入ったものの、眠り切れずに体を起こした。眠る前に偽物くんに会ったせいだ、と舌打ちを一つ。なんとなく寝なおす気になれず、障子を開けて外に出た。脳裏に山姥切国広の顔がちらついて頭をかく。本当に、眠る前に見たい顔ではない。
長義は、現在優先すべき任務があるため山姥切国広について極力考えないようにしているだけで、決して、振り切ったわけでも納得したわけでもない。殊にこの本丸において、名前や逸話への執念は無意味なのも黙らざるを得ない理由である。こだわっている場合ではない上、こだわることに意味がないのだ。腹立たしいことに。
軽く頭を振った。山姥切国広(あんなやつ)よりも、審神者のことを考えなければならぬのだ。
 政府職員は、彼女の目的は<復讐>であると考えている。長義は、それを裏付ける証拠を探さなければならない。企みを明らかにして、摘発する。本丸活動の強制停止に踏み切らないのは、証拠のない状態で運営を止めるにはもったいない戦果をあげているからだ、と政府職員は悩まし気だった。
 亡くなったという人魚の死因は、病死ということになっている。不確かなのは、人魚の生態が未解明なためだ。審神者就任当初から体調不良が続いていたらしく、審神者業を続けるには霊力が心もとなかったのかもしれない。
ちなみに、彼女に嘘をついていることに対してはしっかりと非難した。しかし、長義はそのことを彼女に伝えていない。政府が<彼女が他の人魚の死を知っている>ことを知っているとなれば、彼女が何かしら行動を起こす可能性があるからだ。伝えるタイミングは選ばなければならない。
 長義は寝静まった本丸を歩く。特命調査中も何か手がかりがないかと動き回った屋敷だ、構造は完全に把握していた。
刀剣の私室が並ぶ離れから母屋に移動して嘆息する。この本丸の刀剣は、短刀を筆頭に眠りが浅いのだ。配属当初のこと、夜歩き中にふと振り返ると、短刀と脇差が勢ぞろいしていたことがあった。人間としての営みが希薄なため、寝間着や部屋着というものを持っていない刀剣も珍しくなく、武装したままの刀剣男士が混じっていて心臓に悪かった。彼らは「監査官/客人が出歩いているぞ」と不思議に思って出てきただけらしいが、それならそれでさっさと声をかけろという話である。
水面を眺めながら、談話室に足を向ける。電子書籍用のタブレットやドリンクサーバーやボードゲームが備えてあり、休憩にはうってつけだ。が、この本丸では談話室利用者は少ない。改装前の初期本丸から設備を引き継いだからあるだけで、談話室の存続を願っている刀剣男士はいないだろう。ドリンクサーバーがガワ(・・)しかない時点で察せられる。どのボタンを押しても何も出てこないのだ。
談話室近くまで歩き、先客の気配を感じ取った。障子は開け放されており、のぞくと、縁側を向く形に置いたソファで鯰尾(なまずお)藤四郎があぐらをかいていた。
「あ、本歌さん」
「やあ」
 鯰尾はひとりらしく、傍(かたわ)らには炭酸飲料のペットボトルがあった。月見酒ならぬ月見炭酸。「座ります?」空いた場所を示される。
「お邪魔するよ」
 鯰尾が飲みかけの炭酸を差し出してきたが、軽く手を振って断った。
 鯰尾は、珍しいもの好きで順応性の高い刀剣、という印象がある。監査官として来訪した長義にも積極的に絡んできた。しかし、人間味が強いかと言うと曖昧だ。
「本歌さんって、第一印象とだいぶ違いますよね。かなり高圧的だったのに」
「会ったことがあると早々に見抜かれてしまったしね。その上、元先輩もいる」
「ああ、こんのすけ。色々封印するところにいたんですっけ。あれ、聚楽第(じゅらくてい)の調査担当課ってどこでした?」
「俺やこんのすけがいたのは、封緘(ふうかん)課という。聚楽第(じゅらくてい)の調査は、一時観測課の仕事だよ。山姥切長義(俺たち)は一時観測課……聚楽第(じゅらくてい)はじめ放棄された世界の調査のために励起されたんだが、発足したてで受け入れ準備が整っていないからと、いくつかの部課に散らされたんだ。俺はそれが封緘(ふうかん)課だった」
「無計画なのでは?」
「俺もそう思う。多分、一気に励起するには数が多いから、時期を分散させたかったんだろうね」
 ゴッと。勢いよく鯰尾が炭酸飲料を飲み干す。空になったペットボトルで、ふくらはぎを叩いた。
「うちのこんのすけって、元々ああ(・・)なんですか?」
「ああ(・・)? ……ああ、刀剣男士は嫌っていたかな。職業柄仕方がないけれどね。刀剣男士の封印も仕事のうちだから」
「鯰尾藤四郎(俺)も封印されたりしてるんですかね」
「どうだろうね」
「やだなあ、俺じゃないけど俺だからなあ。いないといいけどなあ。悪いことしたから封印とは限らないとしても、なんか嫌だなあ。政府所属って、そういう、嫌なことばかり見ていそうですよね」
 長義は少し笑う。客観的にどう見てもブラック本丸な環境にいる刀剣男士から言われていると思うとおかしかった。
「特殊事案部は、文字通り特殊な仕事ばかりだから。俺は期間が短かったからあまり詳しくはないけれど、俺やこんのすけがいた封緘課をはじめ、封印した後の維持関係の課とか、怪異関係の調査課とか」
「怪異……俺、斬れないやつは無理です」
「俺も遠慮したいかな。呪物(フィティッシュ)を素手でつかむ蛍丸がいるらしいよ。こんのすけが『やばいオブやばい』認定していた」
「こんのすけが『やばい』とか言うんですか?」
 鯰尾が眉を寄せる。元・水色の三(こんのすけ)には知的でクールなイメージが定着しているらしい。それも否定はしないが、長義にとっては雑談にも適当に応じてくれる気さくな個体だ。
 染まったのだろうな、と思う。
 こんのすけはここまで審神者に傾倒してはいなかった。彼女(・・)に、傾倒している。最初に声を聞き、出会ったときから、こんのすけはどうやら彼女に魅了されてしまったようだった。封緘課から去るのもあっという間だったらしい。そうして彼女に心酔し、刀剣男士側に割くはずの気遣いがすべて彼女に向けられている。刀剣男士嫌いは確かに元々あったけれど、人間に害をなしていない刀剣男士まで冷たくあしらうような性質ではなかった。
 そう考えると、己にも時間は無いのだろう。声を聞き、触れ、本丸にいるこの状態で、再顕現を避けているから全く影響を受けていない、とは言えない。
「特殊事案部って、南館ですか?」
 そういえば、と鯰尾が問うてくる。長義は頷いた。
「そうだけど」
「あそこの二階に食堂ありますよね。カフェテラスか。あそこ、俺たまに行くんですよ。だからニアミスしてた可能性もあるかなあって。南館に限らず、政府施設はちょくちょく遊びに行ってますけどね」
「へえ、変わった遊びだね。カフェ巡り?」
「そうです、政府施設の食堂って場所によってメニューが違うでしょ。時期によっても変わるから。南館なら、恒常メニューの<野菜たっぷり背油とんこつラーメン>が好きです。健康的なのかそうじゃないのか分からない感じが良いですね」
「なんか……珍しいね」
 長義は、嬉々としている鯰尾を見て腕を組む。
「そうですか? 恒常メニューだから人気なんじゃないですか?」
「そうではなくて。この本丸で、食事を楽しんでいる刀剣男士がいることが。それにきみは……本丸でほとんど食事を摂っていないイメージなのだけど」
 朝食と夕食は用意され、食事という行為そのものを楽しんでいる刀剣は見受けられたが、生命活動のためではなくあくまでも嗜好(しこう)や供物としてだ。趣味と同じで、必須だとは考えていないけれど折角ならついでに食べておく、というような。燭台切光忠や歌仙兼定は調理を楽しんでいるようだが、食事を摂らない刀剣男士がいても気にしていない。
 疲労回復の団子(アイテム)は別にして、食事を摂らない刀剣男士は何振かいる。その内の一振が鯰尾だ。朝会や夕会があるため広間に姿は見せるものの、茶を飲むくらいで膳の前に座っている様子はほとんど見ていなかった。
 月を見ながら炭酸飲料を飲む鯰尾に対して<人間味がある>と感じづらいのは、このあたりが理由だ。
 鯰尾は不思議そうな顔をしていた。
「食べたいときにしか食べてないってだけですよ。気分転換ですかね。食堂巡りも気分転換です。空腹感はほとんどなくても、味覚は一応あったりするので。美味しいなーとは普通に思います」
「食堂巡りはひとりで?」
「基本はひとりで。味覚があるとは言いましたけど、わざわざ政府まで出向いて何か食べようっていうノリの良い刀は少ないんですよ。本丸でつくる食事より、供物的な意味合いも薄くなりますし」
「……厨の共有棚にある味のおかしなジャンクフード、もしかしてきみか?」
「面白がって食べる刀多いんですよ、あれ。酒を好んで飲む刀とかもいるので、それと同じなんじゃないですかね。……説明しろと言われても難しいんですよね、俺らは武器意識の強い刀剣男士なだけ(・・)なので」
 鯰尾は首を傾(かし)げながら言い、ペットボトルのキャップをくわえた。空のペットボトルを軽く握りつぶしてから「洗うの忘れた、いいか」と頭をかく。
「ラーメンの話したら、ラーメン食べたくなってきたなあ。行ってこようかな」
「今からか?」
「そうですよ。本歌さんもどうです? 深夜の政府施設って趣(おもむき)深くて良いですよ」
 鯰尾は既に立ち上がっている。
「着替えたら空間移動ゲート前集合で!」
 古参である鯰尾と話すのは、情報収集のいい機会だ。なにせ、日中は不在刀剣が多くゆっくり話す時間もない。ただ、本当に彼女が政府刀剣を警戒していて、彼らもそれを承知なのだとすれば、情報収集されているのはこちらのほうである。気は抜けない。
 長義は鯰尾に遅れて立ち上がり、私室へ急いだ。

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