山姥切長義3

 万屋街や演練場を含め、政府施設は二四時間体勢で動いている。深夜に稼働する意味のない部署は当然消灯しているが、鯰尾が知っている通りカフェテラスも営業しているので、完全に人の気配が無くなることはない。それでも、やはり昼間に比べると静かで、無機質さを増している。空調機の音や靴音が響き、ガラスに映る姿からなんとなく目を逸らしてしまう。
 南館二階のカフェテラスに到着すると、ふたりで目的のラーメンを注文する。<野菜たっぷり背油とんこつラーメン>に慣れているらしい鯰尾は、豆腐乗せを頼んでいた。裏メニューらしい。長義も真似た。なぜ元政府職員の長義よりもメニュー事情に詳しいのか謎だが、鯰尾藤四郎の人懐こい気質がなせる技だろう。
 カフェテラス中央あたりの長テーブルに向かい合って座る。ラーメンだ、ちんたらしていると麺が伸びる。手を合わせてからはお互い無言で麺をすすり、長義は内心でため息をついていた。ラーメンを前に呑気にお喋りする時間などないのだ。
 再び口を開いたのは、ラーメンを食べ終えて水を一杯飲んでからだった。
「深夜のラーメンは背徳感があってたまりませんね」
「俺たちは太らないけれどね」
「でも、食べすぎるとちょっと体が重くなったりしません? 人間でいう胃もたれみたいな、心地が悪い感じです」
 長義は暴飲暴食をしたことがないのでピンとこなかった。
「俺、本当に限界まで食事をしたことがあるんです。どうなるのか興味があって。数日はとても不快でした。霊力の過剰摂取とは、また違うんだろうと思います」
「好奇心旺盛だな……」
「数値外のパラメータに興味があるんですよね、俺。だから色々試したくなって」
 空になったラーメン鉢を前に鯰尾が肘をつく。どうやらただラーメンを食べるだけではなく、会話をしてくれる流れらしい。
「本歌さんが知っているか分かりませんけど……あ、もううちの刀剣か。ならいいか。うち、極(きわめ)刀剣っていないんですよ。修行に行けないんです。だから、カンストした身としては、数値にならない伸びしろがあるのかとか、気になって」
「それで暴飲暴食実験か。極がいないのは、審神者の采配ではないのか?」
「政府からストップされてるんです。主は監視対象でもあるから、あんまり強くなられると政府も不安らしいんですよね。俺を含めてカンストとかいますけど、それ以上になられるのは困るって。謀反を疑われてるなんて笑えますよね、ははは」
 笑えない。
 笑えないが、この話題には乗っかりたい。
「あり得ない話ではないのでは? 彼女、同族を人質に取られているようなものだろう。政府を憎んでも仕方がないのではないかな」
「憎んでいるとしても、いくら俺たちだって政府を相手取っては勝算無いですよ。同じ高戦績本丸(トップランカー)の……ほら、<卯(う)の花(はな)腐(くた)し>さんとか、<枯真菰(かれまこも)>さんとかもいるわけですし。主は客観性のある冷静なひとですから、特攻しろとは言わないと思います。死ぬ覚悟があるなら分かりませんが、主は自殺願望とは無縁そうですし」
「大人しく審神者を続ける?」
「んじゃないですかねぇ」
「過去にも刀剣にも興味がないのに?」
 睨まれるかと思ったが、鯰尾は言葉を探すように空中を見やるだけだった。
「うーん、それはちょっと違うと思います。主は、過去を変えることに興味がなくて、斬れない刀を認めないんです。あと、俺たち刀剣(もの)が、人間らしい行為をすることへの強い違和感があるだけ。全くの無関心ではないですよ。実際、俺たち決して不仲ではないでしょ」
「殺伐さと和気藹々(わきあいあい)が共存しているイメージがある」
「主は分かりにくいんですよね。俺もこうやって話してますけど、あんまりちゃんと分かんないんですよ。当たり前ですよね、人間ではないので。確かに言えることは、刀剣(もの)には刀剣(もの)としての価値を求めていること。あと、水の中が好きってこと」
「彼女のことがちゃんと分からなくても、慕っているんだな」
「刀としては全肯定してくれますから。それで十分だと思ってます。他の本丸の方針は知りませんけど」
「羨ましいとは思わない? 三食、おやつ、休養日、外出、娯楽」
「二食、味のおかしなポテトチップス、内番の日はゆっくりできて、深夜にこうしてラーメン食べてます。どこを羨めばいいのか。むしろ、全力で刀を出来る(・・・・・)こちらのほうが良い環境だと思いません?」
「そういう切り返しが来るとは思わなかったな。同派が折れているのに?」
「今って戦争中ですよね」
 戦については重々知ってるじゃないですか、と鯰尾は笑う。
 長義は背もたれに体を預けて一息ついた。言葉を多く持つ鯰尾だったからこそ、きちんと意見が聞けた。深夜のラーメンに付き合ったのは正解だった。これが山姥切国広だったなら、失礼なほど乱暴に切り捨てられて終わりだろう。こんのすけも、彼女に関してだけはあまり冷静ではないのであてに出来ないのだ。
 自然な会話の切れ目だ、ここで席を立つか。さらに踏み込んだ質問――刀を鍛える理由には納得したが、事務仕事まで真面目にこなして優秀な評価を保とうとするのは何故なのかも解消したい。ほんにんに聞いたほうが確実だろうと思われる質問でも、出来るだけ直接話すことは避けたい。
 長義が刹那悩んでいる間に、隣にトレーが置かれた。<野菜たっぷり背油とんこつラーメン>だ。
「ここに本丸刀剣がいるのは珍しいね」
 長義の隣に蛍丸が座る。
 長義はさっと蛍丸のIDを探す。政府職員ならば下げているはずだ。蛍丸が首から下げたカードを背中側に放る瞬間に印字を読んだ。
【特殊事案部調査課怪異調査室 蛍丸 四四二〇七九三一五】
 思わず鯰尾を見た。鯰尾も長義を見ていた。
「あ、ラーメン食べたの? もしかして同じやつ?」
 ごくごく普通に話しかけられる。例の蛍丸ではないのかもしれない。
「そうだよ。豆腐を乗せてね」
「豆腐乗せてくれるの? それくらいでこの背油は相殺できないでしょ」
「美味しいんですよ、ぜひやってみてください。蛍丸は残業ですか?」
 蛍丸は小柄な割に食べっぷりが男前で、一回のすすりで麺の四分の一を持って行った。そのあとで野菜を口に押し込む。
「ん、俺、怪異系担当だからさ。夜の出勤って結構多いんだよね。今は休憩」
 答えて、麺をすする。
 長義は鯰尾をうかがった。席を外すためのアイコンタクトを取りたかったが、鯰尾は興味深そうに蛍丸の食事風景を見ている。長義は、配属当初によく鯰尾に声をかけられていたことを思い出した。
「怪異調査室って何をしてるんですか?」
「んー?」
「あ、食べてからでいいです」
 答えられない蛍丸に代わり、短期間とはいえ特殊事案部にいた長義が説明する。
「その名の通り、怪異の調査をするところだよ。本丸や政府施設に発生した怪異が主な対象だけれど、現世の怪異が本丸に入り込むことももちろんあるわけだから、現世への調査出張も多い」
 蛍丸が麺をすする。
「怪異の蒐集(しゅうしゅう)も広く行っていて、調査課のデータベースには古今東西津々浦々の怪異がリストになっているらしい」
「見たいような見たくないような……」
「刀剣男士は、現地派遣が多いんじゃなかったかな。生身の人間よりは、そういったものに対抗できるからね」
「御神刀霊刀の所属が多そうです」
「現地派遣はそうでもないらしい。現地の怪異を消し飛ばしてしまうのも、それはそれで問題だから」
 蛍丸がラーメンのスープまできっちり飲み干して、息をつく。
「本丸とか審神者って、霊力がどうの付喪神がどうのっていう仕事だから、現世に比べて怪異の発生は多くなるんだよね。時の政府らしい独特の部署だよ。にしても、詳しいね? 山姥切長義って歴史観測部の刀剣じゃなかった?」
「少しの間、封緘(ふうかん)課にいたんだ」
「……道理で」
 少しの溜めがあってから、得心の言葉をこぼされる。意味深な反応に片眉を上げると、蛍丸は手をひらひら振った。
「変な意味じゃないよ。ぽい(・・)なと思っただけ。うちに詳しい割には、けっこうマトモに見えるからさ。関わりがあったにしても短期間っていうのに納得したの」
「『特殊事案部の刀剣にはマトモなのがいない』と、特殊事案部の刀剣が言うのは面白いですね」
 鯰尾が言う。長義は内心で、お前が言うな、と突っ込んだ。
 蛍丸は気分を害した様子もなく「俺は普通だけど、変なのが多いからねえ」と肘をつく。鯰尾と同じく、こちらも雑談をする構えらしい。休憩中とのことだったが、まだ仕事に戻らなくても良いのだろうか。長義は横目で時計を確認した。
 鯰尾が嬉々として身を乗り出す。
「怪異発生の現地に向かうのって、怖くないんですか?」
「怖いわけないじゃん、付喪神も幽霊みたいなもんだから」
「その分類は大雑把すぎませんか?」
「生身の人間のほうが厄介だよ。グーで殴っただけでしこたま怒られるもん」
「蛍丸のグーパンの威力はともかく、殴ったことあるんですか」
「加減したよ、もちろん。現世出張だと、調査中に地元民と遭遇することがたまにあるんだよね。一刻を争うときだったから、仕方なく、グーでこう」
「でも怪異だって斬れないじゃないですか。厄介さじゃあ、怪異のほうが上では?」
「話を通じさせる必要がないだけ楽だよ」
「斬れます?」
「斬れないことも多々あるけど」
「やっぱ俺には無理な仕事です」
 食いついてくる鯰尾に気を良くしたのか、蛍丸がテーブルに身を乗り出す。対面の鯰尾も自然とテーブルに伏せるような姿勢になり、長義もつられて伏せた。
 蛍丸はカフェテラス内に視線を走らせてから、より潜めた無声音で話し始めた。
「これは、結構前に調査課にいた刀剣が言っていたことで、調査課(俺たち)の中では七不思議に似た扱いをしてる話なんだけど」
「怖いやつですか? 真夜中の本丸離れをひとりで歩けるやつですか?」
「大丈夫、怪談とはちょっと違うよ。都市伝説って感じ。ただそれを言ってたやつが、当時調査課イチ変わった刀剣男士だったもんだから、笑って済ませられなくて」
 蛍丸が口角を上げる。声は潜めているものの、誰かと共有したいという気持ちが隠せていなかった。
「数ある本丸の中に、<人魚が運営する本丸>があるんだって」


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