五虎退2

      *

 五虎退は地に伏して、浅く息を繰り返す。戦場で考え事に気を取られていたせいで、文字通り片足をとられて(、、、、、、、)しまっていた。手入れをすれば直る(、、)ものの、怪我は痛い。隊長である山姥切の「撤退する」という声を遠くに聞きながら、うつ伏せから背を反って上体を起こす。五虎退はそこで初めて、短刀(ほんたい)を抜き身で握ったままであることに気付いた。痛みと失血で震える腕を動かし、刀を鞘におさめる。
 同部隊の鯰尾藤四郎と愛染国俊が、両脇から五虎退を支え起こした。
「もー。五虎退、ぼーっとしてたろ。折れるかと思って焦ったよ」
「平気、なわけないよな。意識はしっかりしてるか?」
何度も同朋を見送った立場で、とてもじゃないが「死にそう」とは口に出来なかった。
「だいじょうぶです」
 そう絞り出すと、足元からぎゃうぎゃうと抗議の声が上がる。痛いくせに、死にそうなくせに、と口々に言うのだ。五虎退はそれに返答する気力もなく、二振に体重を任せた。
「ついでに俺も手入れしてもらえっかな」
「はは、中傷じゃ無理だよ。俺だって、また中傷撤退はしてもらえないんだから。重傷撤退するようになれば、デスマーチも終わりだけどなあ」
「うへえ、いつになるやら」
「もうちょいだよ」
 愛染の軽口に鯰尾が答える。此度の出陣は、愛染の通過儀礼を兼ねていたのだ。ここで負傷したのが五虎退ではなく愛染だったら、撤退することなく進軍していた。片足になった愛染を連れて、可能な限り庇いながら戦っていただろう。
 焦点の合わない目を地面に向けていたせいか、鯰尾が気遣わしげに覗き込んでくる。
「思ったよりヤバイ? 一旦、刀に戻ったら?」
「いえ、だいじょうぶです。このままで」
 顕現を解いたほうが心身ともに負担は少ないと、五虎退も分かっていた。再顕現出来るだけの霊力を審神者が持っていること前提だが、彼女は霊力貧乏ではないので心配無用だろう。そう分かっていても顕現を解かないのは、再顕現される自信がないからだった。
 戦闘に関係のないことで気を取られ、この様である。刀として、戦力として不十分と思われれば、五虎退が再び顕現されることはないだろう。
 この本丸に自分は不向きだと思いながらも、必要とされていたい。矛盾した感情が嫌になる。五虎退は、子虎たちの非難めいた視線に気付かないふりをした。
「急いで帰ろっか。山姥切さーん、帰還ゲート急いでー」
「もう繋がる」
 山姥切の声がした。


 手入れ部屋で待機していると、彼女が陸上移動用ボードに乗って現れた。人間の遊び道具であるスケートボードを大きくしたようなそれは、霊力によって稼働し、その大きさの割に身軽な動きを見せる便利グッズだ。
 五虎退は消え入りそうな声で「すみません」とだけ言った。
「何に対する謝罪か分からん」
 彼女はボードに乗ったまま、器用に手入れを進めていく。その周りを子虎たちが落ち着きなく歩き回っていた。
 手入れは問題なく終了した。五虎退の足が戻り細かい傷が消え、頭にもきちんと血液が回り始める。
「不注意で、怪我をして、主様の手を煩わせて……」
「戦に関しては山姥切に一任している。あれが良いというなら別に良い。それより、珍しく凡ミスで怪我したわけだけど、何か問題でもあった? 審神者というのは、ここの責任者だからな。何かあれば聞こうとは思ってるんだけど」
「そのう……」
 武器は持ち主を選べない。武器の分際で主の方針に口出しすることは出来ない。五虎退には、彼女に対して苦言を呈するだけの度胸は無かった。
 絞り出したのは、中傷でこの部屋にいない(、、、)愛染のことだった。
「……愛染君の、手入れは」
「うん? あれはまだいいだろう、折れる寸前までいったらする」
「ど、どうしてですか。資源は、あります」
「まだ練度が低いから」
 五虎退は黙り込んだ。彼女の考え方は重々承知している。提案を切り捨てられても落胆は小さかった。それでも無力感のようなものが胸に残る。
 手入れが終わっているのに動かないままでいると、彼女が頬杖をついて問い掛けてきた。
「愛染のことが気になって怪我をしたの」
「えっいえ、はい……ええと」
「そういえば五虎退は、前にも似たようなことを言ったな。伽羅を拾ったときだったかな」
 覚えていたんですか、とは言わなかった。代わりに謝罪が口からでた。
「す、すみません……」
「そのときも言ったと思うけど、普通の人間の感性を求められても応えられない。わたしにとっては、人間の歴史だってあんまり興味が無いから。他種族のことなんて知らない。付喪神なんてもっと遠い存在だ。気遣えと言われても、これ以上は無理。現実味が無いんだよ。だって刀なんだろ、お前たちは」
「……はい」
「ただ、一つ強調しておくと、ちゃんと斬れる刃物をみすみす折るつもりはない。それで、今これを配ってるんだけど」
 彼女が何かを投げてよこす。難なく両手で受け取るも、想像より遥かに軽く、閉じ切ろうとした両手を慌てて脱力した。確認すると、青く薄い円形のものが組紐で飾られている。
 霊力は感じるものの<何か>が分からず、指で持ち上げて照明にかざす。光を通すほど薄くはないが、光を受けて青から紫、桃色にまで色を変える不思議なものだ。
 きれいだなあ、とぼんやり思って、弾かれたように彼女に目を向けた。
「主様の、鱗(うろこ)、ですか」
 霊力のこもった主の一部に、心の底がざわついた。
「刀は折りたくないけど、たくさんお守りを買う経済力はないってこんのすけに相談したら、霊力のこもったもの……身体の一部で、気休め程度にはなるんじゃないかって言われてね。普通は髪とか、爪とかなんだろうけど、わたしはコレが一番やりやすかったから。割れないように加工もしたし」
 剥いだわけじゃなから、自然と取れた分だから。彼女は早口でそう付け足す。
 五虎退は、指先で持っていた<お守りもどき>を手のひらに置いた。あの(、、)主が、武器のために施したものだ。一見冷淡な彼女の、最大限の情である。『刀は折りたくない』と実際に聞けたことも大きい。
――主様が、僕に、くれたもの。
 時間をかけて実感する。自分は、大切にされているのだと。使える刀として、まだ折れるべきではない刀として、ほんの少しでも心を砕いてもらっているのだと。
「ありがとう、ございます」
 手のひらから全身に熱が走る。視界の隅で桜が舞った。鱗(うろこ)を嗅いでいた子虎たちが、五虎退の高揚に気付いて嬉しそうに鳴く。
 傷ついた同朋に慣れることはないとしても、彼女に仕えたいと思えた。
 彼女は、使える刀を大事にするひとなのだ。

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