山姥切国広

 とある本丸で顕現した山姥切国広の主は、他の審神者にはない特徴があった。
 一言で分かりやすく言ってしまうと、人間ではなく人魚だった。
 自分自身が付喪神という存在なのもあって妖怪の類を否定はしないし、付喪神が人間に使役されている現状を鑑みて、人魚が審神者をしていてもあまり驚かなかった。顕現してすぐに二度見はしたけれど、それだけだった。
 政府施設で顕現した山姥切の最初の仕事は、大きな水槽を台車ごと動かして本丸に移動し、審神者を池に放すことだった。
「あー広い。政府の人間、窮屈な水槽しか寄こさなかったから……プールに放すくらいしてくれて良かったのに」
 池に潜ったはずの彼女の声が耳元からする。山姥切はとっさに襤褸(ぼろ)布を頭から叩き落として耳元をこすった。「この池きれいだな」なぜか彼女の声が鮮明に聞こえる。「あ、鯉いるじゃん」周囲を見回しても彼女の姿は無いのに声だけは聞こえる。
 怪奇現象に鳥肌を立てていると、山姥切の足元で鎮座するこんのすけが冷静に解説を始めた。こんのすけの存在を忘れていた山姥切は即座に襤褸布を被った。
「審神者様の発声方法は、人間のそれとは異なります」
 驚いている山姥切に対する呆れが隠せていない声だった。ため息と一緒に話しているようである。
「障害物があっても、審神者様の声は周囲に届きます。超音波のようなもの……だそうですが、不明点が多いので正確な表現は出来ません。人魚伝説と歌は切り離せませんから、そういう力がこもっているのかもしれません」
「……確かに、霊力は強いな」
 少ない、多い、ではなく強い(、、)。山姥切が最初に抱いた印象だった。
「それでは山姥切様、審神者部屋へご案内します」
「……主は」
「ここの池は審神者部屋の水槽と繋がっております。毛細管現象の応用です」
「もう……何?」
 山姥切が問いかけるも、こんのすけは軽やかに縁側に上がってどこからともなく取り出した手ぬぐいで足を拭いていた。拭き終わると、山姥切を振り返りもせず歩いていく。
 山姥切は顔をしかめて管狐に続いた。


 本丸の母屋はざっくり<ロ>の字型になっており、その内の一辺が池の上に建っている。そこに<ロ>の字の内側を向くかたちで納涼床付の審神者部屋がある。審神者部屋から、<ロ>の字の他の辺の様子が見られるようになっているのだ。山姥切の先をたったか歩くこんのすけ曰く、初期本丸なためまだ小さいとのこと。離れには刀剣部屋が二十用意されているが、それも初期設定数でまだまだ増やせるらしい。
 ことわりを入れるこんのすけに続いて、審神者部屋に入る。審神者たる彼女は部屋の一辺だけを水槽にした、水槽にしては大きく人魚の部屋にしては狭い場所で、こんのすけと山姥切を待っていた。
「審神者様。本丸入り前に政府の者が一通り説明させていただいているとは思うのですが……改めてご説明いたしますか?」
 こんのすけがあまりに柔らかい声を出すので凝視した。
「いいよ。大体は分かってる。分からなくなったら聞くよ」
「近くにおりますので、いつでも。どうされます? 早速出陣しますか?」
「それでもいいけど……今日はやめておいてもいい? そこの刀ともちょっと話しておきたいから。わたし、魚とはコミュニケーションとれるけど刀と喋ったことはない」
「承知しました」
 指名された山姥切は襤褸(ぼろ)の下でうめいた。そろりと水槽をうかがうと、黒目がちな大きな目がまっすぐにこちらを見ている。山姥切は襤褸を深くかぶりなおして、かつ水槽に背を向けた。間髪入れずにこんのすけにたしなめられる。
「山姥切様、審神者様はあなたとの対話をご希望です」
「……写(うつし)と話すことなどないだろ」
「審神者様が、ある、とおっしゃっているのです」
「……俺は」
「山姥切様を、自ら、お選びになった、審神者様が、お話をしたいと」
 こんのすけは言葉を切って強調し、山姥切の足の甲を踏んだ。ふに、というかわいらしい感触なのにとげを感じる。
 山姥切は顔だけ振り返った。襤褸布の下からでも、彼女がこちらを向いているのが分かる。顔を確認する度胸はなく、下肢をぎりぎり視界に収めたまま体も反転させた。
彼女の尾びれが緩やかに動く。
「山姥切国広、という刀なんだってな。よろしく、初期刀」
「……写とよろしくなど」
「さっきも言ってたけど写ってなんだ?」
「……知らずに俺を選んだのか」
「刀の名前を聞いたとき、お前の名前に<切る>とあったから、それだけ。刀なんだろう? そういう名前のほうが強そうだろ」
 写であることを考えるどころか、意味すら知らないことに呆れるやら少し安堵するやら面倒だなと思うやら。山姥切は複雑な心境を言葉で表現できずに、襤褸布のフード部分を引っ張った。
 彼女が言葉を続けないので、説明を待っていることは分かるものの、写であることを気にしている自分が写の説明をするのは滑稽(こっけい)だった。こんのすけを見下ろして助けを求めるも、ツンと姿勢よく座っているだけである。彼女からの問いかけを無視してもいいのだが、そうすると澄ましたこんのすけに嫌味を言われるのは目に見えている。それも厄介だった。
 どこまで詳細に語るべきか一瞬思案して、相手は人魚なのだからと簡単な言葉でまとめた。
「…………写というのは、大まかに分類すると模倣作だ。俺は山姥を斬った刀を本歌としてつくられた」
「ふーん?」
「……写に興味などないんだろ」
「贋作とは違うの?」
「違う。贋作は、名前を騙った偽物だ。写は名前を騙ったりはせず、本歌を目指してつくられるものだ」
「レプリカは?」
「それはそもそも日本刀ではなくなる」
「ふーん?」
 合点がいってないような声がする。
 山姥切はフードを引っ張りながら奥歯を噛み締めた。
 彼女は写を知らなかった。ならば、自分から写と言わなければただの日本刀として評価されたのではないか。写の説明などするべきではなかったのではないか。現に彼女は、写と贋作とレプリカの線引きに首を傾けている。写だと言わなければ――けれど、写であるのが山姥切国広という刀だ。写で傑作なのが、自分自身なのだ。
「山姥切がさっき、写が何かマイナスポイントみたいに言ってたから気になったんだけど、聞いてたら普通のことじゃない?」
 人魚が、よく通る声で思考を口に出す。
「なんかこう……元になる何かがあって、それを誰かが尊敬して、目標にして何かをつくりだそうとするのは普通のことなのでは? 違うの? 山姥を斬った刀がすっごく強くてきれいだったから、そんな刀が自分も打てたらいいなあみたいな、そういう刀鍛冶がいて山姥切国広ができた……でいい?」
「その通りです、審神者様」
 こんのすけが後ろ脚だけで立ち、短い前足を叩いて拍手をする。
「すっごい刀を目指してつくられたのが山姥切国広ってわけだ。なるほど。斬れない刀なら困るけど、斬れるんなら問題ないな」
「……そんなに簡単なことでは」
「人間はそうかもしれないけど、魚的にはこれでじゅうぶん。わたしにそんな繊細な価値観求めないでよ。斬れればいいよ、刀なんだから」
 頭を鈍器で殴られたような、頬をグーでパンチされたような、胸を風が吹き抜けたような感覚がした。己の葛藤が、乱暴に引きちぎられてしまった。
 写という存在とその認識についての苦悩を、正面切って「どうでもいい」と言われたのだ。多分、怒ってもいい場面だ。けれど山姥切は、いっそ清々しいと感じていた。そういえば自分は付喪神以前に刀であり、実践刀としては斬れ味が問題なのであり、主人からの評価があれば問題はない。周囲の目など問題ではない。今の山姥切の持ち主である彼女が『斬れればいい』と言うのなら、山姥切は敵を斬り殺しさえすれば、それで。
――付喪神以前に、俺はただの刀なんだから。
 きっと彼女にとっては、刀の名など記号に過ぎないのだろう。どんな名刀名槍がやってきても、ただの刃物として捉えるのだろう。名にプライドを持つ刀剣にとってはもどかしいのかもしれないが、彼女に顕現された以上、彼女の刀であり、それ以上でもそれ以下でもない。
 斬れさえすれば、それでいいのだ。


 その日の晩、こんのすけから「刀剣男士は審神者様の影響をうけるものですからね」と言われた。道理で、根深い苦悶が簡単に吹き飛んだわけである。


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