山姥切国広3

 山姥切は報告を終えると厨(くりや)へ足を向けた。風呂上がりに何も飲んでおらず、それに気づくと急にのどの渇きを覚えたからだ。厨(くりや)では、へし切長谷部と鯰尾が夕食の支度を始めたところだった。
「あ、おっつかれさまです、総隊長さん」
 鯰尾がふざけてそう声をかけてくる。山姥切は短く返事をして、冷蔵庫から作り置きの水出し緑茶を出した。グラスに注いで一気に飲みながら、こちらに背を向けている長谷部を一瞥(いちべつ)する。江雪を近侍に据えることに反対しそうな筆頭が長谷部だ。
 夕会で彼女から話があれば、きっと反対するだろう。山姥切が言ったようになだめれば収まりそうだが、根に持ちそうでもある。だからといって、自分から何か言う必要があるとも思えない。
「……何か用か、総隊長さん(、、、、、)」
 鯰尾の言い方にならって、長谷部が背を向けたまま言う。少し曲がった背と低めの声は、彼女には決して見せないものだ。こんのすけと似たものを感じるが、こんのすけは彼女の前でも刀剣男士にはつっけどんである。
「……いや。なんでも」
「物言いたげに見ておきながら……」
「……夕会で主から話がある」
「主から? なんの?」
「後で聞け」
 今話しても面倒くさくなる気しかしないから、とは口にしない。
 鯰尾と長谷部が首をひねるが、山姥切は放置して厨(くりや)を出た。追及されないためには、とっとと移動してしまうのが一番だ。
 厨(くりや)を出て、廊下を歩き、刀剣部屋が並ぶ離れに入る。
初期刀である山姥切の部屋は母屋から一番近い位置にあり、以降はおよそ顕現順に並んでいる。隣は五虎退の部屋だ。
 離れの端にある自室を開ける。物が少ないのは、この本丸の刀剣男士共通だ。
「山姥切殿」
 障子を閉めかけて止める。山姥切よりも先に審神者部屋を出ていた江雪だった。
 せっかく、今日は早めに出陣が終わったのだから休んでいればいいものを。
「……なんだ」
「少し、よろしいですか」
 よろしくない、と言いたい。山姥切は会話がうまくないと自覚している。彼女の前で言葉が多めなのは、ひとですらない彼女との認識の齟齬を少なくしなければならないと意識しているからであって、決して多弁なわけでない。普通の人間が審神者だったらそこまで喋らなかっただろう。
「近侍の相談なら主かこんのすけにしろ」
「近侍の提案に、反対しなかったのはなぜですか」
「……言いたいことが分からん」
「戦嫌いのわたしが主のそばにつくことに、異議をとなえなかったのはなぜですか」
 山姥切はフードをわずかにずらして江雪を見た。伏し目がちなその刀は、今も足元を見ている。何を見ているのか、刀剣男士としての使命を憂いているのか知らないが、視線がまっすぐ向けられないことは、山姥切にとって少しばかり楽だった。
「主のそばにつくにあたって問題になるのは、戦の好き嫌いではなく斬れるかどうかだ。出陣で練度を上げるのならば、俺に文句はない」
「新参で、主の方針とそぐわないのに、構わないのですか」
「斬れるならいいんだ。主もそう言うだろう」
「そういうものですか」
「何か問題があるか?」
「近侍というのは、主の理解者であるべきだと……。ですから、わたしは、今回の提案に驚いているのです」
「その割には黙っていたな」
「悪い提案ではなかったので」
「そうか……?」
 強制連続出陣の延長など危険でしかないと思うし、彼女も実際「配慮はしない」旨を伝えていたが、江雪左文字的には許容範囲らしい。こいつ本当に戦嫌いなのか? と襤褸布の下で顔をしかめる。
 江雪はゆるりと頷いた。
「ならば、近侍として主の方向性を正すのも、仕事の一環ということでしょうか」
「……強制出陣や刀剣破壊の件か?」
「ええ」
 山姥切はため息をついて、首を横に振った。
「主に『刀剣男士を大事にしろ』と言ったところで『刀だろ』と返ってくるだけだろう。大体、俺たちは<もの>なんだぞ。朝食と夕食と入浴……これだけ人間の真似をすれば十分だろ」
「さすが初期刀殿、と言うべきでしょうか」
「主の刀はおおむねこう(、、)だ。あんたが特殊なんだ」
「お小夜もそう(、、)でしたか」
 山姥切はまたため息をついた。
 小夜左文字は折れた短刀で、現在顕現されていない。そのことを顕現時に山姥切は江雪に伝えている。「なぜ折れたのですか」と悲しみのにじんだ声で静かに問われたのは記憶に新しい。
「小夜は……言わなかったが、小夜左文字は二度折れている」
「二度?」
 江雪のまとう空気が張り詰める。山姥切は、やめてくれと軽く手を振った。
「刀の性質なのだろうが、小夜はまわりを信用しにくいだろ。そこに武器としての在り方を求める主の霊力が注がれるんだ。俺たちが『止まれ』と言っても中々止まらないし、止められるかもしれない主は『止まれ』なんて言わない。結果が二度の刀剣破壊だ。刀剣保管庫にはいるが、同じことになりかねないと顕現されていない」
「……」
「気になるのなら、練度を上げてあんたが小夜を守れ。同派の言葉なら小夜も聞くだろう。小夜の強制連続出陣にあんたが付き合ってやれ。部隊編成は俺に一任されているからな」
 半ば投げやりだった。どうしてここまでしてやらないといけないのかとも思うが、小夜左文字をこれ以上折らないための策だ。彼女も山姥切自身も刀剣破壊自体で心は痛めないが、何度も同じ刀が折れるとなると気にもなる。
 江雪が拳を握ったのが分かった。
「そうやって……配慮することが出来るのに」
 江雪は最後まで言葉にしなかったが、言いたいことは大体察せられた。気を配る余裕があるのなら、最初から最後までそうしろと。刀剣破壊など起きないよう注意しろと。そういったことだろう。
 言いたいことは分かるのだが、山姥切はそれに頷けない。斬れない刀への過保護は不要という彼女の考えが浸透しているからだ。ただ、折れたらそれまでとは思うけれども、進んで仲間を折る気はない。そこも彼女と同じなのだ。彼女は、斬るつもりのない刀に「折れてこい」とは言うが、斬る気のある刀に向かって「弱い」とは言わない。
 山姥切は再び嘆息した。
「誤解しているようだから言っておくが。あの主は刀剣男士の扱いこそ乱暴かもしれないが、斬れる刀そのものはちゃんと大事にする」
「この数日過ごして、どの刀剣男士も主を慕っていることが分かりましたから、分かりにくい優しさがあるのかもしれないとは思いますけれど……それが、わたしにも響くかと言えば、どうでしょうか」
「響く。必ず。俺たちは主の刀だから」
 江雪が黙り込む。山姥切は、これが会話の切り上げ時だと判断して私室に入って障子を閉めた。
 新入りが彼女の方針に違和感を覚えることは多々あるのだが、いつもなら、流されるまま連続出陣に繰り出して気付かぬうちに染まる。それが疲労をおしてでも抗議して自分の意見を述べるというのだから、江雪左文字は変わっている。五虎退が言っていた通り、本来の性質がよほど戦嫌いなのだろう。連続出陣延長は受け入れるらしいが。江雪なりの線引きがあるらしい。
 珍しく、刀剣男士相手によく喋った気がする。江雪が立ち去るのを待って、厨(くりや)に戻って緑茶が飲みたい。

      *

 出陣を終えた山姥切が審神者部屋に向かうと、桜を散らす江雪が部屋から出てきたところだった。彼女と反りの合わない江雪が審神者部屋で桜か、と疑問に思っていると、山姥切に気付いた江雪が軽く握っていたものを見せてくる。
「分かりました、色々と」
 江雪の手には、彼女の鱗で出来たお守りが乗っていた。


 審神者部屋には、屋内用ボードに腹ばいで乗って肘をついている彼女と、こんのすけと、本日の近侍の獅子王がいた。さんにんともグラスでジュースを飲んでいる。色から判断するにメロンソーダだ。彼女の炭酸好きは周知である。
「おかえり」
「お疲れ」
 彼女と獅子王がねぎらってくる。こんのすけは会釈だけだ。
「さっき、江雪とすれ違ったが」
「桜散らしてたでしょ」
「あのお守りを渡したということは、長い連続出陣は終了か」
「うん。明日からは江雪が近侍固定……ってあれに言うの忘れてたな。明日も出陣のつもりかも。部隊編成変更して、知らせておいて」
「分かった」
「交代近侍の最後が俺かぁ。長谷部になんか言われそうで嫌だな」
 獅子王が笑う。「それでもあれは出陣好きだろ」という彼女は、長谷部の主人に対する思いの重さを少々軽く考えている節がある。彼女にとっての長谷部は<さわやか仕事人間>であり、近侍担当日にどれだけ浮足立っているかを知らないのだ。彼女が本丸から出かけるようなことがあれば表出しそうである。
 長谷部の苛立ちは自分に向くだろう。初期刀であり総隊長である山姥切の意見ならば彼女も無碍にはしないだろうと――思われがちだが、彼女はまんべんなく意見を聞くしまんべんなく無視もする。そういう姿勢で対応したい。今回の件は珍しく意見を求められたが反対しなかった、とバレないようにしたい。
「あと、面白い提案をされた」
 彼女が尾びれを動かす。
「小夜左文字を顕現してほしいってさ。いいよって言ったから、明日にでも顕現するよ」
「なら、江雪はまだ近侍には入れないだろ」
「なんで?」
「小夜を自分で守ると」
「あ、そうなの? それは知らなかった。まあ、山姥切がいいようにしてよ」
「そのつもりだ」
「次は折れないといいな。同じ刀の破壊始末書何回も書くのは、まーた変な目のつけられ方しそうで嫌だ」
「例えば?」
 獅子王が問う。
「小夜左文字が嫌いだから折ってる、とか」
「ああ、それはあり得るな」
「でしょう。刀に好き嫌いもあるかっての。斬れるならそれでいいのに」
「審神者様、もし妙な言いがかりをつけられても、このこんのすけが対応いたしますのでご安心を」
「いつもブラック本丸通報対応で助けてくれてありがとな」
「いえいえ!」
 こんのすけが尻尾を左右に振って畳をぽふぽふ叩いた。
 山姥切は、なんとなく出陣報告するタイミングを逃して日常風景を眺める。
審神者を崇拝気味なこんのすけがいて、審神者を慕う刀剣男士がいて、審神者は気さくに雑談もする。なんの問題もない平和な本丸の風景だ。
果たして、刀である自分たちにこれ以上の人間的営みは必要だろうか。


ALICE+