燭台切光忠2

      *

そこそこ練度が上がり、燭台切は内番にも組み込まれるようになった。器用さは特に厨(くりや)で発揮され、すっかり料理当番の中心的存在となっていた。
夕食の用意をする燭台切の耳に、ガロガロガロ、と荷車のような音がする。手を止めて、音のほうへ視線をやった。今日は出陣が夜まであり食事をする人数が少ないため、調理は燭台切のみになっていた。もう少しすれば他の刀剣も手伝いにくるだろうが、この音は、決して刀剣ではない。
短刀よりも、さらに低い位置に顔がある。決して怪談の類いではなく、うつ伏せの審神者である。
ガロガロガロ、と専用のボードに乗って、床上の厨(くりや)に入ってくる。霊力を動力にしており、スピードもカーブも自由自在だ。彼女が陸地の移動で用いるボードは、元々非常に静かだったが刀剣が踏みそうになる事態が多発し、車輪を古いものに付け替えたんだとか。
審神者は冷蔵庫の前で止まると、燭台切を呼んだ。
「燭台切、サイダーほしい。緑茶もいれてくれる?」
近侍は江雪左文字で固定されていることと、審神者があまり移動しないことから、刀剣が審神者と接する機会は少ない。燭台切も例外ではなく、審神者が親しげな話し方なのは標準だ。
「オーケー。休憩かい?」
「ああ」
彼女は、審神者となってから初めて飲んだという炭酸を好む。緑茶は近侍の江雪左文字のものだろう。
燭台切は土間から上がると、ご所望の品を用意する。二つのグラスを盆にのせ、膝をついて彼女に渡した。彼女は器用に体をずらし、ボードに盆を置くスペースを確保する。
黒目がちな、真ん丸の目が燭台切を見上げる。目の色は、深い深い青だ。まさに深海を切り取ったような、神秘を閉じ込めた色合いをしている。
人魚伝説というものは中々血なまぐさい。美しい容姿で人を惑わせ、海に引きずり込み、食べる。また、人魚の血肉には不思議な力がある、など。
燭台切の目の前にいる人魚も、人間離れした容姿で、こわいくらい耳通りのいい声をしている。政府側も、審神者として送り出すのは――人間ではない彼女を人間以下としながらも――惜しかったに違いない。
「ありがとな」
「うん、これで言葉遣いが丁寧なら完璧だったね」
「誰かにも言われたなソレ……」
彼女は尾びれをぱたぱたと動かしながら、慣れたように方向転換する。来たときとおなじく、ガロガロガロ、と存在を主張しながら厨(くりや)を出ていった。
燭台切は作業に戻る。煮物の出来を確かめていると、刀剣男士の気配が近づいてきた。
手伝いを申し出てきたのは、五虎退と加州と大倶利伽羅だ。内番の面々である。三人に続いてきた五頭の子虎は、廊下でじゃれ始めてうなり声をあげていた。
三振とも、燭台切より先輩だ。
「腹減ったあ。あ、もう結構出来ちゃってる? 手伝うよ」
「お皿出しますね」
「二人ともありがとう。頼むよ」
「……」
三人とも、慣れたように厨(くりや)を歩く。大倶利伽羅は無言で、調理に使った器具をさっさか洗い始めていた。どちらかというと一人を好む彼だが、関わることを根本的に嫌っているわけではない。すべきことは、きちんとこなす。
燭台切は旧知の刀に、ありがとう、と笑んだ。

      *

ある夜、燭台切は不意に目を覚ました。朝かと勘違いしてしまうほどの覚醒で、思わず周囲を見回すが、殺風景な部屋は暗い。寝直す気にもなれず、舌打ちを一つこぼして、そっと布団から出た。
幸いにも天気が良く、夜目のきかない燭台切でも庭を歩くのに不便はない。ふらふらと足を進めて、池のそばで立ち止まる。冷たい空気を吸い込み、脱力するように吐き出す。
内番に組み込まれるようになって少し。中傷撤退の声がかかる練度ではない。中傷になったときに審神者から撤退を促されるのは、古参と言われる一部の刀だけだ。
燭台切は、未だ、この本丸における身の振り方を掴めないでいた。
もう一度大きくため息をついた。
「……眠れないの?」
ぎょろり、と。黒い水面に二つの目を見つける。大きな声を上げそうになるが、燭台切の口は的確に塞がれた――池の鯉が、燭台切の顔面めがけて飛び上がったのだ。クリティカルヒットである。冷たい水、鱗、魚臭さに、燭台切は膝から崩れ落ちた。
「で、眠れないの?」
「うん……まあ、そうだね」
「子守唄でもご所望?」
「君がこんな時間に、こんなところにいると思わないよ。ここで寝てたっけ?」
「たまにね。朝、江雪が水揚げしてくれる」
「水揚げ……」
「じゃあ何か気になることでも? これでもここの責任者だからさ、何かあったら聞くよ」
「あ、いや別に……」
「そういやあ。伽羅と旧知なんだってね」
「えっうん、まあね。伽羅ちゃん……」
「なに?」
なんでもないよ、という声は弱々しい。すぐに取り繕うが少々自己嫌悪だ。溶け込んでいる大倶利伽羅を見て、なんとなく、自分はちゃんとこの本丸の一員なのだろうかと。
燭台切も内番に組み込まれる練度で、つまり<斬れる刀>と判断されている。それは分かっているし、嬉しいと思う。けれど、その後は。斬れる刀がごろごろしている中で、自分自身の立ち位置は。この本丸において、刀剣男士としての性格や個性はあまり意味がない。
岸まで泳いできた彼女は、上半身だけを池から出して地面に肘をつく。しゃがんだままの燭台切は、彼女の呆れたような訳知り顔から目をそらした。
「伽羅ちゃん、うまくやれてるみたいで安心したよ」
「古参だしなあ、頼りにはしてるよ」
「へえ」
「……」
「……」
「なんていうか、お前たちって基本メンドクサイね」
「え?」
「短刀はまだ分かりやすいけど、見た目が大人な刀はさあ。内面が外見に引っ張られてるというか、素直じゃないというか。特にへし切なんて、笑っちゃうわよ。まー何がいいたいかというと、」
尾びれが水面から出て、すぐに見えなくなる。
「人間らしすぎ。刀の癖に」
 心底呆れた声だった。
「人間の都合で喚(よ)び出されてるんだから、好きなようにすればいいのに。畑やら馬やら、受肉した以上役割があるだろうけど、そこに一々感情を挟む必要もなかろうよ。歴史修正主義者との戦いなんて無意味なイタチゴッコだよ。刀はただ本能の求めるまま、斬ればいいのに」
燭台切は、内臓が浮遊するような不安感に拳を作る。他でもない自分の主が、自分の在り方を全否定するのだ。今と未来を守る戦いに興味はないと言う。刀としてここにある意味は、一体何なのか。
「あー内番に関しては、私がこのナリだから助かるけどね」
「……君は、僕らや戦争のことをどう思ってるの?」
「どうって……刀は刀、戦いはイタチゴッコ」
刀剣男士をただ刀として扱う姿勢は、反感を買いやすいという。あくまで聞いた話だが、この本丸は他本丸の審神者から複数回政府へ通報されたことがあるらしい。刀剣男士に非道徳的生活を強いているのでは、と。彼女は基本的に本丸から出ないので、彼女と話したからではなく、演練へ出た刀剣男士を見てのことだ。なにせ、全快の状態の刀剣男士のほうが少ない。
刀剣男士を家族や神として扱う審神者が多数を占める。刀剣を身内として大切にし、過去改変を許すものかと戦いに臨む。
彼女の姿勢は、圧倒的に異端だ。刀は限りなく武器で、戦には関心がない。
「よくそんな認識で命を賭ける気になったよね」
「いやあ、ちょっと遠出して泳いでたら水揚げされてさ。その船に、たまたま帰省して実家の漁を手伝ってたオエライサンがいたもんだから」
「ええ⁉」
「歴史の最先端なんて分からないし、本当の正しい歴史も誰にも分からない。過去を変えたら、それを辿った今になるんだから、阻止したところで変わったところで、メリットもデメリットもないでしょう。無意味だよ」
言い切る審神者に迷いはない。淡々と、おそらく本心からの言葉。冷たい印象を受ける突き放し具合だが、人間でない故に傍観者なのだろう。彼女は巻き込まれた側として、ひたすら客観的に物をみているように思える。冷酷ではなく、冷静。
燭台切は、拳から力を抜いた。顕現前に刷り込まれる情報とは差が大きいが、この審神者の在り方が少しだけ見えてくる。前もって知っている情報は、彼女のもとに顕現するにあたって、一部余計であったらしい。
刀剣ではなく一時期は美術品であった燭台切光忠が、ただの刀になれる――これは、喜ばしいことなのだ。
「君らは、そうだなあ。難儀とは思うけど。刀だってところについては、人外なりに理解してるつもりだけど?」
彼女が、燭台切をじっと見上げる。煽るような笑みを刻み、深海の目には、一振の太刀が映っていた。
「なあ、燭台切。折れどころを間違えるなよ」
心の奥を強く殴られたように、力のある審神者の声が響く。熱を持ったのは、間違いなく太刀としての燭台切光忠だった。
己は、何を悩んでいたのだろうか。身の振り方? 居場所? そんな悩みは、刀の自分には必要がない。自分はこの審神者に振るわれるべき存在で、斬れるか斬れないかが全てなのだ。
「――うん、うん。頼りにしてくれていいよ」
燭台切が笑んで言うと、彼女は満足そうに目を細める。


寂しがり屋さんめ。彼女が嘲笑を湛えていたことを、燭台切は知らなかった。

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