明石国行

 とある本丸の明石国行は、気怠い刀である。生真面目でなく、勤勉でもなく、面倒くさがりで休憩以外には気の進まない刀である。
 同派の愛染国俊が激しく肩を叩いても、畳から腰が離れることはなかった。
「痛い、痛いて国俊」
「もう畑仕事の開始時間過ぎてんだってば。せっかく国行も内番いける練度になったのに」
「蛍丸が来たら行くわ」
「いつになるか分かんねーよ! 連続出陣には真面目に参加してたじゃん!」
 明石が顕現した本丸は、新刃(しんじん)への通過儀礼として連続出陣を設けている、容赦のない本丸だった。現在私室で動かない明石も、明石を初めての内番に連れて行こうと必死な愛染も、それをこなして練度を上げた刀剣男士である。
 明石は、愛染の言葉に深いため息をついた。自分は決して真面目な性質の刀剣男士ではない。この明石特有のものではなく、明石国行とはそういう刀なのだ。本来ならば出陣すらも面倒臭がる。そんな根っからの面倒くさがりが連続出陣に耐えたのは、単純に口を挟む間もなかったからだ。
「いや、あんなん拒否も出来ひんやん。帰還したら喋る気力もなかったわ」
「分かるけどさ」
「逆におんの? 嫌ですー言うた刀剣男士」
「噂だと江雪さん」
「へえ、勇気あるおひとやな」
 争うことを嫌うという刀剣男士の名が上がる。明石が顕現したときには近侍におさまっていたが、一悶着あったのだろう。
 明石は、短刀とはいえ自分よりは高練度なため可愛くない握力の愛染に引き起こされ、部屋から縁側に引きずり出された。ずりい、と細身の長身が畳に擦れる。愛染はこのまま明石を畑まで引きずって行こうというのだ。さすがにそんな醜態をさらすほど羞恥心を忘れていない。
 明石が億劫に腰を上げたとき、縁側のそばで水が揺らめいた。ごく小さな水音をさせて顔を出したのは、本丸の審神者だ。
「そんなに嫌なら出陣する?」
 駄々をこねるところをばっちり見られていたらしい。彼女は水面から顔だけを出し、おかしそうな顔をしていた。
 明石は「それも嫌ですわあ」と力なく言葉を返しながら、改めて己の住まう本丸を見回す。
 本丸領域内が巨大な池であり、建物は池に浮いているように見える。縁側から見える景色はどこも水面であり、透き通った水で底まで見えていても案外深く、明石でも足はつかないだろう。魚の下肢を持つ審神者には、よく似合いのつくり。土があるのは、これから明石が行こうとしている畑だけだ。霊力から実ったものは刀剣男士の供物になるから必要だろうと、高床に大量の土を運んで作ったという。
 明石が励起される直前に大改装を行ったらしく、それ以前の様子は分からない。政府職員から<水上本丸>と呼ばれている、と誰かが言っていた。水を張るのは構わないが、縁側にほとんど欄干がないのは危険だ。初期刀のてるてる坊主いわく、「主がどこからでも屋敷に上がれるようにしている」らしい。
「最初ならともかく、練度が上がっている今は、そう簡単には刀を辞めさせてあげられないな」
 彼女が不穏なことを言う。
「刀辞めるって何ですの……」
「折れておいでよって言えない」
「言うたことあるんです?」
「あるかもね」
「こっわ。えげつな。ほんま、なんでこんなとこに顕現してもうたんやろ」
「俺が持って帰って来たからだな!」
 愛染の邪気のない笑顔が眩しい。明石は、自由奔放にはねる髪を乱暴に撫でた。
 明石はこれだけ後ろ向きな姿勢を見せながらも、主や本丸の方針を嫌っている訳ではなかった。もう少し怠惰が許される環境ならば良かったのに、と思わずにはいられないだけである。
 明石はしゃがみこんで、審神者と目線を近付けた。
「畑、行ってきます。やから出陣は勘弁してください」
「はい、いってらっしゃい」
 ひら、と。審神者が水かきのついた手を振ると、ちゃぷちゃぷ水が鳴った。


 網目の小さなざるに野菜を積んでいく。科学も目に見えない力も発展したこの時代でざるを使うというには、中々ちぐはぐで面白い。本丸の多くが和風建築であるのと同様に、刀剣男士が馴染みやすいようにと考えられた結果なのだろう。実際、ざるは竹製のざるに見えるだけで22XX年の素材で出来ている。
 明石は体勢を起こして腰を反らす。
 畑仕事は、耕し、苗を植え、収穫、というスリーステップから成っている。世話や水やりが不要なのは、野菜は本丸に満ちる霊力であっという間に育つからだ。よって、現代のAI農業よりは多少手間がかかるものの、古き良き人力農業よりは格段に楽に行える。
「なあ国俊」
「んー? 休憩はまだだぞ」
「そか……いやそうやなくて」
 畑から見える風景も水面ばかりだ。高く上った太陽が反射して白く輝いている。見慣れた光景だった。
「国俊は、ここ、長いほうなんやろ」
「短いか長いかで言えば、長いかな」
「主はん、視察というか監査? 入ったりせぇへんの」
「視察はちょくちょくある。査察はたまに」
「何が違うんそれ」
「俺もよく知らねーけど、視察は状況把握で、査察は法律上のチェックで、監査は経理のチェックなんだってさ。長谷部とかに聞いたほうがいいぜ」
「しつこく講義されそうやから遠慮しとくわ。視察とかって頻繁にあるもんなん?」
「どの本丸でも年一くらいではあるらしい。他の本丸の俺に聞いたけど。何が気になんの?」
「いや、ほら……ここの主はんって独特やろ」
「人魚だからな」
「そうやなくて、連続出陣とか。……今まで聞く余裕もなかったんやけど、結構危ない立場なんちゃうかなって」
「あれか、ブラック審神者とかブラック本丸」
 明石は頷いた。
 出陣が落ち着きようやく得た休養日に、散策がてら万屋街に出かけたときのこと、ブラック本丸の刀剣男士保護の場面に出くわしたのだ。遠巻きに見かけただけだが、ひと垣の中心には傷ついた短刀がいて、漏れ聞こえる声から状況を把握した。審神者の隙をつき、呪術洗脳されていたこんのすけを救出しロックされていた政府施設行ゲートを緊急特別権限で起動させたらしい。
 大変やなあ、難儀やなあ、と思った後。いやうちもブラックなのでは? と首を傾けた。低練度での連続出陣、折れてもよし、休養と食事は最低限。武器としてはともかく、ひとの身を得たものの扱いとしてはどうなのか。
 愛染は明石の言わんとすることを察したらしい。察せられるということは、国俊も少なからず思うところがあるのだろう。もしくは、あった(、、、)のだろう。
「今は政府の人も分かってくれてるから落ち着いてるけど、通報は何度かあったんだよ。演練相手が通報するんだと。俺らがあまりに殺気立ってるのと、怪我したまま行ったりするから。あと、うちは主さんじゃなくてこんのすけ同行だろ?」
「……それが?」
「うちのこんのすけ、個体差ではおさまらないくらいクールらしいぜ。感情とか行動に制限課されてるんじゃないかってくらい」
「そうなん?」
「油揚げたらふくたべて昼寝する個体とかいる」
「嘘やん。こんのすけは<付喪神風情に下らぬ>って顔してんのが標準じゃないん。『審神者様のお手を煩わせないでいただけます?』とか言うやん」
「あれ普通じゃないんだって」
 衝撃の事実に震える。
 何気なく、冷たい目の管狐がいないか確認してしまう。明石より偵察に優れる愛染が反応していないのだから、ここには二振しかいないのだろうけれど、つい。
 明石は二の腕をさすりながら問いかけた。
「けど、査察くるんやろ? 政府の人、分かってくれてなくない?」
「ブラック本丸通報があったときの、主さんへの対応が適当になってきた」
「なるほど」
「まーでも、確かに、ここが客観的にホワイトかブラックかって聞かれたらブラックだよな。政府の人は、俺らに被害者意識みたいなのがないからブラック本丸烙印を押さないでいてくれてるけど」
 刀は持ち主を選べないが、刀剣男士には自我がある。意思も判断力もある。明石がこうして疑問に思っていることを、他の誰も考えなかったとは到底思えない。現に、愛染はそれを肯定している。
「なんで誰も通報せぇへんの」
「国行だって通報してねーじゃん」
 そういうことだろ、と。何かを知っている風に愛染は笑う。

ALICE+