13
「んーっ!久々の街ー!」
放課後、黒主学園の建つ山の麓にある街に、優姫と零の姿があった。伸びをしながら笑顔で歩く優姫の斜め後ろには、不機嫌を隠さない零が無言で歩いている。
「理事長に"おつかい"頼まれるなんて役得だよね!学園って基本外出は制限されてるからさ」
優姫は零を振り返り、人差し指を突きつけた。
「つまんなそうな顔してる零くん!少しは羽を伸ばしたまえよ!」
「……伸ばせる羽なんて生えてねーよ」
明るく言っても、彼は眉間に皺を刻んで溜め息混じりに言う。面倒臭い早く帰りたい、という心の叫びが表情に滲み出ていた。
「屁理屈言ってないで行こー!」
優姫はそんな零の腕を無理矢理引いて、"おつかい"を開始させた。
「えーっとあとは……」
「夕暮れまでには学園に戻るぞ」
「大丈夫、今日は夜間部がお休みだから平気だよ」
数十分後、零は見事に荷物持ちと化していた。優姫は気にした様子も無く、理事長から渡されたメモを確認する。今晩は理事長がご飯を作ってくれるということで、いくつかの食材名も並んでいた。
優姫はメモを仕舞い、さっさと歩き出してしまった零に続く。だが目に入った店に、慌てて零を引き止めた。
「零っ腕出して」
「……」
零は大きな荷物を担いだまま、動かせる方の腕を無言で伸ばしてくる。優姫は店先の目に付いた服を手に取り、小さく笑いながら零の腕に合わせて長さをみた。
「零って自分のことはすぐ構わなくなるから……手の掛かる弟みたい」
零でも着られる事が分かると、優姫はそれを店主らしき男に渡す。隣の零はというと、先程の優姫の言葉が気に障ったのか既に歩き出していた。
「あ、すぐ怒るー!」
「呆れておかしいんだよ……見た目小学生と変わんねえし、一個年下のクセしてお姉さん面?はっ笑える」
思い切り鼻で笑って歩みを止めようとしない零に、優姫は顔を赤くして表情を引きつらせた。
何よ偉そうにっ!
優姫は店主を急かしながら、口に出せない反論を心の中で並べる。出会った頃は身長同じくらいだったくせに。零の方が年上だけど一年サボって私と同じになったくせに。
そう思っていても零に荷物を持ってもらっていたりするので、機嫌を損ねない為にも口には出さない。
「美夜がいる時は絶対言わないくせに」
そう呟き、服の入った袋を持って零の元へ走り寄った。
いつだったか零が似たようなことを優姫に言った時、美夜はさらりとそれを否定して優姫を真っ向から褒めにかかったことがある。彼女に他意はないのだろうが、零は面白くなかったらしい。
「零、美夜が居ないから拗ねてるんでしょー」
その美夜は、夜間部が休みの日には部屋で睡眠不足の解消に勤しんでいる。授業中に眠っている自分達とは違い、彼女は居眠りとは無縁なのだ。優姫も零もそれは以前から知っているので、今日の"おつかい"に声を掛けていなかった。
「拗ねてねーよ」
「美夜がいると楽しそうなくせに」
「別に……放っておけないだけだ」
零は足が長いので歩くのが早い。それを優姫に合わせて歩調を緩めてくれていたのだが、からかったのが悪かった、ツカツカと足を動かし始めた。
「ちょ、零っ」
「早くしろ」
顔だけ振り返って言う零に、優姫は「図星でしょ」と小声で呟いてから、置いていかれないよう駆け出した。
さらに数十分後、優姫と零は街の喫茶店に居た。甘味を基本的に扱う店で、零一人ならばどう考えても入らないような店だ。
「何か食べなよ、零。荷物持ちのお礼におごるよ?」
優姫は運ばれてきたパフェを口に運びながら、何も注文せずに座るだけの零を促す。が、零はソファに身体を預け、表情を変えずにぽつりと言った。
「……塩ラーメンが食べたかった」
その言葉に、優姫はスプーンを咥えて返答に窮す。この喫茶店は優姫が無理矢理連れ込んだのであり、そこに零の意思は無い。優姫は視線をあらぬ方向へ向けながら、弱弱しくも言い返した。
「だってここのパフェ気に入っちゃったんだもん……この前、頼ちゃんと来た時に偶然……」
今の彼と目を合わせるべきではないと優姫は判断し、そのまま視線を泳がせた。
学園に戻って美夜が起きてたら零の機嫌を取ってもらおう、と密かに計画する。起きていなかったとしても、美夜も夕飯には誘ってあるので、零の機嫌は持ち直すだろう。
「……お前、まだ一人では街に出られないんだな」
「……出られるよ」
呟くように言われた言葉に、優姫は子ども扱いされているようでむっとして言い返す。零は優姫の反応を気に留めず、「恐いクセに無理するな」と言いながら頬杖を付いた。
「……"学園の外の世界"に出れば、思い出すんじゃないのか?玖蘭枢のような"出来の良い吸血鬼"ばかりじゃない、と……」
「うるさいなあ。恐くないよ、もう。十年前のことなんて」
優姫はパフェをがしりと掴みなおしながら反論する。これ以上言われるのを避けたくて、呆れる零をよそに勢い良くパフェを口に放り込んでいた。
しかしふと引っかかることを感じ、優姫はスプーンを動かす手を止める。
「そういえば……美夜が家族を失ったのも十年前って言ってたよね」
「……ああ、そうだな」
「私、零の事も美夜の事も全然知らないなあ」
スプーンをコツコツとグラスの口に当てて呟く。もっと二人の事を知りたいが、踏み込みにくいのも確かだ。それぞれ事情が重いから。
優姫は返答を期待せず、独り言として続けた。
「どこの学校に通ってたかとか、兄弟はいたかとか」
「あいつは知らないが……俺には、弟がいた」
零が答えてくれた事に驚いて顔を上げつつ、言葉の内容にやはり踏み込むべきではなかったかと少し後悔した。
「死んだ、あの日」
淡々とした口調が余計に痛々しい。
優姫が返すべき言葉を模索していると、ピッチャーを持った店員と客らしき女子学生がテーブルに近付いてきた。どういう訳か、二人とも僅かに顔が赤い。
「あの、もしかして黒主学園の夜間部の方ですか?!」
明らかに零に向けられた店員の言葉に、零の目が見開かれる。優姫も思わずテーブルに手をついて立ち上がった。店員や女子学生はただ純粋に夜間部のファンなのだろうが、零には言ってはならない言葉だ。
「やっぱりそうですよね!他の方とは、雰囲気が違うから」
「あ、あのっ」
優姫が口を挟もうとするが、二人は嬉しそうに勝手に話を続けてしまう。急降下した零の機嫌を察して欲しいものだが、それは無理な頼みである。
零はそんな二人を一瞥し、無言で荷物を持って席を立った。
「……先出てる」
「分かった!外で待っててね」
話していた二人が何か言た気にその背中を引きとめようとするが、流石にそれは優姫が阻止する。残念そうにする二人を適当にかわし、さっさと代金を払って残りの小さな荷物を持って店を出た。
「お待たせ、零……零?」
店を出てすぐ、きょろきょろと辺りを見回してみても零が見当たらない。もしかして先に帰ったのだろうか、という考えがよぎるが、傍に落ちていた荷物を目にして首をかしげる。
「零……?」
零が持っていたはずの荷物だ。彼がわざわざ落として帰るなど考えられない。
優姫は心配になりながらも、荷物を隅に置いて走り出した。どこに行ったのか検討も付かないが、幸い零の持っていた荷物が点々と落とされていたので、それを辿ることが出来る。
「零ー!」
一人で駆け回り薄暗い路地にまで来た優姫は、声を上げて零を探す。だが、一向に零が現れる気配が無い。
零を探すあまり注意力が欠けていたのか、飛び出ていた金具で右肘を打ちつけてしまう。血が滲んだが気にしていられなかった。
「どこ行ったのよ……」
優姫が走るのを止め、立ち止まった時だった。頭上から物音がして、次いで何かが降って来たのだ。素早く[狩りの女神]を取り出して横に構え、降って来たそれを防ぐ。重い衝撃に倒れないよう足を踏ん張った。
優姫は自分に降って来た――否、襲い掛かってきたそれを確認して表情を凍らせた。
「吸血鬼……っ?!」
[狩りの女神]から離れたそれは口元に深い弧を描き、鋭い牙を覗かせていた。吸血鬼は舐めるように優姫を見、かすれた声で言った。
「お前の血……いい匂いだな」
にたりと嗤う吸血鬼に、優姫の中の恐怖が呼び起こされる。ぞくりと悪寒がして、体が小刻みに震え始める。持っている[狩りの女神]に力が入らず、その吸血鬼から目を逸らせない。
吸血鬼が再び襲い掛かろうとした時、不意に[狩りの女神]が手から離れた。
駆け出してきた吸血鬼の額に強く[狩りの女神]が突き当てられ、吸血鬼は音を立てて後ろへ弾き飛ばされる。
我に返った優姫が後ろを振り返ると、そこには[狩りの女神]を持った零が立っていた。
「ぼけっとするな、優姫」
零の[狩りの女神]を持つ手がヂリヂリと火花を散らしている。零はそれを一瞥し、だが離すことは無く優姫を後ろに庇って立った。優姫は腰が抜けそうなのをなんとか堪え、腕の傷を手で押さえながら大人しく背に隠れる。
恐かった。牙を剥いて襲い来る狂った吸血鬼が。
「……どうしてこんなところに吸血鬼が」
一度呼び起こされた恐怖は簡単に収まってはくれず、呟きながら壁にもたれた。
「……お前、元は人間か……」
立ち直った吸血鬼に零が話しかけるも、理性を失ってしまっているようで話が通じない。獣のように呻き、血、と何度も呟いていた。
不気味な嗤い声を上げなから、吸血鬼が零に向かって飛び上がった――その直後。
「けけっ……?!」
その吸血鬼に、縦に一歩の線が入る。着地するより早くそこから裂けて、途端に灰と化してしまった。
優姫は舞う灰を腕でかばいながら、現れた人物に驚きの声を上げた。吸血鬼を斬ったと思われる刀を握った人物とその後ろにいた人物が、良く知った顔だったからだ。
「夜間部……一条センパイ、支葵センパイ」
刀を納めた拓麻の後ろで「オレ必要なかったじゃん」と千里が溜め息をつく。優姫は状況の展開について行けず、ただ疑問符を浮かべていた。
「お二人が、どうして……」
「優姫ちゃん、早く傷の手当をしておいで。僕らの嗅覚には刺激的すぎる」
穏やかに微笑みかけてくる拓麻の言葉に、優姫は傷を押さえる手に力を込める。絆創膏の類はもっていないので、とりあえず素早くハンカチで縛った。
混乱する頭をなんとか鎮めながら、どこか表情の険しい零から[狩りの女神]を受け取る。
[狩りの女神]を仕舞っていると、留まっている拓麻と千里の表情が苦いものになっていることに気が付いた。続いて隣に立つ零を見ると、彼もまた眉間の皺を深くしている。
皆、どうしたんだろう。
優姫としては先程の一連の事態について聞きたいのだが、きっと彼らは答えてくれないとどことなく理解していた。
「零……?」
狂った吸血鬼はいなくなったというのに、三人の表情の険しさは収まるどころか増すばかりだった。吸血鬼の五感は人より遥かに鋭いから何かを感じているのだろうとは検討がつくが、優姫にはそれが分からない分、不安にもなる。
「ねえ、どうしたの?」
「……近くで、吸血鬼が暴れてる。複数体」
「えっ?!」
零が端的に答えてくれたが、その内容は穏やかではない。驚きを隠せないでいると、拓麻が髪をくしゃりと握りながら苦笑をこぼした。
「暴れてるって、そんな……っ!」
「多分、ハンターが戦ってるよ。荒立っていた吸血鬼の気配が消えてきてる」
吸血鬼と同じく闇の世界に存在し、吸血鬼を狩ることを宿命づけられた者――それが"吸血鬼ハンター"だ。
「一条さん、行くの?」
千里がパーカーのポケットに手を突っ込み、拓麻に向かって首をかしげた。拓麻は少し腕を組んで唸り、そうだなあ、と溜め息を吐く。
「予定外だけど、一応行こうか」
「……止めておいた方がいいですよ、先輩」
「どうして?」
この場を離れようと動いた二人に、零が棘のある声を掛けた。夜間部に零が自ら声を掛けることなど皆無に等しいので、優姫はどうしたのかと零を見上げる。
「ハンターの気配が無い。……多分"影"です。巻き添え食らいますよ」
"影"という零の言葉に、二人は目を見開いた。
やはり意味の分からない優姫は脳内の疑問符を増やして首をひねるばかりだ。自分一人が取り残されているようで、寂しくないわけではなかった。
もしかして聞かない方が良い会話だったのかと優姫が所在無く思っていると、拓麻が説明してくれる。
「"影"は、吸血鬼界(こっち)でも有名なハンターの呼び名だよ」
「その"影"が今、戦ってるってことですか?」
「そうそう」
零は「巻き添えを食らう」って言ってたよね?
続きを請うように零をちらりと見ると、零は一瞬だけ口を開いたが、すぐに閉ざしてしまう。
「……後だ。早くここから離れるぞ」
「あ、うん……荷物も拾わないとね」
零が視線を逸らしながら言って眉間に皺を寄せたまま歩き出していた。先程の喫茶店での出来事もあって、気分も良くないのだろう。
優姫は知りたい気持ちを持て余しつつも、後で教えてくれるのだからと自分を納得させて零に続いた。拓麻と千里も、何事も無かったかの様に路地から出て行く。
優姫はあの狂った吸血鬼が街中に居る意味さえ分からないままだ。
まだ、知らないことがあるんだ。
優姫はハンカチで縛った傷を手で押さえ、視線を地面へ落とす。零や美夜のことを知りたいと思っていたが、まず二人に深い関わりのある吸血鬼についてもっと知りたいと思った。
じっと俯いていると、数歩先を歩く拓麻が静かに声を掛けてきた。
「ねえ、優姫ちゃん――――」
人気の無い薄暗い路地に、一つの人影があった。昼間ならばその路地にも通りの賑やかな声が届くのかもしれないが、生憎今は夜で人の気配は無い。
「……」
ロングコートを靡かせ、紫煙を揺らめかしながら路地を歩く男は、路地に積もった灰の山を前に足を止める。ざり、と革靴でそれを踏み、無言でしゃがみこんだ。
少しの間そうして灰を見つめ、右手でその灰を掬った。さらさらと指の間を落ちる灰を眺めて、左手を癖のある黒髪に埋める。
「……あり……?」
彼の小さな呟きに、答えてくれるものはいなかった。
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