14


 私立黒主学園の理事長の私的居住区にて、美夜は顔を綻ばせながら箸を動かしていた。優姫から、理事長が夕飯を作ってくれるから一緒にと誘われていたのだ。
 後ろの低い位置で束ねた髪は、入浴したせいでまだ湿っていたが、服を濡らすことはなさそうなのでそのままにしている。
 テーブルに並んだ数々の豪勢な料理は、もちろん理事長の手作りだ。美夜や優姫や零が箸を動かしている間、理事長が料理の名を得意げに連ねていた。いちいち「ボク風〜」と言っている辺り、アレンジも加えているのだろうか。

「どう?!おいしい?!」
「はい、とっても」

 返答したのは美夜一人。美夜は、あれ、と二人を窺うが黙々と食事を続行している。
 どうしたのかと思っていると、理事長からキラキラと効果音の聞こえそうな眼差しを向けられて、思わずびくりと反応した。

「久々の親子四人の食卓なのに、反応してくれるのが美夜ちゃんだけなんて……っ!美夜ちゃんにもスルーされちゃったら僕泣いてたよ……っ」
「わ、私も"親子"に数えられてます?」
「当然じゃないかっ!」

 訂正するのも何だし嫌なわけではないので、前傾姿勢の理事長に苦笑を零すと、ひたすら箸を進めていた優姫と零から鋭い突っ込みが飛んだ。

「いつも言ってるけど"ボク風"が微妙」
「俺を"親子"に数えんなって言ってんだろ」

 容赦ない言葉に椅子から落ちて肩を落とす理事長だが、美夜はこれが彼等のコミュニケーションの一つだと既に学んでいるので、あまり気に留めず食事を再開させる。

「……ま、いいや。元気に食べてくれてるし」

 しばらくすると、椅子に座りなおした理事長も呟きながら食事を再開させていた。
 ただ黙々と食事を続ける優姫と零の雰囲気はどこかおかしく、美夜は横目で二人を窺う。喧嘩した雰囲気ではないが、何かあったのは確かだ。
 やっぱり、アレかな。
 箸の先を咥えて、視線を手元の茶碗に落とす。

「……二人とも、街で何かあったのかい?優姫は怪我もしてたしね」
「あ、え?!」

 何気に呟いた理事長の言葉に優姫と零の箸が止まり、美夜は目を剥いて三人を見た。
 その美夜の反応に驚いた三人の視線を受けたことに少々赤面しつつ、それでも強く優姫に問うた。

「今日、街に行ったの?」
「え、あ、うん。理事長の"おつかい"で」
「そんな……最近、危険な吸血鬼が付近にいるからハンターが派遣されるって、協会から知らせてもらってたのに」

伝えておけば良かった、と弱々しい声で言って俯くと、優姫が慌てて明るい声を掛けてくれる。

「で、でも大丈夫だよ!怪我も私の不注意」
「なら良かったけど……」

 白々しい。嘘を付けない優姫も嘘でしかない自分の言動も、酷く滑稽だ。美夜は内心自嘲して、笑いかけてくれる優姫に力なく笑った。
 彼女に何かあったら後悔してもしきれないのは事実で、優姫と零が街に行くと思っていなかったことも事実だが――そこで何があったのか、自分は良く知っている訳で。
 しかし当然今はそんな素振りを見せる訳にはいかない。

「……心配しすぎだ、お前」
「だって、二人に何かあったら」
「そんなにヤワじゃない」

 素っ気ない物言いだが、心配されているのだと分かる。美夜はまた力が抜けた様に笑って、うん、と頷いた。
 その様子を微笑まし気に見ていた理事長が、何か思い出したのか徐にポケットを探り始めた。

「忘れてた忘れてた。零、もうすぐで今ある分が無くなるころでしょ?」

 はい、と理事長が取り出した物に優姫と零が瞬時動きを止める。それは美夜にとって驚く物ではないので、茶碗の最後の一口を嚥下しながら箸を置いた。
 零はそれ――血液錠剤を仕舞いながら、上手く反応出来ていない優姫に声を掛ける。

「……戸惑うなよ、優姫。これからはこれが普通になるんだ」
「うん……」

 零こそ、戸惑ってるよ。
 つい最近まで人間として生活していた零にとって、血液錠剤のある生活は違和感の塊だろう。
 彼が吸血鬼を憎むべき対象としていることもあり、それは忌々しいものでもあるはずだ。

「何暗くなってんのさ!ご飯と一緒だよ、ねえ美夜ちゃん」

 血液錠剤って美味しくないんだよね、と思っていた美夜は突然話を振られ乾いた笑みを零した。

「まあ、私はそうですけど」

 零はそう簡単に割り切れる事ではない。それをわざわざ指摘する理事長は、やはり零を怒らせることが得意らしい。単に怖いもの知らずなのか、それとも零の事を理解しているという自信からなのか。
 零が箸を握り折って、黒いモノを背負ったまま理事長に詰め寄る背中を見ながら、美夜はご馳走様と手を合わせた。




 夕食後、寮に戻った美夜は重い瞼を押し上げて睡魔と戦っていた。まだ眠る訳にはいかないのだ。
 テーブルには昨夜作ったケーキが入ったやや大きな紙袋が二つ。

「そろそろかな……」

 今夜は月の寮の裏庭で拓麻の誕生日パーティーがある。風紀委員としてではなく招待された一友人として行くことになっているので、当然私服で参加するのだが、私服で月の寮へ赴くのは見つかると面倒だからと夜間部生が迎えに来てくれることになっている。
 すっかり乾いた結っている髪を指で梳いていると、カーテンを開けた窓に影が差した。

「あ」

 にこりと笑って窓を開けると、制服とは違うカジュアルゴシックファッションの莉磨が部屋に入って来た。ちなみにここは三階なのだが、吸血鬼は軽々と跳んでくる。

「行ける……?」
「うん。あ、これケーキ作ったから持って行きたいんだけど」
「分かった」

 莉磨は頷いて、窓の下へ向いて何やら手招きをした。するとすぐに、今度は千里が窓から入って来た。

「私荷物持って行くから」
「りょーかい」

 相変わらず眠そうな千里は莉磨の言葉を了承し、こちらへ手を差し伸べて来た。美夜は行動の意味が分からずにその手を見つめる。

「えっと……?」
「吸血鬼的な移動するから……じゃないと、オレの来た意味が」

 美夜に合わせるように、こてりと首を傾ける千里に言われて、なるほどと納得する。向けられた手を取ると、軽く引かれて素早く横抱きにされた。
 脇に抱えられるか、肩に担がれるかと思ったのに。
 人一人を涼しい顔で抱える彼を、比較的華奢に見えるのにと驚くべきか、流石吸血鬼だと感心するべきか。

「お、重いよ?」
「全然?」

 男の人とこんなに密着することはそうそう無い――以前枢に抱えられた時は意識朦朧だったし――ので、恐いような恥ずかしいような、落ち着かない心境でいると至近距離から楽し気な声が降ってきた。

「……ま、ちゃんと掴まってて」
「よろしくお願いします」

 覚悟を決めて首に腕を回すと、先に飛び降りた莉磨に続いて千里も窓から身を出した。そして千里の言葉通り、屋根を主に使った移動によって月の寮へはあっと言う間に到着する。
 裏庭には多くの夜間部生が集まっており、美夜は好奇の視線を向けられることとなった。

「美夜ちゃん!いらっしゃい」
「お邪魔します。誕生日おめでとう」

 輝くような笑顔を浮かべてワイングラスを持つ拓麻の近くで降ろされ、美夜は千里と莉磨に礼を言う。
 吸血鬼の夜会に吸血鬼の姫抱っこで登場した人間だということで刺すような視線も感じたが、美夜が枢達と親しいことと<レベル:U>の体質もあり、あからさまな敵意は向けられない。

「一条さん、これ。美夜から」

 莉磨が袋を拓麻に渡す。拓麻の後ろには大きな生クリームのケーキがあり、美夜は被らなかったことに密かに安堵した。

「聖ショコラトル・デーの埋め合わせなの。約束だったし」
「わあ、ありがとう!」

 正直、良い物を食べ慣れているここの皆さんの口に合うか分からないけど。そう不安に思っている間に、拓麻と千里が袋から取り出していた。

「苺のタルトと、甘さ控えめのチーズケーキなんだけど……」
「すごいや!美夜ちゃんって料理上手なんだね」
「……頂きます」

 両方とも既に切り分けられており、千里は傍にあった皿にチーズケーキを取って、美味しいと呟きながら食べてくれた。莉磨や拓麻も手を伸ばしてくれる。
 すると、遠巻きに見ていた今まであまり関わりの無かった夜間部生までもが歩み寄ってくる。ケーキが大量にある訳では無いので、数人で分けて食べる者もいた。
 半ば呆気にとられてその様子を眺めていると、瑠佳が苺のタルトを取りながら耳打ちした。

「美夜のこと気にしてる子達って多いのよ」
「え、そうなの?」
「人間臭くないって、皆言ってるわ」

 枢から一部の夜間部生には美夜が<レベル:U>であると伝えてあるので、瑠佳は「流石ね」と微笑んで美夜の腕を引く。その微笑みが嫌味ったらしい物でなく綺麗だったので、美夜は思わず見惚れてしまった。

「何か飲む?」
「うん、水かジュースみたいなので良いんだけど」

 頷くと同時、横からすいと出てきたグラスにびくりとその人を見る。柔らかい笑みを浮かべた男子生徒が、グラスを手に立っていた。

「タルト、美味しかったよ。良ければどうぞ?レモンティだよ」
「あ、ありがとうございます」

 小さく頭を下げて両手で受け取ると、彼はひらりと手を振って友人達の輪に戻って行った。美夜はちょっとした感動を覚えながら、受け取ったグラスに口を付ける。

「ね、言ったでしょう?」
「びっくりした……」
「あら本当、美味しいわ」

 隣で瑠佳がタルトを食べてそう呟く。美夜はありがとうと笑い、いつも見るいくつかの人影が無いことに気が付いた。
 枢さんと英さんと暁さんがいない。
 拓麻さんの誕生日なのに、と不思議に思いつつも大した疑問でもないのですぐに意識は逸れる。
 吸血鬼達の夜会とあって、皆整った容姿を持っており立ち居振る舞いも上品だ。夜の彼らは吸血鬼の"本来の姿"であるからか、この裏庭の雰囲気は独特で人間のものとはどこか違うように感じる。ただの人間なら居心地が悪く感じそうだが、生憎美夜は吸血鬼にも近い存在であるのであまり違和感は無い。

「……ねえ、美夜」

 グラスを揺らしてカロカロと氷の音を楽しんでいると、莉磨と千里が歩み寄ってきた。知らない人が多い中で、ある程度親しい者が近くに居てくれることは心強い。

「なんでいっつもそんな髪型なの?」
「なんでって……楽だから?」

 怪訝そうに問うてきた莉磨に、小首をかしげて、ついでに疑問符を付けて返す。普段の髪型に特にこだわりはないし、下ろしているのが邪魔なのは事実。
 莉磨は大きな溜め息をついて、ずいっと美夜に詰め寄った。

「ダメ。そんなの。もっと生かしなさいよ」
「え、だって……朝そんなに時間もないし」

 そういえば、莉磨さんと千里さんってモデルなんだっけ。
 モデルとして美夜の無頓着さが許せないのだろうか。しかし美夜も身なりには気を使う方で、普段凝った髪型はしないとは言え乱れているわけではないのだが。

「さらさらだもんね……莉磨と同じ髪型にしたら?長いんだし」

 背中に流れた髪に指を通しながら千里が呟いた。

「私、ツインテール自分で出来ないと思う」

 今までツインテールなどという髪型を自分でした事が無い。手先は器用な方であると思うが、髪を左右対称に結い上げるのは難しそうだと勝手に思っている。
 それに似合うと思えないよ、と苦笑すると、莉磨はどこからともなく櫛を取り出した。
 単に彼女が人の髪をいじるのが好きなのか、本当に美夜の髪型を変えたいと思っていたのかは謎であるが、美夜は抵抗する暇も無く髪をいじられていた。





『僕らがこんなことしている理由?知りたいなら今日の真夜中、月の寮の裏庭においで』

 街で偶然出会った拓麻にそう言われた優姫は、零と共に月の寮の敷地へと足を踏み入れていた。理事長や美夜には心配を掛けたくないので、何も知らせないままだ。
 風紀委員として昼間のことを聞きに行くので、当然二人とも制服。今日は一度私服に着換えている事もあり、零はベストを着用せずにラフな格好だが。
 神妙な面持ちで進む優姫と零を、英と暁が前後で挟んでいる。今夜は月の寮の裏庭に夜間部のほぼ全員が集まっているらしく、二人は優姫たちが絡まれないようにと拓麻から寄越されたのだ。
 居心地の悪い沈黙の中歩き始めて数分、裏庭へ到着する。足を踏み入れた途端に向けられる敵意に、怯みそうになる自分を叱咤した。
 耳に入った周りの夜間部生の言葉によれば英と暁は"枢様の懐刀"らしく、そのお陰で絡まれはしなかった。
 裏庭に集まった誰もが、制服の時とは雰囲気が違っていた。ただ英はあまり変わらないなあと横目でさりげなく窺ってみる。

「……一条副寮長、二人を連れて来たぜ」

 暁が大きなケーキの前に立つ拓麻に声を掛けると、拓麻が輝く笑顔でこちらを見た。彼の周りの雰囲気が理事長と近く感じてしまうのは気のせいではないと思う。

「ようこそ、二人とも!今日は僕の誕生日パーティーなんだ、楽しんでいってよ!」

 周囲の夜間部生が向けてくるものとは正反対のそれに優姫は思わずたじろぎ、零が隣でため息を吐く。制服の時と変わらない英と違い、彼は吸血鬼っぽく無い。
 どう返答すれば良いのかと優姫が思考を働かせていると、左側の夜間部生の集団の中から一人の女子生徒が駆けて来た。

「優姫、零。二人も呼ばれてたの?」

 ツインテールを揺らしながら駆けて来たので一瞬莉磨かと思ったが、彼女にしては髪が長いし量が多くふわふわしているように見える。そもそも、莉磨が自分達の名を呼ぶこと自体がまず無い。

「え、美夜?!」

 目の前で首を傾げてこちらを見るのは紛れもなく美夜で、思いも寄らない人物の登場に声を上げる。零から不機嫌を表すオーラが漂ってきているのは、気のせいだと思いたい。

「っていうか可愛い!ウサギみたい」
「ありがとう。さっき莉磨さんがしてくれたの」

 そこで優姫ははたと納得した。美夜は自分や零と違って夜間部と仲が良く、そしてこの夜会は拓麻の誕生日パーティーなのだ。招待されていたとしても全くおかしな話ではない。

「っお前、何でこんな所に……」
「私、元々呼ばれてたから」
「……そうだとしても、吸血鬼の中に一人でいるなんて」

 ギロリと睨む零に美夜が体を小さくする。
 確かに彼の言う通り無防備に首元を晒している美夜は危険だが、先程の美夜の言葉からすると優姫たちの見知った夜間部生が傍に居てくれていたようなので、何かあることも無いだろう。

「何で二人制服なの?」
「あ、そうだった!」

 美夜に指摘され、本来の目的を思い出す。優姫は今日の街での出来事を聞きに来たのであって、誕生日を祝いに来た訳ではないのだ。
 忘れるなよ、と言う呆れた零の声は聞き流して拓麻に向き直った。

「風紀委員として、昼間の事を聞きに来たんです」
「昼間?」
「……街で、血に狂った吸血鬼をセンパイが殺しに来てたの」

 拓麻を見たまま美夜に答えると、美夜が驚いて声を上げる。街に吸血鬼がいたことに驚いたと言うよりは、それに遭遇したと聞いて驚いたようだった。
 美夜はハンター協会からの連絡で、街に吸血鬼がいるって知ってたんだっけ。
 本当に大丈夫だったのかと心配してくれる美夜に微笑むと、テーブルに凭れた拓麻が口を開く。

「いいよ、何でも聞いて。ここにいる皆が知ってることだから」

 皆が知っているという発言に驚きつつも、拓麻の言葉に甘えて疑問を口にする。

「……街中をあんな危ない吸血鬼がうろつくなんてありえませんよね。それに一条センパイ方は、わざわざ彼を殺しに来たんですよね……?」

 確認までに言うと、私もその辺りは知らない、と隣で美夜が呟いた。美夜は自分のことである<レベル:U>については詳しいが、だからといって吸血鬼やハンターについて深く知っている訳ではないといつか言っていた。

「あの吸血鬼は何なんですか……?」
「あれは"元人間"の吸血鬼だ、汚らわしい」

 返事をしたのは拓麻では無く、後ろで腕を組んで立っていた英だった。吐き捨てるようなその言い方に思わず振り向き、拓麻も英の名を呼んで彼を嗜めた。
 同じ吸血鬼なのに、汚らわしいなんて。
 そんな言い方はないだろうと眉を寄せていると、美夜が無表情で視線を地面に落としていることに気が付く。声を掛けようにも掛けられず、零のことを思っているのかと優姫は自己完結した。

「……吸血鬼の社会は、頂点の数人の<純血種>と一握りの<貴族階級>によって支配されてるんだ」

 拓麻はピラミッド型になっている吸血鬼社会の上下関係について分かりやすく説明してくれた。
 ピラミッドの頂点が<レベル:Aー純血種>、次に<レベル:B−貴族階級>、そして<レベル:Cー一般>、ピラミッドの底辺に<レベル:D−元人間>となっているらしい。夜間部生は<貴族階級>以上であり、<元人間>に関してはあまり大事にされていないとも彼は言った。
 優姫は美夜のような者が<レベル:U>という仮称を付けられている事にも合点する。

「僕が殺したあの吸血鬼は、そのピラミッドからも外れてしまった存在――――<レベル:E>」

 拓麻の声音がより重いものになったので、優姫はその名称を復唱した。話を聞き漏らすことの無いようにと整理しながら頭に入れていると、暁が話を引き継いだ。

「正確には<LEVEL:END>……そのくらいまでなら、錐生が知ってるんじゃないのか?ハンターの家の生まれだぞ」

 寝耳に水とはこのことなのだろうか、思ってもみなかった事実に視線だけで零を窺う。美夜は相変わらず視線を落としたままだった。

「……<元人間>は、遅かれ早かれ必ずその<レベル:E>に堕ちるんだ。徐々に理性を蝕まれ"END"――――限界・破滅に行きつく」

 前を向いたまま淡々と述べる零に拓麻が頷いた。

「そして際限無く血に飢え、手当り次第に人を襲うようになる。だからこそ"元人間"の吸血鬼は<貴族階級>以上によって管理されるものなんだ」

 昼に優姫を襲ったような状態になってしまうなら、"管理"という言い方をされるのも分かる。だけど稀にアクシデントもあってね、と拓麻は軽く目を伏せて付け足した。

「狂った吸血鬼が<貴族>の支配下から逃げ出し、人間社会に迷い込むことも……」

 拓麻がふと自分の後ろへ視線をやった。その方向には月の寮のテラスがあり、寮内から直接この裏庭に出られるようになっている。数段の階段のあるテラスは地面よりやや高く、そして中央にはカウチが置かれていた。

「……今日この街に<レベル:E>の吸血鬼が迷い込むという報告があったんだよ」

 落ち着いていても良く通るテノールに、優姫はどきりと反応する。星煉を後ろに従えラフな格好でテラスに現れた枢は、壁に左の肩を凭れさせてこちらを見下ろしていた。

「一条と支葵には、それを狩りに行ってもらったんだ……僕の命令でね」

 枢の登場に夜間部がざわめき始める。彼が夜会に顔を出す事は珍しいようで、あちこちからそう言うような声が聞こえていた。

「近くに"影"も来ていたらしいけれど……」
「……"影"?」

 美夜が首を傾げてこちらと枢を交互に見る。優姫は首を傾げ返し、零と枢に視線を送る。学園に帰ったら零に教えてもらうつもりだったのだがタイミングを完全に逃してしまい、結局聞けず終いだったのだ。

「……とても有名なハンターだよ。素性が伏せられていて……"影"というのは、使っている対吸血鬼武器にちなんだ通り名なんだ」

 有名なのは分かる。零が"影"だと言った途端、拓麻と千里の表情が硬くなったのだから。美夜は相槌を打っていたが、優姫はどうして拓麻と千里がその様な反応になったのかが分からない。
 眉間の皺が取れない優姫の疑問を察してくれたのか、拓麻が続ける。零も知っているようだが、彼は枢がいるとただでさえ少ない口数がさらに減ってしまう。

「[天守月影(あまのかみつきかげ)]っていう刀なんだけど……それ自体に対吸血鬼武器の気配が無く、使用者の気配もほぼ完全に消すことが出来るんだ」
「すごい……」
「[影]や[月影]と言って刀を指すこともあるんだけど……"影"はとても強いらしくてね。単独で密集区駆除を専門に行うハンターなんだ」

 密集区ということは、昼間のような危険な吸血鬼が集まってるのか。
 確かに零は昼間、複数体の吸血鬼が暴れていると言っていた。それの相手をたった一人でしていたということになる。危険な吸血鬼が集まっている事ももちろん恐ろしいが、一人で戦う"影"も十分恐ろしい。

「噂程度なんだけどね、任務中の"影"はとても気が立っているから、敵視される危険があるんだよ」
「そういうことだったんですね……」

 ようやく疑問が解消され、モヤモヤしていたものがストンと落ちる。多くの情報を溢れさせないようにと仕舞っていると、壁に凭れていた枢が動き出した。

「こっちへおいで……三人とも」

 思わず美夜と顔を見合わせ、行くべきかな、行くべきでしょう、と視線で会話する。
 枢はカウチに腰を下ろし、優姫は三人でテラスへと向かった。必然的に夜間部生の中を歩いて行くことになるので、冷たい視線が浴びせられると覚悟した。
 だが、そうはならなかった。優姫の半歩前を美夜が、後ろを零が歩き、美夜は夜間部生と軽い言葉を交わしながら進んでいたのだ。
 今まで関わりの無かった生徒もいたはずで、そんな人と話すのは彼女にとって苦痛のはずだ。自分達のいない間に打ち解けたのか、それとも、気を使ってくれているのだろうか。
 大事にされてるなあ、私。
 ふわふわと揺れるツインテールに緊張を解されながら枢の座るカウチの傍に到着した。

「風紀委員のくせに、一条に言われるままこんな危ないところに来るなんて……美夜、優姫?」

 溜め息混じりの言葉に、先に反論したのは美夜だった。苦笑を零しつつ、いつもの明るい口調で言う。

「私は大丈夫ですし……友達の誕生日会に招待されたら、やっぱり行かないと」
「クス……美夜らしいね」

 枢相手に調子を崩さずに話せる普通科生は、美夜くらいなのではと優姫は思う。自分も親しいほうではあるが、色々な感情が邪魔をして動悸が起こるし、どうしても挙動不審になる。

「……私は、直接確かめたくて」

 美夜を見習って、何とか自分を落ち着ける。枢は、直接ね、と呟いてカウチの空いている部分を手で軽く叩いた。

「……優姫、隣に座って」

 はい?
 いまいち意味が飲み込めず、だが顔に熱が集まり始める。思わず美夜を見れば微笑んでいるし、零には顔を逸らされ、枢にもう一度名を呼ばれてしまった。

「優姫」

 有無を言わせない声音に、優姫は抵抗することを止めてちょこんとカウチに腰掛けた。するとすぐに肩に手が回り、ぐいと枢に抱き寄せられる。涼しい顔で頬杖を付いて前を見たままの枢は、一体何を考えているのか。

「……僕の隣が一番安全だよ」

 それに反論できる要素を優姫は持ち合わせていないが、夜間部生からは結局冷たい視線を浴びせられることになってしまった。

「枢……センパイ……」
「悪かったね。まさか、"狩り"の現場に優姫が居合わせるなんて計算外だったから」

 ごく近い距離で囁かれ、収まっていたはずの心臓が煩くなり始める。枢が怪我をしている方の袖を捲り始めたので、優姫は体を硬くした。

「怪我をしてしまったの……?痛いだろうね」
「これは私の不注意で……っ」

 枢の傷一つない手が巻かれた包帯を取る。金具で引っ掛けただけなので大した怪我ではないのだが、念のためにと理事長に巻かれたのだ。

「元は人間の吸血鬼なんて、本当は生み出されてはいけないんだけど……昔、ハンターとの戦いが最悪を極めた頃、人間を戦力として同族に引き込む吸血鬼がいたんだよ……」

 枢が悲し気な声で言い、優姫もそれを想像して表情を暗くした。吸血鬼とハンターの歴史は自分が思っている以上に血生臭いものであるのだと改めて認識させられた。

「……そして今、<貴族>以上の者はその時の生き残り達を管理する義務を負っている。時には、始末を付けてやることも……」

 包帯が取られると、枢がそこの近くに指を這わせる。夜間部生からの鋭い視線と零からの不機嫌な空気、そして美夜が注意深くこちらに気を向けてくれているという異様な中で、枢が腕を自らの口元に引き寄せた。

「吸血鬼を狩るのは吸血鬼ハンターの役割ですよ」

 ずっと黙って聞いていた零が、抑揚の無い声で言った。枢は動作を瞬時止めて、目だけを零に向けて反応した。
 零の隣に立つ美夜が、表情を硬くして零とこちらを窺っている。緊張感が増したのは明らかだった。

「……じゃあ、どうして君が先に彼を殺してあげなかった?」

 枢が挑発するような口調で言う。それに零は僅かに目を剥いた。その零の反応に満足したのか、枢は再び意識をこちらへ戻してくる。腕の傷に更に枢の顔が近付き、優姫が腕を引こうとしてもびくともしない。

「センパ……っ」
「怪我の痛みを取ってあげるよ」

 軽く枢の唇が触れ、優姫は顔の熱がさらに高まるのを感じた。上級吸血鬼の能力だとは分かるのだが、口付ける必要は果たしてあるのか。
 顔を赤くして慌てていると枢に小さく笑われて、一層体が熱くなる。枢が顔を離すと、宣言通り怪我の痛みは消えており、全体的に傷が治癒したようにも見えた。
 吸血鬼の能力に内心感嘆しているのも束の間、枢が零を見据えていた。

「……もしかして、錐生くん」

 先程の話の続きとあって、枢の声音は刺々しい。優姫は、今度はまた違う意味で鼓動が早鐘を打ち始めるのを感じていた。枢と零の視線が合い、零の眉間に皺が寄る。

「"彼"に同情した?」

 ――ほんの、一瞬だった。
 零が懐に手を入れて[血薔薇の銃]をホルスターから取り出し枢に向けるのと、控えていた星煉が零の首元に爪を突きつけるのが。
 迷いなく枢に銃口を向ける零の首筋に、星煉によって一筋の血が流れる。
 静かに様子を見守っていた夜間部が各々武器を取り出して殺気立つ。突然の事態に優姫は目を見開き、どうすることも出来ずに硬直してしまった。

「……星煉、いい」

 重苦しい沈黙を破ったのは枢で、その言葉に星煉は零の血が付いた手を払って表情一つ変えずに控えていた場所へと戻る。
 だが零は銃口を逸らさない。このままでは危険だと優姫は回らない頭で判断し、小声で彼の名を呼んだ。零はちらりと視線を合わせ、眉間の皺を深くしてようやく銃を下ろした。
 夜間部生も枢の雰囲気で察したのか武器を構えるのを止めるが仕舞いはせず、どこかざわついている。
 美夜が真っ先に出てきそうなものなのに。
 優姫は零が銃を仕舞ったことに安堵しながらも、この状況に動いていないもう一人を気に掛けるが、美夜も女の子な訳でこんな殺気立った状況では動きにくいのだろう。
 そんな考えは、枢の一言によって覆された。

「美夜も、落ち着いてもらえるかな」

 枢の宥めるような声に美夜を見ると、微笑んではいるが、今までに見たことも無いくらい冷え切った目で彼女はこちらを見つめていた。
- 15 -

prev愛しき君に幸あれnext
ALICE+