15


 まさか枢が、これ程分かりやすく零を挑発するとは思わなかった。だからこそ銃を取り出す零の動きに気付くのが遅れてしまった。

「美夜も、落ち着いてもらえるかな」

 優姫とカウチに腰掛ける枢に言われ、ほんの少しだけ口の端を上げて表情だけでも微笑んでみる。枢に敵意を向けるつもりは無いけれど、少々腹が立ちもする。

「……落ち着きたいのは、山々なんですけど」

 夜間部生がざわめき、優姫と零からは疑問の視線を向けられる。美夜がじっと枢を見つめていると、彼は観念したように溜め息交じりに言った。

「……悪かったよ」

 欲を言えば零に向かって言って欲しいのだが、届いた言葉に美夜は心を鎮める。すると落ち着きの無かった夜間部生が息を吐くのが分かった。

「……どうした?」

 隣に戻ってきた未だ表情の険しい零に問われ、苦笑を零す。優姫もおろおろとこちらを見つめていたので、美夜は小声で説明した。

「<レベル:U>の因子は吸血鬼の始祖に近いから、私の心情によって因子が興奮すると、吸血鬼は私を主だと錯覚したり、影響されたりするの」

 言いながら、零の制服の袖をそっと掴む。彼の気持ちも分かるが、すぐに銃を出していては本当に身が危なくなる。

「……僕でも、跪きそうになったよ」

 おかしそうに笑う枢に笑みを返し、そんな事になると私の学園生活が終わりそうですよ、と冗談ぽく言った。
 このやり取りが聞こえていない夜間部生は不思議そうにこちらを見つめていたが、枢がいるからかあえて問いかけてはこなかった。
 話が終わったと判断したのか、最初に聞こえて来たのは英の苛立った声だった。

「枢様に平気で銃口を向けるなんて……錐生、この場で八つ裂きにしても足りない」
「こら、本当にしちゃ駄目だよ」

 すぐに拓麻が注意してくれたので、美夜はそのまま英の言葉の続きを待つ。

「しないさ、今は。黒主理事長の"平和主義"を僕は否定したくない」

 理事長の掲げる"吸血鬼と人間の共存"は、そう簡単なことではない。夜間部生は少なからずそれに賛同しており、だが黒主学園に集まった決定的な理由ではない。

「だが忘れるな。純血の吸血鬼……枢様がいるからこそ、僕らはこの学園に集ったんだ」

 自分達の主へ銃口を向けた零に対する牽制。枢に何かあれば夜間部は廃止になるという遠回しな宣言。
 美夜は枢が<純血種>であることに僅かに表情を動かして、一応驚いた風に枢を見る。優姫は本当に驚いているようだけれど。

「優姫……僕が恐い?」

 枢が問うと優姫は否定はせずに、少しだけです、と躊躇いがちに返答する。優姫は正直だなあ、と感心していると枢がこちらを向いた。

「美夜は?……聞くまでもなさそうだけれど」

 恐いよ、とっても。内心そう呟いて、苦笑を浮かべた。

「大事な、お友達です」
「変わってるよね、美夜は」

 張り詰めていた空気が和らぐと、見計らったかのように乾いた音が裏庭に響いた。音の方へ顔を向けると、拓麻が手を叩いて重い空気を取り払っていた。

「皆さん忘れちゃヤですよ!今日は僕の誕生日パーティーなんだから。ちゃんと祝ってくれなきゃ」

 美夜ちゃんも優姫ちゃんも錐生くんも大事なお客様なんだから、と明るく言ってのける彼に小さく笑う。流石、副寮長と言うべきか。
 その拓麻の一言で夜間部生は武器を仕舞い、元の夜会の雰囲気へとすぐに移行した。
 美夜は拓麻たちの所へ戻らなかった。テラスでカウチから少し離れ、柱に背を預ける零の隣に立つ。視線を感じて庭の方を見ると、瑠佳と目が合う。小首を傾げた瑠佳に美夜は微笑んで返した。
 今テラスから離れることは避けたかった――正確には零と枢を残すことを、だ。優姫と星煉はいるが、だからと言って安心は出来ない。美夜の考えを察してくれたらしく、瑠佳は苦笑して夜間部生の輪に戻っていく。

「大丈夫?零」
「……何が」

 隣を見上げると、零の顔色は予想以上に優れていなかった。

「ここの空気は、合わないと思うから……優姫も」
「ああ……」

 美夜は問題無く過ごせるのだが二人は恐らくそうではない。零は溜め息を吐いて眉間の皺を深くし、床を睨んでいた。

「先に戻ってても良いよ?私が優姫に付いてるから」

 覗き込んで言うと、鋭い視線を向けられる。怒っている訳ではなく、気分が悪いゆえに気が回らなくなっているのが分かった。
 大丈夫じゃないよね。
 耳に届く楽し気な会話や笑い声すら、彼にとっては一種の毒素。美夜が促すように微笑み掛けると、零は複雑な表情を浮かべる。

「……っ」

 突然そっぽを向いた零に、微かな違和感を覚えて顔をしかめた。彼の顔色の悪さは、この場の空気が合わないからだと思い込んでいたが、それだけではないかもしれないという漠然とした考えが浮かぶ。
 まさか、"血"なのだろうか。そんな予感が頭をよぎる。血液錠剤を切らしている事はないはずだが、<元人間>には血液錠剤を"受け付けない"体質の者がいることも確かなのだ。零がそうである可能性も多いにある。
 そこまで考えていなかった。自分の甘さを後悔していると零が急に動き出した。

「零?」

 まっすぐに裏庭を出て行く零を追おうとすると、あの大きなケーキの傍に立つ拓麻の手が、赤いことに気付く。千里がそれを舐めている所を見ると、ケーキを切ろうとして拓麻の手を切ったらしい。学内での吸血行為は禁止だが、この場合はセーフなのだろう。
 零が血に反応したという事実に、予感が確信に変わる。

「私、もう帰ります!」

 優姫が枢にぴょこんと頭を下げてこちらを見る。それに頷いて、美夜も枢に声を掛けた。

「じゃあ、私も。失礼します」
「ああ、お休み」

 先に出てしまった零を優姫が追い、美夜はその二人を追う。軽やかにテラスを降りる優姫に続き、裏庭を出る前に拓麻の所に駆け寄った。

「拓麻さん、先に失礼させてもらうね。今夜はありがとう」
「こちらこそ、ケーキありがとう」

 拓麻は千里に血液錠剤を渡して、傷を治しながら微笑む。だがすぐに苦笑を零して肩をすくめた。

「嫌な所見せちゃったよね、ごめん」
「ううん、私はそういうの食事と一緒の認識だから」

 血液錠剤を水に溶かすと、水は瞬く間に赤く染まる。美味しくないとぼやきながら口を付ける千里を一瞥し、拓麻に向き直った。

「でも吸血鬼で治癒が早いからって、体を傷付けるのは反対」

 拓麻と千里は驚いたように顔を見合わせた。この様な事を言われたことは無かったのだろうか、珍しいモノを見るような目で見つめてきた。
 吸血鬼って皆こういう反応なのかな。
 以前言った時にもよく似た表情を向けられたなと思い出す。

「気を付けるよ」

 頷いた拓麻によしと笑って、一礼してから裏庭を後にした。





 夕食の片付けも済み――優姫たちも手伝ってくれた――アルバム整理の為に写真を焼き増していた理事長は、写っている可愛い義娘にだらしなく頬を緩めていた。

「……随分硬い顔して写ってんな。反抗期か?」

 理事長室にいるもう一人の人物が、入学式の時の写真を持って言った。室内でくらいテンガロンハットを取ればいいと思うが、言っても聞いてはくれないので黙っている。

「錐生くんはそんなに子供じゃないよ」

 笑顔の優姫に引っ張られるような形で写真に収まる零は、眉間に深い皺を刻んでいた。
 一言では形容し難いファッションの男は、何を思っているのか煙草を咥えたままじっと写真を見つめている。横目でそれを確認して、そんなにそれが気になるならと言ってみた。

「欲しいならあげる」
「零をか」
「いや写真」

 理事長は高等部に入学してからも沢山の写真を撮っている。行事等ではなく何気なく撮った物がほとんどで、日記を見ているような気分になっていた。

「隣が僕のゆっきーで、しっかりした子でね。その日もあの子にどつかれながら初登校したんだよ」
「何、初?!」

 あいつダブったのか、と詰め寄りつつ苦々しい表情で問う彼に理事長は頷いた。

「でもダブったのは中等部。浮いてるなりに上手くやってるよ、彼は」

 男は一度舌打ちをして写真をデスクに置く。煙草の煙を一度吐き、デスクに広げられた写真を見た。
 理事長がニヤニヤしたまま写真をまとめていると、おもむろに彼が一枚の写真を抜き取った。

「誰だ?こいつ」

 覗き込んで見ると写っていたのは零と美夜。これは確か先週に撮ったもので――夜の見回りの後――零と美夜が並んで飲み物を飲んでいる。先程の写真とは違い、零の表情は――微妙に――柔らかい。
 この後物凄い睨まれたんだよなあ。
 驚いたのは、美夜が写真に写ることがあまり好きでないらしく、撮られたことに若干余裕を無くしていたことだ。

「晃咲美夜ちゃんだよ。風紀委員なんだ」
「ってことは、吸血鬼のこと……?」
「うん。<レベル:U>でね」

 写真を見ていた彼の表情が固まる。あの天然記念物か、と呟いて頭をかいた。

「生きてる<レベル:U>は初めて見るな……六百年振りか?ハンター協会が面倒見てるって噂は本当だったか」
「とても良い子だよ。……錐生くんと同じくらい、危なっかしいけどねー」

 家族を殺されただけでも十分衝撃だっただろうが、美夜の場合は襲われた原因に自分が関わっているという不幸がある。それが要因なのか、美夜はどことなく危なっかしい。
 そしてその危うさは、零と近い部分がある。ただ美夜の抱えている物が零より不明な分、心配だ。

「仲良いんだな。てっきり、お前の義娘くらいにしか気を許してないかと思ったが」
「放って置けないらしいよ、美夜ちゃんのこと」

 男は、零のくせに、とよく分からない事を言って写真をデスクに置いた。ふう、と煙草の煙を吐いて、ついさっきまでとは違った鋭い声を発した。

「今日……<レベル:E>が街に忍び込んだ」
「"お仕事"したの?」

 写真を整理する手を止めて、彼の背中に背負われている細長いケースを見る。それには彼の仕事道具である銃が収められている。
 ――吸血鬼ハンターの使う、対吸血鬼用の弾丸の込められた銃が。

「先にヤツを"灰"にされたよ」

 不機嫌を顕に言う彼は、行き場の無い苛立ちをぶつけるように刺々しい口調だった。だが理事長はそれに動じず、へえ、と相槌を打つだけ。彼が遠回しに何が言いたいのかを分かっているからだ。

「どうせ、ここの夜間部が横取りしたんだろ。この近隣で動ける<貴族階級>は奴らくらいだ」

 凄む彼をものともせず、理事長は笑ってみせた。外出禁止の校則があるからね、と理事長らしいことを言ってみるも、内心では枢から指示があったのだろうという予測がある。
 あくまでも白を切る理事長に男は大きな溜め息を吐いていた。ガリ、と頭をかいて吸っていた煙草を灰皿に押し付ける。普段はない灰皿は、彼が来たことで理事長が持ってきていたものだ。

「あいつかも知れないがな……」
「あいつ?」
「"影"が仕事をしていた跡があった」

 理事長はピクリと眉を反応させた。"影"に会った事は無いが、理事長も元ハンターなので現役のハンターについて知っていることもある。
 中でも数年前に活動を始めたらしい"影"は有名で、密集区駆除を単独で行うことは知っていた。
 密集区自体そうあるものでもないが、密集区を形成している吸血鬼は<レベル:E>に堕ちたばかりの者や<一般>等、知恵の回る者がいることが多く――完全に"獣"になってしまえば密集区の形成が不可能である――単独で駆除するという芸当は"影"を含め、ほんの一部のハンターにしか出来ない。

「廃墟に灰の山が五つ……ったく、化け物かあいつは」
「すごいよねぇ……会ってみたいよ」
「吸血鬼を狩るのは吸血鬼ハンターの仕事だ。仕事が取られたことは胸糞悪ぃが……"影"だったとしたら、仕方ねぇな」

 夜間部だったら論外だ、と男は言って懐から新しい煙草を取り出して咥える。踵を返す彼に、理事長ははっとして声を掛けた。

「っていうかキミ、何でここに寄ったのさ」

 唐突に学園にやって来て適当に話して出て行こうとする彼は、ドアへ歩きながら煙草に火をつけた。

「四年振りに、零に会いに来たんだよ。アイツとの熱い誓いがあるからな」

 そう言って、彼は振り向かずに靴音をさせて部屋を出て行った。理事長は窓を開けて残された煙草の煙を換気しつつ、誓いね、と先程彼が言っていた言葉を復唱する。

「昔と同じように仲良くしてあげてよ……」

 彼の出て行ったドアを見つめて呟き、何事も無いことを願いながら写真を手に取った。





 夜会を後にした美夜は、駆け足で零と優姫を探していた。すぐに追ったはずなのに、裏庭を出ても視界に入らないのだ。

「どこなの……っ」

 このままでは前と同じだと美夜は焦りながら周囲を見回す。しかし人の気配はなく、また夜なので見通しも悪い。
 月の寮の敷地は広く、寮から離れてもしばらくは森のような木々が続く。走っていることと焦りから息を切らして、表情を険しいものに変えていく。
 開けたところに出ると、美夜は脱ぎ捨てられた黒い上着を視界に入れた。そして転がされたピルケース。
 やはり零は血に飢えているのだと唇をかみ締める。しかし、こんな所に落ちている意味が分からずに首をかしげた。それらに走り寄り拾い上げようと屈んだ時、派手な水音が耳に届いた。反射的に顔を上げて、音の方へと顔を向ける。

「零、優姫?!」

 すぐ傍にはプールがあった。大きな漣を立てているのを確認して、上着とピルケースを置いてプールに向かった。
 月明かりに照らされたプールに、血の赤が混ざっていない事に安堵した。僅かに緊張を解きつつ、二人が上がってくるであろうプールサイドへ駆ける。

「っ?!」

 だが、向かうプールサイドに立つ男がいた。裾が擦り切れたロングコートと紫煙を風に靡かせ、テンガロンハットのせいで表情は分からない。
 どういう訳か彼は手に銃を持ち、二人が上がってくるであろう水面に銃口を向けていたのだ。
 あの人は、確か。
 美夜は自分の記憶に彼と思しき人物が居ることを確認し、瞬時緩んでいた表情を元より険しく歪めた。彼のしようとしていることが容易に予測出来、美夜は足に力を込める。
 彼は美夜に気付いているようだが、銃を退かそうとはしない。ただの女子生徒である美夜がどうにも出来ないと思っているのだろうが、美夜は黙って見ている事も銃に怯む事も無かった。
 ――美夜と彼の間は五メートル。プールに落ちた二人が水面に顔を出すまで時間は無い。

「やめなさい!」

 水面に顔を出した二人が息を吸い込むのとほぼ同時、声を発して銃を持っている右腕に飛びついた。

「チッ」

 男が舌打ちをし、美夜は腕を身体で抱えるようにして銃口を逸らす。地面に向けられた銃口から目を離さずに叫んだ。

「零、優姫!早く上がって!」

 零と優姫の驚く声と水音を聞きながら、腕を放さずに男を見上げる。右目に眼帯をした男は、容赦なく美夜を睨みつけてきた。美夜は負けじとそれに返し、抱える腕に力を込める。
 二人がプールサイドに無事上がった気配を確認できてから、美夜は彼の腕を解放した。
 零を撃とうとするなんて、たとえ彼に零を殺すつもりが無かったとしても許せることではない。美夜は男から離れて優姫と零を庇うように立った。零の目に血色はなく、プールに落ちたことで飢えが逸らされたのかとほっとした。

「美夜、その人は……?」
「分かんない。でも零を狙ってたから」

 彼の銃を見たのか、優姫の声も刺々しい。美夜は返答しながら、じっと彼の動きを待つ。

「夜刈十牙。吸血鬼ハンターとしての零の昔の師匠サマ」

 男――夜刈は面倒くさそうにそう言いながら、銃を持っていないほうの手で頭をかいた。美夜はまさか自己紹介されると思っていなかったので、少々拍子抜けしながら、だが敵意はそのままに口を開く。

「……初めまして、夜刈さん。晃咲美夜です」

 今度は夜刈が驚いたようにこちらを見た。ふん、と鼻で笑ってから銃を肩に乗せる。

「お前が零と仲良しの天然記念物か……で、そっちが隠居ボケの義娘だな」

 "天然記念物"と称されたことは初めてだったが、理事長から<レベル:U>の事を聞いたのだろうとあまり疑問には思わなかった。どちらかというと「零と仲良し」に引っかかったのだが、この際置いておく。

「まさか、かわいい教え子を始末することになろうとはな……」

 こちらを見ていた夜刈の視線がずれ、美夜のやや上に移動する。そして肩に乗せていた銃を再び構えた。振り向かなくとも、それが零に向けられていることなど明白だ。
 夜刈は真っ直ぐに銃を構え、強く言う。

「零……血に飢えていても、覚悟する理性は残っているか?」
「……」

 背後の零が動く気配は無い。
 どうして何も言わないの、零。
 美夜は体の横で拳を握り、しかしすぐに力を抜いた。らしくない、と一度きつく目を閉じて夜刈と置いた距離を歩いて埋める。零の前に立ち、彼を庇う優姫が美夜を制するような声を掛けてきたが、聞き流して夜刈の構える銃に手を伸ばした。

「……天然記念物とはいえ人間だ。俺から銃を奪えるとでも?」

 零を見つめたまま言う挑戦的な言葉に、美夜は微笑を浮かべた。先程枢に向けたものと同じ類のものを。
 感情的になるなんて、私らしくない。
 恐らく零の頭に向いた銃口は、美夜の身長よりも高い位置にある。美夜はその銃口を片手で掴み、奪うのではなくそれを力を込めて下げた。

「申し訳ありませんが、零は撃たせません」

 握った銃口を自分の胸まで下げ、上げられないよう両手で固定する。微かな笑みを浮かべたまま、夜刈を見上げた。零が抵抗しなくとも、美夜は零が撃たれることを見過ごす事など出来ない。

「零は死なせませんから」
「……まだ<レベル:E>に堕ちていないと?」
「はい。撃つならまず私からどうぞ」

 そう首を傾げて見せると、彼はあからさまに不愉快そうな表情を浮かべた。
 彼は美夜が<レベル:U>だと知っていて、このまま撃てば吸血鬼が負う程の負傷をしないにしても、美夜が無傷では済まないと分かっているのだ。当然美夜自身も自覚している。
 対吸血鬼用武器で傷付かない人間相手なら、彼は引き金を引いて零へ銃口を向けたかもしれないが、<レベル:U>である美夜相手にそれは出来ない。

「……いい」

 少しの間夜刈と視線を交えていると、零の短い声が背後から聞こえた。

「優姫も、美夜も……いい」

 美夜の握った銃に力が篭っていないことを感じて手の力を緩めると、夜刈は溜め息を吐いて銃を下ろした。それを確認して、美夜は零と優姫に振り返る。零は自分を庇っていた優姫の肩を押して退かせていた。
 全然、良くなんかないでしょ。
 そう思いながら零から視線を逸らし、零の反応に戸惑う優姫に歩み寄った。

「優姫、大丈夫?」
「あ、うん……」
「風邪引くよ、早く着換えないと」

 零もね、と彼を見るが俯いたままで返答しない。何か言って欲しくて視線を送り続けるも反応せず、じっと地面を見つめていた。

「あっ!こんなところにいた!」

 息を切らせて走ってきたのは理事長だった。ずぶ濡れの優姫と零、銃を持つ夜刈を見て状況を察したのか、盛大に溜め息をつく。

「そんな物騒な物仕舞って!これだから吸血鬼ハンターは嫌いなんだよ」

 夜刈に駆け寄って銃を仕舞わせ、怪我がなくて良かったけど、と苦笑した。理事長は夜刈が来ていることを知っていたらしい。
 美夜は反応の無い零から視線を外し、置き去りにされている零の上着とピルケースを拾いに移動した。ケースを上着のポケットに入れておき、無言で零の傍に戻る。

「……流石、ボケ理事長の義娘。零に喰いつかれそうになっていたくせに、俺を敵視するとはな」

 夜刈が呟くように言うのが聞こえた。優姫は優しいのだから当然だ、と美夜は彼女の行動に感心しながら、零に上着を差し出す。零は、ああ、と小さく頷いてそれを受け取ったが美夜と視線を合わせようとはしない。

「天然記念物も……まさか、躊躇い無く俺の銃口を自分に向けるとはな」
「……どうも」

 理事長が目を瞠ったのに苦笑を向け、夜刈には会釈をしておく。零に銃を向けたことは許せないが、今再びその危険は無いので敵意は収めることにした。
 夜刈をずっと睨んでいる優姫の手を握ると、彼女は震える手で美夜の手を強く握り返した。




 「ここは任せて」と言った理事長に、優姫と一緒に寮に戻るように指示された美夜は、部屋着に着替え、椅子に膝を抱えて座っていた。
 夜刈が零を殺すつもりは無いと分かっている。本気なら、初めに腕を抱えた美夜を組み伏せて撃てば良いだけの事だ。優姫に当たっても害は無いのだから。
 だが零に銃口を向けたことはまた別。そして零の反応もまた気に入らない。

「……馬鹿」

 椅子から足を下ろし、ソラを両腕で抱える。険しい表情でそうして宙を睨んでいると、ふと硬いものを叩く音がした。

「……起きてる?」

 次いで聞こえてきた控えめな声。美夜はどこかで安堵しながら椅子を立ち、ドアを開けて部屋着の優姫を迎え入れた。
 彼女も零と同じで、一人で居れば思い悩んでしまう性格だ。ルームメイトの沙頼に相談できることならば良いがこればかりはそうはいかないので、同じ状況に立つ自分のところに来るのではと思っていた。

「ごめんね、こんな時間に」
「ううん、来ると思ってたよ。今夜はここに泊まっていくでしょ?」
「ん……」

 遠慮がちな優姫をベッドに押し込んで、美夜はソラを椅子に座らせて頭を撫でてから隣に入る。優姫と向かい合わせになって、二人して小さく笑った。
 誰かとベッドに入るなんて、十年ぶりかな。
 二日ほどまともに眠っていないので、睡魔はすぐにやってきそうだった。

「ねえ、美夜」
「うん?」
「あの夜刈って人……零を"始末"するって言ってたよね?」

 優姫は震える声を隠すように、早口で続けた。

「零ね、血液錠剤を体が受け付けないみたいで。血に飢えて、心が蝕まれて、このままじゃ本当に――――」
「大丈夫だよ」

 大きな目に涙を溜めた優姫に、胸が締め付けられるような感覚を覚えた。優姫にそんな顔をさせている零に対してか、零を始末すると言った夜刈に対してか、はたまた自分に対してかも分からない感情がふつりと起こる。
 いや、悪いのは私。優姫も零も必ず守るって、決めたのに。
 早くに夜刈の来訪に気付くべきだったと後悔する。ハンター協会からの連絡で、彼が仕事で街に来ることは分かっていたのだから、弟子である零がいるこの学園に来ることも予測出来たはずだった。

「零は、ちゃんと私が守るから。優姫は自分を責めないで良いんだよ」
「でも私、何も気付かなくて……っ」
「それは私だって同じだよ」

 両手で顔を覆って泣き出してしまった優姫の頭を撫でながら、幼い子供を宥めるように美夜は極力優しい声で続ける。
 優姫が犠牲を払う必要は無い。あってはならない。優姫はただ、傷付かずに笑っていてくれれば良い。そんなに大人しくはないのだろうが、そこは自分が上手く守れば良いだけのことだ。

「……もう眠りなよ。零は大丈夫、あの人にどうこうはさせないから」

 美夜は翌日にやることを心に決めて、肩を震わせる優姫を抱き寄せて背中を撫でてやった。

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