21
今日も今日とて、黒主学園風紀委員の三人は、夜間部生目当ての普通科生を押さえ込んでいた。
夜間部生が校舎に入りきる直前は、少しでも長くその姿を目に収めようと――あわよくば写真を撮ろうと――行く手を阻む風紀委員に押し寄せてくる。美夜が優姫へ気を回す余裕が無くなりそうになる位、それは凄まじい。
「駄目ですってば……っ!」
美夜が人を押さえながらちらりと横目で零を窺うと、彼は片手をズボンのポケットに突っ込んで立っていた。不思議と零が立っている周りの普通科生は大人しいのだ。それこそ見えない境界線が引いてあるようで、それを僅かでも越えると、零から刺す様な冷たい眼差しを受ける。
丁度今も零の横から踏み出そうとした女子生徒が睨まれたようだった。その女子生徒の背中を押すような声援が聞こえたが、美夜のいる場所も相当な賑やかさなのでよくは聞こえない。
「もうちょっと……っ」
あと少しで夜間部生が全員入る、と美夜は自身を励ましつつ、踏ん張る足に力を込める。
程なくして扉が閉まり、美夜は体にかかっていた重みが途端に無くなっていくのを感じた。深く溜め息をつきながら、体勢を戻して辺りを見回す。だが、いつもハイタッチをしてくれる優姫が見当たらない。
「あれ?」
「……どうした」
視線首を捻っていると、気だるげな零が歩み寄ってきた。同じ仕事をしていたとは思えない立ち姿に、羨ましいなあ、と張っていた腕を軽く回す。
「優姫がいないの」
「ああ……さっき攫われたから」
「え」
物騒な単語に危機感を覚えたが、零の指差す先は何故か夜間部生の入った校舎だった。そしてその扉を叩く普通科生を確認して、状況を把握する。夜間部生の誰かに連れ込まれたらしい。
一体誰が、とツカツカと普通科生を掻き分けて扉に歩み寄る。零が美夜の後を着いて来ると、普通科生は自然と道を作った。
零の後を歩くべきだったな、と後悔しつつ扉に手をかけて思い切り開いた。少々派手な音がしたが気にせず、傍にいた優姫に声を掛けた。
「優姫っ。大丈夫?」
「え、ああ、うん。何とも」
優姫は気まずそうに頭をかいて苦笑した。そんな優姫の隣に立っていたのは英で、美夜は彼の仕業かと確信する。何か小言でも言おうかと思ったが、枢も近くに居たので、注意してくれるだろうと特に何も言わなかった。
「面白くない」と顔に書いたような英を見て思わず小さく笑ってしまいながらも、美夜は優姫の手を引いて軽く頭を下げる。
「じゃあ、お勉強頑張ってください」
ひらひらと手を振ったり短く返答してくれる彼らに笑んで校舎を出る。出たすぐの所には零がいて、扉が開いていたのに普通科生が雪崩れ込まなかったのは彼のお陰かと納得した。
再び扉が閉まる音を聞いて、美夜は優姫に向き直る。
「英さんに何かされなかった?」
「うん、何も。何がしたかったんだろ」
「……嫌がらせだろ」
優姫への風当たりが強くなったらどうしてくれるんだ、と美夜は心の中で毒づいた。
*
夜の黒主学園の門前に停まった馬車から、カツン、と硬い音をさせて、ドミノマスクの青年にエスコートされた少女が降りてくる。少女はフードを被っているので、その表情は窺えない。
少女は月に照らされた学園の校舎を見上げ、口の端を上げた。
風紀委員業務である夜の見回りの開始前に、美夜は理事長室を訪れていた。何でも編入生が来るらしく、学園内の案内に駆り出されたのだ。
こんな遅い時間に、と美夜は思ったが、夜間部への編入なら可笑しくはない。さらに言えばこの時期の編入にも違和感があるが、それに関しては美夜も人の事は言えない。
「ごめんねー、急に頼んじゃって」
「いえ、全然」
椅子に腰掛けて言う理事長に笑い、だが疑問があったので首を傾げた。
「でもどうして私を?」
零が指名されないのは何となく分かるが、優姫ではなく自分である事には違和感があった。一翁が訪れた時の様に優姫が補習でも受けていれば別だが、今夜は優姫も特に予定は無いはずだ。
与えられた仕事が面倒な訳ではないが、自分よりも優姫の方が、初対面の人に対する接し方は好感が持てると思う。
私はちょっと営業みたいな雰囲気になっちゃうからなあ。
理事長は軽い口調で、だが彼もまた疑問を滲ませながら答えた。
「ああ、あちらさんのご指名でさ、"茶色い髪の女の子"って。美夜ちゃんの事知ってるのかな」
「え、いや……ハンター協会繋がり、とかですかね?」
「でも特に目立った所は無い<貴族>の子なんだよ。協会との接点も別に……」
あったとしても美夜の事を――ハンター相手ならばまだ分かるが――易々と話すとは考え難い。境遇が特殊であり、<レベル:U>の事があるからだ。
そこまで考えて、美夜は不気味な冷たさを覚えて肩に力を入れた。未だ首を傾げる理事長に気付かれないよう密かに深呼吸をし、無駄な力を抜く。
表面上は変わらぬ笑みを浮かべて、妙に冷静になった心は隠しておく。
「多分、ただの人違いでしょう」
「かもしれないね。体調が良くなくて、ここの所は山荘で療養してたらしいし」
「そうなんですか……」
今着替えてもらってるからもうすぐ来ると思うよ、と人懐っこい笑みを向ける理事長に頷くと同時、理事長室のドアがノックされる。どうぞ、と理事長が入室を促すと白い制服がおずおずと顔を覗かせた。
「こんばんは……」
グレーのストレートの髪を揺らして会釈する彼女は、吸血鬼の例に漏れず美しい容姿を持っていた。内気なのかやや俯きがちに、両手を体の前で揃えていた。
「よく似合ってるよ!」
「あ、ありがとうございます」
若干頬を染めて照れる様子は可愛らしいものであるが、美夜には白々しく見えて仕方が無かった。自分も似たような笑顔を浮かべる性質(たち)だからか、もしくは、彼女が"あの女"であると確信に似た気持ちがあるからか。"あの女"はこんな雰囲気ではない筈だ。
美夜は笑顔で挨拶を返し、理事長を見て視線で紹介を請うた。理事長は頷いて、美夜と少女の間に立った。
「こちらは夜間部に編入する紅まり亜さん。で、風紀委員兼守護係の晃咲美夜ちゃんだよ」
理事長の言葉に合わせて会釈をし、顔を上げると真っ直ぐに視線を合わせる。
「初めまして、ですよね?」
「はい。ごめんなさい、理事長さんに風紀委員のお話を聞いた時、てっきり知り合いだと……」
整った眉を八の字にしたまり亜に、いえいえ、と小さく首を振って微笑んだ。
申し訳なさそうな顔をしていたまり亜だが、笑んだ美夜を見て、流れる様な動作で指先を口元に当てて目を細めた。並の男ならば見惚れてしまうだろう。尤も、それは彼女に限らず夜間部生全員に当てはまるだろうが。
美しい笑みを浮かべたまま、まり亜はそれに似合わぬ物騒な言葉を発した。
「美味しそうな方……」
流石夜間部、と感心に似た気持ちを抱きつつ、戸惑っている理事長をよそに美夜は苦笑して窘めた。
「紅さん、学園内でそれは禁句ですよ。吸血行為も禁止ですからね」
「あ、ごめんなさい私ったら」
零がいなくて良かった。銃を向けていそうだ。
「ええと、晃咲さん?"紅さん"だなんて止めて、"まり亜"って呼んで下さい。敬語も必要ありませんし……私、あなたと仲良くなりたいわ」
光栄だと思うべきなのだろうか。
「なら……私も"美夜"って呼んでね、まり亜」
まり亜のペースに巻き込まれそうになりながらも美夜は持ち前の冷静さで自分の調子を守る。この場にいるのが優姫でなく自分で良かった、と心底思いながら笑顔を保った。
「――――じゃあ、今夜夜間部が使ってる教室に案内するね」
校舎内の廊下でまり亜の半歩ほど前を歩きながら、美夜はそう言った。学内の粗方の案内は終え、最後が教室。そこで夜間部と合流する形になり、授業を受けるらしかった。
「ねえ、美夜」
「何?」
「……私、仲間外れにされないかしら。体の弱い吸血鬼って可笑しいもの」
立ち止まって視線を落としたまり亜を振り返り、「皆優しいから大丈夫だよ」と月並みな言葉を掛けながら心の中では首を傾げていた。
どこまで"成り切る"つもりなのか、と。
用心に越したことは無いのでさほど疑問に思う所では無いのかもしれないが、彼女はどこか"楽しんでいる"ように見えた。正確には、"まり亜の姿をした彼女"が、だが。
それとも、本当に彼女は"まり亜"なのだろうか、いやいやそんな筈は、と自問する。
「それに、何かあったら私も相談に乗るよ」
「本当っ?嬉しいわ」
歩を再開させながら言うと、まり亜は本当に嬉しそうに顔を輝かせる。調子狂うなあ、と美夜はそれに微笑み返した。
まり亜を教室まで案内して、早く本来の仕事である見回りをしよう、と意味も無く決意する。だがまり亜はそんな美夜の心境など全く無視して、少々予想外の申し出をしてきた。
もう教室は目の前、という段階で、まり亜は美夜の袖を引く。
「お願い美夜、今日だけ一緒に入って」
「え、え?私普通科だし……」
「不安なの。ね?お願い」
美夜は押し切られる形で頷きながら、駄目だ駄目だと自分を叱咤する。これでは彼女のペースに乗せられてしまっている。彼女に着いて行くのではなく、彼女を観察する機会だと思わなくては。
嘆息しながら教室のドアを開けると、先程までのか弱さは一転、まり亜は凛とした足取りで教室に入り、あろう事か教壇に腰掛けた。
休み時間だったようで教師は居らず、生徒は自由に動いて会話を楽しんでいた。しかし何故か、誰もまり亜の存在を気に留めた様子は無い。
否、枢以外だ。やはり"まり亜"は"彼女"だと美夜は確信を持つ。<貴族>に気付かれないくらい気配を消すのは容易ではないのだ。その証拠に、まり亜ではなく美夜に気付いた千里や莉磨に声を掛けられる。
「あ、美夜じゃない」
「ほんとだ。ポッキンチョコ食べる?」
教室の後ろの方に立つ枢を中心として、お馴染みの顔ぶれが揃っている。
お菓子をすすめる前に、疑問をもってほしい。美夜は本来見回りをしている時間で、教室に来ることはないのだから。
夜間部生からの突っ込みはないが、ポッキンチョコは食べたいし、まり亜は動く気配が無い――美夜を見てすらいない――し、と美夜は一人で納得してそちらに歩みだした。
「貰うー」
「ん」
「ありがと」
どうやら英のお菓子を千里が勝手に食べていたらしく、美夜はポッキンチョコを食べながら英に陳謝する羽目になった。
お菓子を嚥下しながら、壁に寄りかかって読書する枢と教壇に座るまり亜を交互に窺う。先にどちらが動くのか、自分はどうしようか、と思っていると、まり亜が唐突に笑い出した。
くすくす、と楽しげな声。突然露になったまり亜の気配に教室の空気が張り詰め、視線が教壇に集まった。美夜は莉磨に守られるように腕を引かれながらも、まり亜の行動を見つめる。
「楽しそうなクラスで良かった……」
まり亜は夜間部生の敵意をもろともせずにそう言って、可愛らしく首を傾げて見せた。
「ねえ、授業はまだ始まらないの?」
趣味が悪い、と美夜は微笑むまり亜を見る。"彼女"が遊んでいる事は最早明らかだが、夜間部生を挑発する必要は無いだろう。
誰もが動くのを躊躇ってしまう様な中、沈黙を破ったのは英だった。
「お前、誰だ……?」
美夜はまた一段階空気が張った様な気がした。人間でさえも膝を付きそうになる圧倒的な存在感だ。
だが<貴族>の物とは格の違う静かな迫力に、美夜はある懐かしさを――枢は普段、これほどの威圧感を出さないからそう感じない――覚えた。
「"お前"……?ねえ、君――」
まり亜の顔から笑みが消え、教壇から腰を上げて机に飛び乗る。そこからまたさらに跳び、途中、トンと軽い音をさせて机に足を付き、英の前の机で止まった。
机の上に立ったまま少し身を屈め、眉を寄せて硬直する英の頬に手を伸ばした。
「――"お前"って私のこと?」
美夜は自分の腕を掴む莉磨の手をそっと離させ――莉磨も呆然としてしまっていたようで、すんなり外れた――英の所へ移動した。
流血沙汰になりそうだ、と冗談では無く本気で思ったからだ。それに、この場で彼女の影響を受け難いのは枢の次に自分であると自覚していた。
「まり亜、行儀が悪いよ」
彼女が伸ばした腕に手を添えて、笑みの消えた顔を覗いて苦笑する。まり亜は美夜を見て瞬時驚いた様な表情を浮かべたが、すぐに少し前の屈託ない笑顔を浮かべた。
彼女の標的を逃れた英が力を抜くのを感じながら、ふわりと床に降りたまり亜に向き直る。
「ごめんなさい。だって、美夜が私をほっぽるんだもの」
気配消してたくせに。先に放置されたのは私なんじゃ、と思うがおくびにも出さない。
「はは、ごめんね」
「不安だって言ったじゃな――」
バタン、と脈絡の無い音がして、まり亜は言葉を切ってその音の元へと顔を向けた。他の夜間部生も注意をまり亜からそちらへ移動させ、美夜も――やっとか、と安堵の気持ちを持って――視線を動かした。
枢が、読んでいた分厚い本を片手でやや乱暴に閉じたのだ。そして独り言の様に静かに言う。
「新参者から名乗れば済む事だよ……紅まり亜」
きゃあ、と場違いな小さな歓声が美夜の隣で上がった。見ると、まり亜が頬を紅潮させて枢へと駆け出した。
「玖蘭枢様っ!<純血種>の方にお会い出来るなんて、まり亜嬉しいっ!」
この空気には合わないが、興奮気味にそう言う事は、美夜にも納得出来なくはない。吸血鬼にとって<純血種>はそういう存在だから、"まり亜"がそうなるのは分かる。
だが、枢の手を取って頬擦りするのは如何なものか。折角和らぎかけた空気が、また鋭くなる。"枢好き"で定着している瑠佳や英に至っては、まり亜を睨みながら拳を震わせていた。枢がまり亜を振り払えばまだよかったのかもしれないが、彼はまり亜の行動を他人事の様に見ているだけ。
ふと、まり亜が頬を離して教室を見回した。向けられる敵意に今気付いたと言わんばかりに、はっとした様子で枢の手を離す。
「あ……私、空気を悪くしてしまったみたい。私は一先ず席を外した方が良さそうね」
まり亜は美夜の腕を引いて、美夜の意思は無視して教室の外へさっさと足を進める。美夜は引っ張られながら「失礼しました」と何とか言い、入室した時と同様、強制的に退室させられた。
「まり亜、どこ行くの?」
「お散歩よ。教室には戻れないし」
「……全然残念そうじゃないね」
「何だか楽しいんだもの」
校舎を出、外を二人で歩き出す。今夜は見回りどころではなさそうだ、と美夜は少し歩調を緩めたまり亜を見た。
いっそ月の寮に送った方がいいかな。そう思案していたのがいけなかった。まり亜の歩む先に、零と優姫がいることに気付くのが遅れてしまったのだ。
「まり――――」
「あの二人も風紀委員なのね?」
「……うん、錐生零と黒主優姫」
美夜が掴まれている腕を軽く引くが、まり亜が立ち止まる様子は無い。それどころか二人を目指して歩いている気がした。
いや、実際そうなのだ。だって"彼女"の目的はあの二人と枢なのだから。
接触するのは予想済み。だが接触して欲しくない気持ちもあった。
「あの二人ともお友達になりたいわ」
微笑みを向けてくるまり亜は、美夜が返答する前に、二人にその存在に気付かれてしまっていた。
「あ、美夜……と、例の編入生かな?」
夜の見回り中、たまたま見かけた零と話していた優姫は、近付いて来る二つの人影を認めた。
白い制服で見覚えの無い少女は恐らく編入生。その笑顔の編入生に、学内を案内していたはずの美夜が苦笑して腕を引かれていた。
すぐ近くまで来ると、優姫は可愛らしい編入生に笑顔を向ける。
「初めまして、風紀委員の黒主優姫です。編入生の……?」
「紅まり亜です。これからよろしくね、優姫さん」
まり亜は美夜の腕を放し、両手を前で揃えて小さく頭を下げた。慌ててこちらも会釈すると、まり亜は口元を隠して笑う。
「ねえ美夜、案内終わったの?」
「あ、うん。教室に行ったんだけど……ちょっとあってね」
「私の悪ふざけが過ぎて、皆に嫌われちゃったの」
視線を落としたまり亜に驚いて美夜を見ると、美夜は苦笑の"苦"の割合を高くした。どうやら本当に少し揉めたらしい。
編入初日にして揉めるとは、まり亜は強気なタイプなのだろうか。
人は見かけによらないなあ。
夜間部生とも仲の良い美夜がいたのに一体何があったのだろう。あとで聞いてみようとまり亜を見つめながら考えていると、顔を上げたまり亜が零に視線を向けた。
「あ、まり亜さん、こっちも守護係で錐生零っていうの」
「そう……よろしくね」
どうせ零は自分から名乗らないだろうと思ってすかさず言うと、まり亜はまた笑みを浮かべる。だが対照的に、零は唐突に表情を歪めて殺気立った。
零がそのまま自分の懐に手を入れるのを何とか目視して、反射的に零の前で両手を広げた。
「零、駄目っ!」
[血薔薇の銃]の銃口を向けられ、殺気に晒され冷や汗をかく。まり亜の隣にいた美夜が、銃を構えた零の腕に手を添えていた。零の殺気は直ぐに収められたが、表情は歪められたままだった。
「急にどうしたの?」
「…………」
鋭い視線をまり亜から外した零は返答せずに、同じく無言な美夜に促される様に腕を下ろす。優姫はそれにほっとして広げていた腕を下ろし、まり亜を振り返った。
「零……大丈夫?」
「ああ……」
美夜の心配そうな声に短く返した零にまたほっとして、小さくなったまり亜の顔を覗き込んだ。
「まり亜さん、びっくりさせてごめんね。大丈夫?」
「ええ、庇ってくれてありがとう優姫さん。私、美夜も好きだけどあなたみたいな子も大好きっ」
「あ、ありがとう」
思い切り抱き着かれ、急な行動に戸惑いながらも何とか礼を述べてみる。引き剥がす訳にもいかずどうすべきか迷っていると、耳もとに顔を寄せるまり亜が言った。
他愛ない会話をする時と変わらない明るい口調で。
「私知ってるのよ。あなたみたいな良い子の血はね、とっても美味しいのよ」
「へ……」
吸血鬼なりの冗談、なのだろうか。しかし、まり亜には悪いが全く笑えないし、どう応えるのが正解なのか検討がつかない。
笑って流してみようか、と優姫が口を開きかけた時、抱き付いていたまり亜が美夜によって剥がされた。まり亜を庇っていた優姫は美夜の背に庇われる。
零が銃を構えても冷静だった美夜の雰囲気が厳しくなっていた。そっと美夜を窺うと、今までにも見たことがある冷たい笑みを浮かべていた。
「まり亜、冗談でも優姫にそういう事言わないでもらえるかな」
きょとんとしていたまり亜の顔に驚きが滲んだ。優姫の頭に、以前美夜から聞いた<レベル:U>の話がよぎる。まり亜に何らかの影響が及んでいるのかもしれなかった。
「お願いね、まり亜」
「……ええ、分かったわ」
「ありがと」
まり亜が眉を八の字にして陳謝すると、美夜は穏やかな表情に戻る。優姫は庇われたままちらりと後ろの零を見ると、零は険しい表情でまり亜を見据えていた。
この時、優姫はまり亜を"要注意人物"として認識した。
夜間部の授業が終わり月の寮に戻ってすぐに、拓麻は枢の部屋を訪れていた。本棚の前に立つ枢がこちらを見ないことも気にせずに、笑顔で問うてみる。
「枢、あの編入生……どうしよっか」
拓麻がまり亜関連の話をするとは分かっていたのだろう、枢は大して悩んだ様子も無く、本棚を眺めたまま言った。
「僕が直接動くと問題になるからね……君が面倒をみてあげるといいよ」
うん、そうくると思った。
予想通りの返答に若干落胆しつつも、反論はしなかった。これから先が思いやられるが。
「……ここには、彼女の欲しい駒が揃っているからね」
「駒、か。そうとも言えるね」
彼らしい言い方に苦笑した。確かにこの学園は、枢自身のある目的の為の舞台であり、生徒は目的を達成する為の要素――枢の言い方を借りれば、学園はゲーム盤で生徒は駒だ。
「揃ったのは偶然?」
「違う……僕が揃えたんだ」
聞くまでもなかったな、と即答した枢を見て思った。まり亜の面倒を見ることも枢から頼まれてしまったし、漫画の続きも気になるし、と部屋を出ようとした拓麻だったが、枢が何か言った気がして足を止める。
「あれは、違う……ね」
窓の横の壁に凭れた枢が、どこを見るでもなく呟く。言葉の意味が理解出来なくて首を捻ると、何が可笑しいのか枢は僅かに笑っていた。
「全てが僕の駒だと思ったけれど……あの子だけは、違ったね」
「あの子?」
「美夜、だよ。この学園において彼女だけが、盤上を自由に動けるんだ」
拓麻は少し意外だった。彼女の存在が予定外のものであったとしても、枢のことだから、すぐさま手持ちの駒として何らかの役割を与えていると思っていた。
枢は、自分の駒でないと言う割にはどこか楽しそうだ。事実、好きに動く美夜の行動を楽しんでいる所もあるのだろう。
優姫ちゃんの盾に進んでなろうとしてるから、枢からすれば好都合なのかもしれないな。危なっかしいけど。
「君の盤を荒らされるかもしれないけど?」
「……既に、少しは変更されてる。でも僕の計画は変わらないよ、一条」
枢はくすりと笑って、もしかしたら、とその楽しげな声音のまま続けた。
「この学園で一番恐ろしいのは、僕じゃなくて美夜なのかもしれないね」
駒にしようとしても出来ず、そのくせこちらが望むような動きを見せ、だが思い通りにはならない。枢にとって美夜は、そんな捉え所の無い存在であるようだった。
枢より恐いなんて、と少々あり得ない想像をしてしまった拓麻は思わず小さく吹き出して、全てお見通しである枢に軽く睨まれる羽目になった。
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