01


「ごめんね、もう少ししたら風紀委員が来ると思うから、先に隣の部屋で着替えてくれる?あ、荷物は後で運んでおくからね」

 男性は早口でそう言って、人の良さそうな笑みを浮かべた。彼女は男性に渡された制服に、静かに着替える。上着に袖を通し、ブラウスの襟を直し終わるとリボンを結んだ。
 後ろで一つに結った髪を手櫛で梳いて、先程まで身につけていた私服を畳む。綺麗に畳まれたそれを見て一人首を傾げたが、すぐに思い立って部屋を見回す。着替える為にと通された部屋には、彼女の大きな荷物が借り置きされており、そこに私服を押し込んだ。
 隣の部屋から、何やら話し声がする。彼の言っていた"風紀委員"が来たのだろう。彼女は自分を見下ろし、おかしな所がないか確認して、部屋を後にした。




「お、お待たせしました、理事長っ」

 黒主優姫は、慌ただしく理事長室に駆け込んだ。肩で息をしながら、乱れた髪を整える。休日の今日、部屋でのんびりしていた時に入ったのは理事長からの呼び出しだった。どうやら今日は編入生がやって来るらしく、その案内を頼まれたのだ。
 せめて前日に言ってくれ、と切に思うが、今となっては仕方がない。どうやら忘れていたらしいのだ、理事長は。風紀委員業務と言われてしまえば拒否すると言う選択肢はないし、私服で向かうわけにもいかず、急いで着替えて今に至る。

「ああ、待ってたよ優姫!」
「で、編入生は?」
「僕がここまで連れてきたよ。今着替えてもらってるから、もう少し待ってて」

 やけに厚着な理事長に突っ込むことはせず、優姫は非難の目を理事長に向けた。理事長は姿勢を正し、机に手を付く優姫と向かい合う。

「ほんと、直前に言うなんて!」
「ご、ごめんよゆっきー……っ」
「食堂の限定ランチ、食べられると思ったのに……」

 今は丁度お昼時、案内が終わってからでは限定ランチは残っていないだろう。がくりと肩を落とす優姫に、何とか機嫌を直してもらおうと理事長は思案する。

「じゃあ、お、お詫びにさ!今日の夕飯はボクが腕を奮うから!豪勢に作るよ!」
「……デザート、付けてよね」
「もちろんだよ!!」

 優姫も、理事長が常日頃忙しいことは承知しているので、あまり責めるつもりは無かった。
 ありがとうゆっきー、ゆっきーに嫌われたらお義父さん生きていけない!そう言って理事長は優姫に泣きついてくる。それを適当にあしらっていると、優姫の耳に硬い音が届いた。
 編入生が来たのでは、とドアを見つつ言うと、理事長は慌てて笑顔を作った。切り替えの早さに、優姫は呆れて小さく息を吐く。

「どうぞ、入って!」

 理事長が呼びかけると、ゆっくりとドアが開いた。
 普通科の制服を着た女生徒が、どこか恐々と入ってくる。きちんと両手でドアを閉めて向き直った彼女に、理事長が笑顔で話しかけた。

「サイズも大丈夫そうだね、似合ってるよ」

 緊張からかどうなのか、彼女は僅かに頬を染め、ありがとうございますと言いながら笑顔で会釈した。その様子に理事長は満足げに一人頷き、優姫と彼女を対面させた。

「晃咲さん、この子が風紀委員でボクの義娘の優姫だよ。で、こちらは一年に編入する晃咲美夜さんだ」

 前半は美夜に、後半は優姫に向けて口を開く。優姫は、理事長を見つめていた美夜と目が合うと、にこりと笑い掛けた。

「はじめまして、黒主優姫です。風紀委員やってます。これから学園内を案内させていただくので、よろしくお願いしますっ」
「こちらこそ、よろしくお願いします、黒主さん」

 まっすぐ目を見つめて来る彼女に自己紹介すると、美夜は嬉しそうに口角を上げた。歳も同じで体格もあまり変わらないのに、大人っぽい落ち着いた笑みだ。色っぽいとは違い、くすぐったく感じるような微笑みに、少しだけ見とれた。

「ゆ、優姫でいいですよ!同い年だし、敬語も!」

両手を顔の前でわたわた振りながら言うと、彼女は瞬時きょとんとしたが、すぐにまた笑う。

「……じゃあ、私も美夜でいいよ、優姫」




 美夜は、優姫に連れられ休日の学園を歩いていた。なんて大きいんだ、と目に入る建物を呆気にとられて見上げる。敷地も広く、ただ案内してもらっているだけなのに、何故か疲れる。

「あ、気になってたんだけど」

 案内が終わり――一時間半くらい経っただろうか――理事長室へ向かっている時、前を歩く優姫が隣に並びながら言った。

「この時期に編入って珍しいよね。編入生っていうより、ちょっと遅れた新入生って感じ」

 少ししか過ごしていないが、優姫が素直で明るい性格だと言うことは美夜も理解し、優姫とそれなりに打ち解けていた。だから美夜も肩の力を抜いて、ああ、と軽い口調で答える。

「入学前に事故に遭っちゃって、入院してたの。私特待生で合格したから、入学取り消されるんじゃないかって、かなり焦ったよ」
「え、大変じゃない!もう大丈夫なの?」

 笑顔が一転、心配の色を浮かべた優姫に、美夜は笑顔で返す。

「もう全然。心配してくれてありがと」
「そっか、良かったー」
「優姫は可愛いなあ」

 美夜はただ純粋に感想を述べただけであって、からかっているつもりはないが、言われた優姫は一瞬で顔を赤くした。
 出会ってすぐの人間に言われると身内贔屓なく聞こえ、理事長に言われるのとはわけが違うのだ。世辞ならばもう少し適したタイミングがあっただろうに、と悪気など一切うかがえない美夜を見る。

「な、美夜、急にっ」
「だって可愛いから」

 いやいやと首を振って否定する優姫に、美夜は真面目な顔で言った。残念ながら、優姫には溜息を吐かれる羽目になった。照れた優姫がそっぽを向いてしまったので、美夜はひとまず口を閉じる。
 早士て歩いていると、優姫が唐突に笑顔を向けてきた。やや高いテンションで発せられる言葉に押され気味になってしまう。

「あ、そうだ!美夜はお昼済ませちゃった?」
「え、うん。街で」

 さらりと言うと優姫は、そっかあ、と肩を落とす。ランチに誘ってくれるつもりだったのだと、美夜はすぐに理解した。嬉しい申し出だが、昼ご飯を二回食べるのは流石に遠慮したい。

「じゃあさ、晩ご飯一緒に食べよう?さっき見て来た食堂だよね?」

 良い事思いついた、と提案してみるも、何故か優姫は思案顔。なにかまずいのかな、と首を傾げていると、優姫はぱっと顔を輝かせた。

「今日の晩ご飯はね、理事長が作ってくれることになってるの!一緒にどうかな?」

 目を輝かせて聞いてくる優姫は、美夜が思っている以上に美夜に懐いているらしい。美夜も断る理由が無いので、二つ返事で了解した。嬉しそうに笑う優姫に、美夜もつられて笑顔になる。

「でも私が本当にお邪魔しちゃっていいのかな」
「いいのいいの!あ、もう一人の風紀委員も来るよ、多分」

 理事長が風紀委員にご飯を作るとは普通は考えられないが、優姫は義娘だから問題ない。ならばもう一人はどうなのかと疑問に思う。
 それが、普通の反応なのだろう。優姫もそう分かっているからか、美夜が何か言う前に説明をくれる。

「錐生零っていって、理事長の義息子じゃないんだけど、一緒に生活してたの」
「そうなんだ」

 知っている。書いてあったから。
 それでもそんな素振りは見せず、納得したと頷いておく。楽しみにしてるね、と笑いかけると、優姫は急に美夜の手を引いた。美夜は予想外の行動に、どうかしたのかと優姫を見る。陽気な雰囲気が一転、優姫は気遣う様に言った。

「美夜、緊張しなくていいからね」
「……あ、ありがとう」
「美夜さ、人見知りでしょ」
「う、ちょっとね」

 人とすれ違う度に微妙に視線が泳いでたよ、と笑われてしまった。優姫は人をよく見ているんだな、と小さく感心すると同時、良い子だなあと感想を持つ。予想していた通り周りに気を配ることが出来、また意志の強さも感じられる。そんな子だ。
 美夜の右手は優姫に握られたままで、美夜の意志に関係なく揺れていた。




 なんでこんなに広いんだ。今の心境を表すなら、この一言に尽きるだろう。
 美夜は優姫に学園を案内された後、一度理事長室へ戻った。小さい荷物を持って、今度は陽の寮の部屋に案内された。優姫とはそこで分かれて、美夜は運び込まれていた荷物を片付ける。それが終わると、制服だったことに気が付いて急いで着替えた。時間には余裕があったが遅れるのは避けたいので、寮を出て――すぐに自分のミスに気付いた。

「優姫と来るんだった……」

 どうやら美夜は、この学園の広さを舐めていたらしい。優姫と歩いていた時より、遥かに広く迷路のように感じられた。目的地は理事長の私的居住区で、優姫から大体の場所は聞いていたのだが。
 早めの時間に部屋を出たものの、これだけ彷徨ってしまえば意味がない。今、どの辺りにいるのかのも自信がない。
 ちょっと泣きそうだとか思いながら歩いていると、視界の端に見覚えのあるものが映った。優姫に案内してもらった時の記憶では、確かあれは"陽の寮の男子寮"。
 恥だとか思っている場合ではない、もう誰でもいいから案内してもらおう、と取り敢えず建物に近づいて行く。しかし寮の周りに人は居らず、聞こうにも聞けない。流石に寮に入るわけにはいかないので、どうすべきかと寮の入口を見つめた。
 すぐに救世主は現れた。美夜は内心ほっと胸を撫で下ろし、小走りで彼に近付いた。

「あ、あの」

 呼びかけると、彼は気だるげに視線を寄越す。綺麗な顔だなあ、なんて心の隅で思う。

「理事長の私的居住区って、どこですか?」

 問うと、彼は整った顔の眉間に皺を寄せる。そしてじっとこちらを見つめた。中々に迫力があるが、敵意の類が向けられている訳ではないので恐れることはない。
 おかしなことを言っただろうか、いやそんなことはない、と笑みを浮かべたまま自問自答する。視線は美夜を捉えたままで、合っている視線を美夜から外すのも気が引けてしまう。ただそんなに見つめないで欲しいと、じり、と僅かに後ずさった。

「ああ、悪い……」

 美夜の戸惑いに気付いたのか、彼は呟きながら顔を反らす。相変わらず眉は寄ったまま。美夜は視線が逸れたことにほっとするが、結局本題が解決していない。もう一度問うべきか否か、体の前で両手を握って考えていると、彼から口を開いてくれた。

「……晃咲美夜、か。あんた」

 あれ、何で知ってるの。そう少し驚いて――すぐに思い当たった。彼も夕食会の招待者なのだ。

「そうですけど……えと、錐生零さん?」

 この人の写真は無かったなあと資料に密かにため息を吐き、しかし目的地が同じ人と会えたことの安心感の方が大きかった。

「俺も行くから……行くぞ」
「あ、はい」

 零は言うが早いか背を向けて歩き出したので、美夜は慌ててそれを追う。置いて行かれない様に零の斜め後ろに着いて歩いた。長い足を活用して歩く零について行こうとすると、どうしても早足になってしまう。だがそれよりも、沈黙の方が居心地が悪かった。そう思うが、初対面の人と会話を弾ませるなんて技術は、生憎持ち合わせていなかった。普段からあまり話す方でなさそうな零相手ならば尚更である。

「優姫が……あんたを"人見知り"だって言ってたが……」

 またしても口を開いたのは零だった。美夜は周囲に巡らせていた視線を零に向けて、言葉の続きを待つ。零は少し間を置いて、顔だけで美夜を振り返った。

「人見知りにしても……そんな笑い方するな」
「え?」
「人形みたいな笑い方」

 つい、言葉に窮してしまった。作り笑いを指摘されたことに驚いている訳ではない、それは今までも指摘されたことがある。"人形"だと言われたことに、不本意ながら多少なりとも動揺してしまったのだ。

「……自覚ないなら、いい」

 黙っていると、零は自己完結してまた前を向いた。彼がどう思ったのかは知らないが、態々訂正するつもりも無い。

「……努力します」

 無くすのは無理だろうな、と右手で頬を突ついた。むにむにと笑顔を作っていると、いつのまにやら零が数歩先にいた。
 美夜は足を動かす速さを上げる。足大きいなあと呑気に思いながら無言で下を向いていると、急に零の歩調が緩まった。顔を上げると、心無しか先程よりも眉間の皺を深く刻んだ零が美夜を見下ろしていた。

「……敬語、やめろ。零でいい」
「はい、錐生さ……分かった、零」
「あと」

 彼は頭を軽くかいてズボンのポケットに手を突っ込むと、ごく小さくため息をついた。

「……速いなら、そう言え」

 怒っているのか心配しているのかが非常にわかりにくく、ぶっきら棒な言葉。だが分かりにくいとは言っても、分からない訳ではない。その一言に篭った気遣いに気付かない程、美夜は鈍くないつもりだ。
 面と向かって礼を言うのも気恥ずかしいし、笑っても彼の嫌いな笑みになりそうだし。そんな言い訳がましい事を考えながら、握った手を口元にやった。

「……ありがとう、零」

 顔が熱を持ってしまったのは、仕方が無い。
 無言の居心地の悪さが大幅に軽減されたその後は、口を開かなくても何ら問題は無かった。そうして二人で歩き、理事長の私的居住区に入ると、食事を摂ると思われる部屋に向かった。

「あ、零……と美夜!?一緒だったの?」

 部屋のドアが確認出来たとき、優姫がそこから現れた。美夜は零の背から顔を出して手をひらひらと振る。優姫は小走りで零の横をすり抜けて、美夜の手を握った。

「すごいよ美夜、零と初対面で怯えてないなんて!」
「お、怯え……?」
「だって零ってば、常に眉間に皺なんだもん。学園の生徒も逃げるんだから」

 優姫は本当に驚いているらしく、すごいね、なんていいながら零を見上げている。中々失礼な物言いに聞こえるが、気の置けない間柄、というものだろう。
 美夜も優姫にならって零を見上げると、文句あるのかと言わんばかりにため息をつかれた。

「……まあ確かに、迫力はあるけど恐くはないよ。迷子だったの、助けてもらったし」

 ね、と笑いかけると零は反応せずに歩き出してしまった。美夜を無視するなんて、と優姫に非難されながら部屋に入る零は、入る間際、振り返りながら言った。

「女子寮からここに向かうのに、男子寮にいるんだぞ?」

 それを聞いて謝罪してくる優姫に手を引かれ、美夜も部屋に入る。何も乗っていないテーブルを四つの椅子が囲んでおり、理事長はまだらしく零が頬杖をついて腰掛けるだけだった。美夜は優姫に促されて、優姫と零の間に座る。直後、あ、と声をあげて美夜は零に顔を向けた。

「あと、優しいからかな。零が恐くないの」

 そう言うと、零の眉間の皺が消えた。驚いているのだろうか。美夜はどうして驚かれているのか分からずに優姫に同意を求めれば、優姫は優姫であからさまに目を剥いていた。
 あれ、おかしかったかな。なにか間違えたかな。

「零……美夜に何したの」

終いには、優姫がそんなことを言った。




「すごいですね!」
「そうかい?」
「はい、お店開けそうです!」
「いやあ、美夜ちゃんは褒めるのが上手いなあ〜」
「ほんとに凄いんですもん」

 テーブルいっぱいに並べられた料理に、美夜は顔を輝かせた。理事長はえへへと頬をそめ、良い気になったのか、優姫と零がうんざりするハイテンションで食事を促した。いただきます、と手を合わせて食べ始めると、真っ先に感想を言ったのは当然美夜だった。

「美味しいです……!」
「そうかいそうかい?好きなだけお食べ!」
「ふふ、ありがとうございます」

 ニコニコと箸を進める理事長と美夜とは反対に、あくまで黙々と口に運ぶ優姫と零。料理に夢中だった美夜は、零が自分の様子を見ていつことには気付かなかった。
 楽しい食卓はあっという間に終わり、美夜はせめてものお礼にと洗い物を引き受けた。美夜に続いて零が自然とキッチンに入ったあたり、普段は彼の役割なのかもしれない。優姫も手伝うと言ってくれたが、それは零に却下されていた。零が洗って、美夜が拭いていく流れ作業。
 美夜は洗うつもりだったが、手が荒れるからと――非常に遠回しな言い方で――零が変わってくれたのだ。

「理事長って料理上手いんだね」
「まあ、そうだな」
「羨ましいなあ」

 私、あんまり凝った料理はしないからなあ、と独りごちて零から皿を受け取った。

「……苦手なのか?」
「そういうわけじゃないんだけどね。お金も時間も掛かるから」

 ほんの数時間で分かった事だが、零は無駄口は叩かないにしても会話は続けてくれるし、話も聞いてくれる。だから気張る必要もないし、力を抜いていられる。それは優姫も同じだが。
 先程の美夜の言葉に零が引っかかっているのを感じ、美夜は補足しようと口を開く。

「私、孤児だからさ、お金が厳しいの」
「……悪い」
「いいよ、気にしなくて。頑張って全寮制の学校に特待生で入れたから、今は最低限の生活の心配しなくていいし」

 ゆっくり眠れるっていいよね、としみじみ呟く。零から最後の皿を受け取って拭き、拭き終わった皿を重ねた。手を洗う零に何処に仕舞えばいいか問うと、俺がするからとさっさと片付けてしまった。面倒見が良いんだなあ、と感心して礼を言う。

「ありがとう、零」
「いや……」

 美夜は布巾を洗っておき、食器を終い終えた零に向き直った。

「後で優姫にも言うけど……今日はありがとう」

 家族みたいで、楽しかったよ。
 そう言って笑うと、零はそうかと呟いて美夜の頭に手を乗せてきた。彼も家族を失っていると当然知っている美夜は、それにされるがまま目を細める。
 十年ぶりの人との暖かみに、美夜ははにかんで零を見上げた。

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