02
「晃咲美夜です。よろしくお願いします」
教卓の横で頭を下げ、顔を上げて一つ微笑んでおく。自慢ではないが容姿が良い方だとは自覚しているので、笑ってさえおけば悪い印象は持たれない。
今日から過ごすことになる教室は優姫や零と同じようで、空いている席に座れと言われた時、優姫が小さく手を振ってくれた。
「美夜、おいでおいで」
「優姫ー」
優姫は今日も可愛らしい。
美夜は礼を言って腰掛け、優姫の隣に座っていた少女・若葉沙頼と挨拶を交わす。優姫とはまた違い、落ち着いた雰囲気の可愛らしい少女だった。ちなみに零は後ろの席である。
「よろしくね、沙頼。優姫と零も、よろしく」
まだ届いていない教科書は沙頼や優姫に見せてもらい、休み時間は近づいて来たクラスメイトとお喋りをする。初登校一日目はあっという間に終わってしまった。
「じゃあね、頼ちゃん、美夜」
「またね優姫、錐生くん。頑張って」
教室を出て行く優姫と零に沙頼が掛けた言葉に引っかかり、ばいばいと二人を見送ってから、沙頼に向かって首を傾げた。授業は終わっているのに、何を頑張るのかと。
「あら、知らない?」
「うん」
「この学園に夜間部があるのは知ってるでしょう?」
「うん、美形エリート集団だよね」
「そ。普通科と夜間部は同じ校舎を使うから、入れかえの時間に普通科の生徒が夜間部を見ようと殺到するのよ」
あ、その警備?と確認すると沙頼は「大変よね、夜も見回りだもの」と同情を滲ませて呟いた。風紀委員はそんなことも仕事の内らしい。沙頼は、美夜が夜間部に興味があるのなら行きたいかと問うてくれたが、まだ荷物の整理があるからと断っておいた。
ちょっと見に行きたい気もするけれど、正直夜間部とはあまり関わりたくない。
「この時間から行くって事は、大方理事長に呼び出されているんでしょうけど。じゃあ、寮に戻りましょうか」
「うん」
美夜は沙頼の案内を頭に入れながら、自らに当てがわれた部屋へ向かった。
美夜は特待生で黒主学園に入ったからか、寮は一人部屋である。優姫と沙頼の部屋の場所も念の為聞いてから、まだ一度しか寝ていない部屋に入った。
制服を汚さない様に着替えてから、終わっていなかった片付けを半時間で済ませ、枕元に鎮座するテディベアを抱き上げた。美夜はそれを膝に乗せるように椅子に座ると、小さく息を吐いて背もたれに身を預ける。
ふと時計を見れば丁度夕食時だった。食堂に行こうかと迷っていると、部屋のドアがノックされた。
「美夜、いる?」
「沙頼?」
美夜はテディベアを片腕に抱えたまま、空いている方の手でドアを開けた。予想通り、私服に着替えた沙頼がいる。沙頼が美夜の腕を見て小さく笑うので、美夜は「可愛いでしょ」と両手で抱き直した。
「どうかしたの?」
「ご飯、一緒にどうかと思って。さっき、迷わないか不安だって言ってたから」
美夜は沙頼からの嬉しい申し出に頷いて、テディベアを枕元の位置に直した。
*
翌日の宵の刻、美夜は校舎へ向かう夜間部が通ると思われる場所にいた。ただ、誰が見たいと言う訳でもないので――寧ろ群がる生徒の見物なので――門から少し離れた木の影にいる。ちなみに、ここまでは沙頼に連れて来てもらった。帰りは大勢の女子に着いて行けばいい。
門が開くまであと数分とあって、集まった女子と小数の男子が、今か今かと騒ぎ出す。
「押さないでー!下がって下がって!」
叫ぶ優姫の声が聞こえる。優姫の状態は見えないが、これだけの人数に対処するのは相当体力を使うだろう。
もみくちゃにされている優姫が容易に想像出来て、美夜は顔を引きつらせた。これほどパワフルなのだ、夜歩きしそうなのも頷ける。
美夜は、今日の授業中ほぼ眠っていた二人の風紀委員を思い起こして同情する。育ち盛りの時期に睡眠不足はいただけない。
「……何でいるんだ」
「あ、零」
降ってきた声に顔を上げると、眉を寄せて立つ零がいた。眉間の皺が取れなくなるのではと、少々心配になる。
「晃咲は夜間部に興味なかったんじゃないのか」
「うん。群がる生徒の観察と、二人の寝不足の原因を見に、ね」
いくらなんでもあの中には入らないよ、と首をすくめた。零はそうかと呟いて、美夜の頭に手を乗せてくる。軽く一度弾ませて、零はため息を吐きながら門へと視線をやっていた。
「全く、迷惑な奴等だ」
「……それは、」
どう言う意味で?そう問おうとしたのだが、突如上がった大歓声に驚いて言葉を飲み込んでしまう。
「きゃああああああああっ!!」
美夜は体をびくりと揺らして、騒ぎの原因を呆然と見やった。予想以上の迫力だ。目当ての人の名を叫んだり、意味を成さない言葉を絶叫したり。その場で飛び跳ねる人がいるかと思えば、誰かは思い切り手を振っている。
「ポップコーンみたい……」
「くっ」
呟くと、笑いをかみ殺す音がした。美夜は目を剥いて零を見上げる。口元を覆う零はしまったとでも思っているのか、合った視線を直ぐに逸らされてしまった。
優姫の所行って来る、早く帰れよ。そう言って零はさっさと人混みへ紛れる。残された美夜は零の背中を見送って、木の幹に凭れた。
「笑い顔、見たかったなあ」
残念、とは言いながらも零の様子が可笑しくて、一人で小さく笑った。
「ここからじゃ、夜間部はほとんど見えないなあ」
夜間部目当てではないので問題は無いのだが、時折白い制服が見えるとつい目で追ってしまう。どの道夜間部が居なくなるまで普通科の生徒は帰らない。だから美夜も帰られないので、人混みを眺めて待つしか無い。
普通科の生徒がこれほどまでに夢中になるのには理由がある。一つは、夜間部が超エリートの集団であるということ。一つは、夜間部がひどく見目麗しい集団であるということ。しかし、彼等には大きな秘密がある。
それは――夜間部全員が吸血鬼である、というものだ。政府が表立って吸血鬼の存在を認めていないこともあり、この学園においてのトップシークレットである。
「風紀委員が、秘密を守る要員ってところかな」
美夜は呟いて、早く誰か帰らないかなあと足元に視線を落とした。
暫くして、美夜は興奮冷めやらぬ生徒に紛れて寮に戻り、夕食を済ませて部屋に戻った。まだ時間は早いがするとこもないので、入浴をゆっくり済ませた。
「吸血鬼って、やっぱり人気あるんだね」
椅子に座って、抱えていたテディベアを机に座らせた。名をソラという。クリーム色に澄んだ青の目をしたそれは、首に赤いリボンが結んである。美夜の小まめな手入れの甲斐あって、新品のような毛並みだ。当然だが、美夜がどれだけ話し掛けてもテディベアが返事をすることはない。
「普通科の子達は……夜間部が吸血鬼だって知ったら、ショックなのかな」
美貌と、人間より優れた知能、さらには特殊能力。そして、人を同族に引き込んでしまう力。
「普通はショックだよね――――ん?」
髪を乾かす手を止めて、椅子から立ち上がる。首を捻りながら部屋の窓を開けて――三階だ――下を見ると、制服を着た普通科の生徒二人が、寮を出て行くのが見えた。門限はとっくに過ぎている。
"夜歩きさん"だとしたら放ってはおけない。二人がどうなろうと知らないが、優姫や零をわずらわせたくはない。
「うー……」
美夜は窓辺で少し唸って、持っていたタオルを椅子に掛けた。クローゼットから適当な上着を出して部屋着に羽織り、外靴を履いて静かに、だが極力早足で二人を追いかけた。
二人は直ぐに見つかったが、途中から走り出してしまい、追いついた時には既に校舎近くに来てしまっていた。
「ちょ、待ってください……」
息を整えながら声を掛けると、二人が肩を揺らしたのが分かった。
「風紀委員に見つかる前に、早く寮に戻りましょう?」
恐らく初対面である人に注意を促すのは勇気がいる。少なくとも美夜にとっては。内心緊張しながらも、二人を不愉快にさせない様「風紀委員の手を煩わせる」ではなく「風紀委員に見つかる」と言ったことを褒めてほしい。
「あ……写真撮りにきたの」
「いいでしょ、別に」
「そういう問題じゃ……」
何故か座り込んでいる二人は、帰る気がないらしい。証拠に、先程の美夜の言葉と会話が噛み合っていなかった。
どう言えば良いかと思案していると、座り込んた生徒の一人が声を上げる。美夜が二人のそばにしゃがみこんで様子を窺うと、転んだのか膝を擦りむいて怪我をしていた。しかも、血が出ている。
まずいよね、これは。美夜は心の中で盛大に溜息を吐いた。
「ほら、早く帰りましょう」
急かしてみるものの、ここまで来たんだし、と動こうとしない。無理矢理にでも帰らせようと、二人の手を取ろうとした時だった。
木々を派手に揺らしながら、優姫が降ってきた。
「あなたたち!クラスと名前を言って!」
風紀委員の腕章を示して、怒ったように早口で言う優姫に、その身軽さに驚くと同時になんだか泣きたくなってくる。
「早く寮にお帰りなさ――――美夜?!」
「私は止めようとしただけだからね、優姫……」
ハリのない声で言うと、優姫は察してくれたようで、ありがとうと苦笑した。美夜だけ部屋着なのだ、嘘ではないと分かったのだろう。
「って、あなた怪我してるの?!」
生徒の怪我を発見した優姫が、血相を変えて二人を立たせた。結局優姫に頼ってしまったけれど、これで帰られる――美夜はほっとして立ち上がる。渋々だが、立ち去ろうとする怪我をした方の生徒に手を貸していると、連続した金属音が凄まじい速度で耳に届いた。
音の主は優姫だった。どこから出したのか、ロッドを構え、美夜ら三人に背を向けている。鋭い声は、普段の様子からは想像しにくいものだった。
「――誰!!」
「おっかねぇ……さすが理事長仕込み」
優姫の武器を受け止めるのは、白い制服を着崩した男子生徒。その後ろにはもう一人、白い制服を着た生徒がいた。
「夜間部……架院暁先輩!藍堂英先輩!」
「やだうそっ」
「あーあっ。血の匂いがしたから見に来ただけなのに」
はしゃぐ二人をどうにかしたいと思うのだが、下手なことを言う訳にもいかない。美夜は二人が勝手な行動をしないよう前に立ちながら、静かにやりとりを見つめていた。
後ろに居た藍堂英が、ひどいよと言いながら、くすりと笑って前に出た。優姫の武器を、前にいた架院暁に代わって掴む。
「ホント……ついつい見に来ちゃっただけなのになぁ」
英が言い終わると同時、ふわりと風が吹いた。微笑んでいた英が、くん、と鼻をならす。
「――あ……いい匂い。ああ……キミの血か」
その小さな呟きを、美夜は聞き漏らさなかった。しかしどうするのが最善か、考えを巡らせるもすぐに答えは出ない。
優姫も危機を察し、英から美夜らを守ろうと威嚇するが、武器が動かせないようで効果がない。英の「いい匂い」発言に浮かれる二人には、優姫の行動の意味など分からないのだろう。
美夜は暁に視線を送るが、我関せずと空を見上げている。
すると英が、優姫の手を取った。
「いい匂いっていうのは……キミの血だよ、優姫ちゃん」
美夜はまさか優姫が怪我をしていると思わず、え、と表情を強張らせた。てっきり、狙いは美夜の後ろに居る生徒だと思ったのに。それは優姫本人も同じようで、彼女の背中から驚きが窺えた。
優姫が非難を込めて呼ぶも、彼は徐々に、傷を負う優姫の手の平に顔を近づけていた。
優姫が咬まれてしまう。美夜は後ろの二人に構うのをとうとう止め、素早く上着を脱ぎ捨てた。左腕の袖を捲り、右手には近くにあった木の枝を握る。
「そそるね、とっても――おッ?」
今にも優姫の手の平に牙を穿とうとしていた英に、美夜は体当りをかます。彼が衝撃で倒れることはなかったが、優姫の手の平から注意をそらすことに成功した。
「え、美夜っ?」
「何だよ、お前」
美夜は二人の呼びかけを無視して、握っていた木の枝で左腕を思い切り傷つけた。左腕の手首から肘あたりにかけて、真っ直ぐに傷がつく。
勢いが良すぎたのか、予想以上に痛かった。美夜は痛みに顔をしかめるが、直ぐに傷付いた腕を英に突き出した。英は少し眉を寄せていたけれど、どこか楽しげだ。
英を見上げて睨みつけ、優姫を背後に隠す。溢れる血が腕を伝い、肘から地面に落ちていく。
「咬むなら私にしてください。味は保証しませんけど」
「美夜何してるのっ?!」
優姫の声も聞き流して、アイスブルーの目を見つめていると、不意にそれが赤に染まった。鮮やかな赤ではなく、少し淀んだような血色だ。
英は優姫の手を離し、美夜の腕を掴む。美夜と対照的に楽しげな表情だ。
「へえ、面白い事するね」
英は美夜の傷口に口を寄せ、丁寧に血を舐め取る。美夜はしみる痛みと彼の舌の感覚に耐えようと、やや顔をしかめる。後ろで優姫が何やら叫んでいるが、今退いて優姫が咬れるようなことは避けたかった。
腕を伝っていた血が舐め取られ物足りなくなったのか、英が顔を上げる。
やっぱり首に来るか、と美夜が息を吐いた瞬間、見上げていた英のこめかみに銃口が向けられていた。
英の目から、血色が引く。
いつの間にか、零が殺気を振りまいて立っていた。美夜はほっと彼を見上げて、これで一安心だと思ったのだが。
「学内での吸血行為は一切禁じられている。血の香りに酔って正気を失ったか、吸血鬼」
「へえ……?」
零の殺気に気が付いていないのか楽しんで居るのか、英は零を見据えて口許を拭いながら言った。今の零にそれは自殺行為であると、付き合いの短い美夜でも分かった。
「でももう味見しちゃった」
言い終わると同時に迷いなくトリガーが引かれる。英の拘束から逃れた優姫が、零の腕を逸らしたことで銃弾は木を抉るにとどまった。
「ばか!撃つなんて!」
「びっくりしたーっ」
大きな銃声に美夜も思わず首をすくめる。暁と同じように抉られた木に視線をやると、そこは紋様が現れて発光していた。
「藍堂さん死んでたね……」
「マジで撃つとはな」
美夜はぽつりと呟く。暁が口元を引きつらせていた。
美夜は傷口からまた血が流れてきているのに気付き、英から離れて、落ちている上着を拾った。適当に、ぐるりと腕に巻きつける。夜間部の登場にはしゃいでいた二人は、何時の間にか気を失っていた。
美夜が倒れた二人の側で上着の袖を縛っていると、良く通るテノールが聞こえた。緊迫感で満たされていた空気に、また違う緊張が加わる。
ゆったりと歩いて来る黒髪の男子生徒。彼は英の首根っこを掴み、零を見据えている。
「その[血薔薇の銃]……収めてくれないかな。僕らにとって、それは脅威だからね。それと、この痴れ者は僕が預かって理事長のお沙汰を待つ」
「玖蘭寮長……っ」
首根っこを掴まれている英は、なんとも情けない顔だ。怒られちゃえ、と美夜は気付かれない様に笑った。優姫に手を出そうとされたのは、自分でも思った以上に気に障ったらしい。
「いいよね、錐生君」
威圧感のある有無を言わせない口調だったが、零は怯んだ様子は微塵もない。早く連れて行って下さい、とうんざりした声音で言い、ようやく銃を懐に仕舞っていた。
零が銃を収めたのを確認した玖蘭枢は、突っ立っていた暁に声を掛ける。
「なぜ藍堂を止めなかった。君も同罪だ」
「へ?」
暁は何か言いたげだったが、枢に意見することは出来ない様で、頭をかいただけだった。そこで、枢の視線が美夜を捉える。美夜はただそれを見つめ返すだけだったが、我に帰った優姫が駆け寄って来た。
「そ、そうだ美夜!腕、大丈夫なの?」
「うん、多分血も止まったし」
心配をかけないよう微笑みかけ、上着に包まれた左腕を示す。
「優姫、彼女は……?」
「あ、晃咲美夜っていって……私が藍堂センパイに囓られそうになった時、庇ってくれたんです……」
優姫の言葉に小さく会釈をしておく。枢は美夜の腕を見て状況を把握したのか、すまなかったね、と謝ってくれた。しかしすぐに、枢は視線を鋭く美夜を見る。それに滲むのは警戒心だ。
「なら……美夜、と言ったかな、君は僕らのことを知っていたのかい?」
あ、そうだった、と驚きに顔を染めた優姫が「知ってたの?」と顔を覗き込む。美夜は苦笑を漏らしながら、まあね、と短く言った。優姫はもっと警戒心の類を持つべきではないだろうか。
枢が美夜に追及しようとさらに言葉を重ねるより先に、黙っていた零が口を開く。声音からは苛立ちがありありと受け取れた。
「あとはこちらで対処しますから……さっさと行ってくれませんか」
「そう……じゃ、後は頼むけど。恐い思いをさせて悪かったね、優姫、美夜」
「いえっ!何ともないですから」
「私も自滅ですし」
夜間部の三人は、微笑んだ枢を先頭にその場を離れて行った。美夜は、優姫が枢の背に見惚れているのを見て悲しげに眉を下げていたが、思わず出たくしゃみで、自分が風呂上がりだったことを思い出した。着ていた上着は止血に使ってしまっているので羽織られない。
「優姫、行くぞ。さっさとこの二人を運ぶんだ」
「あ、うん」
どうやってこの場から離れようかと考えていた美夜だったが、零の言葉に慌てる優姫に、美夜も来てね、と言われて逃げるのを諦めた。真剣な面持ちの優姫に軽く返す事は出来ず、苦笑して頷く。
ふわりと肩に掛けられた上着に驚いて顔を上げると、心地よい重みが頭に乗った。
「風呂上がりか?風邪引くぞ」
「ありがと」
笑いかけるも零は反応を示さず、倒れた二人の内一人を肩に担ぎ、もう一人を脇に抱えた。
「ここは血の匂いが充満していて気持ち悪い……」
零の呟きに、美夜は心の中で謝罪した。
歩き出した零に、優姫と並んで続く。まるでワンピースの丈になっている零の上着を汚さないようにと気を付けながら、緩む頬を必死で引き締めていた。
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