28


 舞踏祭を抜け出した枢が、濃い血の匂いを辿った先の部屋には、着物を赤く染めた閑がいた。
 部屋に足を踏み入れると、閑はこちらを見て小さく笑う。

「ああ……来たか」
「ええ。……何か?」
「こちらの話だ」

 枢は多少疑問に思いながらも、それ以上聞くことはしなかった。窓辺に歩み寄りながら、室内に漂う閑の物ではない血の匂いを感じ取った。
 枢自身は飲んだ事の無い血だが、この匂いは知っていた。それに、この血の持ち主がこの建物内にいるであろう事も知っていた。

「……美夜が、ここに?」
「ああ。あれは中々面白い奴だ。……美夜が"影"だったことは?」

 窓に背を預け、驚きをもって閑を見る。口元に弧を描く閑はどこか楽しそうで、嘘を言っている様子もない。
 そういえばここに来るまでに、美夜の気配を感じなかったなと納得した。同時に、今までの彼女の無謀さも、漠然と分かる気がした。しかしまさか、美夜があの"影"と呼ばれるハンターだとは思わなかった。

「初耳です……彼女が怪我を?」
「……この血の匂いの事を言っているなら、これは合意の上だ」
「咬んだのですか?」
「咬もうとしたら抵抗するからな……少し血を分けさせただけだ」

 合意の上、と言う事は、零を助ける血を手に入れたと思っていいのだろう。いくら美夜から血を分けてもらったとはいえ、閑が零を助けるとは意外だ。
 美夜と何かあったのだろうか、と想像しかけて止めた。結果的にそうなっているのなら、今更自分がその過程に口を出すのは無駄だ。

「……[月影]を使っている上に、傷口を覆って出て行ったから、お前とて美夜に気付かなかったろう」
「クス……ええ、さっぱり」

 閑は枢に背を向けて、自身を締め付ける帯を解き始めた。着物を変えるつもりらしい。

「……酷い血ですね、閑さん。美夜が?」
「いや、零だ。[月影]の刃は受けておらん。……美夜の血で、多少は血も止まったがな」
「……これだから、対吸血鬼用武器は厄介だ。<純血種>の異常な治癒力がかなり制限される」

 しかも零の使用する[血薔薇の銃]は対吸血鬼の力が強い。並みの吸血鬼なら一発撃ち込んだだけで灰にしてしまう。それを数発食らった閑は、相当ダメージが大きいはずだ。

「……玖蘭の坊や」
「はい」
「お前は、何のためにこの学園に来た?」

 先程までの世間話の様な口調に、真剣みが増した。枢は浮かべていた微笑を消して、窓から背を離す。この学園に通う者はもちろんそうでない者も含め、多くの人物の顔が頭をよぎった。

「恩返しと……手駒を揃えるのに丁度良かったから」
「……美夜も、か」
「……残念ながら、彼女は僕の手に乗っていないんです」

 そう返しながら背を向ける閑に歩み寄ると、閑は「だろうな」と言って鼻で笑った。やはり閑も美夜とのやり取りで、彼女独特の雰囲気や考えを感じたのだろう。
 枢は後ろから閑の肩に左腕を回し、恋人同士がするように閑の体を引き寄せた。自分とは正反対の色をした髪に顔を近づけ、耳元に口を寄せる。

「僕は多分……貴女と同じことをしようとしている――――閑」

 名を呼んだと同時、枢は後ろから閑の体に右腕を突き刺した。それは生暖かい体温と肉を引き裂く感触を枢に伝え、真っ赤に染まった自身の右手は閑の体を貫通する。

「僕も貴女のように、たった一人のために」

 閑は、体を枢に貫かれているというのに驚いた様子は無かった。音を立てて血が床に落ちていく様を、ただ他人事のように眺めていた。

「あまり……驚かれないんですね」
「ああ……私も、お前の命を取ろうと考えていた。黒主優姫を刺客にして」
「……正しい選択です」

 突き出していた腕を軽く引いて、閑の体内に戻す。しかし引き抜くことはせずに、脈打つ心臓を握る。

「……零の銃弾によって治癒力を削られている今なら。心臓を抉り出せば、純血の身の貴女とて滅びるかもしれません」

 そう告げれば、流石に閑は表情を歪めて枢を横目で睨んでくる。

「……卑怯者め。こうなることを予想した上で、機会を狙っていたな?」
「ええ。無傷の<純血種>を相手にするなんて不毛すぎますから」

 吸血鬼の中でも飛びぬけた治癒力を持つ<純血種>は、通常であれば心臓を抉ろうとも、首を切り落とそうとも、頭を潰されようとも――回復に時間は掛かれど――絶命することは無い。
 だが、対吸血鬼用武器のような、治癒力を削る武器であれば話は別だ。それが心臓を掠っただけでも、致命傷になり得る。
 口を開きながらも脈打つ心臓から手を離さない。

「僕は貴女の純血の血が欲しかった。……貴女も僕の純血の血を必要としたから、優姫を利用しようとしたのでしょう?」
「……あの娘には、こちらが手駒にしてやるくらいしか価値はなかろう?"今は"な」

 複雑な意味を含んだ様な言い方に、枢は否定も肯定もしなかった。閑も別に反応を求めていたわけでは無かったのだろう、そのまま言葉を続ける。

「私はもう抵抗できん……この計略(ゲーム)の敗者には"死"あるのみ。生かしておけば、いずれあの娘が死ぬぞ?」

 言われずとも分かっていることだった。閑が学園に来たときから、生かしておくつもりは無かった。ただその力を手に入れるために、機会を窺っていただけだ。
 閑の肩に回していた腕を移動させ、顎に手を添えて首を傾けさせた。一切の抵抗をしない閑の白い首筋に顔を近づける。

「――――貴女の命、僕が頂きます。優姫を護る、絶対の力とする為に……」

 牙を穿ち、溢れる濃い血を飲み下す枢の耳に、閑の独り言のような呟きが届いた。

「不思議なものだ……まさかお前とこんなことになるとは。初めて会ったときのお前は、全く吸血鬼らしくなかった。……それが、今は――――」

 牙を抜くと同時に心臓を握ったまま右手を引き抜き、心臓は手の中で瞬時に焼いた。呻きもせずに体を倒す閑を抱きとめ、手の甲で口元の血を拭うと、閑を床にゆっくりと横たえる。
 閑の表情は、心臓を引き抜くという荒業を受けたのが嘘のように穏やかだった。治癒力が落ちている上に心臓を引き抜いたのだが、<純血種>はやはりすぐには死ねないらしい。

「貴女が本当に憎んでいたものを……僕が必ず滅ぼしましょう。僕達<純血種>の運命を狂わせたものを……」

 それが彼女への弔いにもなるだろうと思い口にする。閑は少しの間を置いて、閉ざしていた口を動かした。

「純血を食らった純血の吸血鬼……お前は新たな力を得ると共に、禍々しい未来を引き寄せたのだな。お前の行く末は闇しかないぞ……枢」

 閑の言葉を重く受け止めながらも、名を呼ばれたことに、僅かに口の端を上げた。覚悟はとうに出来ている。ただ一人の大切な存在のためならば、どんな事でもしてやると。この手が血に汚れても、厭うことはない。

「分かっています……」

 部屋の直ぐ外に、良く知った夜間部生がいるのに気が付いていた。彼が息を呑む気配を感じながら、閑を床に寝かせて立ち上がる。
 <純血種>殺しは大罪だ。部屋の直ぐ外にいる人物の反応で、そう改めて認識すると同時に、目的の為とはいえ躊躇いのない自分の行動は、優姫には隠しておくべきだろうと冷静に思った。





 遠ざかっていく黒いコートを見送る。去り際に頭を撫でてくれるのはいつもの事で、修行中の厳しさからは中々想像できない笑顔を浮かべていることもある。
 コートのポケットに手を突っ込んで佇んでいると、右手の枯れ木が並んでいる所から、一人の少年が飛び出してきた。

「零っ!」

 両手を広げ、笑顔で名を呼ぶ少年は、熱があるからと家で寝ていたはずの弟だった。
 零は自分と全く同じ顔の彼の肩を軽く押して、少し怒ったように言った。

「ちゃんと家で寝てなきゃ駄目だろ、壱縷」

 零と違い、壱縷は生まれつき体が弱い。体調を崩すことも多く、そのような時はじっと安静にしていてほしいものだ。だが両親は仕事柄家にいることが少ないので、こうして簡単に出てきてしまう。
 今日は両親共家にいたはずだが、上手く隙を突いて抜け出してきたのだろうか。
 壱縷は零の言葉に悪びれた様子も無く返答しながら、額と額を合わせてきた。

「熱なんて嘘だよ、零。知ってたクセに」
「……そんなに師匠の見送りに来たくなかったのか」

 つい先程この場所を後にした黒いコートを思い浮かべる。

「俺はどうせ足手まといの生徒だから……あの人、別に本気で相手してくれてないし。いいよ、零が俺のこと好きでいてくれれば」

 壱縷は寂しさを滲ませて呟き、零の肩に腕を回して抱きついた。零も抱きつきこそしないものの、壱縷の腰に手を添えた。
 零の肩に顔を埋めていた壱縷が、ふと空を見上げる。零もつられて同じように空を仰ぐと、白い小さな何かがひらひらと舞っていた。

「……雪……?」
「……違う、壱縷。狂い咲きの桜だ」

 肌に触れても溶けないそれは、薄い桃色をした花びらだった。二人が立つ場所からそう遠くない所に立つ木が、満開の桜を枝に抱いている。他のどの木も葉をつけていない今、桜が咲く等普通は考えられない。
 その桜の木の傍に着物を着た二十代くらいの女が立っていた。長いストレートの銀髪を風に揺らして、息を呑むほどの整った顔立ちをしていた。しかしその顔に笑みは無く、無表情に涙を流している。

「奇麗な人だね……」

 見惚れて呟く壱縷に返答せず、零は壱縷の手を引いた。胸に起こる違和感は、彼女が"違う"と告げている。早くこの場から離れるべきだと本能的に感じた。

「早く帰ろう、壱縷。父さんと母さんがきっと探してる」

 腕を引いて早足で歩き始めると、後ろを歩く壱縷が訝しげに声を掛けてきた。

「……どうかした?零」
「あれは吸血鬼だから」
「……ふうん。俺にはわかんなかった」

 後ろから壱縷が腕を回して抱きついてくる。どうかしたのかと名を呼ぶと、壱縷は誇らしげに、だがどこか少し寂しそうに言った。

「零はほんとにすごいや。俺に不足してるモノを零が埋めてくれる」
「……壱縷」

 どう返せばいいのか分からなかった。互いが互いにとって大切な片割れである事に変わりはなく、体が弱いからといって壱縷が零に僻んでいる訳ではないと知っている。本当にそう思ってくれているのだろうが、滲んだ寂しさを拭う方法が分からなかった。
 その日の夜、いつものように零のベッドにもぐりこんでいた壱縷だったが、寒い中出歩いたせいでか本当に熱を出してしまった。



 その頃から、零は壱縷の様子に言いようの無い違和感を感じ始めた。
 離れている時の時間の方が少ないのではないかと思うくらいくっついてきていたのだが、それが無くなった。一人でいたがるようになった。笑顔で名を呼んでくることがほとんど無くなった。壱縷らしくない、冷たい目をすることがあった。

「零……俺は"何"?」

 ある夜、外の空気を吸ってくると出て行こうとした壱縷は、引き止めた零に向かってそう言った。彼らしくない、冷え切った目を向けて。
 返答できずに壱縷をただ見つめていると、壱縷は零が掴んでいた手をするりと離して、一人で外へ出て行った。
 その後、強い殺意と敵意を外から感じ取った。血がざわめく様なそれに、外に出て行った片割れが気にかかって、驚く親の声を無視して外へ躍り出た。
 風が強く、雪が降っている。こんな中に壱縷がいたらまた体調を崩してしまう、と思うと同時に、目の前にいた存在に鳥肌が立った。殺意と敵意の中心には、着物を着た女が立っていた。
 いつか狂い咲きの桜と共にいた女の吸血鬼。あの時と同じように、その吸血鬼は表情無く涙を流していた。

「……お前」
「聡い子……親より先に私の襲撃に気付くなんて。狩人の双子……全ては罪深き血のせいか」
「何の話だ……」

 "襲撃"という言葉を心の中で繰り返す。あの吸血鬼はハンターである両親を殺しに来たのだ。
 女を睨んでいたが、瞬きの間に姿を消す。しかし独特の気配を頼りに勢い良く振り向くと、女はすぐ後ろに立っていた。

「君に、さらに罪深い運命を授けよう」

 女はそう言って、鋭く尖った爪を零の首に添える。一刻も早く離れたかったが、漠然とこの吸血鬼が強いということは感じられ、抵抗しなかった。まだ子供の自分に太刀打ち出来る相手ではないと察したのだ。
 どうすべきかと考えを巡らせるが解決策は出ない。せめて壱縷はここに来ないで欲しい、と半ば願っていると、異変を察した両親が出てきてくれた。

「零!壱縷!――――緋桜、閑……?」
「っ……<純血種>の貴女が、こんな所に何の用が」

 両親の言葉に目を見開いた。"緋桜"と言えば吸血鬼界の頂点に立つ<純血種>の家系だ。両親が腕のあるハンターと言えど、相手にするには悪すぎる。
 ずっと黙っていた女だったが、両親が武器を構えると、屈んで零の首元を寛げた。

「お前達があの人を消した……その報いを与えに」
「よせッ!」

 両親が悲鳴に似た声で叫ぶ。
 間近で涙を流す女の顔は憎悪に染まり、口元から覗かせたその牙を零の首へと穿つ。
 <純血種>に咬まれる――――つまりは吸血鬼へと"堕とされる"。頭の冷静な部分でそう思い、まるで自分のことでは無いように感じた。
 皮膚を破られたことによる痛みの次に、体の内側から何かが蠢いてくるような感覚。ひどく気持ち悪く、咬まれたその一瞬で体がだるさを覚えた。
 そこからは、まさに地獄だった。足元には力尽きた両親が倒れ、気が付けば零自身も、女――閑も、周囲も両親の血に染まっていた。
 閑にしがみつくような形でなんとか立っていた零だったが、体の内側からの異変に意識を保つのが限界に近付いていた。親の死を目の当たりにして、何か緊張が切れてしまったのかもしれない。

「っ……!」

 倒れこむ直前、視界に入ったのは壱縷だった。驚いてこちらを見つめる壱縷に危機感を抱く。早く逃げてくれないと、閑は壱縷も咬んでしまうかもしれない。そんなのは絶対に御免だった。

「壱縷、逃げろ……」

 立ちすくむ片割れにそう告げて、倒れこみながら閑を睨む。手放してしまいそうな意識を必死で掴み、赤い着物で見下ろしてくる閑に向かって声を絞り出した。

「……壱縷に手を出したら、絶対に殺してやる……」

 倒れこんだ直後、壱縷は零を見て微笑んでいた。
 零は、壱縷が閑と共に居る事を自ら選び取ったのだと知った。


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