31


 舞踏祭から四日後、零は無事学校に復帰する事になった。三日後には傷も完治し熱も下がっていたのだが、大事をとって休んで貰った。
 一講目の途中で、欠伸を噛み殺しながら教室に入って来た零にクラスメイトの視線が集まる。遅刻しているにも関わらず、堂々と歩く零に苦笑した。

「?」

 美夜は、クラスメイトの視線の向け方に違和感を感じた。こんな光景は十分に見慣れていて、今更気にする程の事ではない筈なのに、何やら囁き合っており落ち着きが無い。
 寝癖でもついているのかと思ったが、零に可笑しな様子も無い。優姫に問うてみようにも美夜の隣で眠ってしまっている。

「おーい静かにしろー。錐生は少しくらい申し訳なさそうにしろよー」

 黒板に向いてチョークを動かす教師は、振り向きもせず、入って来たのが零だと気付いてそう言った。
 僅かに大人しくなったが零を窺うクラスメイトに首を傾げていると、沙頼からシャーペンで肩を控えめに突かれた。

「ねえ美夜」
「何?」
「……零くん、雰囲気変わった?」
「そうかな……」
「何だか……夜間部の人みたいな雰囲気だわ」

 さらりとした言葉に数度瞬きを繰り返す。沙頼の鋭さに驚かされたと同時に、クラスメイトの騒ぐ理由にも検討が付いた。沙頼に気のせいだよと笑って、斜め後ろに座った零を振り返る。

「おはよう」
「……ああ」

 美夜は、零が欠席していた日も様子を見に行っていたのでそう感じなかったのだが。
 人間と吸血鬼の雰囲気というものは、個人差はあれど違うものだ。吸血鬼はその性質上、人を惑わせるような空気を持ち、それが人間には――場合によっては吸血鬼にも――魅力として認識される。
 零が吸血鬼として目覚めたのは幾分前だが、完全な吸血鬼となったのは舞踏祭の夜だ。元々綺麗な顔してるから余計にかな、とちらちら零を窺う視線を感じながら小さく笑った。




 今日の出待ちは、少し様子が違っていた。
 零の周りの女子が比較的大人しいのはいつも通りだが、明らかに零に向ける視線の種類が敵意ではない。
 零本人が睨むので騒いではいないが、少々色めいている。零に自覚があるのかは分からないが、向けられる視線のせいで零の眉間の皺が深い。

「美夜美夜、何か零の周りの空気違くない?」
「そうそう。朝からだよ」

 近くにいた優姫が問うて来たので、美夜は苦笑してその理由を手短かに伝えた。

「おお、零にモテ期が来たって訳ね」
「…………大体あってる」

 そうこうしていると、月の寮の門が重々しい音を立てながら開いた。美夜と優姫はそれぞれ持ち場に分かれて、押し寄せる人の壁に耐える。

「皆おはよー!」
「今日も元気だねー」

 親切にも普通科生に挨拶をするのは英や拓麻だ。美夜はこれを枢らが来たのだという合図にしており、普通科生を押さえながらも、後ろを歩く夜間部生を肩越しに振り返る。
 短く挨拶を交わしていると、いつも周りの喧騒等耳に入っていないように悠然と歩いて行く枢が、ふと歩調を緩めた。優姫への挨拶はもう済ませていたので、どうしたのだろうと様子を窺う。

「しばらく見なかったけれど……元気そうだね」
「……どうも」

 枢の視線の先には、ズボンに手を突っ込んだままの零がいた。<純血種>である枢が、零の不完全さが埋まったことに気が付かない訳が無い。
 枢だけではなく、英や瑠佳達も零への違和感に気付いたのか、僅かに眉を寄せていた。<純血種>では無いにしても、彼らは<貴族>の中でも上位の血統だ。気付いてもおかしくはないし――以前、理事長は隠せと言ったが――零が<元人間>であることにも気付いていただろうと思う。
 枢が立ち止まったからか、普通科生の盛り上がりが少し静まった。枢は普通科生からも一目置かれているから。

「……手に入れられて良かったね、錐生くん」
「玖蘭先輩に言われても、別に嬉しくないですけど」
「クス、そう」

 美夜は軽くなった腕から一旦力を抜いて、一発触発という言葉が合いすぎる二人を見つめた。零の物言いが気に入らない夜間部が苛立ちを滲ませている。
 口調は柔らかいが異様な程張り詰めている二人の空気に、近くにいる普通科生の顔が強張り始めていた。

「彼女のお陰かな……?君より余程頼りになりそうだ」

 零の眉間の皺が深くなり、ちらりと枢がこちらに視線を寄越した。やはり美夜が"影"であると知っているらしい。黙ってくれているのは、こちらの事情を察してくれているのか、美夜が閑を殺した最有力者の名を伏せているからか。
 前者だったら嬉しいけど、多分後者だろうな。

「……何が言いたいんですか」
「ただ、おめでとう、とね」
「遠回しですね」
「あと……もう、役割を忘れては困るよ」
「……俺は誰の言いなりにもなりません」

 枢は微かな笑みを浮かべたまま、それに返答せずに歩みを再開させた。零がすれ違い様に夜間部生から鋭い視線を受けていたが、取り合えず美夜はほっと息を吐いた。
 零と枢の会話は、言ってはならない事を言いそうで、銃を向けそうで、物を壊しそうで、美夜からすればただ心臓に悪いだけだ。
 美夜の視界の端に移った木の幹が不自然に抉られていたのは、見て見ぬ振りをした。





 授業を抜けた出した暁と英は、敷地内を目的も無く歩いていた。
 暁が横目で英を窺うと、英は宙を睨むようにして難しい顔をしていた。
 女子がいる時は"アイドル"というあだ名に相応しい振る舞いをしているが、何か悩みがあるらしく、すぐに呆けたり考え込んだりしていた。

「……授業抜け出してきて良かったのか?」
「そんな気分じゃない」

 今更な質問をぶつけてみると、英はさらりと言って首を軽く左右に振った。枢が出席している時に英が授業をサボる事は無いに等しい。なんせ英は枢至上主義なのだから。

「……何かあったとしか考えられないな。お前のその態度……」

 閑の一件からだ。
 閑が絶命した直後その場にいた暁は、すぐに枢に状況をありのまま説明した。英も閑の脱ぎ捨てられた体を発見したから、暁と共に枢に報告していたのだが、その時既に、英は心ここにあらずだったのだ。閑について散々気にしていた割には、妙に静かにしていた。
 英は答えず、不意に立ち止まって建物の壁に背を預けた。

「……なあ、暁は……緋桜閑のことどのくらい知ってる?」

 出てきた名前が予想通りの人物で、暁は驚くことなくそれに答える。

「抑制のきかない……吸血鬼にとっても人間にとっても危険な存在で、乱心の末錐生の家を襲撃。そして姿を消し……ここに現れた、とだけ」

 直接閑と話したことは無いから、人から聞いたことばかりだ。まるで模範解答だと思いながら言ったが、当然英はそれを咎めることはなかった。彼も閑に関する知識は、似たようなもののはずだ。

「すっかり厄介者の扱いだよな。ある意味とても吸血鬼らしいけど……それでも、稀少な<純血種>だ。同じ純血の年上の許婚がいたはずなんだ」

 <純血種>はその血統を保つために、<純血種>同士で婚姻を結ぶのが普通だ。数が圧倒的に少ないために、本人の意思とは関係なくそうなる事も多いらしい。たとえ血が繋がっていたとしても、夫婦となることもある。

「これは僕が父上から聞かされた話だけれど……あの女は純血の許婚がありながら、一人の人間の男を傍に置くようになったらしい。正確には元人間の吸血鬼……閑はその僕(しもべ)を愛したそうだ」

 そしてその僕の名がハンター協会の粛正リストに上がり、錐生のハンターがその僕を討ったのだと、英は淡々と告げた。"錐生のハンター"とは、無論零の両親だ。
 そこまで言って一度言葉を切った英は、疑問を滲ませて付け足した。

「……でもその男は、まだ<レベル:E>に堕ちていなかったとも聞いている」
「普通なら、まだハンターの粛正の対象になるはずがないな……」
「でも現実にはリストに載り錐生の親が粛正……多分標的(ターゲット)が閑の恋人だとは知らなかったと思う」

 そして錐生家は閑に復讐された。任務に当たった二人は閑の手で殺された。
 もし閑の恋人だと知っていたなら、任務に行く前に元老院に抗議でもするだろうし、<純血種>の恋人を殺すのにハンター二人で赴くことも無かっただろう。

「……理由はどうあれ、<純血種>が先陣きってハンター側に牙を剥いたことは事実だ。<貴族>の大半は争いを望んでいないから"乱心"と言われても仕方は無い……」

 結論を述べてみると、英は反論はしなかったものの、納得した様子もなかった。暁も話しながら僅かに疑問を抱き、英の引っかかっているのはこれかと漠然と思う。

「……危険分子でしかない緋桜閑の行方を、元老院はずっと追い続けていたはずだ」
「そう……暁、閑は元老院から逃げていたんだ。なのに何故、この歓迎されるはずの無い黒主学園に来たと思う?」

 わざわざ紅まり亜の体を借りて、編入生として学園に侵入し、だが結局は何者かの力によって命を落とした。
 不可解と言えばかなり不可解にも思える。だが、この学園には錐生の生き残りがいるのだ。

「……乱心の延長では……?」

 可能性はある。零自身も彼女を相当憎んでいるようだし、閑も何か執着していたのかもしれない。
 しかし英は眉を寄せたまま壁から背を離し、いや、と暁の肩を軽く押した。

「違うだろ……?欲しいものがあったからだ」

 英の言い方からして、彼は何か、暁の知らない事を知っているらしい。だが知ってしまったら、余計に混乱するような事柄だったのだろう。これでも英は頭が良いのだから。

「彼女の復讐は、四年前に終わったんじゃなかったのか……?」
「…………」

 生憎、暁は英の疑問を解決するような言葉を持ってはいなかった。





 英と暁がいない夜間部の教室で、授業が終わった直後、枢が静かに口を開いた。

「ねえ皆……頼み事を聞いてくれるかな」

 声を荒げた訳ではない。教室の壁に凭れたまま呟くようにしただけなのに、彼が口を開くと、自然と教室は静まる。そしてじっと枢の言葉を待つ。
 比較的枢の近くにいた瑠佳は、淡々と告げられる"頼み事"に目を見開いた。思わず傍に立つ拓麻に視線を走らせるが、拓麻は既に聞いているのか、驚いた様子はない。
 夜間部生が笑顔で了承する中、瑠佳が枢に問いかけた。

「枢、様……本当に……?」

 拒否はしないが、信じられない気持ちも強い。枢は瑠佳の困惑を見透かしたように、口の端を上げた。




「……あれ」

 夜の見回りをしていた美夜は、前方から歩いて来る二つの白い制服を認めた。夜間部生が授業を抜け出しているらしい。
 夜間部は割りと授業が自由な雰囲気なので、出たくない授業は出なくてもいいのだが、それでも校舎内か寮内にいてもらうことになっている。こういう場合は、教室や図書室まで送らなければならない。
 こちらに気付いた暁が、ポケットから出した手を軽く上げた。

「よう」
「よう。暁さん、英さん」

 それに習って同じように返すと、二人は一瞬きょとんとしたけれど、すぐに小さく笑う。

「お前って意外とノリ良いよな」
「そう?」
「今夜もお仕事ご苦労様ー」
「たった今仕事増えたんだけどね」

 ぽすぽすと頭上で弾む手に苦笑すると、全く反省の色の無い謝罪をされた。教室に行くかと問うと、英は視線を逸らして言葉を濁す。

「……戻らないんですか」
「そういう気分じゃない」

 どうしたのだろうと暁を見上げるが、彼は何とも言えない表情で肩を竦める。何かあったらしいが、生憎美夜には見当も付かない。
 しかし、そういう気分じゃないからとこのまま外を歩かれるのも困る。

「じゃあ、図書室とか寮とか」
「……このままっていう選択肢は」
「ありません。決まりですから」
「はあ……なら図書室」

 大袈裟に溜め息をつく英に、本当にどうかしたのかと首を捻る。枢が外出しているわけでもないだろうに、彼が授業を抜け出すのは相当珍しいのではないだろうか。
 そこで、ふと、思い当たることがあった。
 舞踏際の夜――閑に血をもらった後――仮の寮内外には合計で七つの気配があった。優姫、零、壱縷、閑、枢の五つは明らかだ。あとの二つの内、一つは外から入ってきていた暁。残る一つは、閑がいた部屋近くにあった吸血鬼の気配だった。
 誰かと思ってたけど、英さん?
 気配がその場所にあったのは、閑の気配が急速に弱まる少し前だったはずだ。ならば英は、閑が誰によって殺されたかを知っていると考えていいだろう。教室にいたくないんじゃなく、きっと枢と接しにくいのだ。

「眠そうだな、美夜」
「まあ……睡眠時間が削られるのはちょっと」

 欠伸を噛み殺した所を見られたのか、暁に苦笑された。校舎内の図書室へと三人で足を進めていたのだが、校舎に入る直前で、突然二人が立ち止まる。

「どうかした?」

 二人の表情から柔らかいものが消える。何かを感じ取ったらしいが、[天守月影]を持たない美夜には何も異変は伝わらないのだ。こういう時、どうする事も出来ない無力な人間の自分が嫌になる。

「暁……何かいる。嫌な感じだ」
「だな、行ってみるか。美夜はここにいろよ」

 さも当然のように言われたが、美夜も当然のように、"嫌な感じ"がする方向へと体の向きを変えた二人に続く。すると少し厳しい表情で英が振り返った。

「おい、ここにいろって」
「行く。そんなに変な様子なら、零や優姫だっているかもしれないもん」
「だからってお前なあ」
「大丈夫だよ。そもそもこの学園に枢さんが……<純血種>がいる以上は、危険な吸血鬼がどうこうすることもないはず」
「それは……」

 寮まで刀を取りに走る時間は無い。二人の様子からして状況は悪そうなので、丸腰で向かうのは得策とは言えないが、このまま残ることの方が御免だ。
 閑はもういない。大きな問題は終わったはず。一体何が起こってるのだろう。

「それに、英さんや暁さんだって強いでしょ」

 微笑んで言うと、これが止めになったのか、二人は溜め息をついて美夜の同行を了承した。




 優姫は首を傾げて辺りを見回した。夜の見回り中、何か人影を見た気がしたのだ。普通科生ならば急いで見つけなければと思ったのだが、誰かがいる様子はない。
 気のせいだったのかな。
 そう思って、だがもう少し見て回ろうと歩き始めると、聞き慣れない声が掛けられた。

「ここは黒主学園ですよね?いやあ、残業帰りに寄ったものだからすっかり遅くなってしまって……」

 スーツに眼鏡を掛けて苦笑する男性が、汗をハンカチで拭いながら立っていた。風貌や言っている内容はサラリーマンだが、優姫は表情を硬くした。美夜の様に気配を感じられる訳ではないが、感覚的に。

「あなた……吸血鬼ですよね?」

 感覚だけではなく、学園に用事があるのならまず理事長の所に行くだろうからこんな所にはいない筈だ。
 男は瞬時に爪を伸ばす事でそれを肯定した。
 優姫は[狩りの女神]を展開して、男に厳しい目を向ける。

「なんだ、お嬢さんも守護係だったのか……じゃあ教えて欲しいな」
「……何をですか」
「男の守護係の居場所」

 男が姿勢を低くして地面を蹴ると同時に、[狩りの女神]を男に向ける。だが男が優姫に触れる事もなく、[狩りの女神]が男に当たる事もなかった。

「俺に、何の用だ」

 優姫は、自分の前に立って男の腕を掴む零を見上げ、危うく零に当たる所だった[狩りの女神]を慌てて構え直す。
 男は零に腕を掴まれたまま、にやりと気味の悪い笑みを浮かべた。

「錐生零――――吸血鬼最高機関"元老院"の命により、<純血種>緋桜閑を殺した罪で貴様を処刑する」

 信じられない言葉に、優姫は目を見開いた。
 この男は、いや、元老院という機関が零を殺すつもりなのだ。

「俺が殺ったんじゃない」
「言い訳は聞かな――――」

 襲おうとしてきた男を零が地面に叩き付けると、バキ、と骨の折れる音がした。

「吸血鬼の骨を折るとは貴様……っ」

 この男は、零が吸血鬼であると知らないのだろうか。地面に伏せたまま顔を苦しそうに歪めるが、また気味の悪い笑みを浮かべる。優姫も零もその意味を容易に理解出来、周囲を見回した。
 何時の間にか、伏せた男と同じ様な格好をした吸血鬼に囲まれていた。一桁の人数ではなさそうだ。

「……<純血種>を殺した大罪を、貴様一人の命で贖(あがな)うことが出来るのだから、安いものだろう?」

 伏せた男が笑みを含んだ声で言う。それに「死ぬつもりは無い」ときっぱり反論した零に嬉しくなりつつも、状況は極めて悪い。
 優姫は[狩りの女神]を握り、零と背中を合わせるように立った。

「……お前は関係無いんだから行けよ」
「出来るわけ無いでしょ」

 零だって病み上がりのクセに、という言葉は飲み込んだ。
 しかし彼らが襲い掛かって来るより前に、突然その中の一人が苦しげな声を上げる。反射的にそちらへ顔を向けると、何かで脳天から貫かれた一人が、体を灰へと変えていた。

「な……っ」

 元老院の吸血鬼達が困惑を隠し切れずに声を漏らす。優姫と零を囲む吸血鬼達を、更に夜間部生が囲んでいたのだ。自身の血を操る千里の後ろから、枢までもが現れた。

「……元老院も承知の通り、あの女(ひと)は錐生くんに狩られても仕方のないことをした……」
「く、玖蘭枢様……っ」
「……なのに、<純血種>の尊さとやらを守るために、何故錐生くんが処刑されなければならない?」

 元老院の吸血鬼達が、一斉に跪いて頭を垂れる。こういう場面に立ち会うと、枢との立場の違いを感じて僅かに寂しくなるが、今は庇ってくれた事に安堵した。

「枢様……<純血種>たる貴方様に立ちはだかられると、我らは任を果たせません。ご学友共々お退きいただきたい」
「果たす必要ありませんから」

 切り捨てるような口調で声を発したのは、夜間部生ではなかった。またしても新たな人物の登場に、優姫は今度はそちらへ顔を向ける。すると、夜間部生に紛れて美夜が腕を組んで立っていた。
 美夜の後ろで暁が額を押さえ、英が顔を引きつらせる。美夜は微笑んで――顔だけだったが――跪いている吸血鬼達に言った。

「錐生零は<純血種>を殺めていません。彼女が致命傷を負ったと思われるとき、彼は彼女の傍にはいませんでしたから」

 優姫はその堂々とした姿に気圧されそうになりながらも、[狩りの女神]を握り締めていた。跪く吸血鬼達も美夜に圧されているのか、誰一人として口を挟まない。

「彼女に対する憎しみがあるからという理由だけで……彼の仕業だと決定されたのなら、短絡的過ぎます」
「……美夜、大丈夫。彼は殺させないから」

 枢が美夜に微笑みかけると、美夜はすみませんと苦笑し、鋭さを僅かに収めた。今美夜が刀を持っていたなら、抜いていただろうと思う。それほどに美夜の空気は鋭かった。

「彼女の言う通りだ……僕が大切に思うこの"学園"という場所を、愚かしい行いで汚さないでくれるかな。元老院の狗共」
「かな……っ」

枢が低く言うと、枢自身は一切動いていないのに、一人の腕が弾き飛んだ。

「――――消えろ」

 これ以上この場所に留まるならば容赦はしないと、枢の静かな目が語っていた。
 元老院の吸血鬼達は反論を堪えるように枢を見つめ、消えるように姿を消した。

「錐生零を庇いたてなさったこと、元老院に報告いたします。枢様……」

 最後の一人がそう言い残して消え、優姫は緊張の抜けきらないまま[狩りの女神]を仕舞う。
 夜間部生を先に教室へ戻るよう促した枢が、いつもの優しい笑みを浮かべて歩み寄ってきてくれた。

「大丈夫だった?」
「枢センパイ……零が狙われなきゃいけない理由なんてないんです」
「分かっているよ、心配しないで」

 髪を軽く触られて、ようやく少し緊張が解ける。事の中心となっているらしい零を窺うと、いつも通り枢を睨んでいた。

「何のつもりだ……玖蘭枢」
「……見過ごせなかっただけだよ」

 仲が悪いのは知っているけれど、それでも零を庇ってくれた枢に感謝する。零を殺させない為に、「吸血鬼最高機関」であるらしい元老院に、吸血鬼の彼が逆らってくれたのは、不安もあるがとても頼もしい。
 枢に頭を軽く撫でられ、緩みそうになる涙腺を引き締める。一連の事柄は、やはり自分にとってかなりの緊張を与えていたようだ。

「しかし……無茶をするね、君も。ハンターであることを隠しているくせに」
「流石にあの状況では……黙っていられないので」

 枢に礼を言って頭を下げる美夜は、鋭さこそないものの、彼らが跪いていた地面を見つめていた。

「……これで"揉み消す"つもり……?」
「美夜?」

 ごくごく小さな、何とか聞き取れる声量のそれの意味がよく理解出来ず、優姫は美夜の顔を覗き込む。

「……何でもない。本当に大丈夫?二人とも」

 眉を寄せて問うてくる美夜に、笑って頷いた。上手く笑えたかは分からないが、そうすると美夜は謝りながらも優しく微笑み掛けてくれる。それに優姫もほっとした。
 零が美夜の頭を小突くと、美夜は小無事で良かったと笑みを深めていた。

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