32


 吸血鬼ハンター協会で、夜刈は乱暴に協会長室に入った。正面にあるカウチではなく、デスクで書類整理をする協会長の前に大股で歩いて立つ。

「元老院が零を処刑って言ってんのに、協会は黙って見てるだけか!」
「来ると思ったよ、夜刈」

 鋭く言うが、協会長に驚いた様子は無く、協会長は書類を置いて顔を上げる。溜め息を吐きたそうなそれに、夜刈は眉間の皺を深くした。

「零が<純血種>を殺したなら仕方あるまい。<純血種>殺しなど、吸血鬼界の秩序を無くすようなものだよ」
「あいつが殺したっていう証拠でもあるのか?」
「無いだろうね」

 意外にも協会長はさらりと言った。扇を取り出し、広げたり畳んだりして弄ぶ。夜刈が睨むと、協会長は扇を触る手を止めた。
 零が閑を殺す動機はあるが、本当に殺したとは夜刈は思えなかった。零はそんな軽率な行動はしないだろう。

「証拠も無いのに、零を処刑するってか」
「<純血種>を殺めた犯人が見つからないのなら、最も可能性のある者に矛先は向くでしょ」

 協会長の言う事も一理ある。だが認められる訳ではない。事態が大きいのだから、ハンター協会も動くべきだ。
 なのにこいつは呑気に構えやがって。
 協会長は凄む夜刈を一瞥し、小さく息を吐いた。その余裕のある様子が気に障る。

「しかしまあ、処刑が執行される事は無いだろうから安心しなさい」
「……は?」

 予想を裏切る言葉に、夜刈は口を開けた。協会長は困惑する夜刈を置いて、溜め息混じりに続ける。

「あそこにはまた別の<純血種>がいるからね、元老院の強行を見過ごす事はないだろうし……"あれ"も黙ってない」
「"あれ"って何だ」
「学園にいる別のハンター。この件に関する報告書も上がってきているし、元老院にも送ってるだろう」

 あの隠居ボケか、とちゃんと働いているらしい事に不本意ながらも安堵する。と同時に新たな疑問が浮かんで、再び眉間に皺を刻んだ。
 報告書、と協会長は言った。その前に、零が犯人である証拠は無いとも言った。つまり、元老院にも送られたその報告書には――恐らく理事長が書いたのだから当然だろうが――零が犯人だと書いてはいなかったという事だ。

「おい……元老院が零に目を付けたのは何でだ?恨みがあるってだけか」
「さあね。そうとも言えるし……別の誰かが、零が不利になるような報告を元老院に上げたのかもしれない」

 ならば誰が?零が死んで得をする者が夜間部にいるのだろうか。

「要は、<純血種>殺しの犯人が分からないままなのはまずいから、動機のある零を使って揉み消そうって魂胆でしょう」

 呆気に取られる夜刈に、協会長は扇を使って追い払う様な仕草をした。話は済んだから出て行けという事らしい。事態の不可解さに舌打ちを残して、夜刈はそれに従った。





「――――それで、枢センパイがその吸血鬼達を引き下がらせてくれたんです」
「これは、大事だな……」

 元老院の者達が来たことを優姫が理事長に報告する隣で、美夜は優姫の手を励ますように握っていた。
 座ったまま黙って聞いていた理事長が、深く息を吐いて腰を上げる。俯いて涙を堪える優姫の頭を軽く撫でていた。

「知らせてくれてありがとう、二人とも。随分重いものを抱え込ませていたんだね……」

 目を擦って涙を仕舞った優姫が、弱い声で理事長に言った。

「理事長、零の事は本当に誤解なんです。枢センパイも元老院って所に逆らっちゃって……どこかに消えた、零の弟の事も」
「……実は、つい少し前に、枢くんからちゃんとした報告書が上がって来てたんだ。紅まり亜が編入してきてから今日の件まで、"処理済"とね」

 美夜はピクリと反応し、理事長が視線を落としたファイルを一瞥する。今回の騒動の成り行きは既に分かっているが、思わず顔を顰めた。
 閑に意識を乗っ取られていたまり亜は、未だ目を覚ましていない。理事長はそちらも心配しているようだった。

「頼もしいよね、枢くんは……でも今回の事が裏目に出て、元老院への敵対行為だとみなされなければいいんだけど……」

 これ以上優姫を不安にさせることを言わないでくださいよ、と少し苦い表情で理事長を見つめると、理事長は僅かに肩を竦めた。
 優姫が繋いでいる手を軽く引いて、さらに弱々しくなってしまった声で呟く。

「美夜……どうしよう、敵対行為って……零も……このままじゃ済まないかも……」
「だ、大丈夫だよ、優姫。零の件は、私からも報告書上げてるし……枢さんは王様だから、元老院だって怖くないよ」
「うん……しっかりしなきゃって思うんだけど」
「優姫が笑っててくれたら、枢さんもご機嫌だし、私も嬉しいし、零だって」

 少し自分より身長の低い優姫を腕に収め、よしよしと頭を撫でてやった。

「後で笑ってくれたらそれでいいよ、ね?」
「ありがと……」

 微笑ましげに見てくる理事長と目が合うと、まるでお姉さんだね、と言われて小さく笑った。弟は確かに居たな、と一瞬思ったがすぐに消える。
 美夜は、唸りながら肩に顔を埋めてくる優姫の頭を撫でつつ、ちらりと腕時計を確認した。




「私、校舎の方見回ってくるね」
「うん、じゃあ私は寮の方」

 美夜は優姫に軽く手を振って、夜間部の授業が行われている校舎へと歩き出した。行われている、とは言っても、時間からしてもう終わった頃だろう。
 門での出迎えまで三十分ほどの時間がある。美夜は校舎内を見回しつつ、階段を登る。すると階段を登った先に、枢と零が立っていた。

「……お邪魔しました」

 登った階段を下りようと体を反転させるが、枢に引き止められた。

「美夜……僕に話があったんじゃないの?」
「……まあ」

 階段を下りかけて止め、廊下に立つ。壁に掛けられた絵画が抉られているのは見ない振りをして、眉間に皺を刻んだ零を窺った。

「零も、枢さんに用事?」
「……ああ」
「まとめて聞くよ。同じ様な内容だろうから」

 お先にどうぞ、という意味を込めて零を見ると、ちゃんと通じたらしく枢に刺々しい声を発した。

「……あの女を殺したのはお前だろ」

 確かに同じ様な内容だ。美夜も閑に関連する話題だから。
 枢はそれに返答しなかったが、今回はそれが明らかな肯定だ。零はどうしてそう思ったのかと一瞬疑問が浮かぶが、この学園内で誰が<純血種>を殺す程の力を持っているかと考えれば、当然の推測だろう。

「<純血種>の血肉には特別な力があると聞いた……手に入れたのか」
「僕が行く前に血を手に入れていて正解だったよ、錐生くん。後じゃ、間に合わなかったそうだね」
「っお前、何の為にそんな……」

 あえて返答の内容をずらしている枢は、零が言葉に詰まるとすぐに美夜へ視線を移してくる。もういいのかと思うが、零は閑を殺した者の確認がしたかっただけのようだし、枢もそれ以上答える気は無いらしい。
 零に対する鋭さを仕舞った枢に苦笑する。ここまで性格が合わない事も珍しいだろう。

「質問と言うより確認なんですけど……紛らわしい報告書を元老院に提出したのは、枢さんですね?」
「紛らわしい、とは?」
「零が閑さんを殺したようにも受け取れる報告書、です」

 ですよね、と重ねて問いかけると、枢はにこりと微笑んだ。

「……犯人の名を書いたわけではないから、そう受け取られても仕方が無いのかもしれないね」
「まあ……元老院側も、素直に犯人を書かれても対処に困るだけでしょうけど」
「怒らないんだね。そっちの彼の敵意は凄まじいけど」

 言われてちらりと零を見ると、確かに先程よりも険しさが増していた。枢の報告書のせいで零が犯人にされ、それをまた枢自身が庇ったのだから、恩を売りつけられたとも取れる。気分が良くないのは当然だ。
 確認はこれだけなので、と零の袖をつかみながら――何かしそうで、不安が無い訳ではない――枢に小さく頭を下げる。

「……正直僕は、美夜が"真犯人"を告げると思っていたよ」

 きびすを返すと、枢は呟くように言った。さっさと枢から離れたそうな零が立ち止まってくれたので、美夜は枢に向き直る。

「私としては、正体をばらされるかもと思いましたけど」
「隠していたほうが良さそうだったからね」
「私もです。今この段階で正確に報告しても、良い事なんてありませんし……閑さんが殺された場面を見た訳ではありませんから」

 もし「玖蘭枢が緋桜閑を殺した」と報告しても、吸血鬼界の今まで築き上げられてきた秩序が崩れるという損害しか生まれないだろう。"玖蘭"は吸血鬼界で最高位の家柄であるのだから。
 そういう理由からも、枢が真犯人を報告しない事は想定していた。しかし零の事までも報告していたのは予想外だった。美夜自身の報告書には、零が閑が致命傷を負った時にその場にはいなかったと記載している。

「クス、助かったよ、ありがとう」
「いえ、こちらこそ。元老院を追い返してくれたことも」

 ありがとうございました、と言って笑うと、それはそいつのせいだろうが、と零が呟いた。その通りだが、追い返してもらったのも事実だ。
 美夜は体質を生かした威嚇しか出来なかった事を思い出し、零の袖を掴んでいないほうの手で腰を撫でた。

「……帯刀すべきですかね」

 [天守月影]があれば、異変もいち早く察せるし、移動も早いし、力だってある。しいて言えば、自身の気配を消し続けなければならないので周りから見つけられない事が、不便と感じられるかもしれないが。
 気配を消さないであの刀使ってると、妙な気配の吸血鬼だと思われちゃうからな。

「さっきみたいなのは、ちゃんと僕らが出て行くよ」
「はは、安心ですね」

 冗談ぽく笑うが、そうそう、と微笑んだままの枢を見上げる。

「"さっき"は、出て行ってもらわないと困りましたけど。私も丸腰でしたし」
「僕が原因だしね」

 枢がクスリと笑う。美夜も微笑みは崩さない。

「その通りです。もし、あの場に枢さんがいなかったら私も出しゃばりましたけど」
「[月影]無しでかい?」
「丸腰でも……彼らを追い返すことは、出来なくは、無い、です」

 大変でしょうけど、と肩を竦めた。
 枢に喧嘩を売るつもりも釘を刺すつもりも無いけれど、彼が美夜の言葉を覚えているのかと疑問に思ってしまっていた。

「……私は、優姫も零も大事なので」
「そうだったね」

 枢が守るのは優姫だ。そして自分の計画の為の駒達。
 美夜も優姫を守るが、零も優姫の為だけではなく大切だから守ると決めた。
 ちゃんと覚えているよ、と頭を撫でられ、お願いしますと念を押す。

「あ、あと、優姫が枢さんの様子が変わったことに気付いてましたから……壁を抉らないように気をつけてください」
「分かった、ありがとう」

 <純血種>の血は濃い。まして命を喰らう程なのだから、枢の力は今かなり不安定だろうと思う。気が緩めば壁が抉られるほどに。
 優姫の名前を出したからか、枢の空気が一段と柔らかくなったような気がした。美夜は小さく笑って、用件は済んだからと今度こそ零と共に階段を下り始める。

「……錐生くん、好きな子を傍で守れる君が羨ましいよ。今は君に、優姫を預けているだけだからね」

 そんな声を後ろから聞き、零は一度振り向いていたが、美夜は振り向きはしなかった。そして零は結局返答をしないまま、美夜の腕を引いた。
 階段を下り、校舎を出、ずんずんと歩く零に首を捻る。門の方へと向かっているので文句は無いが、零の身長で早歩きをされると、腕を引かれている美夜は小走りになる。

「零?」

 どうかしたのかと呼びかけると、零はようやく歩調を緩め、立ち止まる。
 美夜はふうと息を吐いて、零の顔を覗き込んだ。その顔にありありと苛立ちが浮かんでいて言葉を詰まらせる。
 どうしよう、すごい怒ってる。

「えっと……」
「俺はそんなに頼りないか?」

 謝ろうとした矢先、苛立ちを隠した零にそう問われた。あまりに真っ直ぐ見つめられたので、答える言葉を見失う。

「言ったろ……もう俺の為に無茶なことはしないでくれ。たとえ美夜が強いハンターだとしても」
「……うん」
「そう何度も女に庇われて堪るかよ」

 零が苦笑して、美夜の腕を離して頭を撫でてくる。心地よい重みを感じながら、美夜は零に手を伸ばしかけて止めた。
 抵抗なく零に手を伸ばした事に、僅かながらも驚き、ただ目を細めて頭を撫でられるに留める。

「……私、頭撫でられるの好き」
「だろうな、そういう顔してる」

 控えめに動く手が、不意に止まった。美夜が頭に零の手を乗せたまま小首を傾げると、零はまた真っ直ぐに美夜を見つめてくる。
 この目は苦手だ。全てを見透かされているような気がして。

「お前にとって……俺は、何なんだ?」

 それは、常から思っている事。

「……とっても、大事な人だよ」
「何年も過ごしてないのに、か?」
「年月は、あんまり関係ないと思う」

 ただ守りたいと思ったから守る、という単純な話だ。年月の話を出せば、美夜の態度は全て異常と言えてしまう。この学園に来てから、一年も経っていないのだから。美夜に対して優しく接してくれる人も異常かと言えばそうではないだろう。

「それに、私にそれを言うなら……零にとって、私は?」

 勝手に世話を焼く美夜を利用しようとは考えず、気にしてくれるし、無茶をするなと言う事こそ、可笑しいのではないか。
 彼は美夜の仮面に一瞬で気付いた。その時点で、面倒な奴だと放っておかずに声を掛けてきた事こそが可笑しな話だ。放っておいても良かっただろうに、と思いながら美夜は零の手に自分の手を添えて下ろす。

「私、そんなにか弱く見えるかな」

 美夜にそう言う前に、零が美夜にそうしたのだ。お互い様だろうと微笑みかける。

「じゃ、お出迎えに行こう?優姫もいるだろうし」
「……ああ」

 意を突かれた様にしていた零に、歩くように促す。そのまま零の二歩ほど前を歩きながら、美夜は密かに自嘲した。
 お互い様な訳は無い。自分の方が余程性質が悪い。元々は、優姫が大切にしている人物だからと言う理由で接触するつもりだったのだから。

「優しいよ、零は」
「……変だよな、お前って」

 後ろから笑い混じりに言われ、失礼だと大袈裟に眉を寄せて見せた。





 元老院が来たことが嘘のように、夜の学園は静まっていた。風紀委員の仕事も終わり、後はベッドに入るだけ。

「あっ」
「え?」

 優姫と並んで歩く美夜が、突然声を上げて立ち止まった。

「バスルームに忘れ物?」

 つい先程零が入ってしまったので、取り行くのは明日になってしまう。それでも大丈夫な物だったら良いけど、と言いかけるが、その前に美夜が首を振った。

「ううん、忘れてたの思い出して」

 歩みを再開させて言う美夜は、首を捻る優姫に肩を竦めた。

「零から渡されてた銃、返してなかった」
「…………あっ」

 そうだ、零がもう<レベル:E>になる事は無いのだから、あの銃は御用済みなのだ。零が助かった事に安堵するばかりで、あの時の約束が頭の隅に追いやられていた。

「そっか、もう使わなくていいんだよね……」
「うん」

 あの時は零の覚悟を感じて、それに応えなければと思って、困惑しながらも銃を受け取った。銃を使う日が来ないことを祈り、しかし来るであろうその日の為に、机の引き出しに仕舞っていた。
 そう言えば、美夜はすんなり了承していたなと思い出す。自分達以外に殺されるなとも言っていた。

「美夜はあの時から、零を助ける方法を探すつもりだったんでしょ。じゃなきゃ、あんな言い方しないし」
「はは、そうだね」
「凄腕ハンターなんだしね、美夜は」

 自分だけが閑の元に行って収めようとしたけれど、零にも美夜にも助けてもらってしまった。結局、自分の行動は二人を苦しめただけなのだと思うのだが、そういう言い方をすると美夜に無用な心配を掛けてしまうので、あまり思いつめないようにしている。

「明日の放課後、零に返しに行く?夜間部お休みだしさ」

 学校で渡せば手っ取り早いが、見つかったら面倒だ。自分や零は常に武器を装備しているので、今更かもしれないが。

「そうしよっか」
「すぐ寝ないでね、美夜」
「もう、分かってるよ」

 柔らかい雰囲気で苦笑する美夜に、舞踊祭の夜に"影"として戦っていた美夜を重ねて優姫は思わず笑った。

「優姫?」
「なんでもなーい」

 ハンターとして強いって言っても、やっぱり美夜は美夜だよね。
 イメージの差が可笑しかったのではなく、舞踊祭の夜には少し遠く感じてしまった美夜が隣に居ることが嬉しかった。
壁に叩きつけられていた時の打撲痕はもう美夜に残っていない。腕の傷はまだ癒えていないが、もう平気で風呂に入っている。

「……すごいよね、美夜って」
「どうしたの、急に」
「何となく……」
「?」

 美夜はいつも優姫を褒めてくれるし、それは素直に嬉しいが、美夜自身が一番強いし優しいと思う。
 自分もそうありたいと、顔を覗き込んでくる美夜に微笑みかけて誤魔化すと、美夜はふわりと笑った。

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