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 ダイニングに優姫が入った途端、椅子に座って腕を組む英が口を開いた。

「遅い!」
「すぐ作ってくれるって……」
「……迷惑そうだな」
「はい」

 間髪入れずに頷いた。英には悪いが、美夜の様に家出人を迷惑だと思わない人の方が、少ないに決まっている。せめて家出人らしく、謙虚にいてほしいものだが。

「でも後で枢センパイに叱っていただきますから」
「…………」

 これでどうだと言ってみるも、英は無反応だった。何も反論してこない。枢至上主義な彼らしくない。おかしなこともあるものだと思いながら、優姫は手の中の物が、音を立てたのにはっとした。
 黒く、薔薇の模様が施されたピルケース。動かすとザラザラと中の錠剤が音を立てるそれを、英の前に置いた。

「これ、ひとまず食べてればって」

 英はピルケースをじっと見つめると、眉を寄せてやや不愉快そうに、優姫を見上げた。

「これ錐生のか」
「……っえ、あ、いや、違います」

 私ってばなんてうかつなの!
 零が吸血鬼であることは、夜間部生と普通科生共に気付かれてはならないと、理事長に言われているのに。
 必死で首を左右に振るが、自慢ではないが自分は嘘が下手だと自覚している。どうしよう、と泣きたい気分でキッチンに居る二人を思い浮かべた。
 そんな優姫の心配を他所に、英は突然笑顔を浮かべて髪をかき上げた。

「フッ……僕が気付いているのは錐生も知っている。僕は天才だから、これくらい気付いて当然さ」
「あの、だ、誰にも言わないでください……」

 嫌な汗が流れていくのを感じながら、落ち着き無く手を握る。少しの間、自己陶酔していた英だったが、またふと不機嫌な表情を浮かべた。
 断られたらどうしよう、と不安が募るが、英は不機嫌だというよりは、少しふてくされている様だった。

「……僕はそこまで卑劣じゃないよ、黒主優姫」
「そうだね。ちょっと聞いておきたいんだけど、夜間部生で零の事に気付いてる人ってどのくらいいるの?」

 さらりと会話に入ってきたのは、いつの間にかいた美夜だった。テーブルの空の皿を重ねているあたり、それを取りに来たのだろう。
 優姫も手伝いながら、あれ、と首を捻る。

「……美夜、それってどういう意味?」
「私の予想なんだけど、零の事に気付いてる夜間部生はちらほらいると思う。人間と吸血鬼は、やっぱり空気が違うから」

 恐ろしいカミングアウトに、優姫は口元を引きつらせた。ぎこちない動作で英を見ると、彼は自分のピルケースを出して血液錠剤を手に乗せていた。

「さあ……でもまあ、一条とか暁とか瑠佳とか、あの辺りは気付いてると思うよ。特にそれについて話さないから、何とも言えないけど」
「そっか」
「ねえ、錐生(あいつ)なんか変わった?」

 問うて、英は血液錠剤を噛み砕く。本来は水に溶かすらしい――水が血色になる――が、そうしないのは、気を使われているのだろうか。
 美夜と視線を合わせる。零の事を知っているなら言っても大丈夫だろうかと、小さく頷いた。

「……零は、<レベル:E>へ堕ちる運命から、逃れられたんです」
「!そんな事、出来るはずが……いや、緋桜閑と何かあったのか」
「まあ……」

 美夜がハンターであることは言えないので、その辺りの詳しい事情については曖昧に濁す。納得したらしい英は、だが腕を組んで視線を落とした。

「……その事、枢様は」
「知ってるよ」
「そう……枢様が知ってて黙っておられるなら、僕らは何も言う事はないよ」

 重ねた皿にフォークやナイフを乗せると、カチャカチャと音がする。美夜がそれを一度に持ち上げるので、慌てて皿を分けて持つ。美夜はまだ腕の傷が完治していないのだから。
 このまま運ぶのかと思ったが、礼を言ってきた美夜が、何かに気付いたのか皿をテーブルに置きなおした。

「……英さん、何か言いたそうだけど」
「枢様が、何をお考えなのかと思ってさ。錐生の事を黙認してるのも、黒主優姫みたいな女を特別扱いするのも、元老院とわざわざ気まずくなるのも……僕には理解出来ない」

 思いも寄らない流れで名前が出され、少し驚いた。"特別扱い"という言葉にどこか気恥ずかしくなり、呟くように否定する。

「そんな、"特別扱い"だなんて……」
「それ……本気で言ってるんなら、殺すよ?」
「英さん」
「だってさ……」

 向けられた英の視線が鋭く、言葉を詰まらせた。英の言いたい事を漠然とだが分かった気がして、自然と顔の熱が引き、表情も絞まる。
 持っていた皿をテーブルに置いて、今度はしっかりした声で答えた。

「私の記憶の始まりには、二人の吸血鬼がいるんです。私を今にも"喰おう"としていた、ただ恐ろしいだけの吸血鬼と、その吸血鬼を倒して私を助けてくれた、怖くて優しい吸血鬼……」

 十年前の、自分の記憶の始まりだ。吹雪の中、雪山で一人座り込んでいる自分と、牙をむき出しにして笑う吸血鬼。そして、とても綺麗な男の子。

「私はその優しい吸血鬼……"枢様"を当然慕って……特別だというより、とても単純な関係だと思ってます」

 英の求める返答に近づけたのか、彼は厳しい視線を向けてきてはいなかった。テーブルに頬杖を付いて、軽い口調で言う。

「それってさ、何があっても信じられるって事?」
「えと……実はたまに揺らぎますけど、でも信じてます」

 ずっと黙っていた美夜が、微笑んだ気配がした。
 十年前から知っている枢だけれど、彼に関しては分からないことがとても多い。寂しく感じる時もあるが、枢はきっと、間違ったことはしないから。

「私は、裏切られてもいいんです」

 言い切ると、英は僅かに目を見開いた。続いて頭に感じた重みに美夜を見ると、優姫の頭を撫でながら、酷く優しく笑っていた。それを見て、自分の発言に照れくさくなり、ふいと視線を逸らして皿を持つ。

「あ、美夜、持って行こう」
「うん」

 手伝わせてごめんね、と肩を竦める美夜にいいよと笑って、二人で皿を持ってダイニングを出る。
 美夜はダイニングを出る間際、独り言のように言った。

「大切だって思うのに……身分とかそういうのって、関係ないと思うんだよね」

 英に宛てたのか、自分に宛てたのか分からない。どう返事をすべきかと迷ったが、美夜は返答を期待していたわけではなかったのか、また一つ優姫に笑いかけて、キッチンへと向かった。




 零が、出来た野菜炒めを皿に盛ったと同時、ダイニングに行っていた優姫と美夜が戻ってきた。皿を片付けてくると言った美夜を見送ってから数分経っている。

「ごめんね、ちょっと喋ってた」
「いや」

 皿を流しに置いて、美夜は美味しそうだと野菜炒めを眺める。零も優姫も美夜も、出来上がっていく料理をひたすら眺めるだけで、まだ夕飯にありつけていないのだ。

「これともう一品くらいで、あいつも満足するだろ」
「何作るの?四人分作って皆で食べようよ」

 優姫がお腹をさすりながら提案した。否定する理由もないしその通りだと思うので、零は、指示を待っているらしい美夜に視線を投げた。

「……食いたい物は?」
「え、私?」
「美夜、早く何か言ったほうがいいよ。塩ラーメンになるよ」

 急かす優姫に、お前もよく食ってるだろうが、と呟く。零も、常に塩ラーメンを食べているわけではない。

「塩ラーメンでいいけど……?」
「好物とか無いのか、お前」

 食費は理事長持ちであるし、理事長も料理好きだから、まだ冷蔵庫の食材にも余裕がある。あまり高度な技術を要する料理を上げられると敵わないが、まずないだろう。
 美夜は、視線を落ち着き無く動かして唸る。単に遠慮から口に出来ないのならいいが、好きな食べ物が本気で思いつかないのだろうか。

「じゃあ……オムライス食べたい、かな」

 悩んだ末に出て来たのがそれかと、可笑しくて小さく笑った。優姫が笑いながら、なんか可愛いね、と美夜の頭を撫でていた。




 一人ダイニングに残る英は、零のピルケースだけが残されたテーブルに、頬杖を付いていた。

『私は、裏切られてもいいんです』

 動揺するだろうと思っての問いかけに、優姫は――多少驚いたらしいが――しっかりとそう答えてきた。枢に対して、女子らしい浮ついた想いを向けているだけではないらしい。

「僕だって……」

 自分とて、枢を主だと慕っている。優姫とは違い、自分は枢と同じ種族であるから当然でもある。しかし、ただ"玖蘭"だからと付き従っているのではなく、枢だから仕えたいと思っているのだ。
 脳裏をよぎるのは、閑を殺めた時の枢と閑のやり取りだ。枢は何かをしようとしていて、それを閑も知っていた。
 自分に何か出来るだろうか。何か枢の支えとなれるだろうか。
 英は"懐刀"と呼ばれてはいるが、枢の考えを知っている訳ではない。それは、きっと拓麻にしても同じだろう。

「……あるはずだ、僕にも出来ることが」

 自分の主を大切に思い、敬い、力になりたいと思う事は、悪いことであるはずが無い。

『大切だって思うのに……身分とかそういうのって、関係ないと思うんだよね』

 美夜がそう言ってたじゃないか。ちょっと意味は違うかもしれないけど。
 椅子の背凭れに身を預け、天井を仰ぐ。何となく、本当に何となくだが、寮を出る前より気持ちが軽くなった気がした。





 人気は無いが、整備された道路のある林の中、一台のリムジンが走っていた。席が向かい合わせになっている車内には、暁と枢、その対面に拓麻が座っている。本来ならば英も来るはずだったのだが、どういう訳か辞退した。
 特に会話も無いが――英がいれば、もう少し賑やかだったかもしれないが――それが心地悪い訳ではない。暁は、頬杖を付いて窓の外を眺める枢を窺った。

「……まさか、寮長が元老院にたてつくとは思ってなかったです」

 何となしに、昨夜の出来事を思い起こして言ってみる。それに返答したのは、枢ではなく、苦笑を浮かべた拓麻だった。

「まあねー。枢は<純血種>では、大人しい部類だからね。表面上は」

 "表面上は"なのか、と引っかかりながらも、暁はどこかで納得する。今回の事もそうだが、枢が突然とんでもない行動を起こしたとしても、あまり気にする事ではないのかもしれない。
 拓麻が枢と同じように頬杖を付いて、ひたすら外を眺める枢に言った。

「でもさ枢、今回の事……"世間的"には悪く言われてないみたいだよ。錐生くんは緋桜閑を殺すに足る理由があった……その彼を調べ上げもせず処刑しようとする元老院と、それを阻んだ君……」

 枢を気遣う拓麻だが、彼の祖父は元老院の最高幹部だ。枢の側に立つことは想像に難くないが、元老院が処刑を行おうとしていた場に、枢と共に来ていたことは少々意外だった。

「宿敵であるハンターを身を挺して庇った"純血の君"……『枢様は種族を越えてご学友を救った。真の平和を導こうとしているのは、元老院ではなく枢様に違いない』ってさ」

 拓麻が微笑んで言うが、枢はほとんど反応を示さない。

「良かったね、枢」
「……そんなこと、考えもしなかったな」

 枢に疑問を持つわけではないが、彼のことだ、ある程度のことは分かっていて行動したのではないか、とも思う。
 極めて悪く言えば、損得計算が上手いということだ。

「そうだとしたら……これから元老院に向かう僕としては、心強い事だけれどね」

 枢の隣に座る暁から、外を見る枢の表情は見えなかった。
 ひたすら続く木々を眺めても、面白くないだろうに。いや、車内を見ていても同じかと、暁は軽く首を回した。元老院まではもう少しだが、学園からは遠い。
 何かに思い悩んでいるらしい、気まぐれな従兄弟が不意に思い出され、風紀委員に迷惑を掛けていなければいいが、と小さく息を吐いた。





「もうしばらく、お待ちくださいませ」
「ええ、分かっています……」

 コーヒーを淹れ直しに来たメイドに、理事長は苦笑して頷いた。
 吸血鬼達を統べる機関である元老院に、連絡をしたとは言え、急な形で訪れたのだ。ただでさえ忙しい"お偉いさん"に会うのに、長時間待つのは覚悟の上だった。
 自分しかいない応接間で、理事長はソファに背を預ける。コーヒーも三杯目だ。じっとしているだけというのも、じわじわと疲労を感じる。

「ふー……」

 湯気の昇るコーヒーカップを、苦い表情で眺める。このまま会わせてもらえないのでは、という嫌な考えを振り払う。
 三杯目のコーヒーに口をつけたと同時、部屋のドアが軽くノックされた。ようやくか、と安堵に似た気持ちを抱きつつ、カップを置いて、返事をしながら姿勢を正す。

「はい、どうぞ」
「……ああ、いますね」

 入って来たのは元老院の者ではなく、枢と拓麻と暁の三人だった。
 理事長は、少々の落胆と驚き持ちながら、三人に座るように促した。

「どうしたんだい?呼ばれた?」
「ええ、報告書だけでは物足りないそうです。あと、錐生くんのことを少し……あなたも?」
「まあね。一応、理事長ですから」

 正面に座った枢が、ご苦労様ですと小さく笑った。疲労の見える枢に、君もね、と肩を竦める。
 枢の隣に座った拓麻が、表情を引きつらせながら言った。

「……随分待ってます?」
「…………それなりにはね」
「なんかもうすみません……」

 祖父が元老院の幹部だからか、拓麻は弱々しく言って軽く頭を下げた。彼が悪いわけではないし、理事長からすれば、枢の味方になることで祖父と敵対しかねない彼の方が、心労も多いだろうと思う。こんなことで謝る必要などない。

「いやいや、大丈夫だよ。気長に待つしさ」
「黒主理事長が来ていると聞いて……まさかとは思ったんですけど、やっぱり」
「仕方ないよ、僕は押しかけたみたいなもんだし」

 大きな溜め息をつく拓麻に、乾いた笑みを向ける。立ったままの暁から向けられる視線が、どこか同情的でいたたまれない。
 しかし、と理事長は枢の発言を振り返り、笑みを引っ込めた。

「どんな話をしたか、聞いても?」

 問われることは予想していたのか、枢はあまり考えた様子もなく答えた。

「錐生零の処刑は、僕が学園にいる限りは控えると。……あと、学園に干渉しないでくださいとお願いしました」
「了承したの?そんなこと」
「……渋々、と言ったところですかね」

 大きく出たものだ、と思う。枢の行動に感心するも、そんな話の後なら理事長の僕は八つ当たりされるんじゃ、と悪い方向に考えてしまった。むしろ、枢に感謝しなくてはならないのに。

「ま、まあ、枢くんが進言してくれるのはありがたいよ。零のことも……僕が言うより、君からの方が効果があるからね」

 眼鏡の位置を直し、ふうと息を吐く。

「君達はもう戻るのかい?」
「そのつもりです。車を待たせてあるので」
「なら、引き止めて悪かったね。お疲れ様」

 帰るタイミングを奪ってしまったのなら申し訳ないので、陳謝して苦笑した。三人とも嫌な顔はせず、それじゃあ、とドアに向かう。
 夜間部生をまとめてくれている枢と、学園の責任者である自分の両方が、学園を空けるのはあまり良くはない。

「ああ……元老院は美夜の事、気にしていないようでしたよ」
「そうか……良かった」

 部屋を出る間際、枢が思い出した様に言った。元老院が零を処刑しに来た際、美夜が口を挟んだことは、優姫と美夜が来た際に聞いていた。
 詳しく聞いた訳ではないので重要視していなかったが、枢がわざわざ教えてくれたという事は、何か啖呵でも切ったのだろうか。
 いや、啖呵は無いか。美夜ちゃんだもんな。

「……では、僕はこれで」

 軽く頭を下げる枢と、申し訳なさそうに笑う拓麻が出、失礼しますと言って暁がドアを閉めた。
 再び一人になった室内で、少し冷めたコーヒーを流し込んだ。
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