37


 美夜が職員室へとノートの束を運んでいると、同じくノートの束を抱えた沙頼が、ぽつりと呟いた。

「……零くんと何かあったの?」
「いや、何も?」
「ふうん」

 零に告白されたのは昨日の事だ。別に忘れている訳ではなく、むしろ零と視線が合わせ難く困っている。心が定まっているとは言っても、気まずいものは気まずい。
 それでも努めて冷静に振舞っているので、表面上の変化はあまり無いはずだ。やはり沙頼は鋭いなと感心し、深く尋ねてこない事に感謝した。

「ああそうそう。今日の放課後、優姫と買い物に行くことになってるのだけど、美夜もどうかしら」
「あー……ごめん、寝ちゃうから」
「……予想通りね」

 昨日の事件の影響で、今日も夜間部は休講なのだ。よって風紀委員業務も休みとなる。
 ごめんね、と再び謝っていると、背中から声を掛けられて足を止めた。

「美夜」
「零……」

 一瞬息が詰まる。だが何重にもなる蓋と鍵のお陰で、中の感情は出てこない。

「理事長が呼んでる」
「え、今?次の授業遅れるよ?」
「……理事長からの呼び出しだから大丈夫だろ」

 歩み寄って来た零が、美夜と沙頼の持つノートを軽々と持った。代わりに運んでくれるらしい、と沙頼と目を見合わせる。
 さっさと歩き出す零に続こうとすると、沙頼が微笑みながら耳打ちしてきた。

「零くんって、美夜に甘いわよね」
「零は普通に優しいよ?」
「美夜に特別、でしょ。じゃあ私は先に失礼するわ」

 おかしそうに笑う沙頼は、美夜の肩を軽く叩いて教室へと引き返す。残された美夜が零を確認すると、背中がすっかり遠くなっていたので慌てて追いかけた。
 自分の意志で封じ込めた想いは、思っていた以上に胸を刺して痛かった。




「今夜、この近くで行われる夜会の監視だそうだよ」

 理事長は、ハンター協会からの指令書を美夜と零に渡す。零が無表情ながら不機嫌を滲ませるのはいつもの事だが、美夜はどこか困惑気味だった。

「あ、都合悪かった?」

 急だからね、と苦笑しながら問うと、美夜は首を横に振る。

「そういう訳では……私は、密集区処理……粛正が専門なので。それに、指令は私に直接届くと思っていたので……」
「なんか向かうはずだったハンターが、急遽、優先で別任務が入ったらしくてね。これ速達で来たんだよ」

 理事長が言うも、美夜はまだ訝しげに紙面に視線を落としている。しかし協会からの指令を断るつもりもなかったのだろう、程なく顔を上げた。

「まあ、穏健派の集まりだから、手を焼く事はないと思うよ」

 分かりましたと頷く美夜の隣で、零も溜め息混じりに頷いていた。





 放課後、仕事用の服に着替えた美夜は、刀を腰に差して準備を整えると窓から飛び降りた。
 今回の任務は夜会の監視。しかも穏健派だ、"影"が出るまでもないと思うのが正直な所だ。だがわざわざ速達で指令書を送ってきたということは、やはり向かうべきなのだろう。
 学園の裏門の一つに着くと、正装してコートを着た零が立っていた。会場内で監視を行うから、仕事とは言え正装するのは当然だ。美夜が特に正装していないのは――女のハンターはドレスで仕事をする訳にいかないので、それなりにきちんとした服装だったらいいらしいが――どうせ気付かれないからだ。
 かっこいい、と思ってしまい頭を振る。今までは気にせずにそういう様な言葉を掛けたが、状況が変わってしまい、軽々しく言うのは気が引けた。零と"そういう関係"になったならばともかくとして、自分は彼と"そういう関係"になるつもりはないのだ。
 感じた痛みには無視を決め込む。

「零っ」
「っ……美夜、か。今気配消さなくてもいいだろ」
「[月影]の力を借りてなかったら、ね。屋根とか走るから吸血鬼に近い状態にしててさ、気配消さないと変な吸血鬼だと思われるの」

 銃を抜きかけた零に苦笑して、目元まで上げていたネックウォーマーを下ろしながら付け足した。

「それに帯刀してるの見つかるとまずいから」

 零の銃のように懐に仕舞える大きさではないのだ。ケースに入れていれば問題ないが、大きく持ち運びに不便である。

「あ、零はどうやって行くの?」
「……近くまでは車拾って行くか」
「じゃあ私は零の車を追いかける事にするね」

 さらりと言ってネックウォーマーを上げかけるが、零が眉を寄せて美夜を見ていた。追いかけるって何だと問われているのが分かり、美夜は刀の柄に手を乗せて揺らした。

「これあるから」

 帯刀しているのが見つからないように気配を消す。すると人間にも当然気付かれないので、車を拾えない。鉄道ならば無賃乗車出来るのだが鉄道を使う距離ではない。
 幸いにも運動神経がすば抜けて良くなっているので、一般道を走る車の速度になら付いて行ける。
 そのような意味を込めて零を見上げると、零は少しの間を置いて溜め息を吐いた。

「俺が車拾うから、それに乗ればいいだろう」
「……あ、そっか」

 いつも単独で任務に出るから、その発想はなかった。それもそうだと頷くと、零はおもむろに頭を撫でてくる。

「……美夜は一人で踏ん張りすぎなんだよ」

 優しい声に、顔に熱が集まって来るのが分かった。頭を撫でられるなんていつもの事なのに、告白されたという事実があるだけで赤面してしまう。
 駄目だよ、私。私は零に応えないんだから。
 だが、あからさまに振り払うことも出来ず、誤魔化すようにネックウォーマーを上げた。




 夜会が行われるのは、街外れの廃墟の地下にある、藍堂家所有の別邸だ。到着した美夜は、早速建物の周囲の散策を始めた。零は会場内を見回っているはずである。
 まだあまり吸血鬼は来ていない。会場内外を把握出来るようにと、早めに学園を出たのだから当然だ。
 廃墟の周りと中を見回ると少し建物から離れて、地下への入り口が見える木の上に座った。

「監視って……」

 これは相当暇になるのではないだろうか、と今更思い始める。本当に単なる人手不足の為に"影"に指令が下ったのなら、動くことはほぼないと思われた。
 何といっても穏健派の夜会、見知った夜間部生も多いだろうし、騒ぎがある可能性は低い。
 しかし、何か狙いがあって指令が下ったのなら、警戒は怠れない。結局は神経を尖らせる。
 そうしていると、不意に美夜の広い索敵圏内に、人間と思しき気配が引っかかった。しかもただの人間ではない。身に覚えられる程確実に知った気配――優姫だ。

「……?」

 沙頼と共に街へ買い物に来ているのは知っている。だがここは買い物をするような通りから外れているし、人間の気配は一つ。もう一つは弱い吸血鬼の気配だった。
 まさか、何かに巻き込まれた?
 気配は段々と近付いてくる。美夜は焦りながらも慎重に近付き、視界に優姫が入ると表情を強張らせた。優姫でないことをどこかで期待していたのだ。
 優姫の手を引く、幼い男の子が目に入る。夜会の招待客の子供だろう。二人が廃墟にいよいよ近付くので、美夜は開けていた距離を一気に詰めた。

「優っ……?!」

 ここへ来ては駄目だと告げようとするも、寸前で優姫の体が地面に倒れた。美夜は視線を鋭くすると、優姫と男の子の間に割って入り、早口で告げた。

「私は警備のハンターです。彼女は人間なのに、どういうつも、り……」

 驚いた様子の無い男の子は、手を後ろで組んでにこりと笑っていた。女の子のように可愛らしい笑顔だが、美夜が言葉を切ったのはそのせいではない。
 男の子は左右で瞳の色が違っていた。右は青で、左は赤。
 美夜の脳裏に、同じ瞳の色を持つ一人の男が浮かび上がる。

「うそ……李土?」
「うん、久しぶり」

 何故自分に夜会の監視の命が下ったのかを漠然と理解した。彼が――玖蘭李土が来るからだ。
 驚きを仕舞えないまま、優姫を抱き起こして男の子に向き直る。男の子は見た目相応な笑みを浮かべているが、中身は全く別の者。その中身の者を良く知っている美夜からすれば、その笑顔には違和感が付き纏った。

「僕に会えたんだから、もっと喜んだら?」
「……そうしたいけど、器が予想外で」
「ああ、それもそうか」

 色々聞きたい事はある。が、いくつかの吸血鬼の気配が近付いているのを感じた。呑気に話している場合ではない、と美夜は名残惜しく感じながらも思考を切り替えた。

「色々話したいけど、ごめん、優姫隠さないと……枢さんも来るらしいから、どこかの部屋を貸してもらおうかな」

 生気吸ったんでしょ、とじとりと見ると、ちょっと様子見のつもりで、と男の子は悪びれる様子も無く笑う。
 吸血鬼の子供で牙がまだ生えていない者は、血の代わりに生気を吸うことが出来る。"そういう風"に出来ている吸血鬼相手ならともかく、人間の優姫に行ったのでは、優姫が体調を崩す――遠慮なく吸ったのか、気を失っている――のも仕方がないと言える。

「美夜の顔が見られて良かったよ」
「うん、私も。長期休暇にそっち行くね」
「今度はもうちょっとマシな器にしておくよ」

 じゃあ、と男の子が地下へ向かうのと同時に、美夜は優姫を横抱きにして入り口から離れた。死角になる木の幹に座らせると、その傍に美夜もしゃがみこみ、たった今到着した吸血鬼達に意識を向ける。
 複数ある気配の中に、一際強い気配を感じた。これは<純血種>のものだと確信し、枢であることを祈った。顔が見える場所に少し移動し、それが英や暁などと見知った者であることにほっと安堵する。
 李土も、タイミングを計って優姫に気を失わせたのだろうか。枢に拾われるように。

「じゃないと、他の吸血鬼に襲われるもんね……」

 ぼそりと呟いて、静かにその集団に近付いていく。気付かれないと分かってはいるが、知っている者達だからか、妙に緊張する。
 自分の刀や体が、誰にも何にも当たらないよう注意しながら歩き、枢の後ろで立ち止まる。すると、枢から僅かな殺気を感じたので小声で告げた。

「私です。このまま聞いてもらえますか」

 [天守月影]の気配を消す力は、万能なわけではない。あくまで極力抑えるものであるので、血の匂いをさせていれは気付かれやすいし、物音をさせたり当たったりして注意を向けられれば、簡単に見つかる。見つかっても、一度その視界から外れれば、再び見失わせる事は出来る。
 ここで枢から返答を受ければ、周囲の者の注意が向けられて見つかってしまうかもしれないのだ。枢は殺気を収め、言葉を促すように動きを止めてくれた。

「近くで優姫が気を失っていました。招待客の子に生気を吸われた可能性があります」
「っ…………」
「しばらく目覚めそうにありません。部屋を用意してもらえますか?」

 枢が美夜に背を向けたまま、小さく頷いた。美夜は胸を撫で下ろし、優姫を座らせている場所を告げる。

「枢さんの立っている方向から右手に二百メートル弱の場所に座らせてます」
「……枢様?どうかなされましたか」

 無言で突っ立つ枢に、英が問いかける。美夜はすぐに距離を取って目に付いた木の上に座り、彼らの様子を窺った。

「藍堂……どこか部屋を一つ用意して」
「枢様の控え室なら、ちゃんと――――」
「いや、僕じゃない……優姫が、客の子供に生気を吸われて倒れてる」

 優姫のいる方向へ歩き出しながらの枢の言葉に、英と暁が眉を寄せた。疑問を露わにしているそれに、美夜は小さく苦笑した。
 枢は優姫を見つけると、困った子だと溜め息を吐いて抱き上げる。それでも表情からは安堵が窺えた。枢は自分に続いていた英と暁を首だけで振り返り、じっと英を見る。

「……よ、用意出来ます!すぐにします!おい、そこのお前――――」

 英が、入り口で待たせている世話係に慌しく指示を出す。枢と暁が入り口に戻ってくると、もう部屋が用意出来たのか、英の近くで息を切らせている世話係がいた。
 美夜は、ご苦労様ですと内心で労い、同時に、褒めてくださいと言わんばかりの英に礼を言った。

「しかし……どうして、分かったんですか?」

 暁が枢に問いかける。美夜は隠れながら、どう答えるのかと枢を見つめた。"影"が美夜であるという事は枢も隠してくれているので、特に心配は無い。

「……"影"からの耳打ちだよ」

 予想通り、英と暁の顔が強張った。美夜自身も知っている"影"に関する噂は、協会長が流してくれているものだが、どれもこれも物騒なのだ。
 苦い表情を浮かべる英と暁の反応を気にせず、枢は独り言のように続けた。

「今も近くにいると思うけれど……優姫を学園まで送る時に付き合って貰えると嬉しいのだけどね」

 自分に言葉を掛けられるとは思っていなかったが、もちろんそのつもりだった。美夜は音も無く木から下りると、落ちている木の枝を一つ拾って三人に向かって投げる。
 枢に当てるのは気が引けるので、それは避けて投げたのだが、程よく風が吹いて英の額に当たってしまった。
 あ、ごめん、と心の中で謝罪する。

「っ何だ?」
「クス……了解してくれたんだろうね」

 どこからともなく飛んできた枝に困惑する英をよそに、枢は小さく笑っていた。





 瞼に光を感じて、ゆるゆると目を開けた。優姫の視界には見知らぬ天井が映っており、頭がはっきりしないまま、呆然とそれを見つめる。
 体に力が入らない。瞬き一つさえ重く感じる。

「良かった……案外早く目が覚めたね」

 聞き慣れた落ち着きのある声に、顔をそちらへと動かした。横になっている自分が座っている相手を見ると、まず目に入ったのが足だったので、視線を上へと上げていく。

「気付くのが遅れていたら、どうなっていたか……優姫?」

 その顔を見て、気だるさを忘れ勢い良く体を起こした。腕を組んでこちらを見ているのは、間違いなく枢だった。
 しかし急に体を動かしたのがまずかったようで、視界が揺れて上体を保てない。倒れそうになった所を枢に支えられ、思わず腕にしがみ付いた。

「あ、ありがとうございま――」
「僕とは、口をききたくないんじゃなかったの?」
「!」

 座り直した優姫は、僅かに苛立ちを滲ませた言葉にはっとした。そんな事を言った、言ってしまったのがすぐに思い出され、冷や汗が流れるのを感じる。
 何か言わなければと思うのに、上手く言葉に出来ない。

「確かに犯人は別にいた……でも、あんな事を言われて、ぼくが腹を立てないとでも?」
「……で、も、悪いのは、枢センパイです」

 枢の伸ばした手が、優姫の鎖骨辺りにあてられる。優姫は少し頬を染め、目を逸らしてしまいたいのを堪えていた。

「そうさせたのは、誰だが分かってる?」
「っ……」
「心臓が跳ねたね。少しは分かってくれてるのかな……」

 謝らなければと分かってはいるのだが、枢に真っ直ぐ見つめられるとどうすればいいのか分からなくなる。
 口を開きかけては閉じ、を数回繰り返していると、枢が手を優姫から離す。解放された事にほっとするのも束の間、枢が小さく溜め息を吐いたので、呆れられたかと焦った。
 しかし何故か、彼の視線は部屋の入り口に向いていた。

「……今度は君が呼びに来たの?」

 枢が言うと、控え目に開いたドアから、正装した拓麻が苦笑しながら入って来た。枢も正装していることに今更ながら気付き、改めて自分の状況の把握に苦しむ。
 私、頼ちゃんと買い物してたはず、だよね。

「枢……そんな邪魔そうにしなくても。やっと足を運んでくださったのだからぜひって……ほら、優姫ちゃんも目を覚ましてくれたんだし」
「あ、あの、ここって……?」

 口を挟むのは躊躇われたが、恐る恐るといったように拓麻と枢を窺う。拓麻は気にした様子もないが、苦笑はそのままに答えてくれた。

「ここは廃ビルの地下空間に作られた、藍堂家所有の地下別邸なんだ。今夜は夜会が開かれててね……優姫ちゃんの存在が知られると危険なんだよ」

 迷い子の男の子を廃ビルまで送り、お礼だと頬にキスされてからの記憶がない。拓麻の話では、この部屋はその廃ビルの地下にあるらしい。そして夜会というのは、確実に吸血鬼達の夜会なのだろう。
 だったら何故、自分はこんな場所にいるのだろうか。拓麻の言葉に相槌を打ちながらも小首を傾げると、拓麻は優姫の疑問を察してくれたのか、優姫が何も言わずとも付け足してくれる。

「優姫ちゃん、子供と一緒だったでしょ?その子供がね、多分今夜の客の子供なんだ。吸血鬼の子供は牙が無いから、生気を吸うんだよ」
「私はそれで倒れて……?」
「だよね、枢」

 拓麻から枢へ視線を移す。枢は足を組み直しながら、短く頷いた。

「ああ……すぐに気付いてくれて良かったよ」
「?」

 枢は優姫の頬に手を添えて、無事で良かったと呟く。自分は吸血鬼達が集まる場所に倒れていたらしいから、きっと相当心配させてしまったのだろう。

「"影"が、君を見つけて僕に知らせてくれたんだ」
「えっ……」

 美夜が来てるんですか、と出かかった言葉を飲み込む。美夜はハンターであることを隠していたはずだから――枢は知っているようだが――そう易々と口に出来ない。

「……そうだったんですか」

 美夜にも心配をかけてしまった。後できちんと礼を言っておかなければと思う。

「僕も枢から"影"の事を聞いてびっくりしたよ。戦闘狂って言われるくらいのハンターが、夜会の監視に来てるだなんて……何事もなければいいけど」

 拓麻が大袈裟に肩を震わせる。正体を知っている優姫からすれば明らかに杞憂なのだが、噂でしか"影"を知らない者の反応には相応しいのかもしれない。
 枢がクスリと笑って、頬に添えていた手で優姫の頭を軽く撫でた。

「大丈夫だろう。ハンター協会も人手不足なんだろうね……」
「あ、はあ……」

 否定も肯定も出来ないので、赤くなりながら曖昧に濁す。折角の睡眠時間を削られて、美夜も大変だなあとしみじみ思った。

「……僕は少し顔を出してくるけど。優姫、ここから絶対に出てはいけないよ」
「はい、枢センパイ」

 枢の目を見てしっかりと頷くと、彼は柔らかい笑みを向けてくれた。

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