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会場内の柱に凭れた零は、感じる視線を一切無視して、"監視"に相応しく視線を動かしていた。藍堂家所有の別邸だからか、夜間部生の姿も多い。
あちこちから「枢様は……」という声が聞こえて溜め息をついた。枢はこういう場にあまり来ないらしく、今回この夜会に足を運んだのも相当珍しいらしい。だが未だ姿を現さないので、吸血鬼達はその時を待ちわびているらしかった。
「…………」
つい、恐らく地上にいるであろう美夜の事を考えてしまう。刀を持っている彼女の気配を感じることは、極めて困難だと分かっているのだが、つい、探してしまうのだ。
今まで見たことも無いほど赤面してどもる美夜の様子が思い起こされ、いくらか気持ちが和らいだ。
気長に待つ、そう決めた。少なからず自分に好意は持っていると思うし、あの医務室での反応もある。平手打ちを食らっても可笑しくない状況だったが、美夜は嫌だと言わなかった。
それに美夜のお陰で、自分にはまだ時間があるのだから。
「よお」
現れた人物――夜刈にがしりと頭を掴まれる。夜刈は撫でるというより、零の髪をかき混ぜるように強く手を動かした。無視しておこうと思ったが、止める気配が無いので懐から銃を抜く。
「……いつまでやってるつもりだ、師匠」
「バカ弟子が返事をしないのが悪い」
隣に立つ夜刈に銃口を向けると、ようやく頭から手をどけた。零は溜め息をついて銃を仕舞いつつ、一度髪をかきあげる。
「……なんであんたがここにいるんだ」
「俺の追ってる奴がここに現れるかもしれないからだ」
夜刈は常に被っている帽子もなく、服装も夜会に適したものになっている。
「おい風紀委員、夜間部の奴ら夜遊びしてるがいいのか」
真面目に聞いているのではないのだろう。夜遊びと言うが、吸血鬼にとって夜は活動時間である。よく意図の分からない夜刈の問いに、零は気だるげに答えた。
「保護者同伴だからいいんだそうです、夜刈"先生"……」
学園に滞在していた際、夜間部の臨時倫理講師として授業をしていたと聞いていたのであえて"先生"と言うと、隣から不機嫌そうな空気が漂ってきた。
特に話す事も無いので口を閉じたが、夜刈にはまだ、<レベル:E>に堕ちなくなったと告げていなかったと思い至る。言おうと口を開きかけ、だがここでするべき話ではないと気付いた。<レベル:E>から逃れる方法は、<純血種>であった閑でさえ、己の愛した<元人間>を失った時にはまだ知らなかったくらい、極秘の情報だ。
『人間やハンターの矛先が<純血種>に向かないようにっていう配慮だろうね。ハンター協会にもそういう情報は一切無いし……私は報告しておいたけど。元老院でもほんの一部しか知らないんじゃないのかなあ』
いつかの美夜の言葉を思い出す。
「……見ろよ、あいつら」
夜刈がおもむろに告げた。零は会場内に放っていた視線を一度夜刈に向け、また会場内に戻す。
「……表面上は無関心を装ってはいるが、"穏健派"っつってもお前の事が気になってる。……厭われた"狂い咲き姫"であっても<純血種>殺しは大罪なんだろうな」
会場に入ってから、ずっと付き纏うように感じる視線の正体はそれなのだ。緋桜閑を殺したのは錐生零であるらしい、と皆が思っている。
「……その件で、後で話しておきたいことがある。……ただ、とどめをさしたのは俺じゃない」
「…………」
「師匠……壱縷に会った」
夜刈が一瞬、息を詰まらせたのが分かった。少しの間を置いて、そうか、と驚いた様子は無く短く言った。閑と共にいる可能性を持っていたのかもしれない。
話は終わったようで、夜刈は完全に口を閉ざした。零もここで話すことは無いし、元々口数の多い方ではないので無言で会場内を眺める。美夜もこの敷地のどこかで、仕事をしているのだろう。相変わらず、気配は一切掴めない。
「…………」
自分のごく近くで、空気が揺れたのを感じた。しかし視線を動かしても、近くに招待客の姿は無い、そもそも、吸血鬼が近くに来たら反応出来る。とはいっても、夜刈が動いた様子も無い。
何だ?
「……どうした、零」
「いや……誰か来た気がした」
零につられて夜刈も周りを見回す。気のせいだったのだろうか、と零がまた柱に背を戻しかけた時だった。カサリ、と小さな音がして視線を落とすと、足元に四角く折りたたまれた紙があった。それを見て、ここに着いてすぐの美夜の言葉を思い出す。
『私が急に話しかけても紛らわしいと思うから、何かあったらメモで渡すね』
紛らわしい、というのは、気配が無かったのに突然接触されると銃を向けてしまうからだ。自分もそんなことはしたくないし、それによって美夜の姿が招待客に認識されても困る。
感じた空気の揺れは美夜だったのかと納得すると同時、気付けたことにどこかほっとした。だが何かあったのかとも思い、メモを拾って手早く広げる。
「何だ?それ」
「…………」
"黒主優姫、生気、倒れてた。枢、保護。帰宅時護衛。"
単語が多いのは、メモを見られても書いた者が特定出来ないようにだろう。零と共に夜刈が居たから、少し困らせてしまったのかもしれない。
夜刈がメモを覗き込み、文章の不可解さに表情をしかめていた。
「何だ?」
「……連絡。監視にあたってるハンターから」
「こんなメモでか?話せばいいだろ」
「……人員不足で、"影"がこの夜会の監視に来てるんだ」
「あの"影"が……?!」
知り合いなのかと言われたので、今回たまたま一緒に任務にあたっているだけだ――嘘ではない――と告げておいた。零からすれば、ハンター協会でトップクラスの実力のある夜刈が、"影"の正体を知らないことが意外だった。
「……で、何かあったのか?その単語連絡。あの隠居の義娘の名前あったろ」
零はメモを上着のポケットに仕舞いながら、適切だと思われる言葉を補っていく。
何事も無く終わると思っていた夜会での思わぬ問題に眉が寄るが、危険は無さそうなので、監視の任務を放棄することはない。
「……黒主優姫が、招待客の子供に生気を吸われて倒れていたのを、玖蘭枢に保護させた。優姫がここから出て戻るときに付き合うから、その時はしばらくここを離れる……ってことだろ」
「おいおい、生気吸われるって……」
まだ美夜は近くにいるのだろうかと気配を探る。だが、案の定何も引っかからない。
しかし夜刈がガシガシと頭をかきはじめると、夜刈の注意が零から逸れたからだろうか、零が探してるのが分かったからだろうか、「よく出来ました」と笑いを含んだ声が聞こえた。
零にメモで状況を伝えた美夜は、会場内に残っていた。外での監視に飽きたからではなく、出ようとした時に、枢ではない<純血種>が入って来る気配があったからだ。
すれ違いざまに気付かれると厄介だからと身を潜め、そのまま何となく地下に留まった。
夜会に<純血種>が二人も足を運ぶ事は珍しい。永い時を生きる<純血種>は、自分の領域さえ侵されなければそれ以外に興味を示さず、俗世間と関わりたがらないのだ。
「……」
二階部分――正確には地下一階にあたる――から、賑わい始めた会場内――地下二階――を見下ろす。俳優やスポーツ選手や大手企業の取締役等、錚々(そうそう)たる顔ぶれが揃っていた。その全てが吸血鬼だ。
人間が知らないだけで、自らの能力を活かして生活する吸血鬼は多い。ただし寿命が人間より永いので、人間社会で生きるには上手く手を回さなければならない。
「あ……」
優姫が保護された部屋のドアから、枢と拓麻が出て来る。地下二階へ続く階段に向かうのを見送ると、入れ違いに、優姫の生気を吸った男の子がその部屋へ近付いた。
このタイミングで何かをするつもりなのか、と困惑気味に部屋に向かおうとするも、男の子は部屋のドアを開けただけで入らずに去って行く。
美夜が首を傾げて足を止めると、男の子は美夜に一つ笑って走り去った。中身が中身であるからか、気配を消していても美夜に気付くらしいが、この際それはいいとして。
「……手を出すなってこと?」
呟くが、生憎返事は返ってこない。どうすべきか思案して部屋の扉を窺っていると、優姫がひょこりと顔を出した。
「ボク?お姉ちゃんがここにいることは言わないで……って、いない……」
誰も居ない廊下――美夜はいるのだが――を見て、優姫はふうと息を吐く。男の子がいないと分かってドアを閉じようとするも、丁度階下がざわめいたせいか、優姫はドアを閉めるのを止めてしまった。
廊下に人気が無いことを確認した優姫は、ドアを閉めるどころか、部屋から出てきてしまう。姿勢を低くして手すりに張り付き、吸血鬼達の夜会を見下ろしている。
近くに吸血鬼の気配はないし"影"たる自分がいるとはいっても、無用心な優姫の行動にネックウォーマーの下で苦笑した。
「零も仕事……?あ、あの人も……吸血鬼なんだ……」
驚いた様子で呟く優姫に近寄り、しかし声は掛けずに壁にもたれた。部屋に戻って欲しいのが本音だが、男の子が――李土があえて"こう"しているのなら、手を出さないほうがよさそうだ。
優姫に"吸血鬼の夜会"というものを見せるつもり、とか?
あながち間違っていないのかもしれない。今夜の夜会には<純血種>が二人も訪れているのだから、吸血鬼の世界を知らない優姫に、枢がどういう存在か確認させる為だと考えることも出来る。もちろん、彼の単なる気まぐれである可能性もある。
数十秒そうしてじっとしていたが、会場が一瞬ざわめいて、すぐに静まり返った。優姫が息を詰まらせた気配がしたが、気付いていた美夜は大した驚きも無く、少し移動して会場を見下ろした。
水を打ったように静まった会場では、招待客が皆膝を付いて頭を下げている。立っているのは監視のハンター、そして今会場に入ってきた枢と拓麻だけだ。
頭を下げる招待客たちに、枢は微笑みかけて静かに言った。
「すみません……邪魔をするつもりはないので、皆さん楽しくやっていてください」
枢がそう告げると、客たちはひとまず姿勢を起こす。すると零の近くに立った一人の吸血鬼が、意を決したような硬い声で枢に問いかけた。
「枢様……元老院に背いてハンターに味方したというのは、本当ですか。その、この者に」
「……本当です」
肯定すると同時、あちらこちらから枢を賛美する声が聞こえる。人間との衝突を望まない穏健派の夜会であるからか、枢の姿勢に嫌悪感を表す吸血鬼はいないようだった。
零は相変わらず不機嫌そうに枢を睨んでいるが、仕事中だからか、学園に居る時のような刺々しい雰囲気は収めているように見える。
「……枢様、息子がお世話になっております」
次に枢に声を掛けたのは、英の父であり、この夜会の主催者だ。足を運んだ枢に礼を言い、娘である"月子"という少女を枢に紹介していた。
英の表情は苦い。月子の紹介をきっかけにして、一斉に「我が娘もお見知りおきを」という声が聞こえ始める。<純血種>である枢の妻の座は、吸血鬼なら誰しもが注目し、女は欲するものだろう。
だがそれもすぐに静まった。美夜は現れた二人目の<純血種>に視線を移し、客達はまた頭を下げた。
「皆さん、そんなに群がらないでくださらない?枢さんが可哀想……」
緩くウェーブした長い髪を下ろし、堂々とした足取りで会場へ入って来た<純血種>――白蕗更は、迷い無く枢の元へと歩み寄る。
「更、久しぶり……」
「……枢さん、貴方が学校ごっこを始めてから、全然会うことが出来ませんでしたわね」
絵画のような美しい笑みを浮かべる二人だが、美夜が見惚れることはない。自分とよく似た類の笑顔に好感は持てないし、上辺だけのものだという印象を、更から強く感じたのだ。
美夜が零から止めるようにと言われた笑顔だ。体に染み付いたものなのだが、今となっては、零の前でそれが出る事は無いに等しくなっている。
「私達は残り少ない<純血種>同士……お互い助け合っていかなければならないのに」
"助け合う"というよりは、利用しようとしているのでは、と思ってしまう。
しかし優姫は違ったらしい。更に寄り添われている枢を見たくないのか、枢との距離を感じたのか、表情を硬くしてそそくさと部屋に戻った。
「……後者だろうね」
学園ではあまり感じることの少ない、人間と<純血種>との距離感。それを目の当たりにして、改めて違いを突きつけられてショックなのだろう。
美夜自身は、種族の違いや立場の違いを"壁"や"溝"だと捉える事はないのだが、一般にはそうでないと学園に来てから知った。優姫は十分可愛く優しい子だが、そういう問題では無いのだ。一般的な考え方を否定はしないが、今の優姫の様子を見て、悲しく思うのは事実だった。
自分か、他人か。美夜はそれだけだと思っている。それなりの地位にいる<貴族>や<純血種>に敬意は払うし相応の態度はとるが、どんな肩書きを持っていても、結局は一個体がそこにあるに過ぎない。
『大切だって思うのに……身分とかそういうのって、関係ないと思うんだよね』
英が家出した際に告げた言葉は、全くの本心。肩書きはその存在を示すものであるが、存在そのものではない。大切だから、大事だから、守りたいから守る。
そう思うのは、恐らく自分が少々特殊な育ちのせいなのであって、珍しい考え方であるらしいが。
美夜は閉まったドアを一瞥し、視線を会場内へと投げた。僅かに抱いた複雑な気持ちを払拭しようとして――無意識に零を見つめていた事に、泣きたい気持ちで自嘲した。
*
優姫のいる部屋に枢が戻って来て二十分程すると、静かにドアが開いた。
美夜は、枢に続いて優姫が顔を覗かせたのを確認し、用意していたメモを彼の足元に落とす。"追います"とだけ書いてあるものだ。簡潔すぎる気もしたが、枢にならば通じるだろう。
会場で監視している零の足元には"行ってくる。戻るから"と書いたメモを落とした。美夜が近寄ると、先程と同じく零が視線を動かして"影"を探していたのには驚かされた。
「あの車か……」
廃ビルの前に停まっている黒い車に、優姫が一人乗り込む。見送りに出て来た枢がドアを閉め、すぐにエンジンがかけられた。
廃ビルの屋上で車の発進を確認した美夜は、その場で数回、屈伸と軽いジャンプをする。そして、学園へと向かう車を外から護衛する為に、寒さの中駆け出した。
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