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 普通科が長期休暇に突入する日、美夜は普段より遅い時間に起床した。
 まず学園を出るまり亜を見送り、部屋に戻って刀の手入れをし、二週間留守にするので部屋の掃除もした。すると沙頼を見送る時間だったので、優姫と一緒に門で見送った。
 部屋に戻ると、日が傾き始めていた。

「さて、荷造り荷造り……」

 明日の早朝に学園を発ち、交通機関を使って夜にはハンター協会本部に到着するつもりだ。刀はケースに入れて持ち運ぶ為、車も鉄道も利用出来る。ただし、協会本部に近くなれば――美夜はハンターとして知られていないので――気配は消さなければならないが。
 二週間分の荷物と言っても、さほどではない。服は仕事用としているブラウスやズボン等、かさばらない物がほとんどであるし、洗濯も出来る。
 必要な荷物をベッドに並べ、バッグに入れていく。荷物を入れ終わって時計を見ると、まだ夕飯まで少しだが時間があった。

「……」

 今晩も例のごとく、理事長特製ディナーだ。やることは全て片付いたから、何か手伝わせてもらおう。
 美夜は一人、静かになった寮内を歩き出した。





 身動きする度に、水音がバスルームに響く。優姫は少し足を動かして水音をたて、飽きると口元まで湯に浸かった。
 理事長に、晩御飯より先に入浴を済ませるよう言われ、一人入浴中である。美夜は寮で明日の準備をしているはずなので、声はかけなかった。
 普通科は今日から長期休暇に入るが、美夜は風紀委員として何かあったらいけないから、と学園を発つのを普通科生より一日遅くしているのだ。

「…………」

 どうしてあんな事を言ってしまったのか。昨晩の自分の失言に眉を寄せた。思っていても、あれは言ってはならなかった。しかもよりにもよって、美夜と零に。吸血鬼になりたいと思われるような発言をするなんて。
 四年前、吸血鬼に家族を殺され、自らも吸血鬼に堕ちた零。美夜のお陰で<レベル:E>になるのは免れたけれど、彼の心の傷は未だ深く、吸血鬼を憎む心も変わらない。
 十年前、吸血鬼に家族を殺された美夜。吸血鬼を恨んでいないとは言っても、自分の体質が少なからず要因になっていると知った時、どれほど辛かっただろう。
 そんな、傷を重ね、それでも強くある二人に、自分はなんと酷いことを。
 零の苦しげな表情と、美夜の驚いた表情が思い出される。
 零が優姫の発言を快く思わなかったのは明らかだ。美夜は嫌悪感を示さなかったが、優姫は美夜がとても気にかけてくれているのを知っている。美夜の厚意を踏みにじったも等しい。

「……思い、出そう」

 過去を思い出したいかと問われれば答えは曖昧だ。記憶が無くとも、この十年間生きてこられた――いや、色んな人に生かされてきたのだ。零や美夜だけじゃなく、枢、理事長、沙頼といった身近な人達のお陰で、生きてこられたのだ。
 自分のせいで、自分の大事な人達を傷つけたくはない。記憶がない不安に、周りを巻き込みたくはない。守られているだけなんて嫌なのだ。
 思い出そう。思い出さなきゃ。思い出すべきなんだから。
 揺れの収まった水面を睨むように見、記憶を辿る。行き着くのはもちろん、吹雪の中で飛び散る赤。優姫を襲おうとした吸血鬼が枢によって灰にされた瞬間。
 それよりも前は?私はどうしてそこにいた?
 必死で消えた記憶を再生しようとするが、何も頭に浮かばない。やはり駄目なのか、と息をついた時だった。
 透明だったはずの湯が、真っ赤に――血色に染まっている。

「――きゃあっ」

 小さく叫んで湯船から出ると、血は湯に戻っていた。妙にリアルだった幻覚に体が震える。それ以上入っている気にはとてもなれず、震えながらも身支度を済ませた。
 いつもはきちんと乾かす髪は濡れたままで、タオルを肩に掛けて慌ただしくバスルームを出る。

「……優姫、理事長が遅いからって心配してたぞ」

 呆れたように歩いて来たのは零で、ちゃんと生きている人に会えた事に僅かに安堵する。残っていた震えも収まっていた。

「あ、零……」
「……どうした?」

 美夜の真似か、と濡れたままの髪を示される。違うよ、と笑って言ったつもりだったが思った以上に声が掠れた。

「おい、何かあったのか?」
「…………自分の過去、真剣に思い出そうとしたの。そうしたら……」

 零は何かを察したのか、それ以上は聞かなかった。だが少しの間を置いて言われた言葉に、優姫は目を見開いた。

「……ハンター協会にある報告書。"本人"が見たら、何か手掛かりがあるかもしれない」

 十年前に、優姫が置き去りにされていた場所は民家のない雪山だ。親がハンター関係者なら何かの事件に巻き込まれたのかもしれないと、理事長に以前調べてもらった事がある。理事長いわく、その近隣で事件はなかったらしい。
 だが優姫自身が見れば、何か思い出すかもしれないと言う。

「……どうする?」
「……行きたい。私は、思い出した方が良いと思う」

 問う零に強く頷く。恐い思いはあるけれど、それに怯えていたくない。いつも守ってくれる美夜のように強くなりたい。

「あ、ただ……ハンター協会に行くって……美夜には秘密にしたい」
「……そうだな」

 ハンターとしての仕事のある美夜の負担になりたくないのだ。美夜のことだ、自分の今の現状を知れば、仕事を早く切り上げてこようとする。零もそれを思ったのか、すんなりと頷いてくれた。





 翌朝、朝日が昇ってすぐに、美夜は学園の門にいた。見送りの為に優姫と零もそこにいた。零は、昇ったばかりの太陽の白い光に眉を寄せながらも、愚痴を零さず美夜を見ていた。
 衣類等が入ったバッグを斜めに掛け、[天守月影]の入った大きなケースを持っている。小柄な美夜が持つ大きなケースはやや異様にも見え、だが本人は気にした様子も無くこちらに向かって笑いかける。気配を消していない彼女は当然力も普段どおりで、そのケースを少々重く感じている様だ。
 助けの申し出は既に断られている。大事な相棒だから自分で運びたい、と。代わりにと言ってはなんだが、寮からここまでバッグを運ぶのは手伝わせてくれた。

「じゃあ、行ってきます」

 美夜への違和感は解消されていない。苛立ちが無いとは言えないが、美夜の笑顔が深入りを拒んでいた。

「気をつけてね!」
「……早く帰って来い」
「うん。優姫も零もありがとう」

 零は美夜に優姫を頼まれたにも関わらず、優姫がハンター協会を訪れると伝えていない。美夜は優姫の様子を気にしているようだが、それは失言によるものだと思っているだろう。
 零は美夜への違和感と後ろめたさを抱いたまま、美夜の乗った車を見送った。





 吸血鬼とはまた違った特殊な雰囲気のある、ハンター協会本部。正面から堂々と足を踏み入れた美夜だが、誰一人として気付かない。
 ロビーを過ぎると人気の無い廊下を進む。いくつかの応接室を過ぎ、更に奥へ。"関係者以外の立ち入りを禁ずる"という表示も過ぎて、突き当たり右手にあるドアの前で立ち止まった。
 ポケットから複雑な形をした鍵を出して、ドアの鍵穴に差し込んで回す。ガチャン、と音がすると鍵を抜いた。

「ただいまー……」

 学園の寮に入るまで暮らしていた部屋はそのままだった。部屋に入ると、電気を点けて中から鍵を掛ける。
 会議室を改装して作られたこの部屋には、トイレやバスルームといった、生活に必要なものは全て揃っている。入ってすぐは机やベッドがあり、寮とあまり変わらない。別の部屋にはキッチンと食事用のテーブルがある。寮よりは広い1DKだ。
 つい最近まで暮らしていたが、寮に入る際に生活用具はほぼ全て移動させたので、生活感はあまりない。

「ふー……」

 荷物を下ろして、ベッドに腰掛ける。すっかり日は暮れてしまっている時間帯で、人間の状態での長距離移動は幾らかの疲労を伴っていた。
 休みたいのは山々だが、長期間誰も立ち入らなかった部屋は少々ほこりっぽい。重い腰を上げて、軽い掃除に取り掛かる。気になるベッドは、仕舞っておいた新品のシーツを出したり掃除機をかけたりで済ませた。

「……ねむい」

 空腹感もあるが、明日からの事を考えると横になった方が無難だ。今日の到着は伝えてあるので、協会長への直接の挨拶も明朝で構わない。
 美夜はバッグから必要なものを取り出して、バスルームに向かった。





 ハンター協会にて、協会長は執務室のデスクにつき、本日片付けるべき書類や予定に目を通し始めた。今日は人が来ると分かっていたので、いつもよりも早く机に向かっていた。そうして十分程で、予想通りドアがノックされる。
 ココココン、と連続したノックは悪戯にも聞こえるが、これは気配が無い彼女との合図。この執務室に協会長しかいないと確信した彼女が、今から自分が入るから人を呼ぶな、と言っているようなものだ。

「ああ、おはよう」
「おはようございます」

 音もなく入室して来た美夜は、デスクの前で軽く礼をする。"影"の状態から"人間"に戻るのが面倒なのか、相変わらず居るのか居ないのか分かりにくい。
 ハンターは、仕事中の服装が――夜会の監視等はまた別だが――特に決まっている訳ではない。が、美夜はいつも同じような格好で、今もそれだった。
 協会長は持っていた資料を脇に置くと椅子に背を預けて、空になった手で扇を弄び始めた。

「久しぶりねえ。学園に行った途端、清々しいくらい顔見せないし」
「お元気そうで何よりです、協会長。ここへは気軽に来れる距離ではありませんから」

 美夜は苦笑して肩を竦めた。昨晩、協会に到着したのが遅かったのか、僅かだが疲労が見えた。

「定期的な身体報告はご苦労様。異常無いみたいで良かったわ」
「はい」
「学園生活はどう?初めてでしょう」
「色々新鮮です。同年代の者が多いのは、違和感もありましたが」

 美夜は年上に囲まれて生きてきているからだろう。常に笑顔で話すのも、恐らくはその影響だ。癖になっているらしく、どんな話をしても、美夜は基本的によく笑う。
 学園へ行く前と変わりのない様子に口の端を上げる。"影"であるという事を学園の理事長を含む数名に知られたと報告を受け、幾らか気になっていたが、杞憂だったようだ。
 そもそも、協会長自身も、美夜がハンターである事を隠し通せるとは思っていなかったし、美夜も同じだろう。

「世間話はこの位にして……仕事は受けてくれるんだろう?」
「はい、指令書は既に届いています。一件、昼前に向かいます」
「いつ戻る?」

 念の為に問うと、美夜は考える仕草を見せた。

「明後日には」
「……ま、心配はしていないよ。"あちら"は?」
「二件目の後、そのまま行きます」

 少し嬉しそうに見える。"あちら"でどのような生活をするのか気になる所だが、この件に関しては詮索禁物だ。
 利害の一致によって成り立っている関係は、信用出来るが些細な事で容易く壊れる。美夜が[天守月影]を使いこなし、一人で生活出来る今となっては、特に。

「そ。数日過ごすでしょ?戻ったらまた知らせて」
「はい。では、私はこれで」

 ただ挨拶をしに来ただけだったのだろう、美夜は協会長からの話が特に無いと察すると、来た時同様軽く礼をした。
 瞬きの間に見失ってしまいそうなほど弱い彼女の気配を見送って、すぐのことだった。自分宛に電話だという知らせが入ったのは。





「そろそろかな……」

 ある宵の刻のこと。路地裏でたむろする四人の男と一人の女。その場所から数百メートル離れた所に、美夜の姿があった。
 この街で子供を攫っているという<一般>のグループだ。美夜の指令書には四人と記載されていたが、最近増えたのか、調査員が入った時には一人が留守だったのか、美夜がそのグループを見つけたときには既に五人の状態だった。
 彼らが現在の住処としているのは何の変哲も無いアパートで、今は子供を調達するために活動の打ち合わせをしていると思われた。人気の無い場所に移動しないだろうか、と丸一日追いかけていたが、人を攫う為か街から離れる様子が無い。
 学園が長期休暇に入ってから、二件目の任務だ。全く笑えなかった一件目の後なので、五人になっていたが気にならなかった。
 美夜はネックウォーマーを上げなおし、手を握ったり開いたりと軽く動かして、静かに息を吸い込んだ。

「――参ります」




 複数人を相手にする場合に注意する事は多くあるが、美夜にとって取り逃がさないことが最重要だ。人間の存在が近くにある場合は尚更で、迅速に仕事を遂行する。
 風のように走り、目的の五人が居る場所に出る。[天守月影]を抜きながら、地図を持って言葉を交わす五人に近付いた。
 早く、静かに。標的には極力、恐怖や苦痛を感じさせないように。何も分からないまま終わるように。
 ハンターの家系の者はあまり意識していないらしいが、ハンターの主な仕事は吸血鬼の命を奪うことにある。罪を犯したとはいえ、比較的簡単に粛正の命が下ることを、美夜はあまり好んでいない。必要だから遂行しているだけ、とも言えるだろう。
 粛正の指令書を全て保存しているのも、任務の時にはフォーマルな服装なのも、美夜なりの"けじめ"なのだ。

「じゃあ、俺が後は監禁――」
「うわあッ?!」

 一人目は背後から心臓に刀を突き立てた。すぐに灰になる一人目に四人が驚いている間に、二人を済ませる。残りの二人は、事態を把握したのか武器を取り出した。

「!そこか」

 体操選手のように動いていると、気をつけていても音は出る。そうすれば警戒した者に気付かれるのは早い。
 ナイフを飛ばしてくるが、避けるのは容易い。避けながら姿勢を低くして地面を蹴り、懐に入り込んで斬る。最後の一人は逃亡を図ったようだが、遅かった。路地から通りに出る前に、美夜はその体を突いた。
 一人目が灰になった時点で逃亡を図れば、僅かは生きられたかもしれない。だが、逃がすつもりなど毛頭無い。

「……終わり」

 気配を感じさせずに取り掛かれば、こんなもので終わる。二桁の大人数相手となるとこちらも怪我を負うことがあるが、滅多にない。
 五つの灰の山を一瞥し、刀を納める。体に付いた灰を払い、顔に付着した返り血を袖で拭った。吸血鬼の本体は灰になるけれど、血はそのまま残るのだ。

「よっし……行こう」

 美夜は、様子を窺うために立っていた場所に戻り、畳んでおいたコートに腕を通す。いつもは任務後――協会から遠い場所ならばどこかで着替えて――協会に戻って報告書を書くのだが、今回は寄り道がある。
 寄り道と言っても、数日泊まるつもりだ。生活する上で必要な物はあるはずなので、手ぶらで行っても何ら問題は無い。

「…………」

 学園を離れて数日が経った。思っていた以上に、皆の――中でも、彼の顔がちらついて、美夜が自嘲した回数は知れない。
 一度自覚してしまった想いは、無くそうと思っても無くせない。だから封じる事にした訳だが、その難しさを痛感する日々だった。
 でも、その痛みも和らいでくれるはず。

「うん、早く行こう」

 美夜は一人頷いて、刀に左手を添えた。

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