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枢達と離れ別行動となった拓麻は、メイドに続いて自身の家を歩いていた。祖父である一翁から、一度戻って来るようにと連絡があったからだ。
正直、気が重い。そしてもう一つ、気になることがあった。
枢らと共に行動していた時に、英が枢の両親の死について疑問を持ち始めていた。<純血種>はその治癒力故に、事故で命を落とすことは無く、寿命以外での死は自殺か殺害しかあり得ない。そして枢の両親は"自害"だとされている。
英は、枢の両親は自害するような人達ではない、と主張し、また枢もそれを認めた。さらに枢は、両親は殺されたのだ、とそのことだけを英に明かしたのだ。
枢が両親を亡くしてから一条の屋敷に居たこともあり、拓麻は幼い頃から枢と共に居る。そして、枢の両親の事件についても知っている。
事件の重大さを知っているから、英が調べ上げないか気がかりだった。徹底的に隠されているであろうが、もし、万が一英が何らかの手掛かりを手にしてしまったら――無事ではすまないだろう。
「旦那様……拓麻様がご帰宅なさいました」
一翁の居る部屋に通されると、彼からいつもの鋭い視線を向けられる。椅子に深く腰掛けている一翁は、メイドが下がると口を開いた。
「……素直に戻ったな」
「また学園に押しかけられるのは迷惑ですから、お祖父様」
拓麻は少し微笑みながら言う。一翁は嫌味を気にした様子は無く、だからといって笑うことも表情を変えることも無い。
「……枢様のご様子を伺いに参じるのは、後見人として当然の事だ」
「お祖父様は枢に、後見人は"不要"とされたはず……しかも元老院の学園への干渉も"無用"とされたことをお忘れですか?」
元老院の者が零を処刑すると言って学園に入り込んだ後、枢は元老院に背いて零を庇い、一翁や元老院が学園に干渉することを断っている。一翁が簡単に了承するとは拓麻も思っていないが、枢の言葉を無かったことにする訳にもいかないはずだ。
「……私は枢様を案じているのだ。近頃、藍堂家と交流を深めておられるそうだな」
「付き合いやすいからでしょう……お祖父様より」
「藍堂家は、反元老院側と言ってもいいほどの王権回顧派……一方で、あの学園での純粋な元老院側は、一条家と支葵家のみと言ってよい」
何度も聞いた言葉に、拓麻は視線を落とした。一翁はいつも、元老院側と王権回顧派としてしか人をみない。何故そう敵対してしまうのか、良く分からなかった。
「枢は王権なんてもの望んでませんよ……これは元老院など関係無い"彼の友人"としての意見です」
「……早くその温い考えを捨てることだ」
言いながら一翁が席を立つ。どうあっても、やはり彼とは穏やかに会話出来ないらしい、と拓麻は苦い気持ちを持った。
「自分の役割は分かっているだろう。お前には期待して、そのように教育したのだ」
枢を監視しろ、ということだろう。以前学園でも言われた言葉が甦り、とっさに口を開いた。
「お祖父様、僕は――」
「お前に、会わせたい方が来られている」
反論は許されない。話を切り上げて歩き出す一翁は、付いて来い、と短く言って拓麻に背を向けた。威厳漂うその背中をどこか悔しい気持ちで見つめ、だが違和感を感じて首を捻った。
会わせたい……"方"?
既に歩き出している一翁に続きながら、早口で疑問をぶつける。元老院トップである一翁がそのような扱いをする者は<純血種>くらいだろう。
「お祖父様の仰りよう……純血の君、白蕗家の方ですか?」
「会えば分かる」
白蕗の者でないならば、どこの<純血種>だろうか。拓麻が記憶を探って心当たりを見つけるよりも前に、一翁はある部屋の前で足を止めていた。
屋敷の奥も奥、拓麻でさえあまり来ない区画だ。襖で仕切られたその和室には複数人のメイドが控えていて、一翁を認めると静かに襖を開いた。二枚の襖を開いた先には、三十畳弱の和室がある。天蓋つきのベッドが置かれ、入ってすぐの右斜め前には、テーブルセットの椅子に腰掛ける男がいた。
「お待たせいたしました……おかげんはいかがですか」
一翁が拓麻の前で膝をつく。突っ立ったままの拓麻は、和室に入ってすぐに感じた血の匂いを忘れるほどの驚きをもって、椅子に座る男を見つめた。
「……悪くない」
「それはよろしゅうございました――我が君」
口元の血を拭うその男は、口の端を上げて一翁を見下ろす。傍には女が倒れていて、血の匂いは彼の"食事"によるものであるらしい。一翁にも匹敵する威圧感を持つその男に、拓麻は見覚えがあった。否、よく知っている男だった。
「……支、葵?」
椅子に座っているのは間違いなく千里だった。長期休暇中、実家に戻るからと別行動だった千里が、どういう訳か目の前に居る。しかも、一翁に膝をつかせて。
ただ、千里の瞳の色が左右で違っていた。右は青で左は赤。そのどちらも千里のものではない。
「これは、どういう……?」
「……これがお前の孫か」
千里の姿をした者は、じろりと拓麻を見上げてくる。少なからずそれに圧され、拓麻は拳を作って握っていた。
「はい。私の孫……黒主学園に通っている、拓麻と申します」
「僕のことを話してないらしいな……」
寮で共に過ごしている友人の変わりように、どうするべきかが分からない。一翁の行動に倣うべきだとは思うのだが、状況が飲み込まないせいでそれも躊躇われた。
拓麻の混乱を見越してか、千里は笑みを深める。
「僕は"支葵千里"の父親だよ」
「っま、さか……玖蘭、李土様……?!」
目を見開いて千里を凝視する。紛れもない、玖蘭の血を引く者であり、枢の両親を殺めた、枢の敵である男。
表向きは死んだとされていた李土だが、枢と悠――枢の父親――から負った傷の再生の為、支葵家が――当時から李土と元老院が手を組んでいた関係で――保護していたのだ。
それは拓麻も知っている。その事と目の前の状況を合わせれば、未だ肉体の復活していない李土が血縁者である千里の体を使っているのだ、とは分かった。
悠の兄である李土が、とうとう玖蘭当主の座を手に入れる為に動き出したのだ。
枢は、李土が動き出したことに気付いているだろうか。気付いていない訳がないか。枢はこの時のために準備を進めてきたのだから。
いつの間にか冷静な自分に戻っており、内心苦笑する。
「……拓麻、分かったら、相応の態度をとれ」
「は、はい」
一翁に睨まれ、同じように膝を畳につけた。友人の敵である者を前にして奇妙な気分だが、所詮自分では一翁に逆らえない。
倒れていた女を、メイドが運んで行くのを視界の端で捉える。しかし意識は完全に千里に向いていた。
「ところで、あの子は?」
頬杖を付いた千里が、少し退屈そうにしながら一翁に言った。一翁は「あの子」を知っているようで、誰かとは言わずに返答する。
「今支度をしております。狩りからそのまま来たようでしたので」
「そっか。……拓麻、学園でのあの子はどう?」
どこか楽しそうに問われるも、拓麻は返事が出来なかった。彼と面識があり、"狩り"にも行く者が、あの学園にいただろうか。前者だけ、後者だけと考えるならまだしも、両方を満たす者に心当たりが無い。
「申し訳ありません……どなたのお話でしょう」
千里と一翁を交互に見る。ぱちぱちと瞬きをする千里に、一翁が口を開いた。
「彼女の立場には、まだ誰一人として気付いておりませんので」
「……気付いていない?枢もか」
「はい、恐らく」
"あの子"とは女であるとは分かったが特定には至らない。拓麻は畳に視線を落とし、学園にいる女子生徒を出来るだけ思い起こした。
すると椅子に座る支葵が、突然声を上げて笑い出した。
「くっ……はっははは!そうかそうか、全くあいつは……!」
「あの……どのような方なのですか?」
絶対に普段は見られない千里の大笑いを前に、違和感はとりあえず脇に置いて問いかけた。千里は口元に弧を描いたまま、足を組み直す。
「とっても賢い、僕の大切な子だよ。あの子風に言うと"かぞく"かな」
一体、誰が?
思い起こしてみても、条件を満たす人物はいない。必死で見つけ出そうとするが、ふと無駄であることに気が付いた。一翁が「まだ誰一人として気付いて」いないと言っていたのだから、思い返しても該当する人物がいる訳がないのだ。
ならば、逆に考えよう。枢さえ気付いていないのならば、枢がノーマークである者は誰だ?
「……まさか」
該当者は一人。全ての条件を満たしているのかはこれから確認しなければならないが、枢がノーマークであるのは確かだ。あの学園で唯一、枢からの役割を持たず、駒にならず、盤上を自由に動ける者。
信じられなくて千里を見つめると、拓麻が察したと分かったのか、千里は満足気に言った。
「優秀だろう、あの子は」
拓麻は言葉を返せないまま、また千里と一翁を交互に見た。頭の中には、いつも笑顔で落ち着いた雰囲気の、一人の守護係が浮かんでいた。
*
二つ目の任務を済ませた美夜は、一条家に到着すると客室に通された。流石<貴族>と言うべきか、高級ホテルさながらのしつらえに感心する。
[天守月影]を外してソファに置き、傍に帯刀ベルトも置く。ケースを持っていないので、これから数日はこのソファが刀の寝床になる。
吸血鬼しかいないこの屋敷で[天守月影]を使える者はいないし、一翁から話を聞いているであろう屋敷の者が美夜を狙う事もないので、ソファに置いていても――刀の安全にも、身の安全にも――不安はない。
客室のクローゼットには洋服が用意されていて、美夜は必要な物を出してバスルームを使った。細かい埃や血を洗い流し、出した洋服に着替える。日付がすっかり変わっているのだからと寝やすそうな服にしたのだが、少々薄手だったのでショールも羽織った。
「完了っと」
いつも濡れたままの髪も少しドライヤーを当て、軽く乾かす。準備が出来れば、ショールを羽織り直して部屋を出た。
部屋を出てすぐの所にメイドが控えており、美夜が声を掛ける前に口を開く。
「それでは、ご案内致します」
「ありがとうございます」
美夜は小さく礼をして、歩き出したメイドに続く。
「今、旦那様と拓麻様がお会いになられています」
「私が行っても?」
「気にしなくていいと、旦那様が」
拓麻がいることに少し緊張する。一条家である拓麻が彼と会うことは知っていたので、覚悟はしていたのだが。
屋敷の奥にある和室に案内される。襖が開いていることからも先客の存在を窺えた。メイドが脇に退いたので、美夜は一人、和室へと足を踏み入れる。
「失礼します……」
まず、膝をついている拓麻と一翁が目に入る。その前に置かれている椅子には千里が腰掛けていたのだが、千里の体を李土が使っているのだと分かり、止めかけた足を進めた。
千里が笑んで、片手を伸ばしてくる。美夜は思わず、力が抜けたような笑顔を浮かべた。
「李土っ」
ひざまずく二人を通り越し、伸ばされた手を取った。拓麻や控えているメイドから驚いた気配を感じたが、特に気にはしない。
胸に起こるのは安心感のみ。椅子の横で膝をついて肘置きに顎を乗せ、左右違いの目を見上げた。
「夜会の時とは、反応が違うな」
「あの時は知らなかったし、器も器だったから」
「丁度、美夜の話をしていたよ」
頭を撫でられながら、一翁に視線を移す。
「部屋、ありがとうございます」
「……礼には及ばん」
次いで拓麻を見ると、驚きを露にした目と視線が合った。信じられない、と言いたげなそれに、苦笑を浮かべる。近い内に、皆――零からもそう見られるのだと思うと、何かが胸を刺した。しかし傍にある彼の存在が、その痛みを和らげた。
「こんばんは、拓麻さん」
「美夜ちゃん、どうして……」
「見ての通り、かな。……ついでに私が[天守月影]の使用者だよ」
「え?!」
苦笑を深めると、頭上で千里が笑いを噛み殺した。撫でられたまま見上げると、千里が肩を震わせている。
「クク……よくやっているようだな」
ぽすぽすと手を弾ませられ、目を細める。心地良さと安心感と、仕事や移動による疲れ、そして今が深夜であることも手伝って、出そうになった欠伸を噛み殺した。吸血鬼である千里もとい李土や一翁や拓麻にとっては今が活動時間だが、美夜にとってはそうではない。
"影"としての仕事中に不規則な生活になることは多いが、やはり夜には睡魔が襲う。[天守月影]があれば、それも違ってくるのだが。
「ん?眠そうだな……」
「うん……深夜だから」
「それもそうだな……もう休んでおけ。積もる話は後でな」
千里が言いながら、一翁と拓麻を一瞥する。それだけで言いたい事を察したようで、二人は立ち上がった。
相変わらず拓麻からの視線は居心地の良いものではない。しかし言い訳も出来ないしするつもりも無いので、謝罪の気持ちを込めて小さく笑いかけた。それに拓麻は僅かに目を剥くも、一翁に促されて和室を後にする。
「失礼します」
「……失礼、します」
二人が出ると、控えていたメイドが襖を閉める。美夜も部屋に戻ろうかと立ち上がるが、同じく腰を上げた千里に腕を掴まれた。
和室にあるベッドを顎で示される。
「それを使え。僕も少し寝る」
「!うん」
もう夜も大方過ぎてしまったけれど、今夜はいつもよりぐっすり眠れそうだ。器が良く知った夜間部生なので多少の違和感はあるが、左右色違いの目を見るとそれも消え去った。
*
深く深く沈んだ意識が――否、沈められていた意識が浮上を始めた。体の感覚が戻り、瞼の裏に光を感じる。肌に感じる感触から、ベッドか何か柔らかいものに寝ているらしいと分かった。
少しの肌寒さを覚えて身じろぎする。すると、程近くから声が降って来た。
「千里?」
「……んん」
まだ寝かせて欲しいと体を丸めるが、声の主に引っかかって瞼を上げた。
寝ている自分を起こすのは、寮で同室の拓麻か、莉磨くらいだろうと思う。寮のロビーで寝ていれば他の夜間部生から起こされることもあるが、普通科生に起こされることはまずない。
自分の名を呼んだのは、美夜ではないだろうか。一体どういうことだろうと体を起こすと、やはり控えめに苦笑する美夜がいた。
「……あれ、美夜?」
「うん、おはよう」
天蓋付きのベッドに寝ていたらしい自分。目に入ったのは、そのベッドに腰掛けている美夜と、ベッドの傍で立つ拓麻だった。
全く状況が掴めない。寝起きであるから、余計に事態の整理が難しい。
「一条さん?……どうなってんの?」
「ね、千里。どこまで覚えてる?」
少し心配そうに美夜に問われ、思い起こしたのは自分の父親の存在だった。
実家へ戻った後、元老院幹部の大伯父に呼ばれてその屋敷に向かった。「見せたいものがある」と案内された部屋には、肉体を再生させている父親が棺に入っていた。死んだと聞いていた父親だが、支葵家が保護していたようだった。
記憶が途切れているのはその直後だ。体の再生が不完全な父親――李土と目が合って、そこからの記憶が無い。強い力で、意識が奥底に沈められていた。
「……父親を、見たところ」
「だよね……ごめんなさい、勝手に体を借りて」
美夜が本当に申し訳なさそうに、千里に頭を下げる。拓麻は複雑な表情でこちらを見ており、千里はどうすべきか分からず首をかしげた。
「俺の体が、李土に使われてる……ってことでいい?」
「うん。少しの間、貸してほしい……李土が使ってる間、千里の手を汚すようなことはさせないから」
勝手なことを言ってごめんなさい、とまた美夜が頭を下げる。知らない間に自分の体が使われているのは、決して気分の良いことではないが、文句を言うのも今更な気がした。
「……美夜がそう言うなら、俺の体は悪いようにはされないんでしょ?」
「うん、李土にも言っておく」
「ならまあ……一条さんもいるみたいだし。それより、何で美夜が?」
大伯父の言動からして、自分は元老院側におり、そしてこれから何か起こるのだろう。支葵家と同じく元老院側である拓麻がいることからも、元老院とどこか――反元老院派ということになるのだろうが――の抗争が起こるのだろう。
そこまでは何とか理解できる。だが、美夜のいる意味が分からない。彼女は人間で、元老院とは関わりも無く、ましてや李土の存在すら知らないはずだ。
なのに、美夜は李土を以前から知っていたように名前で呼ぶ。礼儀正しい彼女のことだ、李土の許可無く呼び捨てをしているとは思えない。
美夜は困ったような笑みを微かに浮かべていた。
「どう言うべきかな……私はこちら側なの。昔、色々あってね」
「ふうん……」
色々何があったのか気になる所だが、美夜は今話すつもりは無いのだろう。それが何となく分かったので、問うても仕方が無いだろうと詮索はしなかった。
「あ、ちなみに私、"影"っていうハンター。よろしくね」
「え……」
思わず拓麻を見ると、苦笑を浮かべて頬をかいている。信じがたいが事実なのだろう。驚くことが一気に起こり、考えることを放棄したいと思うのは仕方が無い。
欠伸を一つして髪をかき上げると、思い出したように拓麻が言った。
「支葵、調子は大丈夫なのかい?」
「だと思うけど……なんていうか、意識が引っ張られてる感じ」
拓麻の表情が硬くなる。一方で美夜は乾いた笑みを零して、ごめんね、と謝罪する。その反応を見て、李土が千里の意識と入れ代わろうとしているらしいと分かった。
「……李土が俺と代わろうと?」
「ああ。さっきも、支葵に代わってもらうのに、美夜ちゃんが説得してくれたんだ」
自分を沈めようとする力が段々と強くなる。それでも、初めのときのように無理矢理代わらないのは、会話の最中であることを考慮してくれているのだろうか。
自分ではこの力に抗えない、と本能的に理解している。ならばもう望み通りにした方が無難かもしれない。
「そ。……じゃあ、俺寝る」
「ごめんね、千里。ありがとう」
起きようとしていた気持ちを片付けると、あっさりと強い力に抑え込まれた。
千里が瞬きしただけで、その目の色が変化する。気だるげだった目に鋭いものが宿ったのを見て、美夜は少しだけ責めるように言った。
「千里の了承を得てなかったなんて」
「もうそれは聞き飽きた。済んだ話はいいだろう」
千里は大袈裟に溜め息をついて、ベッドに身を沈めた。昼前である今は、吸血鬼にとって眠るべき時間帯だ。李土は千里の体に移ったばかりで馴染まないのか、すぐに寝たがる。
美夜は生憎目が覚めているので、千里と共に眠るつもりは無い。起きてすぐに着替えたワンピースドレスの裾を気にしながら、ベッドから下りようと移動した。
「……美夜こそ、僕の知らない間に咬まれるとは……そいつ、許せないな」
「ごめん、それしかなかったし……」
「僕のモノに手を出すなんて、いい度胸だよ」
スリッパを履いて、裾を整える。ベッドから聞こえる声には敵意や殺意の類が込められていて、それに少し嬉しくなった。同時に自分の行動の矛盾が思い起こされて嫌にもなるけれど、今は深く考えないでおこうと片付けた。
こちら側である自分が、あちら側の切り札である彼を生かした。完全な吸血鬼にした。しかしそれは、自分でケリを付ければいいだけの話。それだけだ、と自分に言い聞かせる。
「おやすみ、李土」
「ああ。起きたら呼ぶ」
美夜は僅かに表情の硬い拓麻に目配せし、そのまま二人で和室を出た。
並んで歩きながら、美夜にあてがわれている部屋に向かう。元々、起床して一度部屋に戻った美夜を拓麻が訪ねて来て、そこで千里の話を聞き、早急に片付けるべきだと彼を起こしに行ったのだ。拓麻が美夜を訪ねて来た本題は済まされていない。
到着すると、拓麻には適当に座るよう促す。だが拓麻は腰を下ろさず、カーテンが閉まったままの窓に凭れて立った。美夜は[天守月影]の隣に座り、視線を落とす拓麻を見る。
「ありがとう。千里の事、教えてくれて」
「いや……僕も予想だったんだけどね」
拓麻は苦笑しているが、戸惑いが窺える。美夜は自分に向けられる感情――とりわけ負に分類される感情には敏感に出来ているので、隠そうとされてもすぐに気付く。
いや、この状況では敏感でなくとも、拓麻が困惑していることくらい分かるだろうが。
「美夜ちゃん、君は……人間だよね」
「うん、<レベル:U>ではあるけど」
「実は<純血種>でした、なんてことは?」
「無いよ。……お姫様じゃあるまいしね」
こちらを見る拓麻が目を剥いた。だが、「知ってて当然か」とすぐに頭をかいて小さく笑った。
美夜は座ったまま足先を上下に動かしながら、言葉を捜すようにしている拓麻から視線を外す。拓麻の困惑は大方予想できるものなので、問われるまでもないのだ。
「……拓麻さんの言いたいことは、大体分かってるつもり。でも、ごめんなさい。昔の話をするつもりはないんだ」
「うん、僕もそれを根掘り葉掘り聞きはしないよ。……君は、最後の最後まで、枢達に伏せカードは開かないつもりだろう?」
「うん」
枢の言った通り一番恐いのが美夜ちゃんだったなんてね、と拓麻は息を吐いた。枢がそんな事を言っていたのかと少々驚いたが、拓麻の言う通り恐らく外れていないので、何とも返せない。
拓麻が窓から背を離し、テーブルセットの椅子に腰掛ける。昼更かしに慣れているらしい拓麻は、太陽が昇っている今の時間帯でもあまり眠そうではない。
「美夜ちゃんってもしかしてご飯まだ?」
「あ、うん。朝御飯……もう昼御飯?」
時計を見て首をかしげると、拓麻が笑って同意した。困惑は脇に置いたのか、その笑顔が学園で目にするものと同じで、美夜もつられて笑った。
「何か用意させようか。僕も一緒にいい?」
「……拓麻さん、寝ないの?」
「軽く食べてから、適当に寝るつもり」
吸血鬼の屋敷で、昼間からシェフに仕事をさせるのは正直躊躇われたが、部屋にキッチンが無いので仕方がない。
それに拓麻の口振りから、彼は昼に食事を摂ることも珍しくないようなので、一条家や月の寮のシェフは慣れているのかもしれない。
美夜は心の中で謝って、拓麻の提案にのった。
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