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 長かった休暇の終わりを目前にして、学生が一斉に学園へと戻ってくる。
 授業が始まる前日には、朝から普通科生が続々と学園の門をくぐっていた。
 その日の宵の刻、風紀委員三人はある門に集まっていた。
 普通科生の帰寮は寮長が後程チェックするのだが、夜間部生の帰寮確認は風紀委員の仕事である。

「おかえりなさい、皆さん」
「おかえりなさい」

 優姫とともに言葉をかけた美夜は、久しぶりの面々をどこか嬉しく思いながら名簿にチェックを入れていく。

「はい、お土産」

 不意に枢が美夜の手元に小さな箱を出してきた。驚きつつ受け取ると、枢は優姫にも何か違う物を渡している。

「……優姫には、十年に一度しか咲かない薔薇を樹脂で固めたもの。美夜には、その薔薇園で見つけたチョコレート」
「わあ……!」
「私まで、いいんですか?」

 まさかの土産に、箱と枢を交互に見た。たかがチョコレートと思えない、枢の買ってくる物が庶民的でないことくらい分かっているから。枢は、綺麗な形をした薔薇の香りがするチョコレートだよ、なんて微笑んで言ってくる。

「枢さん、ありがとうございます」
「どういたしまして」

 ありがたく頂こう。チョコレート好きだし。

「美夜、私からはこれ」

 チョコレートの小箱をポケットに仕舞って、会話の間に通り過ぎてしまった夜間部をチェックしていると、こそりと瑠佳が耳打ちする。渡されたのは平らな箱で、濃紺のリボンで飾られていた。

「わ、ありがとうっ」
「ハンカチなのだけど、とっても綺麗な刺繍がしてあったから……美夜に似合うと思って。気に入ってもらえると嬉しいわ」
「あ、ちょっと待って。はいこれ」

 微笑んで寮へと向かう瑠佳を呼び止めて、美夜は用意していた袋を渡した。お土産宣言をくれた瑠佳宛に、旅行の際に購入していた。瑠佳はお返しがあると思っていなかったのか、少し目を剥いて袋を受け取る。

「大した物じゃないんだけど……」
「ありがとう美夜!」

 にっこり笑ってくれた瑠佳に笑い返し、寮へと向かうのを見送った。また手早くチェックを入れていると、何やら物音――何かが倒れたような、何かを殴ったような――が聞こえて顔を向けた。
 視線の先では、枢と零が睨み合っており、そして何故か零の手には大きな細長い袋が握られていた。袋の上部には明らかに人の顔だと思われるものが浮き出ており、袋の中程が凹んでいる。
 どうしよう、全然分からない。

「……零?それ……」
「と、等身大の呪いの人形だって。たった今使用されたけどね……」

 優姫がそう言って苦笑する。枢さんも面白いことをするな、と美夜は顔の浮き出た袋を見て笑った。リボンでラッピングされているのがおかしかった。
 美夜は笑いながら名簿の"玖蘭枢"の欄にチェックを入れて、本日帰寮予定である全員を確認する。そして呪いの人形を放って帰りそうな零に、ポイ捨ては駄目だよと苦笑を向けた。

「あの、枢センパイ」
「何?」

 優姫が控えめに枢を呼ぶ。校舎に来てもらって昔のことを聞くつもりなのだとは午前中に聞いていたので、会話は気にならなかった。
 美夜は瑠佳からの土産と名簿を持ち直し、零が脇に抱えた大きな袋を観察する。すると近くで枢を待っていた夜間部生の中から、莉磨が歩み寄って来た。

「……ねえ、美夜」
「うん?」
「支葵から連絡あった?」

 ああ、あったよ、と頷きながら名簿の"支葵千里"の欄を探す。チェックはされておらず、備考の欄には"家庭事情により遅れる"と理事長の字で書いてあった。同じことが拓麻の備考欄にも書かれてある。
 それを莉磨に示すと、彼女は顔色を曇らせた。

「……どうかしたの?」
「支葵、仕事先には行ってるみたいなんだけど……私とは連絡つかないの」

 美夜は数度瞬きを繰り返して、忙しいのかなあ、と月並みなことを口にする。莉磨が不安に思ってしまうのは申し訳ないけれど、千里の体を使っている李土に、完全に千里のふりをするよう求めるのは不可能だった。





「理事長、全員帰寮しましたよ」

 理事長室へ着いた美夜は、名簿と紙袋を理事長に差し出した。紙袋は枢が去り際に渡してきた物で、理事長への土産らしい。共に来た零は呪いの人形の入った袋を、無造作に床に放る。
 枢と瑠佳からの土産は先に寮に置いてきていた。零が待っていてくれたので一緒に来たが、優姫はもう校舎で枢を待っているだろう。
 一緒に行こうと思っていたのだが、優姫が「頑張ってみるよ」と言ったので、美夜は頭を撫でただけだった。

「これは枢さんからのお土産です」
「ありがとう。へえ……お、薔薇茶だって」
「珍しいですね」
「折角だから淹れてみようか。二人とも飲むかい?」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
「俺は遠慮します」

 零が、床に転がされた大きな袋を踏みにじっていた。人形を気の毒に思わないでもないが、恐らく本来の使用用途に沿っているので何とも言えない。
 理事長がお茶の用意をしてくれているので、美夜はその袋のそばにしゃがんだ。

「……美夜、どうするつもりだ」
「開けてみようかと」
「…………止めとけ」

 見てみたいじゃない、とリボンに手をかけ、袋の中を覗く。が、予想を上回るおぞましいそれに、美夜は何も言わずリボンをきつく結びなおした。
 スカートを払いながら立ち上がり、何とも言えない表情の零に乾いた笑いを返す。

「……うん」
「やっぱりな」

 これを枢が手に取って購入したのだと思うと妙な感じである。そもそもどこで入手したのだろうか。
 複雑な表情を浮かべていると、ぽすぽすと零に頭を撫でられた。

「お茶入ったよー」
「あ、ありがとうございます」
「で、錐生くんにはこれ」

 美夜は薔薇の香りのするカップを受け取り、零は理事長からプリントを受け取っていた。

「君の許し無しでは、編入を許可できないと思ってね……」

 そういってカップに口をつける理事長を見て、美夜は薔薇茶を飲みながら零を見つめる。零は紙を見て目を見開き、だがすぐに溜め息とともに頷いていた。
 じっと見ている美夜に気づいたのか、ほら、と紙を差し出される。

「編入……きりゅ、壱縷くん?」

 零と苗字が同じなので慌てて言い直し、まじまじとプリントを見る。彼は普通科に編入してくるらしい。
 美夜は理事長にプリントを返し、薔薇茶の水面に視線を落とした。
 壱縷が元老院側についたとは知っていた。数日前に元老院から――正確には一翁からになるのだが――連絡があり、錐生壱縷を李土付にしたらしいのだ。それを聞いていれば、この編入は"これから"の為のものであることは明らかだ。
 でも、多分壱縷くんは――――。

「……心配するな。何もない」

 黙りこくっていたのを見かねてか、零にまた頭を撫でられる。美夜は控えめに笑って零を見上げた。

「ちなみに同じクラスだよ、壱縷くん」
「……ちょっとした騒ぎになりそうだね」

 零が美夜らより一つ年上ということは当然壱縷もそうなるはずなのだが、美夜らと同じ学年への編入が許可されたのは、元老院からの推薦状があるからだろうか。そしてそうであるならば、理事長は彼が元老院側の人間であることを承知で編入を許可したということになる。
 理事長は枢側の立場だろうが、私情は挟まない、ということか。元老院の推薦状での編入は、夜間部生では普通にあり得ることだ。
 美夜は時計で時間を確認すると、薔薇茶を飲み切ってカップを置いた。上品な香りのするとても美味しいものだった。

「ごちそう様でした。私はこれで」
「俺も」

 校舎にいるであろう優姫の所へ、彼女を迎えに行かなければ。
 一体どういう話をしたのか、枢は何かを話したのか、非常に気になる所だが、恐らく枢はまだすべてを明かさないと予想しており、あまり焦ってはいなかった。

「ご苦労様。また明日からよろしくねー」

 カップを片手に笑顔を浮かべる理事長に一礼し、美夜は零と校舎へ足を進めた。





 優姫は、展開した[狩りの女神]を握りしめる。背後の人物に向けて展開したそれはその人物に受け止められており、バチバチと火花のようなものが散っていた。

「あ……枢、センパ……?」

 武器を向けた人物を確認し、優姫の手から[狩りの女神]が滑り落ちる。
 音を立てて床に落下したと同時、優姫は枢に腕を引かれて抱き締められていた。

「何に怯えているの?優姫……」
「ごめん、なさい……ごめんなさい」
「大丈夫。落ち着いて、優姫」

 優しく抱き締められて、震えが収まり力が抜ける。自分の手をちらりと見ると、そこには血などついていなかった。自分の手が血塗れたように見え、次いで枢が現れたものだから、動転して武器を向けてしまったのだ。
 深く呼吸しながら謝罪する。気が動転していたとはいえ、枢に一瞬でも武器を向けた自分が許せなかった。

「落ち着いた?」
「はい……ごめんなさい」

 枢が優姫を抱きしめたまま、髪を梳くように手を動かす。優姫は一度目をきつく閉じてから、少し体を離して枢を見上げた。
 その静かな枢の表情には心配が滲んでいて、優姫は言おうとした言葉を飲み込んでしまった。
 聞かなければ。十年前の雪の日に、どうしてあの場所にいたのかを。何か自分の記憶に関係しているのではないかと。そう決めて来たつもりだったのに、枢を疑いたくないと心が叫ぶ。
 迷う優姫が声を発する前に、枢が口を開いた。

「皆の前で出来ない話って、何?」
「……お聞き、したいことがあります」
「うん」
「枢センパイは……」

 確かめたいのに言葉がどうしても引っかかり、自分の不甲斐無さに眉を寄せた。泣いてしまいそうな自分を叱咤するが、言葉が出てこない。そんな優姫から何かを察しているのか、枢はいつになく真剣な目をしていた。

「……大丈夫だよ。君が何を聞いても僕の君への気持ちは変わらない。僕ははっきり口にしたことはないけれど……分かっているよね、優姫」

 再び体が密着する。先ほどよりもやや力の籠った抱擁と言われた内容に優姫は目を見開いた。
 とてもとても嬉しいはずなのに、手放しで喜べない。
 優姫の反応をどう受け取っているのか分からないが、枢は優姫の耳元で続ける。

「愛しているよ、君のことを世界の何より……出来ることなら、すべての不安を君から取り除いてしまいたい」

 名残惜しそうに枢は優姫から腕をほどくと、声の出なくなってしまった優姫を見て微笑む。優姫は緊張を解すように大きな手で軽く頭を撫でられて、そのまま何も言えずに、大好きな人の背中を見送った。




 何も考えられなくなってその場に座り込んだ優姫が我に返ったのは、二つの足音が聞こえて来てからだった。はっとして急いで立ち上がろうにも、二人はそう遠くないところにおり、座り込んでいるのを見られてしまっていた。

「優姫……?!」
「あ、ごめ……大丈夫」

 駆け寄ってきてくれた美夜の手を借りて立ち上がる。笑おうにもそういう気分にはなれず、心配をかけているのを承知で視線を落としていた。遅れて歩み寄ってきた零が静かに問う。

「……聞けたのか?」
「ううん」

 首を緩く左右に振って、体の横で拳を握る。いつまで経っても弱く、立ち止まっている自分が情けない。確かめると決めたのに、どうしても彼を信じたくなってしまう。

「……また、機会があるよ」

 ふわりと微笑んだ美夜が顔を覗き込んで来て、優しく手を繋いでくれる。零にも励ますように肩を軽く叩かれた。呟くように二人に礼を言って、自分で自分の頬を軽く叩く。
 美夜の言う通り、また聞けばいいのだ。くよくよするのは自分らしくない。

『愛しているよ、君のことを世界の何より』

 課題が増えた気もするけれど、でも、逃げずにちゃんと向き合いたいと思う。自分の過去にも、自分の気持ちにも、枢にも。

「……うん!ちょっと元気出た」
「良かった」
「来てくれてありがとう。部屋に帰ろっか、明日から出待ちも見回りもあるしね」

 頷いた美夜と手を繋いだまま、寮に戻る為に一歩を踏み出したが、零は思案気に床を睨んだまま動こうとしない。
 すぐに零の様子に気づいた美夜が、反対の手で袖をつまんでいた。

「零……?」
「……少し、歩いてから戻る。お前らはさっさと休んどけ」
「あ、うん。おやすみ」

 零に頭を撫でられた美夜が、怪訝そうにしながらも就寝の挨拶をする。優姫もおやすみと声をかけると、零は短く返事をして、優姫の額を指で弾いた。
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