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朝、美夜が教室で欠伸を噛み殺していると、登校してきたばかりの沙頼が小さく笑う気配がした。
言うまでもなく、優姫と零はまだ来ていない。
「いつもに増して眠そうね」
「うん……あんまり寝られなくて」
「優姫も頭痛で寝不足みたいだし……大丈夫なのかしら、風紀委員は」
「少なくとも私は大丈夫だよ」
沢山のことがあった昨日、沙頼に言った通りあまり眠れなかった。零のことで混乱していたこともあるのだが、ベッドに入った優姫が中々眠っていなかったのも理由の一つである。枢から過去の話を聞けたわけではないだろうが、悩み方からして、何か別のことを言われたのかもしれない。
そしてもう一つ。今日から新学期なので、壱縷がやって来ると思われた。美夜が一条家にいた時期に彼は支葵家のほうにいたらしいので、まだ会っていない。
他愛ない話をしていると、十分ほどで担任の教師が入って来る。しかし今日は教師だけではなく、一人の男子生徒が続いて入って来ていた。予想通り、錐生壱縷その人である。
「一講目を始める前に連絡事項がありますので、少しお時間いただきます」
一気に教室が騒がしくなる。舞踏祭以来女子人気が上がったとはいえ、「睨まれると生命の危機を感じる」とまで言われたクラスメイトと同じ顔が入ってくればそうもなるだろう。零が双子であるなど、知っている生徒がいたのか疑問だ。
「皆さん静粛に!さあ、あなたは自己紹介を」
「……初めまして、今学期からこちらの生徒になりました。理由(ワケ)あって、今まで兄とは別々に暮らしていました。双子の片割れ、錐生壱縷です」
今のところ愛想笑いを浮かべず淡々と自己紹介をする様子は、零によく似ているものがある。零よりも髪が長く、声も少し違うけれど、流石双子といった所だ。
見つめていると目が合って、壱縷は少しだけ笑った。美夜は少々驚きつつも、微笑んで返す。
「知り合いなのね」
「うん」
「編入も知ってたようだけど」
「一応、ね」
「優姫には言ってなかったの?」
沙頼が教室の後ろのドアを指さしていた。頭痛から立ち直っていたのか、優姫が壱縷を凝視して立ち尽くしている。教師が溜め息交じりに注意すると、優姫は慌てて席に着いた。
「あれ、美夜知ってた?」
「昨日聞いてた……ごめん、言ってなかった」
「ううん……でも、壱縷くんは……」
そこで美夜ははたと思い出した。優姫は閑を殺した犯人を知らない。そしてこれは零にも共通して言えるのだが、壱縷は零が閑を殺したと思っている、と認識しているだろう。だから、壱縷のこの編入は復讐のためだ、と二人はきっと予想する。
少しややこしくなってきたなあ、と美夜は委員長の隣に座るよう言われた壱縷を見つめる。
多分彼は黒幕を知っていて――まり亜が知っていたし――復讐といってもそちらへの復讐のために元老院について編入までしているのだ。優姫や零が想定している事態には、恐らくならない。
「……零は知ってるの?」
「うん、昨日私と一緒に聞いたから」
小声で聞いてきた優姫に、前を向いたまま頷く。壱縷は美夜らよりも後ろの席につくよう指示され、机の間にある通路を歩いて来ていた。通路側に座る美夜は、すれ違いざまに、壱縷から小さな紙を渡される。
優姫に気付かれないよう、机の下で広げて視線だけで確認すると、手の平サイズのメモに整った文字が並んでいた。
"お昼ご飯一緒に食べようよ。もちろん二人きりでね。"
*
休み時間毎に壱縷の所へ行きたそうだった優姫をなんとか留め、昼休みに突入した。
食堂へ行こうと三人で席を立ったと同時、美夜は背中に重さを感じる。沙頼が驚いた表情を見せ、優姫は目に見えて焦っていた。
「美夜ちゃん、ご飯食べに行こう」
「うん。でも離れてくれる?ほら、皆からの視線が痛い」
後ろから覆いかぶさっている壱縷の手を軽く叩いて主張すると、壱縷は悪びれる様子無く離れた。零よりもかなり気さくな彼はすっかり人気者で、壱縷に食事を断られたと思われる、男女含むクラスメイトの視線が刺さった。
「そういうことで。優姫ちゃん、美夜ちゃん借りていくね」
「え、美夜一人でなんて……!」
「別に何もしないよ。零への嫌がらせだから」
「ごめんね、行ってくる」
壱縷とまともに話したことはないはずだ。舞踏祭の時に会ってはいるが、会話らしい会話をした覚えがない。にも関わらず、壱縷は昔からの友人のように親しげだ。ただ美夜も美夜で、零と同じ顔だからか、あまり違和感がない。
食堂でランチを注文して、窓際の席に着いた。遠巻きに見られているのが分かり、美夜は小さく息を吐く。無理もない、壱縷の編入を知らない他学年からすれば零が急ににこやかになっているように見えるのだから。
向かい合わせに座ると、見える位置に優姫と沙頼が座っていた。こちらを窺う優姫に笑顔で手を振ってから壱縷に向き直る。
「込み入った話なら、場所を変えてほしいけど」
「だから零への嫌がらせだってば。堅苦しい話もしないよ。……正直、聞きたいことは沢山あるんだけどさ」
答えてくれそうにないし、と言いながら壱縷は手を合わせて食事を開始する。美夜も続いて箸を持ち、特に緊張もなく食べ始めた。
「早く零が来たらいいのに。すごく怒るよ」
「私としては来てほしくない……食堂の空気が凍りそう」
「浮気だと思われちゃったり?」
「そもそも付き合ってないよ」
「……え、あんなことしといて?」
壱縷の指している内容が容易に分かり、美夜は数秒動きを止めた。食べかけのランチから視線を上げて壱縷を見ると、壱縷は心底意外だったらしくごくごく普通に驚いていた。
「……あれは緊急事態」
「にしては二人とも顔真っ赤だったよね。よくやるよ、あの状況で」
「っあの状況だから出来たんだってば……!お願いだから、あの時のことあんまり言わないでよ……」
体温が上昇しないように努めつつ、食事を再開させてこの会話を強制終了する。向かいで笑われた気がしたけれど、何も言わなかった。
しばらく黙々と食べ、壱縷が先に箸を置く。美夜もほとんど食べ終わっており、食堂全体としても会話が多くなってきた。このまま零が来ずに昼休みが終わることを願いながら、美夜は残り少ない食事を口に運ぶ。
すると唐突に壱縷が口を開いた。
「そっかー」
「何が?」
「恋人ってわけじゃないんだ。俺からみると両想いっぽいけど?」
「……そういうのじゃない」
「ふうん……じゃあさ、俺と付き合ってみる?俺、美夜ちゃんのこと結構好きなんだけど」
言われたことの不可解さに眉を寄せて壱縷を見た。付き合う云々も驚きだが、美夜は後半の言葉のほうが引っかかった。壱縷は誰が閑を殺したのか知っていて、黒幕だって知っているはずだ。美夜を恨み、憎んでも不思議ではないが、好意を持たれるとは思っていなかった。
冗談ならば流せばいい。しかし本心であるならば、どうしてそう思うのか甚だ疑問だ。
「何その顔。嫌なの?」
「嫌っていうか……そういうのじゃなくて。壱縷くんは、私を憎んでいいんだよ」
「……自分でそれ言うんだ」
「私を憎むだけの理由、あるから」
壱縷が口を閉ざしたので、その間に美夜は食事を食べ終えた。箸を置いて口を拭き、椅子に凭れて思案気な壱縷を見る。言いたいことはありそうなのに、美夜からの返答を期待していないからか、すぐに何かを言う様子はない。
「……同じ事、美夜ちゃんにも言えるよね。李土様(あの人)から聞いたよ、美夜ちゃんのことを少し」
「私は……」
「俺も美夜ちゃんもさ、大して変わらないんじゃない?それに普通なら、俺は美夜ちゃんを憎む前に閑様を憎んでる訳で」
色々とやってることがおかしいのはお互い様でしょ、と言われたので美夜は自嘲気味に笑う。自分の心境や行動が目的と矛盾してきたのは十分自覚しているので、壱縷からの指摘はいっそ清々しかった。
壱縷も自嘲を交えて少し笑うと、呆れたように溜め息を吐いた。
「あーあ、堅苦しい話は無しって言ってたのに。ちょっと入っちゃったじゃん」
「私のせい?」
「うん。……あ、ようやくお出ましだ」
頷いた壱縷が人差し指を向けてくる。しかし指先も壱縷の視線も美夜から微妙に逸れていて、後ろを指しているのだと分かる。さらに周囲の生徒のざわめきから、誰が来たのか容易に分かった。
零がテーブルの横で立ち止まる。見下ろしてくるあまりにも険しい表情に、瞬時言葉を詰まらせた。この状況への不満も感じられたが、顔色が少し悪いことに気付く。
「おはよう、零。顔色が悪いよ……」
「……何でもない。壱縷、復讐するならさっさとすませたらどうだ」
零が壱縷を強く睨む。壱縷はまた呆れたように溜め息を吐いて、空いている隣のテーブルの椅子を示した。
「座ってなんか食べれば?俺は零に嫌がらせしようと思って美夜ちゃんをご飯に誘っただけ」
厳しい空気の零に、ここまで軽い調子で口を利けるのは理事長以外で壱縷くらいな気がする。特殊な関係になってしまったけれどやはり家族で、互いが互いの唯一の片割れなのだ。椅子に座って腕を組む零を見てそう思った。
零も加わったこの場で――壱縷が初めに言った通り――堅苦しい話は出ないだろう。美夜は無言で立ち上がると新しいコップに水を入れて席に戻った。
「はい、零」
「……ああ」
何か食べるのが良いのだろうけど、そういう気分ではなさそうだ。あまり眠れなかっただろうし、当然というか夜の睡眠が浅い方だと聞いている。せめてと差し出したコップを零は大人しく受け取った。
駄目元で「お粥でも頼む?」と聞くとやはり「いい」と返される。「血、いる?」とは聞かなかった。
好奇心を滲ませる周囲の視線は無視をして、美夜は椅子に座り直す。この面々での沈黙は妙な感じになるので口を開きかけたが、零がここにいる今、壱縷の目的は達成されている気がした。
「壱縷くん、嫌がらせは成功?」
「……ま、零を殺気立てられたから成功かな」
「美夜、戻るぞ」
水を飲みほした零は、空になったコップを美夜のトレイに置いた。さらにそれを美夜は自分のコップに重ねる。
「零、可哀想な弟を慰めるつもりはないんだ?」
腰を上げかけた零に壱縷が言う。零は壱縷をちらりと見たがそのまま立ち上がり、美夜の肩を叩きながら言った。
「……慰めてほしいのか」
「いや」
「戻るぞ」
零に促され、トレイを持って立ち上がる。壱縷はどうするのかと立ち去るのを少し躊躇うと、壱縷は驚いたように美夜を見上げた。そしてにこりと笑うと、零を一瞥してから美夜に向き直る。
「美夜ちゃんは面白いよね」
「……そう?」
「また今度話そうよ。機会があるといいんだけど」
「うん、そうだね」
含みのある言い方に、自嘲気味に頷いた。すると急に手の重さがなくなって、見ると零が美夜からトレイを奪って歩き出していた。美夜は、また教室で、と壱縷に短く言ってから慌てて零の後を追う。
長い足を活用して歩く零に追いつく頃には返却口で、美夜は洗い場の職員に挨拶するだけだった。体調が悪いのだからあまり動かなくてもと思うが、さらりと手を貸してくれる優しさに苦笑した。
「ごめん零、ありがとう」
「……壱縷と二人になるな」
「えっ……うん、まあ、もうないんじゃないかなと思うけど」
壱縷を警戒しているからこその言葉にぎこちなく頷く。舞踏祭での雰囲気からも零が壱縷を大切に考えていると知っているから、その零からそんな言葉が出てくると、どこか痛みを感じた。同時に、貴方が警戒すべきはこの私なのだと心の中で呟いた。
零は美夜の頭の上で手を弾ませ、教室へと向かう。美夜は食堂の優姫と沙頼のいた席を振り返り、空席になっているのを確認してから零に並んだ。
*
夜間部生の出待ちに向かっていた時だった。唐突に優姫が美夜と零の前に回り込んで深々と頭を下げる。美夜は何事かと零と視線を合わせて、優姫に頭を上げるように促した。
「ゆ、優姫?頭を上げて」
「あの……二人にお願いがあって」
「お願い?」
顔を上げた優姫は難しい顔をしていた。こんなに改まって言われると、自然と美夜も身構える。優姫は、壱縷くんのこともあってなんなんだけど、と前置きをして両手を合わせた。
「今度、一緒に月の寮に来て!枢センパイにもらってない答えがあるの。今度こそちゃんと向き合うから……私が逃げないように、二人に見張ってて欲しい」
「うん、分かった」
すんなり頷くと優姫は少し驚いたような顔をしたが、礼を言って少し笑う。礼を言われるほどの事でもないのだが、それだけ優姫は一人で行くことに気が進まないのだろう。一度聞き出せなかったから、余計に力が入っているのかもしれない。
零はどうするのかと窺うと、小さく溜め息を吐いていた。彼なりの了承である。
「聞いてやるから……眉間のシワ止めろ」
「う、うん。二人ともありがとうっ」
「いいよ、そんな……優姫がちゃんと決めたなら、私は力になりたいから」
真実は優姫の心に刺さるものだと思うが、それでも止めはしない。強く前に進もうとしている彼女を止める理由がない、ということもあるが、枢はまだ真実を明かさないのではと思うからだ。
自分と同じで、枢も最後まで優姫に真実を明かさないだろう。優姫を大事に思うが故の行動だ。
優姫を大切にしたいのは美夜も同じだが、そこに込められた意味はきっと違う。いや、違っていなければならない。美夜は"こちら側"ではないのだから。
「……私ね、やっと美夜の考えが分かった気がするんだ」
「え?」
優姫が穏やかに笑う。首を傾げると、優姫は照れ臭そうに続けた。
「人間と吸血鬼っていう違いは、全然大切じゃないんだなって。……枢センパイはちょっと怖いけど、本当はとっても優しいの。時々悲しそうに笑うけど、私をいつも気にかけてくれて」
「……優姫は、昔から枢さんのことが大好きなんだね」
「うん。でも、沢山のことを知って、そういうのは考えないようにしてたんだ。私とあの人は違うからって」
それが駄目だったんだね、と優姫は頬をかいた。
「私、ちゃんと向き合うよ。枢センパイにも自分にも。……向き合って、前に進みたいから」
そう言って美夜と零を見た優姫は、とても綺麗に見えた。やはり、優姫にはしっかり自分の足で立つだけの力がある。それがとても眩しかった。美夜は零から向けられた想いから逃げているのだから。
吸血鬼という存在を理解してくれて嬉しいと感じると同時、じわりと冷たいものが滲む。ここまできて自分が揺らぐわけにはいかないのに、強くあろうとする優姫をへし折るような真似に抵抗を覚えたのだ。
……ああ、違う。私はここまで考えなくていい。ただ李土の為にって。
「格好いいね、優姫」
「や、止めてよ、なんか恥ずかしいでしょ」
「はは、可愛い」
「なんで美夜はすぐにそう……!」
「……美夜、女を口説くなよ」
優姫を抱きしめようとしたら、零に腕を引いて止められた。
校舎の入れ替えが終わり、ぞろぞろと寮に戻っていく生徒を見送っていると、木陰に一人残っているのに気が付いた。
美夜が遠目でも分かるその人を見つめると、彼はにこりと笑う。優姫と零も気が付いているようで、明らかに彼を警戒していた。
「壱縷の所に行くなよ、美夜」
「え?ああ、うん……でも何か用事かも」
「無いだろ」
言い切る零に少し笑ったが、壱縷は程なく寮に向かって歩き出した。零の言う通り、何か用事があったわけではないらしい。
その背中を見送る優姫が、真剣な顔で零を見上げた。
「壱縷くんの編入を許可したってことは……話し合うつもりはあるってことだよね……?」
「……」
零は優姫を一瞥したが、何も言わずに歩き出す。優姫と美夜は顔を見合わせて、少ししてからその場を移動し始めた。優姫は自分のこともあるのに零のことが気になるのだろう、とても複雑な表情をしていた。
「大丈夫なのかな……」
「んー、私はあんまり心配しなくていいと思うよ。ギクシャクするかもだけど、壱縷くん、零のこと好きみたいだから」
「お昼の時なにか言ってたの?」
「そういう訳じゃないんだけど、雰囲気がさ」
なんともふわふわした理由だが、優姫は一応納得してくれたらしい。唸りながらも、そっか、と頷いた。
美夜は壱縷の去った方向をちらりと見て、次いで歩きながら空を仰いだ。
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