51
千里の体を使う李土と共に学園へ戻ってきた拓麻は、出来るだけ静かに棺――李土の体が入った――を月の寮の私室に運び終えた。
寮には夜間部生がほとんどおらず、元々騒がしくはないがさらに静まり返っていた。疑問に思ってメイドに聞いた話では、皆優姫の護衛に行っているらしい。詳しい事情は分からないが、枢からそういう指示があったようだ。
「……行くぞ、拓麻」
「え、どこに?」
「可愛くない甥っ子に会いに、な」
到着して早々部屋を出る千里に、拓麻は小さく息を吐いて続いた。外へ行くのかと思ったが、千里が向かったのは何故か屋上へと続く階段。拓麻は首をひねりつつ続くが、屋上が近くなるにつれ、枢がそこにいるのだと感じとった。
屋上に出ると、枢が背を向けて立っていた。傍には星煉が控えており、枢は振り向かなかったが、星煉が顔だけでこちらを確認する。拓麻は千里の斜め後ろに立っていたが、千里が笑っているのが分かった。
「甥と呼ぶには怖気の走るお前に最後に会ったのは、十年と少し前だったか……痛かったよ、枢」
枢が怒りのような感情を抱いていることは伝わるが、枢は不気味なくらいに静かだった。こちらを振り向きもせず、コートをなびかせて立っている。嵐の前の静けさとはまさにこれか、と拓麻は緊張した面持ちでその後ろ姿を見つめた。
枢と千里――李土がそろっては、何が起こるか分からない。優姫が近くにいる枢が無茶をすることはないだろうけど、李土のストッパーである美夜は今傍にいない。
「お前に姿が無くなるまで砕かれた体、形を取り戻すまで十年かかったよ。いや、ここはそれでも滅びない<純血種>の生命力に感謝すべきだな」
「……」
「十年の間に色々あったようだが……ああ、そうだ。許嫁だった閑が死んでくれて、正直気が楽になったよ。コレの母親の様に従順になるのを待とうにも、永遠に等しい時間待たされかねない感じだったからね」
千里が自分を示して言う。心からそう思っているのかは分からないが、淡々とした口調と上がった口角が、話す彼を楽しげに見せていた。
すると枢がゆっくりと振り返り、やっと口を開いた。千里を見る目に殺意を感じて、拓麻は目を見開く。
「相変わらずで安心しました、伯父様……。僕が貴方を殺すとき、何のためらいの必要もない相手で」
「枢っ!」
枢の足元に亀裂が走り、何の変哲もなかったレンガが<純血種>の力で龍の頭へ造形される。瞬く間に出来上がるそれは大きく口を開けて千里へ牙をむく。
拓麻が表情を硬くして千里の前に立ちはだかると、龍の頭は拓麻に咬みつくことなく止まった。
「一条……」
「ごめん、支葵は傷付けさせない。この子はこれ以上、君たちの争いの犠牲にはさせない」
「それは君が元老院側につくととっていいのかな」
「そう思ってくれていいよ……李土様も、挑発は止めてください」
間に立った拓麻を押して龍の前にたたずむ千里は、僅かに不愉快そうだった。
「心配するな、枢は本気じゃない。この借り物の体を壊したところで意味はないからな」
「そうは思えないんです、枢の場合。それに……」
支葵はあの子の友達ですよ、と小声で言った。すると今度は千里が目をむき、苦い顔で溜め息をついた。
そうだったと頭をかいた千里だが、ふと顔を上げて枢に向き直る。殺気や敵意はそのままで、拓麻は気が抜けなかった。
「なあ、枢。僕のあの子は働き者だろう?今もずっと、まどろむお姫様の元にいるようだし」
「何を……」
「壊れないようにって傍にいるだろうと思うよ。……疑問には思わなかったのか?凶暴な刃が内側から精神を壊し始める頃なのに、正気を保っている娘に」
ピクリとも表情を崩さなかった枢が、初めて眉を寄せて千里を睨んだ。まさか、と言いたげなそれに千里が笑みを深くする。
「今気付いたか……あの子が姫を守る理由を考えたことはあるのか?ないだろうな、あの子は純粋にあの娘を好いている節があるから」
「……」
「僕の為だよ――――美夜が優姫を守るのは、ただ僕の為さ」
「……李土」
気を取り直したように一度目を閉じた枢には、動揺も混乱も感じられなかった。妙に納得したような、それでいて弱くならない李土への敵意。枢は美夜を敵だと割り切ってしまったのだろうか、と拓麻はどこか悲しいものを覚える。
「お前のような汚れた者が、彼女に触れることが叶うと思うな」
そう言った枢は、星煉と消えるように屋上から去って行った。
*
壱縷は晩御飯を一緒にと理事長に言われ、居住区にいた。ズボンのポケットに手を入れ、ダイニングに向かう。だがダイニングにはまだ誰もおらず、キッチンの方から物音がした。
どうやらまだらしいと思い、しかし寮に帰るのも面倒だ。ここで一人で待っているのも暇だ。どうするかと考え、優姫と美夜が倒れて寝かされているということを思い出した。どうせ零もいるだろうと踏んで、適当に居住区を歩き始める。
すると中途半端に空いているドアを見つけ、部屋を覗いた。電気の点いていない部屋で、床に座ってベッドにもたれる零を発見する。
「あ、いた。二人とも倒れたんだって?」
「……美夜はもう起きてるけどな」
部屋に入りながら小声で言うと、零はこちらを軽く睨んでから溜め息交じりに言う。零のもたれるベッドに寝ているのは優姫のようで、布団を口元まで被って目を閉じていた。
「美夜ちゃんは?」
「……理事長と一緒に、飯作ってるんじゃないのか」
どこか苦い表情で零が言う。心配性の零には珍しく、美夜を放っているらしい。今度はキッチンに行ってみようかと考えていると、何となく空気が動いたような気がした。
そっか、と呟いて部屋から出ていくと、すぐに零も腰を上げて動く。数歩空けてついてくる零を顔だけで振り返った。
「いいの?優姫ちゃん」
「寝てるからな」
だったら何でさっきまでそこにいたの、と聞きたくなったが面倒なので止めた。重要な事でもないし、どちらかといえば美夜の様子の方が気になる。
壱縷は美夜と一応味方という関係だが、壱縷が元老院についたのは比較的最近で、美夜のことや李土のことに詳しい訳ではない。[天守月影]の使い手で李土とはとても親しく、学園へ入ったのも李土の為だということくらいしか知らない。しかし接してみれば、親しい者と他人との線引きこそきっちりしているが、優しい性格だとは分かる。
そんな美夜が、何も思わずあっさりと優姫や零に敵対するとは考えにくかった。泣いているのではとさえ思う。
「美夜ちゃんってイイ子だよね」
「あいつに手を出すなよ」
軽い気持ちで口にした一言に、敵意をのせて返される。壱縷はキッチンへと向かいながら、ズボンのポケットに入った小瓶を握っていた。
美夜は床に座ってベッドにもたれ、ただじっと壁を見つめていた。もたれるベッドには寝間着に着替えた優姫が横になっていて、ぐっすりと眠っている。時折うめき声が聞こえては、名前を呼んで「大丈夫」と繰り返した。
体調を崩した後、結局一時間眠った美夜は、一度部屋に戻って顔を洗い着替えると、腰には帯刀ベルト、手には刀を持って、優姫の寝かされている居住区の部屋に来ていた。零にはかなり怪訝そうにされたが、刀があったほうが体調がいいのだと言えば渋々了承してくれた。
そして夜間部の授業が無い今夜、夕飯は理事長の手料理だった。優姫は参加出来なかったが、壱縷も交えた四人で――平和に――食事を終えていた。
その後再び優姫の傍に戻った美夜は、床に座ったままでひたすらじっとしていた。また居住区の外には、複数の吸血鬼の気配がある。優姫を護衛する夜間部生だ。
「もう着いたのかなー……」
壱縷からの情報では、李土が今夜学園に入る。深夜に月の寮に様子を見に行って、指示を仰がないとと思っていた。
相変わらず頭痛はするが、少し眠ったことと"影"であるお陰で大幅に回復している。美夜は呆然と宙を見つめて、深く息を吐き出した。
「美夜……優姫は」
「ぐっすりだよ」
零がこちらに向かっていることには気づいていたので、驚きもせずに返答する。零は静かに部屋に入って来ると、美夜の隣に腰を下ろす。
「飯、ほとんど食べてなかったろ」
「あんまり食欲なくてさ」
「……優姫が心配なのは分かるが、早く休めよ」
責めるような口調に美夜は曖昧に返し、隙間なく座った零からなんとか意識を逸らす。隣から溜め息が聞こえて、美夜は刀を握る力を強くした。無言の圧力に、堪えろ、堪えろ、と心の中で繰り返した。
零だって優姫が心配なのは容易に分かるし、自分の体調を心配してくれているとも分かっている。
「眠れないほど、一体何を考えてる」
「……どうするべきなのかなって。色々と」
「色々?」
「色々。多分本当は、分かってると思うんだけどね。でも、訳分からなくなってきて」
「……抱え込むのは止めてくれ」
「そんなつもりは――――」
急速に近づいてくる大きな気配に、美夜は言葉を切って窓を見つめた。何故か力の抜けた笑みが浮かんでしまい、零が訝しげに名を呼んでくる。美夜はその表情のまま零を一瞥して立ち上がり、眠る優姫を見つめた。
遅れて零もそれに気付いて腰を上げ、厳しい視線を窓へと向ける。美夜が零を見上げて首を横に振ると、零は敵意を少しおさめてくれた。
窓から現れたのは、私服に黒いコートを羽織った枢だ。美夜は零の腕を引いてベッドから離れると、枢に抱き上げられる優姫を見つめる。
一度収まった零の敵意が大きくなるが、いいんだよ、とまた首を横に振る。
「君は……知っていたんだね」
空気が凍った気がした。しかし枢からよく知った匂いがして、既に接触したらしい彼から何か聞いたのだろうと納得する。
また、これは間接的な合図だ。お前の立場を明かしたから戻って来い、という李土からの合図。
枢から警戒心が混ざった視線を向けられる。零からはそれよりももっと厳しい、肌を刺すようなものを向けられた。ただ零のそれに敵意はなくて、美夜は泣きたくなった。純粋な驚愕よりも、いっそ敵意の方が割り切れたのに。
静かに深く呼吸をして、枢に向かって少し笑む。守り通してきた最後のカードをめくらなければ。
「お姫様を守るのが、私の役目です」
「……それがあいつからの命だとしても。僕は、君が優姫を守ってくれて良かったと思っているよ」
「!」
枢は少しだけ悲しそうに笑うと、窓から雪の降り始めた外へと優姫を抱いて部屋を出た。すぐに気配は遠ざかり、つられるように夜間部生も居住区から離れていく。
出来るだけ引き伸ばしたい、と思っていたけれど、ここらが限度のようだ。美夜は雪のちらつく外を眺めて自嘲を口に刻む。
「美夜……なんなんだ、これは……!」
感情を抑えた零が強く睨んでくる。それもそうだろう、開け放たれたままの窓からは優姫の血の薫りがし、美夜は圧倒的存在感を持つ気配が増えたのを感じていた。
李土が待ちに待った優姫の覚醒であり、箱庭の崩壊を意味する。
「なんでお前は玖蘭枢を止めなかった!?どうして<純血種>の気配がするんだ……!」
「……優姫は、枢さんの妹。玖蘭の血を引くお姫様だよ」
雪を眺めながら淡々と答える。すると力任せに体が動かされ、背中を壁に叩きつけられた。刀を抱くように両手で持った美夜は、顔の横で手を付く零を見上げる。美夜を壁に追いやった零は、今までにないくらい表情を険しくして見下ろしてくる。
バキリ、と音がして美夜の顔の横で壁が抉れた。それでも零は壁に手を付いたまま、強い口調で言う。
「知っていたのか!なんでお前は……!」
「……知ってたよ、最初から全て。でも、優姫は何も知らなかった。だから、優姫を恨まないであげて」
「そういうのが聞きたいんじゃない。美夜はどういうつもりなんだ。玖蘭枢が言っていた、お前に命令してるのは誰だ?」
「命令とは違うんだけど……私は、玖蘭李土側なの。枢さんの敵で、閑さんの敵で……」
「!……『黒幕』?」
「まり亜さんの言い方を借りれば、そうなるかな」
零はかなり混乱しているようで、八つ当たりのように壁に力を込めている。美夜は横目で抉られている壁をちらりと見てから、何かを堪えるように歯を食いしばる零に視線を戻した。
ほら、やっぱり傷つけた。枢はああ言ってくれたけれど、枢だって美夜に失望したはずだ。
「私を恨んで、憎んで、大嫌いになってくれて構わない……でも優姫のことは、嫌いにならないで。本当に優姫は何も知らないの」
「っ……くそ」
美夜は表情こそ冷静なままで、爪が白くなるほど刀を握っていた。
痛かったのだ。零に壁に叩きつけられたことよりも、彼にこんな表情をさせていることが痛かった。信じられない、というような目で真っ直ぐにみられることが痛かった。
学園に来た当初は、適度に仲良くなって、常に傍にはいないけれどいつでも盾になれるように、と思っていた。それがどうだろう。言葉を交わし、笑い、弱い所を見抜かれて、この場所に心地よさを覚えてしまった。
本来の形に戻るだけのはずなのに、美夜は零を斬り捨ててでも動こうという気になれずにいた。誰よりも優しい彼に生きていて欲しい、なんて思ってはいけないことなのに。
「零……私、行かなきゃ」
「…………」
美夜はにこりと笑って零の腕から抜け出すと、握っていた[天守月影]をベルトに装備する。冷たい風が容赦なく入る窓に歩み寄り、窓枠に手をかけた。真冬の風は痛いけれど、今は嫌悪感を抱かなかった。
美夜が飛び出す直前、零が動く気配がした。
「行くな」
「っ……」
「行くな、美夜」
美夜は窓枠を掴む手に少し力を込め、地面を見下ろして自嘲する。様々な感情を押し殺した懇願に、どこか遠くをみて呟いた。
「……私に笑わなくていいって言ったのも、自分がどんな顔してるのか分からなくなったのも、本音に気付かれて嫌じゃなかったのも、零が初めてだったよ」
李土以外では、だけどね。と心の中で付け足して、美夜は口を引き結んで外へと飛び出した。
ここまで来たのだ、引き返すことは出来ない。自分が今ここにあるのも、全ては李土を思うが故。零を守りたいという思いは、今を持って捨てるべきなのだ。
心境とは不釣り合いな、無垢な雪が降る中で、美夜は振り返らずに地面を蹴る。視界が潤む前に、李土の所へ行きたかった。
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