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 眠っているらしい優姫を横抱きにして歩いてくる枢を、英と暁は静かに見つめて迎えた。
 優姫を連れ出した所から知っていたが近づきがたく、距離を置いて様子をうかがっていた。建物の外壁に一旦足を止めた枢が優姫を咬んだ時には驚いたが、ついで感じた気配と血の薫りに更に驚かされた。

「黒主優姫は……純血の吸血鬼だったんですか」

 歩いてくる枢はしっかりと優姫を抱き、とても柔らかい視線を向けていた。その様子と優姫の気配に、英は半信半疑で口を開く。

「まさか、妹君……?」
「英、玖蘭家に女児は生まれていないはずだ」

 すぐに暁が否定してきたが、当の枢が否定の言葉を口にしない。立ち止まって枢の言葉を待っていると、枢は通り過ぎ際に言った。

「優姫は、悠と樹里が隠し守った愛娘……そして、僕の妻になる為に生まれてきた子だよ。優姫がまだ、それを望んでくれるなら」

 驚きの連続で言葉を失う英と暁に、枢が足を止めた。反応しかねている二人を顔だけで振り返る。

「どうして驚く?純血の家系での兄妹婚は珍しくない」
「……はい」

 枢の"恋人ごっこ"がただの"ごっこ"ではない、という自分の予想が当たっていたことに喜ぶ暇もない。優姫が吸血鬼で、玖蘭の者で、しかも枢の妹で。驚くなと言う方が無理だが、事実ならば受け入れてしまうのが無難だ。

「……この学園を覆う不穏な気配の持ち主は、妹君を狙っているのですね。敵が誰であろうと俺らはこのまま番を続けますが……」
「……"敵"の名を聞かないの?」
「"純血"という理由だけで、枢様に従っている訳ではないので……」

 暁の答えに、枢はほんの少しだけ笑った。僕は君たちに甘えているねと呟いた枢は、歩みを再開させるが、すぐに立ち止まると、また英と暁を振り返る。

「先に言っておく……美夜が動くよ」
「え?」

 あまりに脈略無く美夜の名前が出て、英は眉間の皺をなくした。優姫の状況を美夜が知ったなら、確かにじっとしてはいないだろう。だが、枢のまるで忠告するような口調が引っかかった。





「なるほど……僕の血は使わなかったか」
「はい、李土様」

 拓麻は、千里に丁寧に頭を下げる壱縷を見た。零と瓜二つの壱縷が、李土に血の入った小瓶を手渡した。

「まあいい……どんな形であれ、玖蘭の血があの娘の中に入ったのだから」

 優姫が覚醒したと拓麻が感じ取ったのはつい先ほどだ。血の薫りで全て分かる吸血鬼の性質に感心に近いものを抱きつつ、小瓶を弄ぶ千里を見る。恭しく頭を下げたままの壱縷の表情を確認することは出来ない。

「では私はこれから、李土様の棺の番に向かいます」
「ああ……お前の望みを果たしてやる。よく働けよ」
「はい、閑様に死をもたらした者たちに"死"を。……ですから、李土様ご本体の復活を心の底から願っております」

 閑を慕っていた壱縷が復讐のためにと元老院側についたのは記憶に新しい。枢が閑を殺したと知り、自分の力だけではどうにもならないから、閑の敵ではあるが枢と同等の力を持つ李土の側になることを決めたのだろう。
 それが事実なら、なんて悲しいことだろうと思う。復讐ばかりが続いてしまって、一向に終わりが見えない。
 優姫を李土側が奪えば、李土は一翁の望み通り反元老院を一掃するために動くだろう。逆に優姫を守り通せても、李土が生きていればまた優姫を狙って動くだろう。
 どうするのが一番いいのかなど、拓麻にも分からないのだが。

「そうだな……ああ、それで美夜は?」
「ぎりぎりまで玖蘭優姫の傍にいるようでしたから、もうじき来ると思います」
「クク、あの子らしいな。……壱縷、下がっていいぞ」

 棺のある月の寮へ向かう壱縷を見送って、千里が口の端を上げる。枢が優姫を連れて月の寮へ行ったことは分かっているので、一緒に行かないことに拓麻は少し首をひねった。だがすぐに、千里は美夜を待っているのだと思い至る。
 恐らく"影"となって現れる美夜の気配に拓麻が気付くことは出来ないが、千里は容易に分かるらしい。肉体は千里だが、やはりそういった能力には中身も関係してくるようだ。

「ご本体の復活……ね」
「?」

 苦笑のようなものを浮かべる千里に、拓麻はまたしても首を傾げる。しかし千里はそれ以上そのことについては口にせず、だが苦笑を消して顔を上げた。
 拓麻も少し前に気付いていたので、それには驚かなかった。見上げた先には、塀の上に腰掛ける莉磨がいたのだ。

「ねえ、あんた……支葵じゃないよね?誰」
「そんな所にいないで、降りて来いよ」
「……簡単には通してあげないからね」

 かなりの高さからふわりと降り立った莉磨は、手に電気を発生させる。バチバチと音を立てて光り、莉磨は強い敵意を千里に向けていた。千里は引く様子なく、指先を咬んで血の刃を作る。

「っ止めてください」

 拓麻が制止するも無視して、千里は血の刃を莉磨へと向けた。千里自身が使う時よりもスピードのあるそれに反応が遅れ、莉磨は脇腹に傷を作りながらも、高く跳躍して致命傷を回避する。

「モデルの体に傷つけるなんてサイテー。こういう時、吸血鬼で良かったってホント思う。治りが早いもんね」

 脇腹を押さえながら着地した莉磨は、指に付いた血を払って千里に向き直る。拓麻は次の攻撃が来る前に、と莉磨の前に立ちはだかった。

「止めてください。ここで支葵の手を汚してまでやるべきことじゃない」
「どうせ後で一翁の願い通り、反元老院派を一掃することになると言ったら?」
「李土様……」
「……支葵の声と見た目のクセに、私にエラそーにしないで」

 背に庇った莉磨が苛立ち気に言い、電気を発生させる。拓麻は止められないことに不甲斐無さを感じながらも、莉磨の前から退こうとはしなかった。

「中のやつ、引きずり出してやるから覚悟なさい」
「莉磨!」

 莉磨が電気を支葵にむけると同時、拓麻は迫る気配に気付いてとっさに莉磨を引き寄せる。だが僅かに遅く、地面から突き出た刃で莉磨は再び負傷した。苦悶の表情で傷を押さえる莉磨を支えつつ、拓麻は千里を睨んでいた。

「他人に好きなようにやらせて……あんたはもっと、自分に愛着持つべきよ!」

 莉磨が千里に叫び、そのまま意識を失った。大量に出血し負傷したため、意識を落として傷を治すべきだと体が判断したのだろう。
 拓麻は崩れる莉磨の体を抱え、唐突に敵意の無くなった千里を見、目をむいた。いつの間にか、千里の傍には美夜がいたのだ。

「何してるの……!生徒には手を出さないでって言ったのに」
「ああ、そうだったな。……っ?」
「李土?」

 美夜の登場のタイミングの良さに拓麻は胸を撫で下ろすが、一方で千里が頭を押さえてふらついている。美夜が顔を覗き込んで支えていた。
 どうかしたのかと拓麻が言葉をかけるよりも前に、千里が絞り出すように言う。

「逆らうな……千里……!!」

 莉磨の言葉でか、眠らされている千里自身が李土の精神に反抗しているらしいのだ。まさか千里の精神が戻るのかと思ったが、今度は千里が意識を失ってしまう。
 千里の精神が反抗したことで、李土の精神が外れてしまっているのかもしれない。ただ眠っただけという可能性もあるが、どちらにせよ恐らく二人とも無事だろうとはすぐに分かった。
 美夜が狼狽えていないのが何よりの証拠である。李土に本当に何かあれば、彼女がすぐに動くはずだから。

「ぅわっ」
「あ、美夜ちゃん!」

 "影"だからか倒れてはいないが、男の体を支えるのは苦しそうだ。拓麻は慌てて駆け寄って、千里の体を落とすまいと踏ん張っている美夜と入れ替わった。
 しかし二人抱えるのは少し厳しいので――怪我をしている莉磨を担ぐのには抵抗がある――莉磨を美夜に横抱きにしてもらって千里の体をかついだ。
 遅くなってごめん、と申し訳なさそうに眉を寄せる美夜に苦笑して、月の寮へ行くように促す。美夜は心配そうに千里と莉磨を見たが、気を取り直したように歩き出した。

「美夜ちゃん、大丈夫?重かったら言ってね」
「ううん、莉磨軽いし、今の私は力持ちだから」

 優姫が覚醒したこと、それを零は知っているのか、本当にこれでいいのか、と気になることは多かったが、拓麻は口にすることが出来なかった。
 口にしてしまえば、美夜が潰れてしまうような気がした。

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