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部屋を出た枢は、黒のコートを羽織って寮内を移動していた。廊下に控えていた星煉に、歩きながら声をかける。
「……星煉、もうすぐ夜が明ける。今この寮内にいる昼でも動けそうな子に"陽の寮"の番をさせて。普通科の子たちを一歩も外には出さないように」
「かしこまりました、我が主」
「なにが起こってもおなしくない状況に、なるからね……」
星煉が移動するのを感じながら、枢は目的の部屋へと足を進める。そして向かいから来た人物に、ゆっくりと足を止めた。
「枢様」
「瑠佳……」
私服にコートを着ている瑠佳に、動く気があるのだと容易に分かった。しかしあまり顔色が良いとは言えない。
「風が運んできた血の薫りと気配で、おおよそ察しました……」
「……なぜ君がそんな申し訳なさそうな顔をしているの」
「私は自分の感情を持て余すばかりの愚か者でしたから……ずっと、事実を突きつけられるまで。私も陽の寮に行ってきます、ちゃんとお役に立たないと」
気を取り直すように靴音を鳴らす瑠佳は、すれ違いざま軽く頭を下げる。彼女が少なからず無理をしているのが見て取れて、枢はその後ろ姿に呟いた。すると瑠佳は足を止めて、体の横でこぶしを握る。
「瑠佳……ごめんね」
「っ……一人勝手に踊っていただけですから、謝らないでくれませんか。枢様……っ」
「……そうだね」
瑠佳は、そんなに弱い女の子じゃないと知っている。そんな彼女にかけるべき言葉は謝罪ではないなと、枢は一度目を伏せてから瑠佳を見た。
「それなら瑠佳、かわりに言うよ。とても酷なことを」
「……」
「君を信頼している」
背を向けていた瑠佳が驚いた表情で振り返って来る。枢が静かにそれをみていると、瑠佳は照れ臭そうにはにかんだ。
「ありがとうございます」
*
李土の棺の番をしていた壱縷のもとへ、美夜が一人で訪れた。
わざと物音をたててくれたので壱縷は気付くことが出来たのだが、目の前にいるのかいないのか不思議な感覚で、壱縷は棺の傍に立ったまま美夜を見つめていた。目を離せば、すぐに見失ってしまうから。
「……一条様と李土様は?」
「千里の意識が目覚めたみたいで、気を失っちゃった。李土は多分"こっち"に戻ってると思う。拓麻さんは、莉磨の手当てをここのメイドさんにお願いしてる。すぐ来ると思うよ」
「ふうん……美夜ちゃん、零には?」
美夜は鎖で巻かれた黒い棺を軽く撫でてから、右肩を壁につけるようにしてもたれて立っていた。夕飯の時と同じ私服に刀を装備していて、刀の柄に左手を乗せている。
壱縷が零の名前を出しても、美夜の表情に変化はない。いつも通りの顔で、ちらり壱縷を見てから視線を床に落としてた。
「李土側だとは言った……枢さんに、私のことを李土が言ったみたいだから」
「……ま、美夜ちゃんの行動に俺が口出すつもりはないけど」
「ん、ありがと。……あ」
「なに?」
少しだけ笑った美夜だったが、落としていた視線を窓へ移す。壱縷とて閑のおかげで気配には敏感になったが、美夜にはとても敵わない。
「優姫……脱走した」
「あーあ。どうすんの?あんたの役目は優姫ちゃんの護衛なんでしょ。夜間部生が守ってると思うけど」
「んー……行ってくる。李土の体に手出しできる吸血鬼いないし」
どことなく億劫そうに壁から体を離した美夜は、ふう、と溜め息を吐いていた。左手で刀を支えたまま窓を開けて、少し空を見上げている。
「……雪、止みそうだね」
「へえ」
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
美夜は外に出てから壁の凹凸に足をかけ、丁寧にも窓を閉めてから優姫を追っていた。壱縷はぴたりと閉まった窓を見つめて、深く溜め息を吐いた。
「馬鹿じゃないの……」
*
『枢センパイに怒られたくないのなら、一緒について来たらいいと思います。行き先は陽の寮ですよ』
気配を弱い人間のものから凛々しい<純血種>のものへと変化させた優姫に、英も暁も反論することが出来なかった。
枢に、優姫を部屋から出すなと言われていたのだが、案の定脱走した優姫を連れ戻せないでいる。結局陽の寮へと向かう優姫について行く形になった。
「……」
終始無言で歩く優姫に、二人も同じく無言で続く。優姫が誰に会いたいかの予想はついているので、わざわざ問うことはしなかった。
月の寮を離れて数分、歩き続けていた優姫が足を止める。英と暁も足を止めて、互いに顔を見合わせた。
長い黒髪をなびかせる優姫は、顔を斜め上に向けてきょろきょろあたりを見回している。
「黒主優……どうかしましたか、優姫様」
渋い顔で英が問うと、優姫は顎に手をあてて首を傾ける。
「あの……なにかいるような、いないような」
「僕は何も感じないが……」
「俺も。そういうのは<純血種>の方が敏感だろうけど」
「うーん、知ってる気が……もしかして美夜?」
「正解」
返答は、英と暁の背後からあった。弾かれたように振り向くと、完璧なまでに気配を消した美夜がにこりと笑った。驚かせてごめん、と言いながら優姫に歩み寄る。
「優姫裸足で出てっちゃうから……月の寮のメイドさんに借りたの。はいどうぞ」
「あ、ありがと」
サンダルを地面に置いて優姫に履かせる。あまりにも自然にそれをするものだから、英はもちろん暁も突っ込むタイミングを逃してしまった。
美夜の姿――[天守月影]を装備した姿に眉を寄せながら、どういうことかと美夜を見る。彼女は靴を履かせ終わると立ち上がり、英と暁に向き直った。
「あの、私が"影"です。これが[月影]」
「……見れば分かる。分かるがちょっと待て」
「寮長が言ってたのはこのことか?」
『美夜が動く』という枢の言葉はつまり、美夜がハンターとして、この不穏な気配から優姫を守る為に動く、ということだったのだろうか。次から次へと起こる事態に英が頭をかくが、驚いたのは英と暁だけではないようだった。
「そうだ美夜!ハンターってこと隠してたんじゃ……」
「うん、でももういいの。それにしても優姫、髪伸びたね。ロングも可愛い」
「ありがとう……って、美夜……私のこと、知ってたの?」
優姫が目を見開いて美夜に言う。美夜は微笑んだまま、間を置かずにすんなりと頷いた。
「知ってたよ。最初から」
「おい……どういうことだ」
たまらず英が声をかけると、美夜は苦笑を浮かべた。
三人から訝しげな視線を向けられているが、美夜の表情は変わりない。そのままだよ、と応えてから、まっすぐに優姫と向かい合っていた。
「沢山、ごめんね。私は知ってたんだよ、全部。……零が吸血鬼だってことも、学園が閑さんに狙われてることも、優姫が枢さんの妹だってことも」
「え?!……どうして、どうしてそんな……っ。じゃ、じゃあ、私を狙ってるっていう敵も知ってるの?!」
「……玖蘭李土。悠さんと樹里さんの兄で、かつて玖蘭の家系図から消された吸血鬼。……元老院も李土側だよ」
すらすらと応える美夜に、英は顔をしかめた。"影"が高い実力を持っていたとしても、家系図から抹消された存在を把握し、吸血鬼界の内情を知れるものなのだろうか。
『先に言っておく……美夜が動くよ』
枢の言葉の意味はなんだ。美夜がハンターとして優姫を守るために動く――本当にそうなのだろうか。
嫌な予感がして、英はさらに表情を険しくした。暁も感じたのか、美夜へ向ける視線が厳しくなっている。
気づいた優姫が何か言おうとするが、美夜はその前に、優姫に向かって膝をついた。
「……優姫、一ついい?」
「え、やめてよ美夜、さっきみたいに普通にしててい――――」
「私と来るつもりはある?」
「……どういうこと?」
「私と、李土と、一緒に」
三人の表情が固まる。一番最悪なパターンだったらしいと英は奥歯をかみしめた。
美夜は味方ではなく、玖蘭李土側の者なのだ。
「美夜……どう、して……っ。その人は、私のおとうさまとおかあさまを……!」
泣きそうな声の優姫の言葉に、英は美夜を凝視する。李土は優姫を狙っているだけでなく、自分がどれだけ調べても辿りつけなかった、玖蘭家夫妻殺害の犯人なのだ。
「知ってる、全部。全部分かってて聞いてるの」
膝をついて優姫を見上げる美夜の声に、嘘は感じられない。まさかの人物との敵対に、英と暁は戸惑いながらも敵意を向けて、優姫は完全に硬直していた。
優姫はどう答えるのかと、英は唇をかむ優姫を見つめた。優姫が枢の傍にいることを選ぶとは分かっているが、美夜と敵対してまでと思うと複雑だ。
英と暁からの敵意や警戒心を気にした風もない美夜に、優姫はしっかりと言った。
「行かない。私は、この学園を守るよ」
「……うん、だろうと思った」
美夜が苦笑のようなものを零して立ち上がる。英と暁はとっさに優姫を庇うように立って、苦しげな面持ちで美夜を睨んだ。
当の本人はいつもの様に、にこりと笑いかけてくる。それが余計、英の気に障った。
英と暁が臨戦態勢に入ったと気付いた優姫が、腕を引いてくる。
「止めてください!美夜だって何か事情が――――」
「どちらにせよ、美夜は敵なんだろ……?!お前を渡すわけにはいかないんだ」
「そうだな。……美夜、引いてくれないか。俺らだって、お前と戦いたくなんてない」
美夜は何かを堪えるように俯くと、唐突に乾いた笑みをもらした。自らを嘲るそれに英はまたしても目を見開いた。
どうして気付かなかったのだろうか、美夜からは一切の敵意も殺意も感じられないのだ。
"影"であるとはいえ、こうして英らが存在を認めているのだ、多少なりとも感じられるものだろう。
「美夜、お前は……」
「そんなに気を張らないで。私が優姫を傷つけることはないから。……上手くすれば、私は二人とも殺せるけど」
そういう言い方をするのなら、何故自分たちに敵意を向けてこない。英の前にいるのは、ただただ悲しそうな美夜だった。
「ちなみに優姫、今から陽の寮?」
「……うん。零と頼ちゃんと美夜と……話したくて」
「そっか。……私もついて行くつもりだったんだけど、ごめん、呼ばれてるみたいだから」
美夜が視線を向けた先には、一羽のコウモリがキイキイと鳴きながら円を描いて飛んでいた。
「ねえ美夜……零は、どうするの?知ってるの?」
「……知ってるよ」
「っ……」
「……優姫、吸血鬼であることを否定しないで。優姫は優姫だから。あと、枢さんの傍を離れないでね」
美夜はまるで子供に良い聞かせるように言って、英達にも笑いかける。何か言いたくても言葉が出せずにいると、美夜は膝を曲げて高く跳躍してしまった。一瞬見失っただけで、もうどこにいるのか分からない。
「やだよ、美夜。敵なんて……っ」
弱弱しい優姫の声に、英は返すことが出来なかった。
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