55


 壱縷のいる部屋から美夜が去って少しすると、また別の訪問者があった。
 部屋に入ってきたところで気付いた壱縷は、閑の使っていた刀を片手に持つ。対吸血鬼用武器ではないし、訪問者相手に通用するとは思えないが、念の為だ。
 そしてすぐに、棺のある部屋に訪問者――黒いコートを肩にひっかけた枢が入って来る。

「ここは一条様、支葵様の……いえ、今は李土様の仮住まいですよ。何用でしょうか」
「錐生壱縷……その棺の蓋をあけてくれないか。逆らってもいいんだよ、別に」
「……いえ」

 眉をピクリと動かした。心の中で今ここにいない美夜に悪態を吐き、棺に絡みつく鎖に手を伸ばす。
 [天守月影]の使い手である美夜がいたなら違ったかもしれないが、<純血種>相手に人間の自分が歯向かっても意味がない。
 それにどういう訳か十年前、枢は李土を肉片にまでしたくせに滅ぼしていない。枢は李土を滅ぼせない理由が何かあるのでは――そんな可能性にかけていた。

「……やっぱり似ているね、そういう聞き分けの良い所」

 鎖を解き始めていた手を一瞬止める。挑発しているような口ぶりの枢を横目で睨んだ。

「気に障ったかな。でもハンターの"生きている"双児を見るのは初めてで……珍しくてつい」
「…………」
「ハンターの血筋で母胎に双児が宿った場合、まず間違いなく二人とも流産か死産になるから……」

 ジャラジャラと音を立てて鎖を解いていく。淡々とした、大して感情の感じられない枢の声は苛立つばかりだった。零が枢を嫌うのも当然だな、と心のどこかで思う。

「まだ自我をもたない胎児……本能のみに操られた双児は必ず、母の胎内で互いを喰らい合ってしまう。まるで吸血鬼の様に」

 ハンターの間では非常に有名な話だ。吸血鬼も、枢のように高い地位にいる者は知っていて当然の事。
 壱縷は鎖を解き終わり、重いそれを地面に落とす。耳から頭に響くような音がして、少し顔をしかめた。壁にもたれたままの枢を一瞥して、棺の蓋に手をかけた。

「閑様は狩人に相応しい罰だと言ってました……俺たちの先祖が吸血鬼を狩る力を手に入れるために、吸血鬼の始祖を一人喰った罰」
「……稀なことだが、一方が片方の命と力を奪い尽して、最凶のハンターとして生まれることもあったらしいけれど……君は、片割れに全てを奪われずに済んだんだね。生まれる前から甘い所がある」
「枢サマ」

 棺の蓋を持ち上げてずらすと、李土の血の匂いが鼻をついた。蓋を乱暴に置いて、体を起こして枢に向き直る。

「"俺たち"のことはどうでもいいでしょう?」

 枢と視線があってすぐ、部屋の窓が突然開いた。美夜が戻ってきたのかと思ったが――実際戻って来ても"見えない"かもしれない――部屋の外へ、黒い何かが一つ飛んでいく。見送っていると、遠ざかる小さな黒はコウモリで、どうやら李土が飛ばしたらしい。

「……"影"を呼ぶつもりかな」
「知りませんよ、彼女は貴方の妹サマの所だと思いますけど……さあ、棺は開かれました。俺では貴方を阻止できない。"月影"が来るまでなら、お好きにどうぞ。李土様を滅ぼしたいのでしょう?」

 枢はようやく壁から背を離し、棺の方へとゆっくり足を進める。李土の分身によって開かれた窓からは、冷たい風が流れ込んで来ていた。美夜の言っていた通り、いつの間にか雪が止んでいる。

「そう……滅ぼしたいはず。貴方は李土様を原型を止めぬまで千千(ちぢ)の肉片にした……<純血種>同士の戦いでそこまで圧倒したなら、滅びに追い込むこともあと少しだったのでは?」
「……」
「けれど、貴方はそれをしなかった……いえ、出来なかったのですか?」

 棺の傍まで来た枢と目があう。何を考えているのか分かりにくい、しかし強い威圧感のある視線はすぐに逸らされ、枢は李土を見下ろしていた。
 棺の中に横たわる李土は、もうほとんどの形を取り戻している。あとは臓器だと支葵家当主が言っていた。

「あの男を滅ぼしていれば確かに、閑さんの辿る道も変わったかもしれないな……さあ、李土。待ち焦がれた時が来ようとしている」

 腰を折った枢は李土に顔を近づけて、囁くように言った。壱縷から表情はよく見えなかったが、その口角が上がっているのがちらりと確認できる。何故ここで笑うのかと思っていると、壱縷の持つ刀が抜かれた。
 黒いコートを大きく揺らし、枢が抜いた刀を構える。ほんの一瞬の出来事に壱縷は目を見開くが、刀が李土の体を貫くことは無かった。枢は構えた刀で、李土の体についた自分の手を刺していたのだ。
 壱縷は眉を寄せ、しかし<純血種>の行動が理解し難いのは今に始まったことではないなと表情をなくす。

「……枢?!なにを」

 千里を肩に担いで部屋に入ってきた拓麻が声を上げる。慌てたように千里を寝かせると、信じられないというような顔つきで枢に駆け寄った。拓麻からでは、枢が自分の手を刺していると分からないのだろう。

「何を慌てている?一条……大丈夫だよ」
「枢……」
「僕はこの男を千千に引き裂くことは出来ても、とどめをさすことは出来ないんだ。だったら、望み通り肉体を復活させてやろうと思ってね……」

 窓の方から、小さな物音がしたのに気付く。視線を向けると、美夜が窓に足をかけたまま固まっている。目を見開いて少し眉をよせ、棺を見ていた。美夜の周りを飛んでいた一匹のコウモリが、棺の中に飛び込む。

「受け取れ李土……お前が全てを狂わせてまで欲した、最も濃い玖蘭の血だ」

 硬直していた拓麻と美夜だが、拓麻の方が先に立ち直った。棺を見つめたまま、言葉を選ぶように口を開く。
 枢が手をついた李土の体が、ボコリと音を立てていた。体の再生が一気に進んでいるらしい。散る最期の瞬間まで美しかった閑との違いに、壱縷は一人嫌悪感を抱く。

「枢、殺せないってどういう……いや、そうじゃなくて……僕にはどうでもいいんだ、その方の命なんて!」

 拓麻は枢に駆け寄って、枢の手に刺さる刀の柄を掴む。枢を覗き込むようにしながら、責めるような声で強く言った。

「枢、君は、<純血種>(きみたち)は……こんな、やることが無茶苦茶なんだ!」
「……」
「いいよ、どうせ理解されようなんて思ってないんだろ。僕は寂しいけれどね」

 枢は刀を引き抜くことはせず、自分の手をずらした。そのせいで中指と薬指の間が裂けてしまうが、本人は痛がる様子無く手に付いた血を舐めていた。
 美夜はというと、気配を消す力を弱めているのか、壱縷が一度目を離しても見失うことはなかった。部屋に入った美夜の表情に驚きは既になく、どこか苦笑するように、うごめき始めた棺の中を見つめていた。拓麻の李土に対する言動も気に留めていないようだ。
 壱縷は枢に視線を戻すと、枢が美夜を一瞥していた。しかし何も言葉をかけることはなかった。

「……直接体に血を入れてやったから、次の夜には借り物の器は必要なくなるだろう。こんな状態からでも復活できてしまう……おぞましいね、<純血種>は」

 枢は立ち尽くす拓麻に、君は頭か首をやられればすぐ塵になるよ、と肩を軽く叩いて呟いていた。拓麻が引き止めようとするも、枢はそのままドアへと向かうので、壱縷は思わず口を開いていた。

「貴方が李土様を滅ぼしたい気持ちは変わらないはず……貴方は李土様を殺せないとおっしゃいました。何故ですか?」

 部屋を出ようとしていた枢がゆっくりと振り返る。返答は半ば期待していなかったが、応えてくれるらしい。

「……僕が玖蘭の始祖だから」
「そして李土が、枢さんの棺を開けた"主"だから、だよ」

 棺の傍に膝をついて李土の髪を撫でる美夜は、枢を見て微かに笑っていた。美夜が事情を知っているのは予想していたが、あまりにも穏やかなそれに、壱縷は内心首をかしげていた。
 復活の手伝いをされたから、棺を開かれても怒ってはいないのだろうか。

「枢さん……ありがとうございます」
「……美夜は、初めからそのことも?」
「はい。知っていましたよ」

 枢はそれを聞いて小さく笑うと、コートを翻して部屋を出ていった。靴音が聞こえなくなる頃に、壱縷は刀を鞘に納める。
 李土の髪を撫でていた美夜はそのまま正座して、棺の縁に頭を乗せていた。思案気にしていたが、顔を上げると立ち尽くしたままの拓麻にいつもの調子で声をかける。

「拓麻さん、莉磨は?」
「……部屋に、運んだよ。ねえ美夜ちゃん、一体どういう――」
「拓麻さん。千里を同じ部屋へ、お願い」

 拓麻の言葉を遮って美夜はやや強めの口調で言った。問いは受け付けない、異議も受け付けない、という意思が読み取れる。拓麻が顔をしかめると、美夜は苦笑を浮かべた。

「李土が起きたらここは危険だから。千里と莉磨を同じ場所に……無防備な二人を守ってあげて」
「美夜ちゃん、僕は……多分このまま戻ってこないよ、李土様の所に」
「うん」

 何かを吹っ切ったように、拓麻は真っ直ぐに美夜を見ていた。
 壱縷はすんなりと頷く美夜を見下ろし、枢と同じくらい思考の読みにくい彼女を軽く睨む。柔らかい表情だが、疲労がありありと伝わった。

「いいよ。……拓麻さんは拓麻さんのすべきことをしてくれて、いいよ。私は別に止めないから」
「……ありがとう。君はどうするの?」
「李土は私の世界だから」

 即答する美夜に拓麻は何か言いたげだったが、口を開いたものの言葉を発さずに閉じた。そして壱縷の方をちらりと見てから、寝かせた千里に歩み寄る。意識を失ったままの千里を肩に担いで、壱縷たちに背を向けた。

「千里が起きたら、謝っててもらってもいい?」
「……うん、分かったよ」

 どうして伝言を頼むのだろうか。美夜ならば自分の口で言うことを好むだろうに、と壱縷は引っかかった。同じことを思ったのか、少し間をあけた拓麻だが、顔だけで振り返って頷いていた。





 [血薔薇の銃]を傍らに置いて、零は私室のベッドに腰掛けていた。何をするでもなく、半ば呆然と座っていた。
 玖蘭李土という奴がいて、それがまり亜の言っていた黒幕。
 今、学園を覆う不穏な気配の正体で、枢の敵。
 休暇明けに枢に言われた事や状況からして、優姫も狙っているとみていいだろう。
 そして美夜に命を下している人物。

「…………」

 無理矢理言う事を聞かせられている、という風には見えなかった。美夜は学園に来るずっと前から、李土と親しかったのかもしれない。
 きっと彼女は気付いていたのだ、"こう"なることを。だからずっと様子がおかしかったのだろう。聞き出しておけばよかった、と悔やんでももう遅い。
 ――そう、様子がおかしかった。つまり美夜は自分達に情を抱いていたのだ。初めはどうだったか知らないが、確かに美夜はこの場所を好いていた。ここまでくるのに、一体どれほど苦しんだのだろう。

「くそ……」

 出来る事なら、李土の所へ行く美夜を止めたかった。だが最終的に彼女は李土の元を選んだのだ。美夜がそう決めたのなら、自分が口を出すべきではない。彼女の決意を踏みにじりたくはない。
 仕方がない、仕方がないんだ。
 指を髪にうずめて頭を抱える。美夜はもう敵なのだと心の中で何度繰り返しても、思い出されるのはふわりとした笑顔。抱き締めた時の柔らかさも、照れた時の顔も、名前を呼ぶ声も――不思議な血の味も、全て覚えている。

「……」

 きつく目を閉じていた零は、おもむろに銃を握って立ち上がる。銃口は部屋のドアに向け、いつでも打てるよう構えた。ドアの向こうの人物が、緊張して後ずさったのが分かった。
 人間ではない、吸血鬼の気配がある。<純血種>として目覚めた優姫がドアを隔てた外に立っていた。憎い<純血種>がそこにいる。
 日がまだ昇っていないから男子生徒に見つからなかったのか、と頭の冷静な部分で考えるも銃口は逸らさない。

「会って話して、どうにかなることなのか……これは」
「……」
「人を吸血鬼にしたり、自分は吸血鬼から人間になってみたり……ドアの向こうから感じるのは、人を弄ぶ傲慢な<純血種>の気配だけだ」
「……」

 優姫は答えない。零は敵意を緩めずにドアを睨んでいたが、くそ、とまた小さく呟いて腕を下ろした。先ほどまで座っていた場所に腰を下ろし、今度は敵意を消してドアを睨む。

「……おい、いつまで突っ立ってるつもりだ。入るなら入れ、帰るなら帰れ」
「ぜ、ろ……あの私、零の嫌いな<純血種>で、枢センパイの妹で」
「はあ……知ってる。美夜から聞いた」

 ゆっくりと控えめにドアが開く。おずおずと部屋に入ってきたのは、黒い長髪を泳がせる優姫。零の態度に動揺していたようだったが、零に撃つ気が無いとようやく確信したのか、ドアを後ろ手で閉めていた。

「……勘違いするな。<純血種>を許した訳じゃない」
「じゃあどうして……」
「俺が吸血鬼になった時、お前らは変わらなかったし。……お前のことを嫌うなと、美夜に言われたからな」
「美夜……っ」

 優姫が目を見開いて、大きな目に涙をためていた。小さな声で礼を言うと、乱暴に目をこする。
 鼻をすする優姫から視線を逸らし、零は[血薔薇の銃]を手にもって眺め始める。李土の気配にあてられているのか、どこかざわついているように感じる。
 優姫は、少しすると落ち着いたようで、口を開いた時にはいつものしっかりとした口調だった。

「零、美夜はどうするの?」
「……どうもこうも、あいつがそれを選んだんだろ」
「っ……それでいいの?美夜が私たちを裏切ったって思うの?」
「違う。美夜はあるべき場所に戻っただけなんだろ」
「零のバカっ!」

 優姫が叫ぶと同時、部屋の机に亀裂が走る。私物を傷つけられたのはまあいいとして、罵倒されたことが気に入らずに、思い切り顔をしかめて優姫を見た。
 優姫は眉を吊り上げて、怒っていますと言いたげに零を睨んでいる。
 否、気に入らなかったのではない。清々しいほどの的確な指摘に、自分に腹が立ってきたのだ。

「なに拗ねてんの!零はそんなウジウジした性格じゃないでしょ!美夜のこと取り返そうとは思わないの?!」
「……美夜が、李土って奴の傍を望んだんだ」
「美夜、私に言ったんだよ……枢センパイの傍を離れるなって。あの人の側を選ぶなら、そんなこと言わないでしょ?枢センパイの傍は、私が一番安全な場所だもん」
「!」
「美夜は、敵対しても、私を守ろうとしてくれてるの!」

 優姫の声が震え始めた。収まったはずの涙が再び溢れ、今度こそ優姫の頬を伝う。

「力尽くで、私を連れて行こうと、しないんだよ。私が行かないっていったら、やっぱりって、笑うの」
「……」
「いつも私が、守ってもらうばっかり。敵対しても、変わらなくって……!だから私は、美夜を守って、あげたいよ!零のバカ!!」

 最後に強く零を睨んで言い捨て、優姫は乱暴にドアを閉めて部屋を出ていった。いつの間にか強く拳を握っていた零の手は、爪で傷ついて血が流れていた。[血薔薇の銃]を握りしめて、自嘲を零す。

「俺は、とんだ馬鹿野郎だな……」

 "仕方ない"で終わらせて堪るか。優姫の言う通りだ、自分はこんな控えめな性格ではない。納得いかないことは美夜に直接問いただそう。事情も分からないまま、美夜を手放すなど御免だ。
 美夜には何度も助けられ、支えられてきた。そして誰よりも優しく強がりで、何でもかんでも背負い込む彼女に、自分が心底惚れているのは分かりきっている。とことんまで美夜の事情に巻き込まれても、文句などない。むしろ歓迎だ。

「俺にどこにも行くなと言ったんだ……お前も俺から離れるなよ、美夜」

 空が白み始めている外を睨んで呟く。学園でうごめく気味の悪い気配の元に、彼女はいるのだろう。

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