56
元老院の建物にある一室、薄暗さの漂う場所で、一翁が静かに口を開いた。
「李土様が首尾よく玖蘭の血を手に入れ、復活されるのは時間の問題……その後は枢様に変わり、玖蘭家の当主になっていただくつもりだ。そうすれば元老院が確実に力を増す時も間近……ただ、あの学園にはハンター共がのさばっている事が唯一の不安要素」
淡々と述べて、部屋の一角を睨む。
ゆっくりとした足取りで歩み寄って来るのはハンター協会の協会長だ。
「何を案じられることがありましょう。李土様が並の吸血鬼ならいざ知らず。……それに、あの子もいるのですから」
「確かに晃咲美夜がいれば、王権懐古派の<貴族>は問題ではないが、あれはハンターだ……同じハンター相手では、あれの方が不利になる」
「フフ……美夜が心配ですか?」
扇で口元を隠す協会長を、一翁がまたしても睨む。協力関係にあるとはいえ、その個人を気に入っているかと問われれば、それはお互いに否だろう。利害の一致、それだけだ。
「私の何倍も生きているが、あの方は子供なのだ。同時に何を考えておられるか、正解が分からない……恐らく、美夜にしかな。何故錐生の双児の片割れなどを飼われるのか……」
「案外くだらない理由やもしれませんぞ。"ヒマだから"……いや失礼。少なくとも、もう一方の双児の片割れのことは心配無用です」
錐生零。生まれながらに一人分以上の力を持ち、同時に吸血鬼の力も持つハンターだ。それだけでも敵になれば厄介であるのに、さらに美夜の血を飲んでいる。美夜も厄介なことをしてくれたなと、元老院とハンター協会の幹部は少なからず思っている。
「零……あの子は確かに錐生という名のあるハンターの家に双児で生まれながら、その身を吸血鬼に変えられ、さらには美夜の血を取り込んでいる。利用できるかと考えたこともありましたが、あれはどうやら私に従順になる気はないようなので」
パチン、と音がして協会長が扇を閉じる。その顔に笑みはなく、声の調子も明らかに下がっていた。
「危険な吸血鬼として拘束するよう、ハンター達に命令しました……協会長(わたし)から直接ね」
黒主学園はハンター協会の本部があった場所に立っているので、吸血鬼拘束用の牢も残されている。零が大人しく拘束されるのかと一翁は一瞬思ったが、どうこう言っても意味はないかと、視線を外へやった。
まだ空は暗い。しかし、夜明けまでもうあまり時間はなかった。
*
雪の降っていた夜が明け、白い光が窓からさし込んでくる。
壱縷がカーテンを閉めると、美夜からありがとうと礼を言われた。
李土はまだ復活していない。しかし回復が大幅に加速したのは明らかで、枢の言っていた通り復活は間近だ。棺からの生々しい音もほとんどなくなり、いつ起きてもおかしくないような状態だった。
「美夜ちゃん、ちょっとくらい寝たら?あと、お腹空いてるんなら、別のもの食べなよ」
美夜は棺の傍で座ったまま、ずっと呆としていた。時折動いたかと思えば、どういう訳か血液錠剤をかじっている。また倒れられでもしたら面倒だから休めと言うと、美夜は首を横に振る。
「いいの、大丈夫。壱縷くんこそ」
「俺は寝不足じゃないから、別にいい。……一条拓麻、行かせてよかったの?」
「うん……それぞれにきっと、すべきことがあるから」
美夜は顔を壱縷に向けてはいたけれど、どこか遠くを見ているように感じられた。おもむろに立ち上がると、カーテンを少し開けて外を眺める。
「……ハンター協会の人と元老院の吸血鬼が、近づいてる感じがする」
「そんなの分かるの?」
「何となく。"影"の索敵範囲は広いし、向かってくる数が多いから」
美夜はカーテンを閉めると、また腰を下ろして呆としている。目を閉じている時もあるが眠ってはいないようで、少しの物音にも反応していた。
そうして十数分後、とうとう李土が体を起こした。
*
準備と言うほどのものもないので、零は銃を片手に部屋のドアに手をかけた。美夜を探し出して話を聞く、それだけだ。
しかし零がドアを開くより前に、それが外から開けられる。零は現れた人物に眉を寄せるが、相手は鼻で笑っただけだった。
「よう、馬鹿弟子」
「師匠……」
「夕べの雪が嘘みてーに気持ちいい朝だぞ。カーテンくらい開けてろ」
「……人の勝手だろ」
閉めたままのカーテンを見て夜刈は言うが、わざわざ自分で開けはしないようで、零が無視をすればカーテンは閉められたままだ。
入れろ、と夜刈が部屋に入って来る。仕方なくベッドに腰を戻した零は、夜刈の後ろで気まずそうに視線を落としている理事長を見た。
夜刈がどうして学園に来ているのかも疑問だが、理事長には聞いておきたいことがある。
「……理事長、あんたは全部知ってたのか」
理事長は分かりやすく肩を揺らした。零をちらりと見てから、こくりと頷く。夜刈がどこまで事情を把握しているのか分からないが、口を挟む様子はない。
理事長の肯定に零は理事長を強く睨んだ。零の気に当てられ、窓が音を立てて小さな亀裂を走らせせる。室温が下がったような気さえする零の視線に、理事長は夜刈の背に隠れていた。
「き、錐生くん怒らないで!怖いから、ほんとに!言えないこともあるよ、君なら分かるでしょ!」
それは分かるが、だからといって美夜のことまで一切話してこなかったのは気に障る。強く問わなかった自分も責めるべきだが、事情を知っているなら美夜の悩みにも気付いていたはずの理事長が、何もないように振る舞っていたのに腹が立った。
「優姫だけでなくなぜ……美夜のことを放っていた。あいつの苦しみを知っていたなら……!」
「え、ちょっと待って……美夜ちゃんがどうかしたの?」
「……知らないのか?」
「僕が知っているのは優姫の……」
きょとんとする理事長を見て、零は髪をかき上げた。知っていたのは優姫のことだけで美夜については知らないらしい。
黙った零を、理事長と夜刈が怪訝そうに見る。
「天然記念物がどうかしたのか」
「……師匠、あんたは何をしに?」
吸血鬼ハンターとして忙しい彼が、わざわざ学園に寄ったのは気まぐれではないはずだ。美夜に関するなにかならば自分も話す内容を考えなければ、と夜刈の問いを流して問いで返す。
夜刈は顔をしかめたが、溜め息を吐いてから答えてくれた。
「ひとり……緋桜閑以外で行方をくらましている<純血種>がいてな。追っていたらここにたどり着いていたわけだ」
「……玖蘭李土、か」
名前を言うと、夜刈は表情を険しくする。理事長も驚いているのを見て、零はまた息を吐いた。玖蘭李土の名前は一般に知られていないのだろう。まして零は、錐生の生まれとはいえ協会とは離れていたのだ、知っていることが不自然にみえるらしい。
「美夜が言っていた……あいつは、そちら側だそうだ」
「はあ?『そちら』って玖蘭李土かよ」
「ああ。……あいつは、学園に来た時から全部分かってたんだ」
「そんな……なんてことだ」
理事長が額に手を当てて厳しい顔をする。夜刈はガシガシと頭をかいて、で?、と気を取り直したように零を見下ろした。
「お前はどうするつもりだ」
「美夜を探して問いただす……師匠は美夜をどうするんだ」
「どうもこうもねーよ。<レベル:U>とはいえ分類上は人間だ、ハンターである俺が攻撃するわけにいかねえし。……それから、零」
夜刈が懐から煙草を出してくわえる。火を点けると、煙を吐き出しながら言った。
「ここに来る途中、指令が入った。"錐生の双児の片割れ、零を拘束せよ"ってな」
言われた内容と部屋に漂う煙に顔をしかめる。指令を不可解に思っているのは夜刈も同じなのか、表情は険しいままだった。
どういうことだと視線で問うと、夜刈は「俺が知るか」と部屋の窓を開けた。風はないようだが、冷たい空気がカーテンを揺らしていた。
朝日が部屋にさし込んで、零はさらに眉を寄せる。
「お前を危険な吸血鬼として拘束しろって協会長からの命令だ。……これは俺の推測だがな、協会長と玖蘭李土……つまり元老院は仲良しなんだろ」
夜刈の言うことに間違いはないように思う。夜刈は知らないだろうが美夜はハンターで、その彼女が李土と親しいのだ。協会と元老院との関係は否定できない。
「これから起こることに、零……お前みたいなハンターは邪魔だと判断された、と俺は思ってる」
「……冗談じゃない」
美夜が関わっているのに、身動きが取れなくなるなど。苦しんでいるであろう美夜を早く見つけ出して、少し前のような柔らかい表情で笑ってもらわなければならないのに。美夜は自分を恨めと言ったが、そんなこと出来るはずがない。
『……私に笑わなくていいって言ったのも、自分がどんな顔してるのか分からなくなったのも、本音に気付かれて嫌じゃなかったのも、零が初めてだったよ』
あんなにも寂しそうな背中で、すがるような声で言われて、敵だと認識しろと言う方が無理な話だ。あの時引き止めなかった自分に苛立つが、今はそんな場合ではない。
「だがな零……これはお前の為でもある。もう少し状況が見えるまでは、大人しくしてたほうがいい」
「……」
「ここで派手に動いて目をつけられれば、お前が危険だ。相手は<レベル:E>じゃない、狂った<純血種>なんだぞ」
「だからなん――――?」
窓際に立つ夜刈を睨むようにして見ていたが、突然視界が真っ白になって顔を背ける。目に光が入りすぎているのだ。吸血鬼として目覚めてすぐのような感覚に、零は手で視界を遮った。
夜刈と理事長から訝しげに声をかけられるので、カーテン、と短く言う。窓が閉まる音とカーテンのひかれる音がして手をどけると、眩しさは増したままだが先ほどよりは楽だった。
「零?」
「……眩しい」
数度きつく瞬きをして、光の漏れているカーテンを睨む。普段よりはるかに眩しい。一体こんな時に何なんだと眉間の皺を深くしていると、体の中からざわりと何かがうごめいた。
「っ……」
「錐生くん?どうしたんだい?」
何か自分以外の者が鼓動しているような、奇妙な感覚。枢の血を飲んだ時と似ていると思ったが、それほど不快感はない。突然光を眩しく感じているのと関係がありそうだが、原因を推測するほどの余裕はない。
なにかを堪えるように床を睨み、右手に力を込めると、ビキリと爪が鋭くなる。窓からも亀裂の走る音がして、体中の血が騒いでいるような気がした。
「錐生くん、それは……」
「知るか……っ」
煩い、静かにしてくれ。きつく目を閉じて心の中で強く言うと、緩やかだがうごめきは鎮まった。手も元に戻り、零は少し脱力する。いつの間にか額に汗が浮いていた。
「……零、お前にもなにかあるらしいな」
「……」
「ひとまず今は大人しく拘束されてろ。こんな早朝からは<純血種>といえども動かねえよ。……俺も、李土側とはいえ天然記念物に手を出しはしねえよ」
煙を吐き出す夜刈に言われ、奥歯を噛みしめながら[血薔薇の銃]を睨んだ。どうして動きたい時に限ってこうなるのだと舌打ちすると、優姫の抉った机が音を立てた。
*
優姫は、目に入って来る白い光に眉を寄せた。手で遮った陽光は、人間の時のように優しいものではなく、眩暈を覚えるくらい刺激の強いものだった。
零の部屋を後にして、月の寮へ向かっていた。英と同じく優姫についていた暁は、そのまま陽の寮の番を続けている。いつの間にかいた瑠佳も陽の寮に残った。
「朝が来てしまったじゃないか……枢様が戻られる前に帰るぞ」
「はい……」
陽光の眩しさに足を止めてしまったが、気を取り直して歩き出す。周囲の気配に敏感になったり、体内の血の流れを感じ取れたり、朝日に嫌悪感を覚えてしまったり、本当に自分が自分でないような奇妙な感覚だ。
『優姫は優姫だから』
美夜に言われた言葉を思い起こす。先ほどかけられた言葉だが、ハンター協会から戻ってきた時もそのような事を言われていた。彼女は"人間の優姫"の終わりが近いと分かっていたのかもしれない。
敵だと言い張られても美夜の味方になろう。そう強く思っていると、不意に甘い香りがした。
「血の匂いがした気がした……枢センパイの」
「色々敏感に感じるだろうけど、戻らないと枢様が心配されるぞ」
「でも……とてもイヤな気配がする。それに引きずられるように、何かがうごめいて……」
この気配全てが優姫を狙う敵だと言うのなら、美夜はその中に交じってしまうのだろうか。美夜から不快な雰囲気を感じた時など今までないのだ、尚更、戻ってきてほしいと思う。
数歩先を歩く英が振り返って、立ち止まっている優姫にツカツカと歩み寄る。わざとらしく眉を吊り上げた英は、ポケットからハンカチを取り出して優姫に突き出した。
「あ……センパイ?」
「さっさと帰るぞ。……涙の跡、拭いておけ。<純血種>がそんな顔でいられても困る」
「あ、はい、ありがとうございます……」
丁寧に折りたたまれているハンカチを受け取って、皺をつけない様にと頬を拭う。拭き終わってハンカチを見つめ、洗って返すべきかと密かに悩んでいると、英はひったくるようにしてそれを仕舞う。
「全く、<純血種>が人前で泣くなんて聞いたことないぞ」
「……心の中でしか」
「何だ?」
「心の中でしか泣くことを許されないのだとしたら……まるで、何かの罰みたいだね」
枢も、人前で感情をむき出しにしたことは無かったかと思う。
確か美夜が、体内の吸血鬼因子が興奮状態になれば吸血鬼に影響すると言っていた。高い地位にある<純血種>だが、それ故に、その一挙一動が周囲の吸血鬼を動かしてしまうのだ。だからこそ、感情的にはならない。
頭が良くて優しい美夜は、とっくにそれに気付いていたのだろう。
ふと、美夜は<純血種>としての孤独を持て余した李土が、拠り所にしているのかもしれないと思った。
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