57
学園がハンター協会として機能していた時に作られた、吸血鬼用の地下牢がある。零はそこに移動させられ、壁にもたれてずるずると座り込んだ。大人しく待つのは不本意だが、夜刈の言うことにも一理ある。
血が騒がないよう体内に呼びかけながら、思い通りにならないことに深く溜め息を吐いた。
そして感じた気配に、思い切り眉を寄せる。
「目障りだ……消えろ、玖蘭」
「ああ……そうだ、そのくらいいきがってくれないと僕が困る」
「はっ……あんたがどう困るんだ」
牢の外で立つ枢は、少しだけ口の端を上げている。その足元近くには夜刈が置いて行った[血薔薇の銃]が横たわっていた。
「四年と少し……大事に育てながら進めてきた"駒"が、もう少しで"王"を喰える所まで来てるんだ……その駒とは、君」
「……」
「今しがた棺から起きた李土を、君が滅ぼすんだよ。……李土の呪縛から僕を自由にできるのは、君だけだ」
「……俺があんたを救うような真似するとでも思っているのか」
美夜に近づけば自然と李土にも近づく、とは理解している。
李土が黒幕と知り、零自身、既に強い憎しみを持っているのだ。それに、壱縷が慕う閑に殺意を向けることと、美夜が慕う李土に殺意を向けることに変わりはなく、抵抗もない。
ただ、李土を滅ぼせばきっと美夜は泣くだろう。引き金を引く瞬間、自分は必ず躊躇うと分かっていた。
「僕は優姫を連れて学園を出ていくよ……けれど李土が存在し続ける限り、あの男は何度でも優姫を"喰おう"とやってくるだろうね。……君は優姫を裏切れない」
枢から視線を外して、腕を握る手に力を込める。家族のような存在である優姫を裏切るつもりがないのも、また事実だ。
李土をどうするのかは置いておいて、零は枢に言われなくても動くつもりはある。返答せずに床を睨んでいると、枢が牢の前の壁にもたれていた。
「全ては僕の計画通り。君には逆らえないよ」
「……あんたは美夜のことも、計画に組み込んでいるのか」
「……彼女の存在で、僕は何度も計画の変更を強いられた。折角だから、君に教えておくよ」
視線を上げると、枢は腕を組んで視線を落としている。美夜を駒として扱っていたなら銃を向けたかも知れないが、枢にその様子はない。枢を信用しきっている訳ではないが、枢が美夜を気に入っていたとは分かっていた。
太陽の光が届かず、一つの電灯だけが光を放っている。薄暗い地下では地上の物音も聞こえないので、枢の声はやや大きく感じられた。
「僕は、君に咬まれるのは優姫だと思っていた……そうなることとして計画を立てていたんだ」
「……何のつもりだ」
「君は優姫との絆をより深め、優姫への恩はとてつもない大きさになる。……そして優姫が目覚めた今、君が取り込んだ優姫の血は本来の<純血種>としての力を取り戻し、君の力になっていただろう」
「最低だな」
「……そうかもしれない。だが君は、美夜を咬んだ。<レベル:U>とはいえ、彼女の吸血鬼因子は常に眠っている状態……君の力にはなりにくい。でもそのマイナスを打ち消すように、君は閑さんの血を手に入れた……僕は、君が閑さんの血を手に入れられるとは思っていなかったから、これは嬉しい誤算だったけれどね」
今までの出来事全てが仕組まれているようで気分が悪い。
偉そうに語る枢を睨むと、今度は顔を上げた枢に睨み返される。
「閑さんを取り込んだ僕の血をあげたのは、ある種の保険だよ。君が優姫を咬まなかったのは完全に想定外だったけど……美夜は、僕の思うように動いてくれた」
「……」
「けれど僕の言いなりにはならない……そこで気付いていればよかった。駒にならないのは偶然なんかではなく、美夜には初めから別の主がいるということに」
零が李土へと向かうことをより確実にするため、枢は優姫と零の絆が深くなることを望んでいたのだ。しかし美夜の存在で少なからずそれは変わった。変わったが、枢の計画が止まることはなかった。
枢は少しの間をおいて続ける。
「君と優姫の関係は、僕の思ったようにはならなかった……けれど美夜の存在は、君を李土へと向かわせる」
「結局、思い通りって訳かよ」
「そうだね。美夜の血も……これはいいか」
言葉を濁した枢が壁から背を離す。零は灰銀の髪に指を埋めて、[血薔薇の銃]を見つめた。早く動け、と銃に急かされている気がした。
枢のゆったりとした足音が響く。遠ざかるそれを聞きながら血の抑制を続けていると、枢の足音が不意に止まる。まだ話があるのかと顔をあげると、黒い後ろ姿を見た。
「一応言っておくけれど……僕は、二人とも大事だと言った美夜の言葉を信じているよ」
「!……ああ、俺もだ」
呟くように応えると、枢は小さく笑って地上に向かって行った。
*
李土が棺の中で体を起こし、髪をかき上げながら立ち上がる。膝をついて頭を下げる壱縷からは、李土の顔も美夜の顔も見えなかった。
「李土様……ご復活を心よりお待ちしておりました」
ちゃんと言えているだろうか。殺意や敵意は隠せているだろうか。そんな<純血種>相手には無意味だと思えるような心配を心のどこかでしていた。
李土が棺から出てくると美夜が動く気配がして、壱縷は膝をついたまま顔を上げる。
昏い目をし、枢にどことなく似た男がいた。永い時間を生きた李土からは、閑よりも一層強い気配を感じる。
吸血鬼ならば誰もが平伏すであろう威圧感を隠すことなく、李土は飛びついてきた美夜を抱きしめていた。人間である壱縷にも李土のプレッシャーは伝わるというのに、やはり美夜は別らしい。
「李土、おはよう」
「ああ、久しぶりだな、美夜。大きくなったと思っていたが、僕本来の体からするとまだまだ小さいな」
「李土は背が高いもの。でも私、あの時からすればずっと背も伸びたよ」
美夜は今まで見たこともないような、子供っぽい笑顔を浮かべて李土を見上げている。頭を撫でられると、目を細めてされるがままになっていた。
美夜が懐く李土に、刀を向けることに対しての罪悪感が無いとは言わない。それでも、閑の望みを果たしたいのだ。人間である自分に出来ることなど限られているけれど、何もしないまま終わるのだけは嫌だった。
この時のために、壱縷は閑を追っていた元老院に取り入り、騙し、人間であることを利用して学園に入り、李土の近くにいた。壱縷の復讐対象は零でも枢でもなく、閑を閉じ込め協会のリストに介入した李土だけなのだ。
壱縷は素早く自分の刀を抜いて、李土に切先を向ける。李土は美夜を背に庇い、刀で体を貫かれながらも笑っていた。
「李土!」
「一応……何のつもりだと聞いておこうか」
美夜を庇う行動に驚かされながらも、壱縷は李土を睨んでいた。刀は李土の脇腹から刺さり、反対側の肩まで貫通している。わざと刺されてくれたことに腹は立つが、自分ではこれが精一杯だ。そしてこの刀は対吸血鬼用武器ではないから、この程度の傷は李土にとってかすり傷と同等だと分かっている。
それでも。
「貴方に全てを狂わされた閑様の代わりに、一矢を報いたかった……だから俺は、貴方が復活するのを心待ちにしていたんだ」
刀を握る柄に力を込めるが、李土は顔色を変えない。長いまつ毛を伏せるようにして壱縷を見下ろす李土は、その手を軽く動かした。
直後、頭の芯まで襲いくる様な激痛。体の右側に爪で引っかかれたような大きな傷が走り、血が飛び散っていた。刀を握っていられず床に手を付く。
「壱縷く……っ」
「……去れ。弱き者に用はない」
李土は手に付いた壱縷の血を舐め、もう片方の手で刀を抜いていた。壱縷は痛みで意識が飛びそうになるのを堪えながら、家具を支えにし、体を引きずるようにドアを目指す。
顔だけでちらりと振り返ると、李土の傷を診ていた美夜と丁度目が合った。泣きそうな目をする美夜だが、壱縷を見て微かに笑う。彼女は自分の目的にも気付いていたのだと、理解するのは早かった。李土に刃を向けると分かっていて排除しなかったのは、無力なくせにと壱縷を憐れんでいたのだろうか。
そう考えてしまい、壱縷は部屋を出ながら思わず笑った。美夜ならそんな考え方はしないだろう。恐らく、そうすることで壱縷を守ったのだ。閑の望みにしがみつくことでしか生きられない壱縷を。
傷が少しは塞がっているのか、動くのが多少楽になっていた。しかし、血が止まったわけではない。
「ッ……ぜ、ろ……」
零が寮から移動したということは、気配を察した美夜に聞いて知っている。方向からして、地下牢だろうとも推測している。問題は、閑の血肉を取り込んでいるとはいえ、人間の自分が零の所までもつかどうかだ。
壁に体をすりながら、一歩一歩踏みしめるように歩く。ただ一人の片割れの所まで、どうにか命があればいい。この残り少ない命を零へと返すために。
本題はそれだが、零に伝えなければならないこともあるのだ。ほんの短い間しか壱縷は李土と共にいなかったがそれでも分かるくらい、二人の関係は細いものではないと。そして美夜は、決して零を忘れたわけではないことを。
「おせっかいかな、俺……」
そんなお節介が今の自分に出来る、復讐を許してくれた美夜への最大限の礼だと思った。
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