58
朝が訪れた学園だが、いつもの普通科生の声は聞こえない。普通科、夜間部共に授業が休講となったからだ。さらに普通科生徒は寮内待機の指示が出され、学園どころか陽の寮を出ることも禁止された。
生徒のにぎやかな声は聞こえないが、不穏な気配が学園内で動いている。理事長は窓から外を眺め、独り言のように言った。
「……人間社会に正体を隠し、溶け込めている吸血鬼もいる。けれど僕は、ちゃんと時間をかけて人間社会の人たちに、恐いだけの吸血鬼ばかりじゃないと示したかった」
左手には、白い布で巻かれた刀を持っている。十六年前に吸血鬼ハンターを引退するまで振るい続けた、大事な相棒。同時に、多くの吸血鬼を屠(ほふ)ってきた凶器。
「裏取引でその知性や技術を借りるだけじゃなく、心を通わせる事の出来る相手なんだ……」
「……残念だったな、最終目標に辿りつけなくて」
理事長の後ろに立つ夜刈が、そう返した。理想を実現することなく、静かな箱庭は消えてしまったのだ。
しかし理事長は諦めるつもりなどない。諦めてしまえば彼女との――樹里との約束を果たせなくなる。このような状況になったが、人間との共存という樹里の望みを叶えたいという思いは変わらない。
そしてその望みは、既に自分の望みでもある。
「"吸血鬼を殺しても罪にはならない"……この暗黙のルールをいつかはなくしたい。けれど今、僕が何よりやらなければならないことは――――」
白い布で巻かれた刀を肩に乗せ、眼鏡を外す。学園の理事長であり吸血鬼ハンターでもある自分の役目は、ちゃんと分かっていた。
*
陽の寮内では、登校準備をしていた生徒が休講を知らされ、廊下やロビーに出て来ていた。理由も分からず休講となり寮から出ることも禁止され、寮長でさえ生徒からの質問に全く答えられていなかった。
沙頼も事態に困惑する一人で、ざわつく廊下を見回して歩く。会話を耳に挟みながら、優姫と美夜の姿を探していた。
昨日の昼間に倒れて早退してから、優姫の着替えを取りに来た美夜と少し会った程度で、優姫とは会ってすらいない。
「ねえ、聞いた?今日からしばらく授業ないって」
「いつでも一時帰宅できるよう準備しておくよう、連絡が回ってきたわ」
「じゃあ夜間部の寮をこっそり見に行かない?」
「昼間に?無理じゃない?それに、連絡あるまで一切外出禁止だって」
生徒は外に出られない。ならば二人は居住区に留まっているのだろうか。そうであるなら、どうして連絡をしてくれないのだろうか。
「あ、沙頼沙頼!ちゃんと連絡いった?」
「ええ。ねえ、優姫と美夜を見かけなかった?」
「見てないよ。理事長の所じゃない?」
「そう……ありがとう」
やはり戻って来てはいないらしい。美夜の部屋に行っても鍵が閉まっていて、中に人がいる様子はない。沙頼は眉を八の字にして視線を落とした。
二人とも、何か秘密があるのは分かっていた。分かっていても追及しなかったのは、それが沙頼個人に対する隠し事ではない、と漠然と気付いていたからだ。沙頼を除け者にしたいのではなく、決して人に言ってはならない"何か"を抱えている。
優姫とはそれなりの付き合いであるし、美夜とも仲が良い自覚はある。親友だと呼べるものだと思っていたのは、自分だけだったのだろうか。除け者にされているとは思わないけれど、隠し事はどうしても寂しい。
「……優姫、美夜。どこにいるのよ」
重い足取りで部屋へ戻り、寝室に入った時だった。閉めていたはずの窓が開いており、部屋に見知らぬ男が立っている。男は笑みを浮かべているが、沙頼は思わず後ずさった。
「ごきげんよう、お嬢さん。我々は久々にお会いする主への、手土産を探しておりまして」
「誰……」
「だから手みや――――」
男が言い終わる前に、その胸を何かが貫く。男の顔が苦痛に歪んだかと思えば、その肉体は一瞬で塵へと変わってしまう。
「?!」
人が、塵に?死んだ?
あまりのことに頭が追いつかない。悲鳴を上げることも出来ない。ただ舞う塵から顔を庇っていると、開け放した窓から、風になびく黒髪が視界に入った。
「頼ちゃん、大丈夫?!何もされなかった?!」
「ゆう、き……?」
中等部の頃の様な長い黒髪を泳がせて、優姫が窓から入って来る。優姫と共に何故か英もおり、手に氷を出現させて、窓に手足を引っかけて立っていた。
沙頼が立ちすくんだままでいると、優姫は自分の黒髪を見下ろす。
「優姫、あなた……?」
「あ……ごめんね、頼ちゃん。怖い思いさせて。今塵になってしまった人はね、同じなの、私と。ごめんね、私……」
人が塵になって、優姫は自分がそれと同じだと言う。英は氷を操るし、あの男は手土産がどうのと言っていた。沙頼は嵐の吹き荒れる思考を押しとどめ、気付けば床を蹴っていた。
この際、全部分からなくてもいい。ただ、優姫が来てくれたことが嬉しかった。もう今はそれでいいと、悲しげに笑う優姫を思い切り抱き締めた。
「ばか!!そんな寂しそうな顔で謝られたら、私の方が寂しくなるっ……私は、優姫が元気で戻って来てくれるのを待ってたの」
優姫は少し体を強張らせていたけれど、沙頼に腕をまわしてくれた。
「何も訳の分からないまま、親友が戻ってこなかった方が、よっぽどこわかったわ」
「頼ちゃ……」
「美夜も優姫も戻ってこないんだもの……私、どうしたらいいか分からなくって」
抱き締めたまま早口で言う。優姫に会えて嬉しいのに、気を抜けば泣いてしまいそうだった。
優姫が耳元で謝ってくるので、謝らないでとすかさず言う。やや声が震えてしまったが、少しの間優姫を抱きしめていると、気持ちも落ち着いていた。
この学園のおかしな様子と優姫は、きっと何か関係がある。このまま寮にいることはないのでしょうね、と心の中で呟いて体を離す。
優姫は泣きそうに眉を寄せていたが、沙頼と目が合うと、真っ直ぐな光を向けてきた。
「頼ちゃん」
「なに?」
「……三人で、お買い物行こうね。いつも美夜は寝てて欠席だったから。……三人でお出かけしよう、絶対」
優姫は自分に言い聞かせているような、強い口調だった。その言葉の背景は検討もつかない。美夜も優姫と同じで、この事態に関係しているということしか、沙頼には分からなかった。
もどかしさを感じながらも、沙頼は笑顔を浮かべる。
「ええ、そうね。必ず」
何もできない無力さが憎いくらいだ。だが信じて待つことくらいは出来る、と沙頼は強く頷いた。
*
沈んでいた意識が浮上して、悲鳴や騒音が耳に入る。耳障りなそれに眉を寄せながら、千里は目を開いた。目に入る光やベッドの感触が久しぶりなように感じて、寝起きの気だるさはすぐになくなった。
俺、戻ってる。
何か内側から引っ張られる感覚もない。李土は完全に自分の中から抜けたのだ。ベッドの上で体を起こし、騒音の元へ目を向けた。
「一条さん……?なにやってるの」
「ん?ちょっとね」
いつもの口調だが、右手には刀を握って吸血鬼を塵にし、左手に触れたものは粘着質な何かへと変わっている。刀によって急所を突かれた吸血鬼の塵が舞って、千里は少し顔をしかめた。
「ヘンな吸血鬼がわいて出て、君たちの寝込みを襲おうとしていたから……」
千里は李土に意識を乗っ取られていたが、拓麻はこんな所で吸血鬼退治をしている場合ではないのだろう、と察しがついた。何が起こっているのかの詳細は分からないが、拓麻の目を見れば、強い決意が読み取れる。
「一条さんは行くところがあるんじゃない?……大丈夫だから、もう」
「そっか。……美夜ちゃんが謝ってたよ」
「!……止めてくれたのは、なんとなく覚えてるんだ。今度はちゃんと、俺が……」
「うん……莉磨のこと頼んだ」
小さく笑った拓麻が、刀を鞘に納める。靴音をさせて拓麻が部屋から出ていくと、千里は自分の座るベッドに横になっている莉磨をうかがった。
李土に体を使われているときの意識はないが、莉磨の言葉だけは体に響くように残っている。
『あんたはもっと、自分に愛着もつべきよ!』
穏やかに人形のように生きろ、と言われてきた自分にとっては、存在を認められたような気持ちだった。
「莉磨……ごめん」
静かに呼吸している莉磨を気遣いながら、覆いかぶさるようにして抱き締める。しかしすぐに侵入者の気配を感じて、開いた窓を睨みながら体を起こした。侵入者は千里の敵意を無視し、世間話の様な口調で言った。
「どうぞお構いなく。力の落ちる時間帯に、好んで争いたくない。私は単に、無事を確かめに来ただけですから……李土様の"人形"のね」
今までなら流していたかもしれない言葉。だが妙に滑稽に感じてしまい、千里は口の端を上げて拳を握った。爪で皮膚が傷ついて、流れ出る血を武器に変える。
「大丈夫だよ……人形は、自分の意思で動くことを覚えたから」
*
暁は、陽の寮を出ようとしていた二人の女子生徒を寮内へと押し戻す。目の前で吸血鬼が塵になる瞬間を見た彼女らは、塵になったそれが人間でないと直感していた。
「巻き込みたくない……寮のなるべく奥で大人しくしてるんだ。隙を見て学園から出してやる」
「あ、あの!私聞いたことがあります。人と姿は同じ、でも人と違う生き物がいるって。貴方たちは……」
「守ってやるから、後にしろ」
言葉を探すようにする二人の前で、暁は寮のドアを閉めた。背を向けて立つ瑠佳に視線を向けると、吸血鬼を塵へと変えた彼女は林の方を見つめて口を開く。
「侵入者たち……陽が翳ってから本格的に攻めてくるつもりね」
姿は見えないが、心地の悪い気配があちらこちらから感じるのだ。陽が昇る今、吸血鬼である自分達は少々動きにくい。敵味方に関わらず、進んで動きたくはない時間帯だ。
暁は優姫の部屋の方角を一瞥し、瑠佳と並んで立つ。近くに感じる不気味な気配は、今の所こちらをうかがっているだけで殺気は感じない。
「本当、驚いたわ……」
髪を耳にかけながら瑠佳が唐突に言うので、暁はすぐに返答できなかった。だが悲しそうな瑠佳の眼差しに、ああ、と頷いて宙を見つめた。
「優姫、様のこともだけれど……美夜が"影"で、敵だなんて」
「……ああ」
「ねえ暁……敵である美夜の無事を願うのは、おかしなことかしら」
「いや、俺もだからな」
いいんじゃないか、と呟くと、瑠佳は短く同意する。夜間部生に気に入られていた美夜の立場は、既に他の夜間部生に知られている。皆気にした風なく振舞っていたが、知った時にそう思ったのは自分達だけではないだろう。
会話が途切れ、暁は近づいてきた人物に顔を向けた。刀を持って歩いてくる拓麻の後ろには星煉がついており、真っ直ぐこちらへ向かっていた。
「拓麻様……」
「副寮長……今までどこに」
「うん……架院、なにを聞きたいか分かってるよ」
拓麻が敵側であるとは予想していた。これは枢と敵――元老院の戦いで、美夜の言葉からもそれは明らかだった。そして拓麻は元老院の重鎮の孫。しかしここにいるという事は、と暁は真っ直ぐに自分たちを見る拓麻の言葉を待った。
「……この先も枢の意に沿って動いていけば……吸血鬼社会の手綱を握っていた最高機関、元老院を完全に敵に回すことになる。枢は君らを純血の力で操っているわけじゃない……自分の考えで、引くことを選ぶ事も出来るはずだ」
拓麻はそう言うと、後ろの星煉を顔だけで振り返る。
「星煉、みんなに今起こっている事を話してあげて。君の主も多分、それを望んでる」
「……拓麻様、美夜は?」
堪え切れないというように、瑠佳が身を乗り出すようにして問うた。拓麻はそんな瑠佳を見て、苦笑の様なものを零す。その苦笑が何に対するものなのかは、分かりかねたけれど。
「美夜ちゃんはきっと、自分のすべきことをもう見つけてる。……だからこそ、僕を止めなかったんだと思う」
美夜が拓麻を送り出したのなら、美夜本人にはこの学園を潰す気はないということなのだろうか。推測しかできないが、吸血鬼へと戻った優姫だけでなく美夜も、辛い思いをしているのだろう。
拓麻が一瞬で寮の屋上へと跳躍する。暁は瑠佳と、風になびく白いコートを見上げた。ちらりと見えた拓麻の表情に笑みはなく、ただ何か遠くのものを見据えていた。
「拓麻様、どちらへ」
「……僕が成すべき事を、成しに」
暁は、自分の役目を見つけて進む仲間の健闘を祈りながら、瑠佳と共に星煉の話に耳を傾けた。
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