04


「押さないでくださーい!」

 美夜が何度そう叫んでも、人の壁が大人しくなることはない。何でこう毎日毎日ここまで興奮するのかと、甚だ疑問に思う。
 両手を広げて、何度も叫んで、前に出ようとしていたら注意して。風紀委員業務には慣れたが、こればっかりはうんざりする。

「きゃあああああ!」
「アイドルせんぱーいっ」
「一条せんぱーいっ!」

 門が開いたのか、勢いに拍車がかかる。あまりの声の大きさに、美夜は門が開いたことにすら気付かなかったのだ。さっさと通ってくれ、そう切に思う。
 美夜の抑えている壁が、またさらに色めき立つ。夜間部がこの辺りまで来たのだ。夜間部の人の名を呼び、カッコイイとかカワイイとか、聞き飽きた言葉が飛び交う。

「押さないでってば……っ!」

 早く通って。普通科の人達は落ち着いて。そう呪文のように心の中で呟いていたから、夜間部の人気トップクラスの人が近付いて来るのに気が付かなかった。

「晃咲……風紀委員になったのか」
「は?あ、はい」

 夜間部が立ち止まったせいで、普通科の勢いが増す。ポップコーンどころではない、爆竹である。
 振り返ると、停学十日間を命じられたはずの英と、三日前くらいから見かけていた暁がいた。今日はあれから十一日目になるらしい。

「一条副寮長もそう言ってたろ」
「ああ」

 何か言いたい事があるのか、立ち止まったままの二人。この騒がしい中ではまともに会話が出来ないので、美夜は人を抑えながら注意深く耳を傾けた。しかし、真顔で黙ったまま、切り出そうとしない。

「私に用があるなら聞きますけど、後にして頂けませんか?私の鼓膜が危険なので」
「っああ……」

 暁は何も言わず、二人は校舎へ向かう。美夜から離れた途端、笑顔を振りまく英は流石というかなんというか。
 夜間部が全員校舎に入ると、普通科の生徒は興奮した様子のままで、やっと寮へ帰って行く。
 脱力感いっぱいに見送りながら、どうしたら静かになってくれるのかと考え、ならないか、と自己完結。
 ふと感じた気配を恨みがましく見つめる。少し離れた所いた優姫も、こちらへ走って来た。

「零ー!遅刻だ……よっ」
「って!」

 優姫がジャンプして、零の後頭部を叩く。何すんだ、と零は後頭部をさすりながら優姫を睨んだ。

「お疲れ美夜」
「お疲れ優姫」

 不服そうな零はスルーして、優姫と美夜はハイタッチを交わした。




 出待ちが終わると、一度理事長室へ向かう。そこで連絡事項――無いに等しいが――と毎回恒例の理事長の熱弁。そして各々見回りへ向かうのだ。
 屋根から飛び降りたり木を伝ったり、身軽すぎる見回りを行う優姫や零と違い、美夜は至って徒歩で学内を回る。

「ふぁあ……」

 正直、かなり眠い。座って十秒じっとしていたら眠りに落ちる自信があった。昼間と違って静寂に包まれた学園は、夜に住まう"彼ら"の世界。人間の姿は見当たらず――見当たったら困る――所々設置された街灯が無機質に光を放っている。
 今の自分には不釣り合いだ。そう思いながら、眠気覚ましにと深呼吸をする。美夜が睡魔と戦って歩き回っている間に夜間部は、普通科がとても付いていけない高度な勉強をしているのだろう。

「あと三時間……」

 美夜は腕時計で夜間部の帰寮時刻を確認し、両手で顔を軽く叩いた。




 美夜にとって待ちに待った夜間部の帰寮時刻、三人で夜間部のお出迎えをする。日付はとっくに超えており、一刻も早くベッドに入りたいものだ。

「おかえりなさい、皆さん」
「お疲れ様です」

 夜間部生が通る度、優姫が言う横で美夜も口を開いて小さく礼をする。零も居るのは居るのだが、お出迎えというより夜間部の見張りなのだろう、どこか遠くを見つめている。
 夜間部の中には、風紀委員に会釈をする生徒もいる。校舎に入る時には想像もつかない、落ち着いた帰寮だ。
 夜間部の最後の団体は、夜間部の中でも力を持つ面々だ。美夜も名前は覚えている。

「お、おかえりなさい、センパイ」

 優姫がどもったが、美夜は変わらぬ様子で頭を下げる。枢が通った時に、優姫が固くなるのはいつものことだ。

「ご苦労様、風紀委員さん」

 そう、枢が短い労いの言葉を掛けるのも、いつもの事。そうして月の寮へ歩いて行く彼らを見送りながら、美夜ら三人も理事長の私的居住区へと向かう。

「……晃咲、少しいいか」

 夜間部生に名指しされるのは、初めてだった。
 振り返ると、呼んだのは英だった。そういえば、と美夜は宵の刻のことを思い起こす。英が立ち止まった所為で最後尾の団体も自然と足を止めてしまっていた。

「あ、はい。なんでしょう」

 答えると、零から鋭い視線を感じたので

「大丈夫だから、先に戻ってて。優姫もお風呂入っちゃってて」
「うん、分かった」

 零は腑に落ちないようだったが、優姫に腕を引かれて歩いて行く。美夜はひらりと手を振って、英の元へ戻って行く。

「お待たせしました」
「いや……いいのか」
「はい?」

 歯切れの悪い英の言葉に、近くに居た暁を見る。彼もなんとも形容し難い表情で、髪をかきあげていた。

「そのーなんだ。自分の血を飲んだ奴とその仲間と話すのに、一人でいいのかって」
「私は今から皆さんに、死ぬまで血を飲まれるって訳じゃないんでしょう?」
「そりゃそうだが」
「だったら問題ありませんが」

 美夜は後ろに回した手を握りしめながら言った。暁や英に限らず、残った夜間部の面々が僅かに目を剥いた。

「で、あの。藍堂さんのご用件は」

 目の前に無言で立つ英に問う。宵の刻でのテンションは一体どこに忘れて来たのだろうか。本来彼が物静かな性格なのだとしたら、サービス精神は大したものだ。
 美夜の意識が目の前の英から宵の刻の英に逸れる。英が放った短い言葉をすぐ理解出来なかったのは、ただそのためだった。

「……悪かった」

 純粋に面食らったのである。

「……え」
「前、血を……だから、悪かった」

 英は視線を忙しなく動かしながら、呟くように謝罪した。今度は美夜が驚く番だ。まさか、謝られるなど思っていなかったから。どう反応するのが正解なのかと迷っているうちに、暁までが「俺も止めなくて」と謝ってくる。
 美夜は顔と手を横に振り、居心地の悪い空気の払拭を試みる。

「あ、いえ、別に。私は自滅ですし。謝るなら優姫に」
「あいつにはまた言いに行く……枢様にお前のことを聞いて、その」

 一体何を言ってくれたんだ、と美夜は少し離れた所に立つ枢を見やった。彼は意図の分かりにくい微笑を浮かべ、美夜の方へと歩み寄る。

「……理事長から、君の"僕ら"に対する考え方を聞いてね。面白かったからここに居る皆に話したんだ」
「おもしろ……?」
「君の考え方は、皆にとっても新鮮だったようでね。藍堂も思う事があったんだろう」

 すぐ近くまで来た枢は、自分の荷物を英に渡し、美夜の左腕をとった。

「傷を見ても?」
「構いませんが……皆さん辛くなりません?」
「クス、大丈夫」

 十日経ったとは言え傷は癒えていないし、包帯を巻いているせいで瘡蓋になっていない箇所もある。美夜が袖を捲ると、肘まで巻かれた包帯を枢が外していく。
 美夜が外されていく白を眺めていると、不意に明るい声を掛けられる。

「ほんと面白いね、美夜ちゃんは」
「……一条さん」
「あ、覚えてくれてるんだねー。拓麻でいいよ」

呼び捨てはないだろう、と

「拓麻さん?でいいですか」
「さん付けしないか、敬語止めるか。どっちがいい?」
「……敬語で」

 呼び捨てにすると普通科の子達が恐いから、と苦笑して言うと、彼も苦笑する。その彼の表情が、急に強張った。気まずそうにしていた英や暁も、一様に顔を固くした。

「……ひどいね」

 枢の言葉に、美夜は視線を下ろした。皆、腕の傷を見ていたのだ。確かに愉快な傷跡ではないが、美夜はこれといって気にしていなかった。
 怪我は、慣れている。

「女の子なのに……藍堂さんのせいで」
「?」

 美夜は背中に重みを感じて、倒れないよう何とかして踏みとどまった。振り返るとすぐにその重みは離れ、何やら眠そうな目をした男子生徒が、ツインテールの女生徒に注意されている。

「支葵さんと、遠矢さん……?」
「千里でいいよ……一条さんだけずるい。敬語も」
「あたしも。莉磨ね」

 予想外の返答に、数度瞬きする。今まで校舎の入れ替えと帰寮時にしか関わらなかったこともあり、急な接近に驚いたのだ。せいぜい、挨拶を交わす程度の関係だったはずだ。
 傷を見つめていた枢が、小さく笑って傷に右手を翳す。解いた包帯とガーゼを左手でまとめて持って、美夜に差し出した。夜間部に囲まれている美夜の反応に思うところがあったのか、彼はどこか楽しそうだった。

「美夜は、吸血鬼だから僕らに遠慮しているんじゃなく、単に人見知りなんだね……」
「はい、まあ」

 美夜は空いている右手で、包帯とガーゼを枢から受け取る。

「貴女は、不思議ね」
「早園さん」

 ウェーブのかかった髪が印象的な彼女が、枢の後ろから出てきた。いつも思ってたけど美人だなあ、などと思いながら整った顔を見つめる。しかし視線が落ち着いていない様子が、英と似ていると美夜は思ってしまった。言ったら怒られそうである。

「……瑠佳よ。貴女には特別に、敬語を使わないことを許してあげる」
「素直じゃねぇな」
「う、煩いわよ暁っ」
「あ、俺も名前でいいから。敬語もナシ」

 またしても同じ申し出に、美夜はどもりながら頷く。瑠佳の言う不思議がどういう意味なのか、聞くタイミングを逃してしまった。お前のことだから枢様に触るなとか言うと思った、と瑠佳に言った暁は、彼女からエルボーを食らう。
 瑠佳と暁のやり取りを微笑ましく見ていると、枢が静かに処置の終了を告げた。

「……はい、終わり」

 言われて視線を腕に戻すが、そこにはほとんど傷が残っていなかった。上級吸血鬼の特殊能力の一つなのだろう。

「……完全には治せないけど、すぐに綺麗になるよ」
「ありがとうございます。玖蘭さ」
「流れ的に、そうじゃないよね」
「……ありがとうございます、枢さん」

 内心かなり躊躇ったが、一瞬黒いモノが見えた気がしたので、慌てて名を呼んだ。敬語を訂正されなかっただけマシなのかもしれない。美夜は袖を直し、今日のお風呂はゆっくり出来る、と小さく笑った。

「お前になら」

 袖を直し終えた時、ずっと気まずそうにしていた英が先程までとは違い、真っ直ぐに視線を合わせてきた。

「名前を呼ばれても……敬語じゃなくても、怒らないでやる」

 そう言った彼は、照れ隠しなのか、すぐに顔を逸らす。拓麻と暁に何やらからかわれ、顔を赤くして反論していた。
 クラスの男子と大差のないそれに笑いを零した美夜だったが、あ、と思い至ったことがあって笑みを引っ込めた。
 彼らが歩み寄ってくれたのならば、自分も応えたい。取り敢えずは、英に言っておかないと。

「あの、じゃなくて……英さん」
「な、何だ」
「皆さんもなんだけど、美夜、でお願いします」

 遠慮がちに微笑むと英に、当たり前だ、とぶっきら棒に返された。
 美夜としては、あまり夜間部に関わるつもりは無かった。なのに、"こう"なってしまったことに嫌悪感を抱かないのは、やはり友達が増えるのは素直に嬉しいからだろう。




 美夜が夜間部との交流を終えて私的居住区に着いたのは、夜間部の帰寮時刻から三十分経った後だった。
 静かで人気のない廊下を大きなあくびをして歩き、着替えやタオルを置いている部屋で上着を脱いで校章を外しておく。眠りそうなのを必死で堪えながら、必要なものを抱えてバスルームへ向かった。
 この時間に寮のバスルームは使えない為、私的居住区のものを利用する。

「んー……」

 目をこすりながらバスルームのドアに手を伸ばし――しかし美夜の手がノブを掴む直前、それは逃れてしまった。あれ、と呟いて顔を上げると

「あ、零」
「……」

 たった今上がったようで、濡れた髪を片手に持ったタオルで乾かしていた。

「優姫は?」
「先に戻った」
「そか」

 美夜としては早く入浴を済ませて眠りたいのだが、どうしたことか零が退いてくれない。わしわしと髪を乾かしながら、形の良い眉を寄せる。美夜は零が不機嫌だと直ぐに気が付いた。そしてその理由にも直ぐに思い当たった。

「あのね、英さんに謝られてたの」
「……何もなかったか?」
「うん。ん?あ、枢さんに腕の傷治してもらったのと、皆に名前で呼んでって言われたかな」

 やましい事でもないので、正直に話す。零の不機嫌な雰囲気は引いてくれたが、やはり夜間部と関わるのを良しと思っていないのだろう、表情は複雑だった。

「……そうか」

 零はそう言いつつ、緩く美夜に腕を回した。睡魔に襲われている状態の美夜の思考は上手く働かず、自分の状況がすんなり頭に入らない。

「他のヤツの匂いがする」
「……千里さんかな。乗っかってきてたから」

 じわり、と体温が上昇して思考が晴れていく。零は美夜の頭に顔を寄せ、すり、と頬をすり寄せた。顔が熱い。零の腕が熱い。零と触れている部分が熱い。

「零……私、こういうの慣れてない」
「ああ」

 離れて欲しいと遠回しに伝えても、零は返事はするが行動が伴っていない。火照った顔を見られないよう俯いて、右手を荷物から離して零の服の裾を握って、名を呼んで、試みるのはささやかな抵抗だ。
 脳内処理が追いつかない。どうすべきかが分からない。無理矢理押すのも気が引けるし、だからといってこの状態は遠慮したい。結局、握った手を今度は軽く引いてみた。

「……分かったよ」

 美夜の切羽詰まった心境が伝わったのか、零はようやく体を離す。それに合わせて美夜は手を離し、顔を隠す様に口元に持っていった。

「じゃあ、お休み」
「う、うん、お休み」

 からかわれているのだろうか。
 美夜は、軽く頭を撫でた零を見ないまま、就寝の挨拶を返す。彼は気にした風もなくバスルームを出て、美夜の背中を押した。さっさと入れと言わんばかりに、零は美夜が背を向けているドアを閉めて行く。

「……零は、何なんだろう」

 眠気が吹っ飛んでしまった美夜は、その場にへたり込んだ。零の行動に動揺している自分も何なんだろう。
 意識するな、私。
 美夜は洗面台に手をついて立ち上がり、締まりのない顔を軽く叩く。しばし鏡の中の己を見つめるが、一つため息を吐いてスカートのポケットに手を突っ込んだ。

「……」



 ガリ、と何かを噛み砕く音がした。

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