59


 地下牢にいる零の所から枢が去った後。
 発作の様にざわめき始めた血を、何とか鎮めようとしていると、濃い血の匂いがした。それが拍車となって酷くなる血のうごめきに、眉を寄せて耐える。
 誰が来たのかなど、血の匂いで分かっていた。どういう訳か、濃い血の匂いがするほどの怪我を負った壱縷が牢の前に立っていた。
 どうしてそんな怪我を負っているのだと問う前に、壱縷は[血薔薇の銃]を手に取って零に構える。

「……零」

 壱縷が名を呼ぶと同時、左肩に激痛が走る。目で見て確認しなくとも、[血薔薇の銃]で撃たれたのだとすぐに分かった。実際は、目で見る余裕などなかったのだが。
 零は痛みに意識を飛ばしそうになりながら、浅く呼吸を繰り返す。痛みを感じているということは、自分は滅されていないのだと、回らない頭で考える。熱く感じる焼けるような痛みは、傷口だけでなく全身を侵していた。

「零、意識飛ばさないでちゃんと俺を見なよ。大人しくこんな牢に繋がれて……昔もそうやって、自分を貶めるのを止めなかったよね。贖罪のつもり?」

 淡々とした声が地下に響く。満足に体が動かせないでいると、壱縷が目の前に来てかがみ、顔を上げさせた。

「まさかそれで俺が慰められるなんて思ってないよね……?お陰で嫌でも気付かざるをえなかった。俺が存在しなければ、零はもっと自由だったと」

『どうして二つに分かれて生まれてきたんだろう』

 何年も前、薬を飲む壱縷の呟いた言葉が頭をよぎる。そんな壱縷の思いに気付いていても、どうすべきか分からなかった。ただ、どれほど些細な事でも、壱縷が自分に望んでくることは出来るだけ叶えようと決めていた。
 零は小さい頃から気付いていたのだ。壱縷の体が弱いのは恐らく自分のせいだということに。
 だから母からの愛情も、素直に受け取れなかった。自分は壱縷から奪ったのだから、全て壱縷にあげてほしいと思った。自分は愛されてはいけない、と感じたことは少なくない。

「本当に……閑様を奪われたことへの慰めにもならない」

 目の前の壱縷は、零を強く睨んでいた。零は子供の頃の思い出を仕舞い、浅く息を吸う。

「……安心しろ。贖罪なんて甘い考え、とっくに捨てた。あの夜……嗤(わら)うお前を見た時に。何故嗤った、父さんと母さんの死を……!」

 壱縷を責めると同時に激痛を逃がすように、壱縷の腕を掴んで睨む。壱縷は顔をしかめて、持っていた[血薔薇の銃]を床に置いた。

「まだまだ元気だね……この銃弾を浴びれば、元人間の吸血鬼はひとたまりもないはずなのに。それってさ、閑様の血のお陰?」

 腕を掴む手に力を込めると、壱縷の骨がきしむような感触がした。下手をすれば折れてしまうほど力を込めてしまっているが、壱縷は痛いと言わない。
 零は腕を掴んだまま、奥歯を噛んで床を睨んだ。鼓動に合わせて全身に走る激痛で、どうにかなりそうだった。

「……別に、死を願っていたわけじゃない。閑様が想いをかたむけていた元人間の吸血鬼が、俺達の父母の手によって処分された。……あの二人は悪くない。ただ機械的に指令をまっとうしただけだ。……けれど、その事実を閑様に聞いてとてもイヤだった」

 床に血が次々に落ちていく。土ではなく石床になっているので、血は吸い込まれずに落ちた場所に残る。

「機械的に閑様の想い人を処分してきたその日も、いつもと同じように俺達を"その腕"で抱きしめていた」
「……」
「そして協会の"飼い犬"の目で、時々俺を見ていることが苦しかった……!」

 子供の頃には決して言わなかった、悲痛な叫び。零は一度きつく目を閉じてから、視線を上げた。

「……壱縷、もう一つ聞く。そんな深手を負った理由は……」

 そこには、大きな爪で引っかかれたような傷があり、次々に血が流れていた。牢が暗いせいもあるのだろう、壱縷の顔色はあまりにも悪い。

「閑様の望みを、叶えようとしただけだよ……俺は最初からあの男だけが目的だった。閑様を閉じ込め、協会のリストに介入した吸血鬼……玖蘭李土」
「!」
「俺が一人で必死になっても、出来ることは限られてると分かっていたんだけどね……」

 壱縷が李土に歯向かい、そのせいで傷を負ったなら、美夜は壱縷を見殺しにしたのだろうか。
 壱縷は血を多く失いすぎたのか、ぐらりと体を傾けて零に倒れ込む。血の匂いをより感じたが、それよりも壱縷の状態に目を見開いて眉を寄せた。
 壱縷の傷口から流れる血が、零に暖かさを伝える。反対に壱縷の体そのものは、やや冷えていた。

「いち、る……」
「零……俺の最期の命、喰ってよ。その為に撃ったんだから」

 壱縷の手が零のシャツを掴んでいた。まるで一つに戻りたいとでも言うようなそれに、零は力の入っていない体を抱き締める。ただ唯一の片割れを取り込むなど、出来るわけがないのに。

「やめてくれ。もう、これ以上失うのは……」
「……うれしいな、零の中で俺は、もうとっくに死んだ存在だと思ってた」

 責めるような気持ちを感じない、純粋な言葉だった。いつも自分を頼ってくれた、儚げな笑顔が頭に浮かぶ。

「まり亜だって、お前に会いたがってた」
「……そっか」
「父さんと母さんも、ちゃんとお前を見ていたし、愛してた」
「分かってる……零も、許さなくていいから、閑様を恨まないでよ。俺のことを本当に……大切にしてくれていたんだ」

 零のシャツを掴む力が弱くなっている。消えていく片割れの命を、自分はこのまま見ているしかないのか。失血量から助からないと分かっても、諦めたくはない。壱縷を抱く腕に力を込めることしか出来なかった。

「美夜ちゃん……多分、俺とよく似てるよ。玖蘭李土に、とても大事にされてる……でも俺の復讐を、止めないでくれた」
「っ……」
「……それから美夜ちゃんは、零のことを覚えてる。お前はこんな所で……じっとしてちゃいけないんだ……!」

 だから喰ってよ、と壱縷は弱弱しい声で呟く。声に力は無かったが、"死"や"喰われる"ことに対する恐れを感じさせないものだった。
 地下に充満する血の匂い。撃たれたこともあって、飢えはもちろん感じている。なけなしの理性をなんとか保っているというのに、壱縷にそれを望まれては、吸血鬼の本能が暴れ出してしまう。

「壱縷……ッ」

 きつく歯を食いしばり、絞り出すように名を呼ぶと、壱縷が小さく笑ったような気配がした。
 すると唐突に、カツン、と高めの音が地下に響く。零は歯を食いしばって眉を寄せ、壱縷の体を動かさないようにしながら、なんとか銃を構えた。しかし音の主を視認して、目を見開いた。

「おま、え……!」
「壱縷くん……ッ」

 靴底で床を叩いたのは、紛れもなく美夜だったのだ。こちらを見て泣きそうに顔を歪めるが、すぐに何かを堪えるように俯く。立ったまま深呼吸をすると、美夜は眉を寄せて牢に入ってきた。
 腰に刀を下げている美夜には、李土のものと思われる血が付着している。零と壱縷のそばで膝をついた美夜は、壱縷の傷を見て顔をしかめたが、はっとしたように零を見た。

「ぜろ、も……怪我してるの?!」
「俺はいい。壱縷が、もう……!どうすれば……ッ」

 美夜に言ってもどうしようもないことくらい分かっている。病院に運んだところで手遅れだろう。
 壱縷がほんの少し体を動かして、口元に苦笑をにじませる。いつの間にか目を閉じていて、ひどく億劫そうに瞼を押し上げていた。零は支えたままで、無理するな、と懇願するように言った。

「なに……俺の復讐、許してくれたんじゃないの……?止めをさしに?」
「違う。駄目だよ、こんなの……助けるから。絶対に壱縷くんも零も……!」

 美夜は帯刀ベルトについたポーチを後ろ手で探っていた。すぐに目当ての物を見つけたのか、後ろに回していた手を壱縷に向けると、握っているものを壱縷に示した。美夜が持つのは一つの小瓶で、中では赤が揺れている。
 壱縷がそれを食い入るように見る。零は一瞬顔をしかめたが、察しがついて、泣きそうに表情を歪めている美夜を見た。
 美夜は、壱縷の目を見つめて早口で言った。

「分かるでしょう?閑さんの血だよ。少ないかもしれないけど、壱縷くんが既に取り込んだ閑さんの血が触発されるはずだから」
「美夜ちゃん、どうして……」
「先に飲んで。血を流しすぎてる」

 美夜が瓶の蓋をとる。零は壱縷を支えてやり、美夜が壱縷の口元に瓶を近づけるのを見守った。美夜はゆっくりとそれを傾けて、なんとか壱縷が飲み下すと目に見えてほっとしていた。壱縷は少し眉を寄せたが、すぐに血が動き出したのだろう、出血が止まっているのが零にも分かった。
 空になった瓶を床に置いた美夜は、また堪えるように額を押さえて俯く。しかし零が問う前に、美夜は顔を上げていた。

「壱縷くん、死ぬつもりだったでしょ……でも、駄目だよ。閑さんはそんなの望んでない」

 壱縷が零にもたれたままで、浅く呼吸を繰り返しながら美夜をちらりと見た。横になろうとする壱縷に手を貸して寝かせてやる。零はぶり返してくる傷の痛みに眉を寄せながら、背を壁に戻した。

「なんで……閑様の血を?」
「……舞踏祭の時、零にあげる血と引き換えに、私がのんだ条件は二つあるの」
「二つ……?お前が閑に血をやるだけじゃ、なかったのか?」

 美夜は頷き、零の左肩を見た。眉間に皺を寄せて、原因だと分かったのか[血薔薇の銃]を一瞥していた。

「……私の目の届く範囲で、壱縷くんを死なせないこと。必要なら血を飲ませろって」
「閑様が……?」
「うん。閑さんは、自分が先に死んだら壱縷くんが必ず無茶をするだろうからって……保険をかけたの」
「……そう、か」

 壱縷が深く息を吐き出して目を閉じる。一命をとりとめたので、そのまま起きないのでは、という不安はなかった。
 零が壱縷から美夜に視線を向けると、美夜は苦い表情で肩の傷をうかがっていた。このまま李土の所に戻らず、近くにいてほしいのはもちろんだ。だがここにいれば、飢えた自分は彼女を咬んでしまうだろう。それも嫌だった。
 そう思って口を開いたが、美夜は零の思うようなことを言ってはくれなかった。

「美夜、お前は――」
「咬んでいいよ、零。[血薔薇の銃]の毒は強い……今は大丈夫でも、どうなるか分からない」

 美夜は言いながら首元をくつろげる。首を傾げるようにして零を見ると、また泣きそうにして微笑んだ。

「ただ……傷が治っても、参戦しないで」
「……分かった、とは言えないな。美夜が李土の所に行こうとするなら」
「行くけど、駄目。……私は、零と戦いたくないよ」
「……ごめん」

 膝立ちになっている美夜の腰を引き寄せると、美夜は抵抗せずに首筋をさらす。舌を這わせて血脈を探し、白いそこに咬みついた。口に流れ込んでくる血を飲み下していると、美夜が耳元で囁く。

「……零はもう、私がなくても立てるから」

 馬鹿か、お前。美夜がいるから立とうと思うんだ。
 心の中で呟いて、回した腕に力をこめる。体に入り込んでくる血が、今朝から騒いでいる血と一緒になっていた。理由は分からないが自分の体内で脈打ち始めたのは、やはり美夜の血だったのかと納得すると同時、美夜の血から何も読めないことに苛立った。
 血で心を読むことはしたくないが、何を考えているのか知りたい。ただ、心を読めはしないが、今までより少し苦いように感じた。これが美夜の葛藤だと言うなら、全て引き受けたいくらいだった。

「零、ごめん。ごめんね……約束守れないかも。ちゃんと話すつもりだったのに」

 牙を抜いて美夜を抱き締める。体内の血のざわめきは収まらないが、美夜がいるからだろうか、酷くなる様子はなかった。
 この細く小さな体に、彼女はどれほどの思いを抱え込んでいるのだろう。

「行かせたくない。ここにいろ。……俺を置いて、行くな」
「ごめん……」
「……連れ戻すからな」
「それは……っ」

 身じろぎした美夜を、さらに強く抱き締めた。美夜は胸を押してきたが、自分の力に敵うはずがない。すぐにそれに気付いて諦めたのか、腕の中で美夜が力を抜いていた。
 擦り寄るように、零の肩に額をつけて、乾いた笑みをもらす。そうして発した言葉は、弱弱しく揺れていた。

「嘘つきな私を……恨んでいい。許さなくていい」
「恨むはずないだろ……!」
「でも、これだけは信じてほしいの。私は、いつでも大切な人の……零の幸せを願ってる」

 驚いて少し体を離すと、顔を上げた美夜がひどく綺麗に微笑んでいた。細められた目を見つめていたが、複数の羽音がして意識が逸れる。
 その瞬間に美夜が零の腕から抜け出し、気づいた時には、地上から入って来たコウモリが美夜をさらっていた。




 李土は棺の縁に腰掛けて、手首に口をつける美夜の頭を反対の手で撫でた。
 床に座る美夜は李土の手首を自分の牙で傷つけて、<純血種>の血をほんの少し飲んでいる。部屋を出た美夜を強制的に戻らせ、体調不良を見るに見かねて、李土が血を飲むよう言ったのだ。

「僕は頭を整理しろと……壱縷を追うことを許可した。だが、壱縷の片割れに血を与えろとは言ってない」
「……ごめん。撃たれてたから」
「全く……本調子でないくせに動き回って血を抜かれて」

 髪をぐしゃぐしゃにするように撫でるが、美夜は黙ってされるがままになっていた。傷の塞がっている李土の手を離して、李土の膝に頭をつける。
 部屋を出るときには無かった血痕は、錐生の双子のもの。壱縷のものと、もう一つ知らない血の匂いだ。誰であるかは容易に分かり、李土は溜め息を吐いた。

「ごめんなさい……李土、飢えてるのに」
「少しくらい構わん。僕の食事はすぐに来る」

 髪ゴムを取って乱れた髪を軽く整えていると、美夜が脱力し始めたのがわかった。よく表情は見えないが、眠いのだろうとは容易に分かる。無理に動こうとする美夜が自然とそうなるよう、血を飲んでいる間に力を使っていた。

「すぐに来る元老院の奴に、お前の着替えを調達するよう分身で伝えてある。……着替えてから少し寝ろ。その血の匂いは不快だ」
「寝なくても大丈夫だよ」
「寝ろ。僕の食事中くらいは」

 李土を見上げる美夜は、まるで迷子の子供のようだった。その目の奥が揺れているのには、気づかない振りをして、李土は美夜の手を引く。
 美夜はふらりと立ち上がり、李土の首に腕を回す。

「……李土」
「美夜の血を先に飲むと、あとがまずくていけない。最後にもらうから、それまで休んでいろ。……話があるなら後で聞く」
「ありがと」

 耳元で美夜がほんの少しだけ笑う。李土が子供をあやすように背中を軽く叩くと、美夜は李土から体を離した。

「着替えてからだぞ。その匂いが美夜にしみつくのは御免だ」
「うん、分かった」

 沢山の吸血鬼の気配が、寮に入ってくる。その全てが李土を主と仰ぐ吸血鬼であり、餌になることすら望む者達だ。"影"である美夜も当然気付いていて、ドアのほうを一瞥していた。
 美夜は眠たそうに目をこすり、李土の隣に腰掛ける。李土のかけた睡魔に必死で抗っているのだろう、刀が棺に当たって音を立てていた。普段の"影"なら絶対にしない失態だ。

「絶対、私に気付くよね。李土は」
「何を今更……当たり前だろう」

 ほとんど瞼を閉じている美夜は、寝言のように呟いていた。

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