60


 学園にある林の中で、理事長は吸血鬼を塵へと変えていく。また一人、目の前にいた吸血鬼が塵になり、風が吹くとそれが薄く舞った。

「……ハンターの術式で飼い慣らされた吸血鬼が来てるな。間違いない、協会が関与してるな」
「……」

 背中から夜刈の声がかかるが、返事を返さずに塵を見つめる。
 十六年前までは日常だったこの仕事も、今では自分の何かを締め付ける。
 呆とそうしていたが、突然背中に衝撃を受け、思わず体勢を崩した。夜刈が理事長の背を蹴り、その足で背中を踏みにじっているのだ。

「ったく……零を守る為とはいえ、アイツには"狩り"をさせやがって。いざ自分が本職に復帰してみたら精神的にキツイってか」
「僕自身に対して……吸血鬼狩りを是としてしまうと、優姫も錐生くんも夜間部の子たちも……否定してしまう事になる気がして……」

 長期休暇中に任務に出ていた美夜は、一体どんな心境で刀を振るったのか、と少し考えてしまった。あんなにも優しい子が何も思わない訳がないだろうと思う。
 彼女は、本気で優姫や零を殺すつもりなのだろうか。

「刃を振るうことも必要な時がある相手だ」
「分かってる……と僕が言うには、この身は吸血鬼を殺しすぎたんだよ」

 一瞬でも浮かんだ疑問を掻き消す。親である自分が子供を信じなくてどうするのだ。自分には自分の役割がある。三人にすべきことがあるように。

「でも今、少なくとも僕は……"俺"は、現状での自分の役割を見失っていないつもりだ」

 体を起こして武器を握り直す。顔を向けた先には、飼い慣らしを受けていると思われる多くの吸血鬼と、見覚えのあるハンターが数名。その先頭には、扇で口元を隠す協会長の姿があった。表情はよくうかがえないが、目元は確かに笑んでいる。

「我々ハンター協会は、この騒ぎの元凶を突き止めた……よって夜間部吸血鬼の粛正を決行する。黒主……君の下らない理想主義が、結局は争いを呼ぶことになったんだよ」
「虫唾が走るぜ……またそうやって無実の吸血鬼を消すつもりか」

 吐き捨てるような夜刈の言葉に、無言であるが同意する。夜間部生が一体何をしたというのだろう。
 適当な理由を並べ立てて攻め入ろうとする協会長に、理事長は刃を向けた。
 協会長を見据える目に、柔和な色など一切ない。現役を思わせる鋭い視線は、だがその頃とは明らかに違う意思があった。

「普通科生を夜間部生が護ってくれている……なら俺は、その夜間部を護るのが仕事だ。あの子たちも、渡さないよ」
「……あの子が敵だと分かってなお、そんな風に扱うのか?甘いな、お前は」

 クック、と協会長が喉の奥で笑う。嘲るように理事長を見つめ、扇を畳むと、やはりその口元は歪んでいた。

「黒主……君はまた、間違いを犯している。渡さないもなにも、アレはこちらに戻ってはこない。さらに言えば、アレは元老院の味方とも言えないんだよ」
「何……?」

 美夜が優姫を守る側にないとは、零から聞いている。零は彼女から直接聞いたようだったから、嘘なはずはないだろう。こんな笑えない嘘をついても、美夜に何のメリットもない。
 眉をひそめる夜刈と理事長がよほど滑稽なのか、協会長は一人腹を抱えて笑う。本当にあれは良い仕事をする、と笑いを交えて呟くと、理事長に向き直った。

「あの子は李土様のものだよ。協会の命にも元老院の命にも縛られない……李土様の存在だけがあの子を動かす。淡い期待など捨てることだ。あの子は李土様が望めばなんだってするだろうさ」
「……」
「姫を奪うことも、零を殺すことも、自分の命さえ……李土様の言葉一つでやってみせるだろうね。分かるか?あれは愚かな操り人形だよ」

 夜刈が隣で舌打ちをする。よく回る舌だ、と悪態をついて銃口を吸血鬼に向けていた。理事長は協会長の言葉に眉を動かしたものの、動揺もなく殺気を向けた。
 協会長の言葉は事実かもしれない。だが、ここで生活していた美夜も嘘ではない。協会長は知らないのだ、この学園で美夜がどんな顔をして過ごしていたかなど。
 理事長は、やはり美夜を信じていた。

「俺の仕事は、夜間部生を護ることだ。……そして僕の仕事は、子供たちを信じることだよ」

 僅かに口の端を上げてみせると、協会長は不快そうに、初めて笑顔を消した。





 寮の私室で、沙頼の無事を確認出来た優姫らの前に、静かに枢が現れた。驚く三人を前にして、行こう、という枢の言葉に、優姫は素直にうなずけなかった。

「それは……この学園を枢センパイと一緒に出ていくということですか」

 確認するまでもない。それでも口にせずにはいられなかった。こんな状況で学園を出ていくという選択肢など、優姫が選ぶはずがないのに、枢は有無を言わさぬような口ぶりで言うのだ。
 窓を背に立つ枢を見上げ、差し込んでくる陽光に顔をしかめた。慣れないからだろう、あまりの眩しさに思わず手の甲で目を庇う。すぐに気付いた枢が、優しく優姫を抱き締めた。

「ごめん……眩しいんだね。たとえ些細な逆光でも辛い……分かるよ」

 白い光が枢の体で遮られる。影がこれほど心地よいと感じたことはなかっただろう。抵抗することなくふっと力を抜くと、優姫を包む枢が耳元でささやいた。

「優姫を守るのは僕だよ……だから一緒においで。行かなければならない所がある」

 とても甘い囁きと、心地よすぎるほどの影。このまま捕らわれてしまいたいと思えるほどのそれらだが、不意に二つの目が脳裏によぎった。十年前と同じ、じっと優姫を見つめる紅と蒼だ。
 駄目だ、と頭の中で誰かが言う。影を望む吸血鬼の自分を、学園を守るという人間の自分が叱咤する。そう、行くわけにはいかないのだ。今度は自分が守る番だと決めたのだから。

「枢、センパイ……っ!十年前と同じ"あの瞳"を感じるんです。玖蘭李土、なんでしょう?……恐ろしい気配をまとった吸血鬼も集まってきている。こんな場所に頼ちゃんたちを置いていけない!美夜も……苦しんでるのに……っ」

 枢の胸に手をつき、体を離して彼を見上げる。兄であるその人は、静かに優姫を見つめているだけだった。
 沙頼がカーテンを閉め、優姫はわずかに肩の力を抜いた。

「私は学園を出ていくことは出来ないです。枢センパイは出来るんですか!?」

 非難の色を込めて言うと、枢は優姫との距離をなくして、先ほどよりも強く腕に閉じ込めてくる。少しの空間もなく、身動きも出来ないきつい抱擁に、優姫は眉を寄せた。

「僕の腕から逃れることも出来ない……目覚めたばかりの赤子に等しい君。非力な君に、ここに残って何ができるというの……?」

 駄々をこねる子供を諭すように言われ、同時に、窓に亀裂の走る音がする。抱擁の気恥ずかしさなどよりも、なにより事実を突かれ、言葉を詰まらせた。
 <純血種>とは言っても、優姫は力の使い方など分からない。戦う術も感覚に頼るしかない。枢に無力だと言われても反論できないのだ。しかし、それでも、優姫は引くつもりなどなかった。
 枢が英に、沙頼を安全な場所へ連れていくよう指示をする。沙頼は困惑気味に、拘束される優姫を窺いつつ英に手を引かれて部屋を出て行った。

「はなして、せんぱ……」

 沙頼と英が部屋を出てすぐだった。窓の割れる音と、他にも何か亀裂の走った音がした。ガラスが床を叩いて砕ける音に、思わず身を固くする。室内に視線を走らせると、枢から貰った薔薇の置物に小さな亀裂が走っていた。
 自分の力ではないと直感した。枢は言葉こそ少ないが、優姫の態度に苛立ちの様な、怒りの様なものを抱いているらしい。

「優姫……無理矢理に連れていくことも出来るんだよ」
「っ……そんなことしたら、許さないです。ずっと、ずっと」

 噛みしめるように返答すれば、回された腕が不意に緩まる。優姫は弾かれたように抱擁から抜け出すと、ベッドに置いてある[狩りの女神]を手に取った。
 吸血鬼を、自分をも殺す武器をしっかりと握る。力がなくたって、自分には戦える武器があるのだと。

「たとえ貴方にかなわなくても、私はこうして武器を与えられているんです。だから――」

 握った[狩りの女神]から激しい反発がおきた。バチバチと静電気や火花のようなものを散らし、激しい痛みが手から腕を襲う。痛みをこらえ、どうしてと[狩りの女神]に問いかけても、反発は弱くならない。

「その子は、柄も何も無い剥き出しの姿……全身で吸血鬼を拒絶するために生まれたような、対吸血鬼武器だ」

 優姫の動揺を見透かして、枢は淡々と述べながら歩み寄って来る。痛みに顔をしかめる優姫の頬に手を当てて、優しい口調で囁いた。

「……もう、以前のように人間と同じようには生きられないんだよ」

 枢の言葉に首を振り、懇願するように彼を見上げる。枢の言葉は事実ばかりで、自分はただ我儘を言っているだけなのかもしれない。だが、今学園を離れることは絶対に出来ないのだ。
 優姫にも、守りたいものがある。自分は人間ではなくなってしまったけれど、人間であった時の思いまで消え去る訳ではない。吸血鬼になったからと割り切ってしまえば、優姫は優姫自身を見失うだろう。

「バカでもなんでも、間違いじゃないって思う道を、私は今まで信じて進んできました。今、ここでそれをやめたら私……本当に"私"ではなくなってしまう」

 [狩りの女神]を握る手は決して緩めない。優姫の手を握る枢は、ひどく悲しそうな顔をしていた。

「僕は一度、別たれることを受け入れた……それからの十年で味わったものを、君は、また僕に与えるの……?」
「っ……いやです、お願い。そんな顔しないで」

 感情を押し殺したような言葉からは、隠せない孤独がひしひしと伝わる。自分は十年人間として、守られて生きて来た。しかし枢は、どれほど辛い思いをしただろう。
 優姫が埋めなければならない枢の孤独を、今まさに広げてしまっているような感覚に、優姫は泣きそうに表情を歪めた。
 でも、私は残らないといけない。
 優姫は背伸びをして、枢の首に腕を回す。大きすぎる枢の孤独が、ほんの少しでも埋められるのかは分からないけれど、独りではないと伝えたかった。
 ゆっくりと、軽く枢にキスをする。少し癖のある枢の髪に指を通し、名残惜しさも感じながら体を離した。珍しく目を見開いている枢に、優姫は誓うように言葉を紡ぐ。

「大丈夫です、おにいさま……必ず、おにいさまの腕の中にもどりますから。ね?」
「……僕の手は、君が思っている以上に汚れている。それでも、戻って来てくれると言うの?」
「私は貴方のものです……貴方が闇に堕ちるなら、私も一緒に堕ちていきたい」

 見上げる枢の表情には驚きが浮かび、孤独の影を潜めていた。

「だから行ってください。貴方じゃなきゃできないことが、あるんでしょう……?」

 握った[狩りの女神]は未だ反発を弱めない。だが枢は、もう無理矢理に連れていくとは言わなかった。




 陽の寮の番をしていた英、暁、瑠佳の前に枢が現れた。枢が一瞥した部屋の窓には、黒髪を泳がせる優姫が立っており、英たちはそれだけで全てを察した。

「……枢様、どちらへ向かわれるのですか」
「どうせ、あとで嫌でもわかることだよ」

 英らに背を向けたまま、枢はそっけなく返す。普段となんら変わりのない応答だが、言葉に棘や鋭さはなく、むしろ落ち着いているようにさえ聞こえた。
 コートをなびかせる背を見つめる瑠佳が口を開く。

「枢様は、こんな時でもいつもと同じように距離を置かれるのですね……今まではずっと、心のどこかで信用してくださっていないからだと思っていました」

 顔だけで振り返る枢の表情に変化はない。あえて口を開かないともとれる枢に、暁と英も言葉をかけた。

「はっきり言っていいですよ、玖蘭寮長。元老院の年季の入った化け物どもを潰しに行くんでしょう」
「貴方はここに大切なものを残していこうとしている……僕たちを、信頼していないと出来ないですよね」

 枢が少し、ほんのわずかに目を見開いたように見えた。枢はそのまま歩き出してしまったが、最後に呟いた言葉には、微かな笑みが混じっていた。

「……好きに、思えばいいよ」




 部屋の窓から枢を見送った優姫は、ベッドに置いた制服と[狩りの女神]に向き直る。しばし黒の制服を見つめてから、着ていたワンピースを脱いだ。
 この黒の制服を着るのは、恐らくこれが最後だろう。学園を荒らす吸血鬼に対する、守護係としての最後の仕事だ。また、両親の仇討でもあり、親友を守る為でもある。
 枢と共に行くことを望んだ美夜には、怒られるかもしれないが。

「……怒ってくれるかな」

 ぽつりと呟いた。もしかすれば、枢一人が学園から遠ざかったことに気付いて、既に怒っているかもしれない。または彼女の場合、"優姫を守れなかった"と嘆くのかもしれない。
 零も必ず、美夜や李土の前に現れる。美夜と戦うことなど考えたくもないが、可能性は大いにある。無論、優姫は美夜を傷つけるつもりなど毛頭ないが、彼女は刀を振るうのだろうか。
 優姫は着なれた制服に着替え、最後に長髪を背中に流した。前を見据える目に迷いは無く、学園に残ったことを一切後悔していない。

「……」

 ベッドに置いた[狩りの女神]に手を伸ばすと、案の定反発を受ける。しかし優姫はわずかに顔をしかめただけで、気にした様子は無かった。この武器で戦うことに、なんの抵抗もないのだから。
 すると、握った[狩りの女神]からの反発が弱まる。かと思えば、手の中でそれがうごめいたような感覚がした。優姫が何もせずとも展開し、しかしロッドにはならなかった。

「……!!」

 優姫の決意を感じ取ったかのように展開した[狩りの女神]は、片端から大きな刃を伸ばし、鎌の姿を現していたのだ。優姫は手の中のそれに目を見開き、同時に反発がなくなったことに気付く。ゆっくりと顔の前に刃をもってくると、[狩りの女神]に微笑んだ。

「……ありがとう。また、よろしくね」

 [狩りの女神]だけでなく、枢が認めてくれたような気がした。自分はここですべきことをするのだと、表情を引き締める。
 自分は何も知りもせず、枢や零や美夜を苦しめたのだ。優しい人々に甘え、十年間平和を与えられてきた。自分は十分なものを返せないけれど、せめて自分に胸を張れるように。
 外を見ると、陽が高く昇っている。寮の周りは不気味なほど静かだ。陽が傾いてからが本格的な攻防が始まるのだと、優姫は白い光に目を細めた。





 部屋に血の匂いが充満し、足元には灰の山ができていた。周囲の者が口々に李土の名を呼び、手を伸ばせば浮かれたように身を差し出す。李土の食事中でさえ命令を乞う彼らに、李土は呆れを滲ませて息を吐いた。

「……うるさい奴らめ」

 力で美夜の睡魔に拍車をかけたので、彼女はそう簡単に目覚めないだろう。そう分かっているが、美夜が眠っていると知ってなお、口を閉じない様子に苛立った。
 美夜はこの部屋のベッドで、刀を抱いて眠っている。李土はその方向を一瞥し、また一人の吸血鬼の血をすする。李土への狂ったような忠誠心が伝わり、気分が悪くなることは無いが、不味いなと心の中で思う。
 遠慮などなく血を飲めば、その者は程なくして塵に変わる。李土は口元の血を拭い、収まってきた飢えに口の端を上げた。

「李土様……」
「ご命令を……」
「うるさい、いい加減黙れ。やっと頭がはっきりしてきたところだ……次」

 李土は近くにいた吸血鬼を呼ぶ。何の躊躇いもなく李土に首をさらし、李土に咬まれることを喜んでいるように見えた。

- 61 -

prev愛しき君に幸あれnext
ALICE+