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枢の前に並ぶのは、元老院の幹部たち。一人の手にはコウモリが握られていて、キイキイと鳴きながら羽をばたつかせていた。
「何用でございましょう、枢様。かような分身を遣わせてまで、我ら元老院を招集なさるとは……」
コウモリを握っていた吸血鬼が手を緩めると、それは枢の方へと飛んでくる。枢が手を伸ばせば、コウモリは枢に同化した。
軽く顔を伏せていた枢は、ゆっくりと口を開く。頭によぎるのは、気の遠くなるほど遠い時代の、しかし心に焼き付いた闇だ。
「すべての始まりの頃……吸血鬼というものの在り方が、ゆっくりと僕を絶望の淵に落していった。長い時を経て眠りから起こされても……以前と何の本質も変わらぬ者たちが、見えない檻を作っていた」
枢の独り言に似た告白に、元老院の者たちは首をひねるばかりだ。何の話を、と疑問を浮かべる彼らに枢が明確な答えを返すことは無く、顔を上げる。整ったその顔には笑みが浮かんでおり、場の雰囲気とはあまりに不釣り合いだった。
「最初の絶望の時代に、思い留まってしまったことを、いま果たそうと思う。……まずはお前たちだ」
今の自分の顔は、きっと李土によく似ている事だろう。正確には李土が自分に似ていることになるのだろうが。
枢の意思に感づいたのか、元老院の吸血鬼が口を開く。これから枢の起こす行動は間違っている、と暗に示していた。
「枢様……貴方が元老院を疎ましがられていることは理解しております」
「しかし、他と均衡を保ちながら吸血鬼が存在するため必要な機関が、"我々"なのだと……貴方の尊祖父であられる玖蘭最後の王が、そうおっしゃったのだ」
彼らの言うことにも一理ある。しかし悠と樹里を殺し、李土が生き延びている現状を正しいとは思えない。たとえ美夜が李土と親しいと知っても、それが覆ることはない。
「正邪の理が狂ったシステムは、もう……使えないだろう?」
枢が表情から柔らかさを消し去る。目の前にいる彼らを、元老院の吸血鬼ではなく、自分の僕として認識し、その血に働きかけるように見た。何の苦労もなく、彼らの目から意思というものが霞んでいく。
「さあ」
求めるように枢が手を向けると、彼らは自らの首や頭に手を添える。
『枢さまは、やさしくて、いい吸血鬼だもの』
記憶をなくした幼い優姫の言葉がよぎる。成長しても、自分に無垢な笑顔を向けてくれる彼女に、胸が痛んだ。だが枢がそれを止めることは無い。
「ごめんね、優姫……僕は、いい吸血鬼じゃないよ」
枢が呟くと同時、一斉に血が辺りを赤く染める。重い音を立てて頭が転がり、頭を失った体が地面に倒れる。それらが塵に変わっていく様子を、枢は眉ひとつ動かさず眺めていた。
*
陽が傾いた学園で、陽の寮の屋上に暁はいた。月の寮の方向を一瞥すると、隣の瑠佳に顔を向ける。瑠佳も同じように、月の寮の方向を見つめていた。
「……ずいぶん飛んでいったな」
暁の炎に焼かれた吸血鬼が、つい先ほど月の寮へと吹っ飛ばされたのだ。月の寮の壁に穴が開いているのが視認出来るほどで、あの一室――拓麻と千里の部屋はもう使えないだろう。
「ばか力」
「お前も一緒にケリを入れてた」
「あら……私がそんな、はしたないことしたかしら。でも、お陰であちらから出迎えてくれたわ」
いけしゃあしゃあという瑠佳だが、次いで口元には笑みが浮かんでいる。暁の前には、元老院の吸血鬼が数人現れており、その場にいる夜間部生が敵意を向けた。
元老院の吸血鬼は、そんな暁らの態度を面白がるように言う。お前たちは愚かだとあざ笑うそれに、自然と眉が寄った。
「君たちはこの学び舎で、くだらない考えに毒されたのだ。我らが君主、李土様になりかわり、わたくし達大人が君たちを教育し直してやろう」
「所詮、この学園は"我ら側"には上等な"餌場"。君たちもそれをわかっているだろう?」
「お前たちは……」
睨む瑠佳に賛同するように、夜間部生が続いた。
「正直……共存なんて、最初は無理だと思っていたけれど、いつの間にかのんびりした学園生活に慣れた自分がいたのよね」
「自分もだ。だが、いけないことだろうか」
話す夜間部生の隙をついて、武器を構えた吸血鬼が襲い掛かる。いち早く気付いた暁は、狙われた夜間部生を庇うように移動させた。
暁は襲ってきた吸血鬼をちらりと見て、かすった肩の傷を治した。庇った生徒は腕を深く傷つけられたようで、傷口を押さえている。完治には少しかかるだろうと、後ろに下がらせる。
「……いけなくはないさ。ムダに血を流すばかりが、俺たちの生き方じゃない」
「私も、まだ感情論でしかないけれど……枢様にうるさいほど熱い瞳を向けてきていた人間の女子たちが、無駄に襲われていいとは思わないから。だから、私はこうして戦うわ」
歩み出した瑠佳を制し、暁が前に出る。巻き込むかもしれないから離れていろ、と呟くと瑠佳は素直に、場を暁に譲る。
「暁……英のバカがいないわ」
「ああ、分かってる。ここを早く終わらせて、追いかける」
暁の足元から、ゆらりと炎が沸き起こる。味方を傷つけることのないそれは、火柱となって敵を襲った。
一人、陽の寮から離れた英は、既に月の寮の屋上に到着していた。立ちはだかる二人の吸血鬼を前にも恐れた様子はない。
「……知っているか、お前たち。枢様がずっと独りで苦しみに耐えてきたのは、なんのためだと思う。その理由が今、そこにあるんだ」
一瞬で二人の間に移動し、二人が声を上げる間もなく氷漬けにする。全身を凍らされた吸血鬼はすぐに砕け、英は目的の部屋に急いだ。迷うことなどありえない、強すぎる存在があるのだ。
寮の屋根には穴が開いており、そこは拓麻と千里の部屋。英が穴の傍に立って中を見下ろすと、そこには一人の吸血鬼が座っていた。英の視線に気付いて、伏せていた顔を上げる。
癖のある黒髪と、吸血鬼の例に漏れない整った顔だち。左右で色の違う目はとても暗い。目の当たりにすると一段と存在感は増し、足がすくむような思いがした。
「貴方が……玖蘭李土様……」
黒のコートを羽織っている李土は、腰を上げて笑みを浮かべた。英へと手を伸ばしてくると、英は突然思考を奪われたような感覚を覚える。
「前菜はもう要らんが、お前は少し喰いがいがありそうだ……"来イ"」
英の意思に関係なく、体が動く。李土の元へと吸い寄せられるように、穴へ体が傾いた。
「お前たちは所詮、お前たちの"王"である純血の吸血鬼には、逆らえないのだ……」
しかし英が李土に触れるよりも前に、一つの影が英を救う。落ちかけていた英を抱えたのは優姫で、英は意識を取り戻した。
「センパイ、しっかり!一人でどんどん先に行っちゃダメですよ」
「お前……!」
英を屋根に下ろした優姫は、鎌の柄をしっかりと握って刃を肩に担ぐ。音もなく宙に浮いて立つ李土は、腕を組んで優姫を見つめていた。
兄や父に顔つきは似ているが、雰囲気がまるで違う。欲望を隠そうともしない、獰猛な肉食獣。血筋と生きた年月によるプレッシャーは、同じ<純血種>である優姫さえ揺さぶった。
しかし優姫は怯むことなく、蒼と紅を見据える。
「はじめまして……あなたが"李土おじさま"?」
「ああ。……よく来た、優姫」
にやりと笑う李土に眉を寄せる。両親の敵が目の前にいるのだと思うと、ただ刃を振り下ろしたい衝動に駆られる。李土は優姫の心境に構わず、手を伸ばしてきた。
「さあ、おいで。僕の所へ」
「……美夜を返して」
「優姫がこちらにくれば、あの子も喜ぶだろう」
「美夜を、返して!」
叫ぶと同時、笑みを刻んだ李土が目の前に瞬間移動してくる。優姫は歯を食いしばって鎌を振るうが、李土はその身に刃を受けても笑みを崩さない。いや、コレは実体ではないのだと遅れて気付いた。
「共に来い、優姫」
「っ……」
動きを止めると、英が優姫を抱えて李土から距離を取る。李土は変わらず宙に立っており、[狩りの女神]を受けたそれは空気に四散する。
「ばか!好きにさせる気か!」
「そんなつもりはないですよ!さがって、センパイ。私の相手です」
優姫の前に立とうとする英を押しのけ、[狩りの女神]を構える。薄い笑みを崩さない李土に向き直ったが、妙な感覚を覚えて勢いよく振り返った。
来る、彼が。禍々しいほどの殺意を纏って。
気付いていないのか、英は優姫の行動に怪訝な顔をした。優姫は英の胸を押し、さがって、と再度言う。軽く押しただけでは当然引いてくれないので、腕に力を入れて寮の屋根から突き落とす。上手く着地してくれることを祈りながら、優姫もその場から飛び退いた。
その直後だった。
轟音と共に、屋根の穴にソレが襲い掛かる。ソレは無数の茨で、茨を中心として空中に対吸血鬼を示す紋章が広がった。淡い光が薄暗い学園を照らし、溶けるように消えていく。
予想外の規模の攻撃に、優姫は目を見開いて茨を見つめた。建物の揺れが、衝撃の大きさを物語っている。その茨を足場にして現れたのは、紛れもなく零だった。
「っ……零、それは」
「知るか」
右腕に茨を絡みつかせ、その茨は零に寄生するように腕や頬をうごめいていた。白いシャツをなびかせて立つ零は短く言って、茨を引いた部屋を見下ろす。屋根の穴が広がり、室内は土煙で白く濁っていた。
「……おい、いつまで寝ているつもりだ?起きろ、吸血鬼」
零の呼びかけに応えるように、茨が零の手元に集まり、銃の形を成す。大量の茨は[血薔薇の銃]のものであると、優姫は信じられない思いがした。[狩りの女神]と同じく、あの銃も零の何かを感じ取ったのだろう。
零の発砲と同時に、零の背後から影が襲う。優姫は[狩りの女神]を振るってそれを断つと、周囲に意識を巡らせながら鎌を構えた。
「止めろって、言わないんだね。ありがと」
「……止めろと言ったら止めるのか」
「止めない。私は零の味方だから」
「美夜に嫌われるつもりはないからな」
共闘を許してくれたことに嬉しくもなりながら、美夜のことを考えると苦い心境になる。
ガラガラと瓦礫の崩れる音がして、屋根の大穴から影が伸び出してくる。それは李土を形作り、その李土の隣には大きな黒の球体があった。
「煩いぞ……憎き狩人。お前からは、あの子に匂いがする」
「美夜を返してもらおうか」
「クク……優姫と同じことを。お前たちは思い違いをしている……あの子は僕のものだ。お前たちに貸していただけにすぎない」
李土は嘲るように笑い、優姫と零の鋭い視線を意に介さない。零が李土に銃口を向け、優姫が李土に鎌を構える。李土はそれすらも面白いというように笑みを刻んだままだったが、ふと視線を黒の球体に移す。
直径一メートルはある球体が、上から溶けるように消えていくのだ。中に入っていたそれが見えてくるにつれ、優姫と零は武器を下げていた。
「ほら、あまりに煩いから……美夜が起きてしまったじゃないか」
黒の球体から現れた美夜は、李土の言った通り眠っていたらしく、億劫そうに瞬きを繰り返していた。刀を抱くようにして持ち、片手を李土に伸ばす。黒の球体が完全に消える直前、宙に立つ李土が美夜を支えた。
「李土……」
「すまないな、あまりに騒がしいせいで」
屋根に下ろされた美夜は、優姫と零を見て目を見開く。少しの間硬直していたが、李土が名を呼ぶと、はっとしたように刀をベルトに装備した。
美夜は優姫と零を見ずに、足元に視線を落としていた。
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